夜会の視線
王宮の大広間は、眩い光に満ちていた。
無数の燭台が天井近くまで並び、磨き上げられた床は鏡のように輝いている。
金と白で統一された装飾は帝国の威光そのものであり、そこに集う貴族たちもまた華やかな装いで夜を彩っていた。
夏の終わりを告げる夜会。
本来ならば、ただの社交の場のはずだった。
しかし今夜、広間に漂う空気は明らかに違う。
視線が集中している。
その中心にいるのは──
マルール・ディジュワールだった。
彼女は淡い蒼のドレスを身に纏い、広間の入口で一度だけ足を止めた。
静かに息を吸う。
そして歩き出す。
その瞬間、ざわめきが広がった。
「……あれが」
「ディジュワール令嬢」
「呪われた悪役令嬢」
囁き声があちこちから聞こえる。
噂。
視線。
好奇心。
そのすべてがマルールに向けられていた。
背後に控えるノエルが、わずかに眉を寄せる。
「お気になさらないでください、お嬢様」
「分かってるわ」
マルールは小さく笑った。
気にしていないと言えば嘘になる。
だが、ここで立ち止まるわけにもいかない。
今夜は夜会。
貴族として振る舞うべき場所だ。
そのときだった。
「マルール様」
声がかかる。
振り向くと、そこには三人の令嬢が立っていた。
社交界でも名の知られた顔ぶれだ。
最初に口を開いたのは、柔らかな金髪の令嬢。
優雅な笑みを浮かべている。
カロリーヌ・ドュポワ
「今夜はお会いできて嬉しいですわ」
言葉は丁寧だが、目は笑っていない。
その隣に立つのは、赤みのある栗色の髪の少女。
どこか冷たい視線をしている。
リゼット・バラディーユ
そしてもう一人。
細い微笑を浮かべる黒髪の令嬢。
ナタリー・ルコルニュ
三人はまるで偶然のように立っていたが、明らかにマルールを待っていた。
「夜会はお好きですか?」
カロリーヌが尋ねる。
「嫌いではありません」
「そう」
彼女は意味ありげに微笑んだ。
「最近は特に注目を集めていらっしゃるものね」
広間の視線がさらに強くなる。
マルールは静かに答えた。
「噂は好きではありませんが」
「まあ」
カロリーヌは扇で口元を隠した。
「でも皆さん興味津々ですのよ。温室事件のこと」
リゼットが口を挟む。
「本当に偶然だったのかしら」
ナタリーが続ける。
「不思議ですわよね。マルール様の周りでは、いつも何かが起きる」
その言葉に、周囲の貴族たちがざわめいた。
完全な挑発だった。
ノエルが一歩前に出ようとする。
しかしその前に、マルールが静かに言った。
「もし私が何かを起こしているのなら」
三人が顔を上げる。
マルールは微笑んだ。
「それはきっと、皆様が思うよりずっと大変な才能ですね」
一瞬の沈黙。
そして周囲から小さな笑いが漏れた。
カロリーヌの目がわずかに細くなる。
「……面白いことをおっしゃるのね」
そのときだった。
広間の入口が大きく開く。
ざわめきが一瞬で消えた。
貴族たちが一斉に頭を下げる。
ゆっくりと歩み入ってきたのは、白銀の髪の男。
蒼い瞳が冷たい光を帯びている。
クリストフ・ポルディネ
皇太子は広間を見渡した。
そして。
迷うことなくマルールを見つけた。
その視線が合った瞬間。
空気が変わる。
カロリーヌたちもそれに気づいたようだった。
「……殿下が」
「こちらを」
クリストフはゆっくり歩く。
貴族たちの間を通り抜け。
まっすぐマルールの前に立った。
ノエルと三人の令嬢が、わずかに下がる。
「来たな」
皇太子の声は低い。
「はい、殿下」
「今夜は私のそばにいろと言ったはずだ」
広間が凍りついた。
皇太子が。
公の場で。
一人の令嬢にそう言った。
カロリーヌの表情が硬くなる。
リゼットが目を見開く。
ナタリーは静かに観察している。
マルールは少し困ったように笑った。
「まだ夜会は始まったばかりです」
「だからだ」
短い言葉。
しかしその声には明確な意思があった。
まるで。
彼女を守るように。
そのとき。
広間の反対側で、また扉が開く。
今度は侍従の声ではない。
ざわめきだけが広がる。
誰かが呟いた。
「……敵国の王」
人々が振り向く。
そこに立っていたのは。
金髪の男。
日焼けした肌に、琥珀の瞳。
王の威圧感を纏った存在。
アルベルト・ラナグローク
彼は広間を見渡した。
そして。
一瞬でマルールを見つける。
その口元が、ゆっくりと笑った。
「……なるほど」
低く呟く。
「やっと見つけた」
その言葉に。
皇太子の蒼い瞳が鋭く光った。
夜会の空気が、静かに張り詰めていく。
まだ誰も知らない。
この夜が──
帝国の運命を大きく揺るがす始まりになることを。
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