疑惑の取調べ
温室を出た途端、王宮の回廊の空気は冷たく感じられた。
先ほどまで騒然としていた庭園のざわめきが、まるで遠い場所の出来事のように思える。
だが視線だけは消えなかった。
廊下を歩くたび、貴族や侍女たちが足を止める。
そして小さな声で囁く。
「……あれが」
「温室の事件の」
「やはりディジュワール家の令嬢は──」
言葉の続きは聞こえない。
けれど意味は分かる。
温室で令嬢が倒れた。
そして私はその場にいた。
疑われる理由としては十分すぎる。
「馬鹿げております」
後ろから落ち着いた声がした。
振り向くと、騎士服の男が静かに歩いている。
私の護衛騎士、ベルナール・シュヴァリエ。
彼は普段と変わらぬ穏やかな表情で言った。
「マルール様がそのようなことをなさるはずがございません」
「……ありがとう」
「いえ。私は殿下のご命令で、あなた様をお守りしておりますので」
殿下。
つまり皇太子。
彼の言葉はいつも通り丁寧だが、その声音には揺るぎがない。
ベルナールは少しだけ声を落とした。
「それに」
「温室に向かわれた時刻も、私は把握しております」
つまり。
私が怪しい動きをしていないことを、彼は知っている。
私は小さく息を吐いた。
その時だった。
「こちらです」
騎士が足を止めた。
目の前には重厚な扉。
皇太子の執務室だ。
扉が開く。
中に入った瞬間、視線を感じた。
机の前に立つ男。
白銀の髪が、窓から差し込む光を受けて淡く輝いている。
氷のように澄んだ蒼い瞳。
この国の皇太子。
クリストフ・ポルディネ。
その視線は冷静だった。
感情はほとんど見えない。
だが、確かにこちらを観察している。
彼の傍らには細身の男が立っていた。
宮廷学者、ジョルジュ・ルモワール。
彼は書類から目を上げる。
「おや」
「噂のご令嬢ですか」
その声は穏やかだった。
だが目は鋭い。
扉が閉まる。
部屋は静寂に包まれた。
「座ってくれ」
クリストフが言う。
低く落ち着いた声だった。
私は椅子に腰掛ける。
ベルナールは私の後ろに立った。
クリストフは机に手を置き、こちらを見る。
「状況は理解しているな」
「はい」
「では聞こう」
蒼い瞳が私を捉える。
「倒れた令嬢と、最後に話した内容は何だ」
「花の話です」
私は答えた。
「温室の南方植物について」
ジョルジュが顎に手を当てる。
「花、ですか」
「ええ」
「なるほど」
彼はゆっくりと言った。
「毒の可能性は低いでしょう」
クリストフの目が細くなる。
「理由は」
「症状です」
ジョルジュは説明する。
「急激な意識混濁、記憶の混乱」
「これは毒よりも──」
彼は続けた。
「幻惑系の植物に近い」
部屋が静まる。
幻惑。
つまり、意識を乱す花。
クリストフが言った。
「温室にそのような植物はあるのか」
「あります」
ジョルジュは頷いた。
「ただし管理区画に」
その瞬間、私の胸がわずかに動いた。
管理区画。
つまり、本来は触れられない場所。
クリストフの蒼い瞳が私を見た。
「君は何か気づいたか」
その視線は鋭い。
だが責めているわけではない。
ただ観察している。
私は少し考えた。
そして言った。
「……いいえ」
沈黙。
クリストフは私を見続けている。
まるで、何かを測るように。
その時だった。
扉が開く。
「失礼する」
低く余裕のある声。
全員が振り向く。
黒い外套の男が部屋へ入ってきた。
金色の瞳。
敵国の王。
アルベルト・ラナグローク。
ベルナールが一歩前へ出る。
「申し訳ございませんが、現在こちらは調査中でございます」
丁寧な口調だが、明確な制止だった。
アルベルトは笑う。
「そう固いことを言うな。私は事件の目撃者だ」
そして私を見る。
「話を聞く権利はあるだろう?」
クリストフは短く言った。
「……好きにしろ」
アルベルトはゆっくり歩き、私の前で止まる。
「君がディジュワール嬢か」
「はい」
「面白い」
彼は言った。
「この状況で随分落ち着いている」
私は答えない。
アルベルトは笑った。
「普通なら泣くか、あるいは弁解する。だが君は違う」
部屋が静まる。
アルベルトは肩をすくめた。
「私の意見だが」
そして言う。
「この娘が犯人とは思えん」
沈黙。
ジョルジュが小さく呟いた。
「……妙ですね」
「何がです」
ベルナールが尋ねる。
ジョルジュは言った。
「温室の花の位置です」
全員が彼を見る。
「幻惑の花は本来、奥の区画にあります」
そして続けた。
「ですが今日見た位置は違いました」
沈黙。
つまり。
誰かが花を動かした。
事故ではない。
クリストフの蒼い瞳が細くなる。
アルベルトは小さく笑った。
「……なるほど」
温室事件は、ただの事故ではない。
誰かが仕組んだ可能性がある。
そして。
クリストフの蒼い瞳は、まだ私を見ていた。
裁くようでも、疑うようでもない。
ただ観察する視線だった。




