表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/25

いわくつきの少女




 夜会の広間は、眩い光に満ちていた。


 無数の燭台が揺れ、磨き上げられた床が煌めく。社交季の最盛期とあって、王都中の貴族が集っている。


 マルール・ディジュワールは淡い青のドレスに身を包み、壁際に静かに立っていた。


 ──視線を感じる。


 以前よりも、はっきりと。


(……噂は、広がっている)


 聖堂での異変以来、彼女を見る目は確実に変わってしまった。


 露骨な敵意ではない。だが、ひそやかな囁きがあちこちから聞こえた。


「ほら、あの方よ」


「聖火を揺らした……」


「不吉だわ」


 聞こえないふりには慣れている。


 それでも胸の奥が、静かに軋んだ。


「お飲み物を」


 給仕が銀の盆を差し出す。


 マルールは一つグラスを取った。


 琥珀色の液体が、ゆらりと揺れる。


 ──その瞬間。


「きゃあっ!」


 悲鳴が広間を裂いた。


 中央で若い令嬢が崩れ落ちる。令嬢の持っていたグラスが床に落ち、砕けた。


 楽団の音が止まり、ざわめきが広がる。


「息が荒い!」


「医師を!」


 令嬢の顔は青白く、手が痙攣していた。


 空気が凍る。


「……毒では?」


 その囁きは、瞬時に広間を巡った。


 そして──


 疑いの視線が、マルールへと集まった。


「その方、最後に話していたのは……」


「同じ盆から杯を……」


 給仕が青ざめ震えだす。


 マルールはグラスを握った。いつもとは違う、異様な重さを感じる。


(落ち着かないと……。落ち着いて、そう深呼吸をするのよ)


 倒れた令嬢。

 床の破片。

 給仕の動揺。


 そして、不自然なほど素早い疑い。


 ──偶然ではない。


 誰かが流れを作っている。


「毒味を」


 低い声。


 ベルナールが現れ、静かにグラスを受け取る。


「証拠を消すおつもり!?」


 貴婦人が声を荒げる。


「証拠保全のためでございます」


 彼は香りを確かめ、わずかに液体を揺らした。


「……異臭がございます」


 酒の甘さに混じる、微かな苦味。


「給仕の盆は中央の柱付近で止まりましたね」


「は、はい……」


「その際、誰かが触れた可能性があります」


 沈黙が落ちる。


 マルールは静かに言った。


「私が毒を盛る理由がございますか」


 空気が張り詰める。


「こんな目立つ場でそのような愚行を犯すほど、愚かではありません」


 冷静さは武器だ。


 だが──、それがこの場では仇となった。


「……怖いわ」


「平然としている」


 恐怖は理屈を拒む。ひそひそと彼女を貶めようとする言葉が駆け巡った。


 医師が駆け込む。


「軽度の中毒症状。命に別状はありません」


 安堵が広がる。


 だが疑念は消えない。


「聖堂の次は毒……」


「きっと公爵令嬢と話したから、呪われたのよ」


 その言葉が、形を持ち始める。


 ──悪役令嬢。


 否定すればするほど、周囲との距離は確実に広がっていた。


 孤立。


 静かな断絶。


「罠でございます」


 ベルナールが小さく言う。


「ええ」


 広間の奥、柱の影で誰かが笑った気がした。


 そして消える。


(……始まった。また、この苦痛に耐えなければいけないのね)


 神ではない。


 人の悪意。


 この夜を境に、マルールを取り巻く、社交界の空気は変わった。



 その日以降、噂は王都を巡った。


「祈祷の最中、聖火が揺れた」

「彼女が立つと空気が凍る」

「彼女の周りの花が触れずに枯れた」


「マルール・ディジュワール公爵令嬢は呪われている!!」


 誰が言い出したのかは分からない。


 だが噂は、事実より速く、美しく形を変える。



 ある夜、王宮会議が開かれた。


「ディジュワール公爵令嬢周辺で異常現象が継続」


「国家安全保障上、監視対象とすべきかと」


 重い沈黙。


 皇太子は静かに告げた。


「監視は許可する」


 そして、


「だが、彼女を遠ざけることは許さない」


 矛盾した命令。


 だが誰も異議を唱えなかった。



 噂はもはや社交界の遊戯ではない。


 神殿が動き、

 国家が警戒し、

 世界が注視する。


 ただ一人の少女を中心に。


 近づく者は減っていく。


 それでも離れようとしない男たちがいる。



 ただ一つ確かなのは──


 彼女に触れるな、という噂だけが、


 王都全体を覆い始めていたということだった。




ブックマーク・評価をしていただけますと励みになります。

よろしくお願いします。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ