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見返りを君に  作者: 雪川月花


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六章

 修学旅行が始まった。

 一日目は新幹線とバスで奈良へ。明日香村をぐるりと周って、最後に藤原京跡を見学する予定だ。

 行きの新幹線、俺達は六人グループであるのをいいことに座席を向かい合わせにして座った。窓側に洲鎌と城井が向かい合って、真ん中に俺と御門が向かい合って、通路側に有里と近江が向かい合った。

「さて、皆さんはご存じでしょうか。この世には修学旅行マジックというものがあることを」

 席に着いて早々、仰々しく手を組んで近江が言った。

「何それ」

「またなんかおかしなことを……」

 洲鎌と城井が呆れたように言って、御門はキラキラした瞳で近江を見つめた。

「マジックって?」

「あのな、修学旅行っつーのは、カップル成立の絶好の機会なんだよ。みんな開放的な気持ちになって、いつもと違う何か、これからを変える何かがあるかもしれないって期待してるの。今まで気にならなかったあの人が、なんだか気になってしまうそういう特別な時間なの。俺の調べによると、修学旅行での告白の成功率は普段の何倍にも跳ね上がるらしい」

 だからこそ! と近江は拳を握った。

「この機会に他のクラスの女子とお近づきにならなくてどうするんだ」

「お近づきったって、どうやって……」

「いいか? 俺にとっておきの秘策がある」

 近江が胸を張って、俺達(有里以外)は息を飲んだ。

「まず、洲鎌と饗庭の高身長&イケメンペアに女子のグループを釣ってもらう。そしてそこに合流する! 以上だ!」

「わぁ、他力本願!」

 御門が嬉しそうに手を叩いた。

「ええー、ナンパってこと? 俺ナンパとかしたことないよ。やり方分からん。饗庭ある?」

 洲鎌が頭を掻いてこちらを見る。

「ねーよ、そんなの。無理」

「いける! 絶対いけるって! お前達が希望の星だ、頑張れ! ――ほら、練習しとこう。洲鎌、はい、城井を女の子だと思って!」

「ええー……」

 洲鎌は顔を掻きながら目の前の城井を見た。

「ええと……、お茶でもいかがですか……?」

「はい喜んで!」

「んなので釣れるわけねーだろうが! 城井も簡単に釣られない!」

 近江から激が飛んで、二人は不満そうに口を尖らせた。

「厳しい……」

「せっかくノッてやったのに……」

「はい、次、饗庭! 御門を女の子だと思って!」

 俺は目の前の御門を見た。彼は恐らく結構乗り気で、ワクワクした顔でこちらを見つめてきた。

「ええっと……、ご趣味は?」

「見合いか!」

 近江がツッこみ、

「趣味は御朱印集めです。饗庭君、修学旅行中一緒に御朱印を集めませんか?」

 御門がキラキラした顔で言って、

「おお、これは逆ナンでは?」

「さすがです、饗庭選手。これは成功でしょう」

 城井と洲鎌がふざけて盛り上がった。

「ていうか、御朱印集め趣味なの? 本当?」

「ホント。三浦に来てから、鎌倉とかもよく行ってるんだー」

「いいじゃん、京都で集め放題じゃん!」

「うん!」

「ナンパなめんな!」

 せっかく御朱印の話で盛り上がりそうになったのに、近江が自分の膝をグーで叩いて叫んだ。

「洲鎌と饗庭は戦闘力が低すぎるし、城井と御門はチョロすぎる。練習になりゃしねぇ!」

「そんな言うならさ」

 城井が冷ややかな目で近江を見た。

「近江、手本見せてみろよ。参考にするから」

「えっ」

「確かに、それがいいよな」

「頼むよ言い出しっぺ」

「見たい見たい! 近江君のナンパ」

「えー……」

 追い詰められた近江は恐る恐る目の前の座席を見る。無表情の――見ようによっては怒っているようにさえ見える有里が、近江をじっと見返している。

 俺は少しハラハラした。有里が場を凍らせるのでは無いかと思ったのだ。それは残りのメンバーも同じだったようで、その場にしんと緊張が走った。

「ええっと……、有里さん」

 恐る恐る声を掛け、近江がバッと頭を下げた。

「お、お友達からお願いします……?」

「……」

 沈黙が流れ、ギャラリーの四人は息を呑む。有里がフッと吹き出すように笑って、近江はおずおずと顔を上げた。

「二人と同レベルじゃん」

 有里はそう言ってくつくつと笑う。全員がホッとして、和んだ空気が流れた。

 その後も有里は、積極的に友人達に絡んでいったりはしなかったものの、聞かれれば返事をする程度には会話して、ちゃんと周囲と馴染んでいた。

 新幹線の中で手持ち無沙汰に始めたトランプにもちゃんと参加したし、観光中も身勝手な行動は何もせず、大人しく俺達に付いてきた。顔はずっと穏やかで楽しそうで、俺はホッとしていた。



 修学旅行一日目は何事も無く終わった。

 奈良市内のホテルに着いて大広間で食事をし、生徒達はそれぞれの部屋に解散した。

 俺と有里の部屋はシングルベッド一つとセミダブルベッド一つのツインルーム。ベッド以外には小さなテレビと湯沸かしポットが乗っている机と、その下に小さな冷蔵庫が置いてあるだけの、簡素な部屋。

 俺は窓側のセミダブルを有里に譲り、壁側のシングルに座った。

 せっかく旅行に来た有里に、ちょっとでも良い方を使わせてやろうという気持ちがあった。だから風呂の順番も有里に譲って、彼を先に入らせた。

 俺は荷物を整理して、机の上に班の行動表と使い捨てのフィルムカメラを置く。

 このカメラは各班にひとつずつ渡されているものだ。スマートフォンで写真を撮るのが当たり前になった現代で、加工することもその場で見直すこともできない撮影体験をしてほしいという、先生達の教師心らしい。

 修学旅行が終わったら、このカメラで撮った写真を使ってまとめをし、十二月の文化祭で修学旅行の報告書を廊下に貼り出すそうだ。

「お先でーす」

 風呂場のドアが開いて、風呂上りの有里が上半身裸で出てきた。

 てっきり着込んで出てくるものと思っていたので、俺は少しだけギョッとした。

「なんで服着てないんだよ」

「んー、饗庭君にサービスしてあげようと思って」

「なんのだよ」

「いくらでも見ていいよ」

「別に見たいって言ってない……」

「俺の体、綺麗なんでしょ? ――ほら!」

 有里はくるりと回って見せた。

 一体どうしたことか、彼は謎に浮かれている。

「……どしたの、お前」

「んー?」

「服を着なさい」

「いいじゃん、ちょっとだけ」

「風邪引くぞ」

「大丈夫だって。――いやホント、新鮮なの。お風呂上がった後、服着ずにウロウロするの、ちょっと夢だったから」

 俺は言葉に詰まり、有里はそれには気が付かないようで、ウキウキとした様子でベッドの上に胡坐をかいて、洗濯物の片付けを始めた。

「外で風呂入ることってまず無いし、家でだって脱衣場から服着ずに出ること無いから。――親はともかくとして、妹は火傷のこと知らないのよ。見たら泣いちゃうでしょ、多分。だから絶対見せないようにしてるんだ。……まあ、火傷が無かったとしても、血の繋がらない妹の前を裸でウロウロするわけにいかないですしね?」

 有里はベッドから降りてスーツケースを開く。こちらを見ずに、弾んだ声のまま続けた。

「本当の妹ならそういうの気ぃ遣わなくていいんかな? どう思う? ――そういえば、饗庭は兄弟いるの?」

 有里は興味津々の目でこちらを振り返った。

「いや、いない……」

「へええ、一人っ子か」

「……うん」

「意外。お兄ちゃん、って感じするのにね」

「そうかぁ?」

「面倒見良すぎじゃん。普段から誰かの世話してるっていうなら、しっくりくる」

 スーツケースに服を詰め終わると、有里はベッドの上に大の字に寝転んだ。

「はー、気持ちいいなー。饗庭といると気ぃ遣わなくてよくていいわ」

「……」

 有里は目を閉じて大きく深呼吸した。

「幸せ」

 こんな風に言われては、もう好きにさせてやるしかない。

「……で、どうだった?」

 俺が言うと、有里は顔だけこちらに向けた。

「何が?」

「楽しかっただろ? 今日。楽しそうにしてたじゃん」

「お前の目は節穴か? 約束通り空気悪くしないように頑張ってやったんだろうが。表情筋使い果たしたんだけど」

 有里は見せつけるように自身の頬っぺたを揉む。

「俺の愛想は本来有料なんだからな」

 俺は少々動揺した。有里はちゃんと楽しんでいるように見えていたので、この返事は予想外だった。「ありがとう、楽しかったよ」と、そう言ってもらえるものと勝手に期待していたことに気が付いた。

「でも、少なくとも同じ班の奴らとはちょっと馴染めたというか……友達になれそうな気がしない?」

「ああー……」

 有里は思い起こすように天井を見て、面倒臭そうな顔をした。

「ええと、近江か。あのお調子者はまあ、悪い奴では無いな。饗庭が俺と二人部屋にしようとしたのも理解できるわ」

「そりゃよかった」

「そんで、城井と洲鎌ね。あいつらも悪い奴じゃないんだろうけど、なんだかんだ俺のこと警戒してるよ。分かる、感じる」

「それはお前のこれまでの積み重ねのせいだろ」

「はいはい、俺が悪いです」

「まだ三日あるんだから、もっと打ち解けられるって」

「別にいいんだけどね、俺は……。そんで、御門? あの子はいい子だね」

「ああ、素直な奴だな」

「可愛いよね」

「そうだな」

「――ま、俺の敵じゃないけどね」

 有里はふふんと鼻を鳴らす。

 直前、一瞬言葉に詰まったように感じたが、気の所為だったかもしれない。

 何を張り合っているのかと呆れて、俺はあっと声を上げた。有里が何事かとこちらを見た。

「勧誘するなよ、お前」

「しないよぉ」

 有里は呆れた顔をした。

「向いてないよ、ああいう子は」

「そうなのか?」

 ちょっと意外だ。いや、何も変な意味では無い。御門は有里に比べれば十倍は純粋で性格がいいから、人に好かれるだろうと思っただけだ。

「騙されやすそうで危なっかしいじゃん。変なトラブルに巻き込まれて、夜中に電話掛かってきそう」

 有里は自分のことを棚に上げて、ふざけているのか本気なのか分からない、真面目くさった顔で言った。そしてベッドの上で伸びをして、はぁと息を吐いた。

「それに、店のこと誰にも言うつもり無い。火傷のことも、家のことも。――知ってるのは饗庭だけでいいから」

 天井を睨む有里を見て、ふと気が付いたことがあった。

「……ちょっと思ったんだけど。お前さ、同級生のイメージが小一の時のままじゃない?」

 有里はこちらを見て、ぽかんとして瞬いた。

「どういうこと?」

「お前をいじめてた奴らと今のクラスの奴らが、そもそも別人っていうのはまずあるんだけど。それはそれとして、みんな成長してるんだよ。俺達の歳で、まだ人の火傷見て心配するんじゃなくてからかうような言葉が出てくる奴、普通にヤバくてそっちの方がドン引きだから」

「……そうかな」

 有里は視線を落とす。彼の不信は根深そうで、それは実際に有里が過去に経験してきたことを知らない自分が、とやかく言えることでは無いだろう。そう思うと、それ以上は何も言えなかった。

「できるかなぁ、友達……」

 有里がぽつりと言った。

「できる! できるよ!」

 俺は思わず勢い込んだ。

「でも俺、こんなだし」

「こんなってなんだよ。別に普通だよ、お前」

「……そう?」

「そうだよ」

「だって俺、プライド高いし自分勝手だしすぐムッとするし……」

 自覚あるんかい、と心の中でツッコんで

「分かってるなら大丈夫だって。自分で良くないと思ってるとこは、出さないように頑張ってみろ。今日できてたじゃん。なんかあったら、ちゃんと俺がフォローするし」

「汗かけないからできる遊びも限られるし」

「遊びなんて何でもあるだろ。話してるだけだっていい。俺達だってそうじゃん」

「背中、気持ち悪いし」

「有里」

 俺は咎める声で言った。

「そんなこと無いって、言っただろ。俺は全然そう思わない」

「……」

「――まあ、ちょっと考えてみ」

 黙ってしまった有里にそう言い置いて、俺も風呂場に向かった。

 部屋に戻ると、有里はちゃんと長袖のトレーナーを着ていた。特に何をするでもなく、ベッドの上でこちらに背を向け、窓の方を向いて座っていた。

「有里、もう寝る準備できたの?」

 俺は聞きながら自分の着替えを荷物にしまう。

「もう寝れる? 電気消していい?」

 グスンッ――と啜り上げる音がして、俺は驚いて有里を見た。

「どうした……?」

 俺は様子を伺うように有里の方へ寄って行った。ベッドの端で膝を抱えている有里の斜め後ろから、顔を覗き込むように自分もベッドに乗った。

 有里はグスリグスリと啜り上げ、涙を拭う仕草をする。

 ちょっと、友達を作れと無理に迫り過ぎたかもしれないと思った。彼には彼の事情や考えがあるのに。

「ええと、有里。今日はよく頑張ったな。気も張ってただろうし、疲れただろ。偉いよ、お前」

 俺は彼を元気付けたくて言葉を探す。

 全部有里のためになればと思って言ったこと。もっと笑顔になって欲しくて、楽しいと思って欲しくてしたことだ。それで泣かせてしまったのでは元も子もない。

「あの……、俺、ちょっと言い過ぎたかもしれない。別にやりたくないことをやれって、無理しろって言ったつもりじゃないんだ。俺は――」

「掛かったな!」

 有里が突然、ガバリと抱き付いてきた。

「な、何……?」

 俺は面食らって、目を瞬かせる。

「もー、饗庭君たら不用心なんだから。こんなホイホイベッドに乗ってきて、襲われちゃっても知らないよ」

「またアホなことを……」

 言いながらも俺はホッとする。

「何? 泣いてたんじゃないの? お前」

「泣いてないよ。饗庭どうするかなーと思って。びっくりした?」

「したよ、そりゃ……」

 呆気に取られながら、俺は有里をそのままにしていた。

 もし他の友達がふざけて抱き付いて来たりしたら、すぐさま蹴り飛ばしてやるのに。有里相手には不思議とそんな気が起きない。

「有里、友達になっても他の奴にはこんなことするなよ。皆びっくりするから」

 俺は有里の肩を叩く。

「ほら、離れて。もう寝よ、明日も早いんだから」

 離れさせようと身を捩ると、彼は離すまいとするように却って強く抱き付いてきた。

「おい――」

「考えたんだけど、俺、やっぱり饗庭だけでいいや」

「え?」

「友達、やっぱり他にはいらない」

「……」

「でもその代わり、饗庭のことはもう絶対離さない」

「……」

 なんと答えようか言葉を探していると、甘えるような声で有里が囁いた。

「ねぇ、饗庭君」

 出た出た、“饗庭君”。有里が俺をからかって、接客ごっこを始めるときの分かりやすい合図。

「はいはい、何」

 俺はいつも通りぞんざいに答える。

「饗庭君はどうしたら俺の物になってくれる? やっぱりお金積まなきゃダメかな」

 俺は呆れて溜め息を吐く。

「だから止めろよ、そういう発想」

 有里はムッとした様子で、拗ねた声で言う。

「じゃあどうしたらいいの」

「別に……。お前のもんとかは分からんけど、どうもしなくても一緒にいるじゃん、いつも」

「そういうことじゃないんだよ……」

 有里はもどかしげに言った。

「ほら、有里もう――」

「饗庭っ!」

 再び体を離そうとした俺に対し、有里は勢いで押し切ろうとするように言葉を続けた。

「今日、本当はすごく楽しかったよ。何もかもが初めてで、新鮮だった。饗庭がいてくれたから、怖いことなんて何もなくて、すごく、すごく楽しかった。明日からも楽しみで、今、すっごくワクワクしてる」

「……そっか」

「ありがとう、饗庭。饗庭がいなかったらこんな楽しいこと、俺は知らないままだった」

 こんなに素直な有里を見るのは初めてだ。修学旅行マジックって、もしかしてこういうことも含まれるんだろうか。

 有里は腕にぎゅっと力を込めてきた。

「今までいなかったんだ。自分のことをこんなに話せる人。思ったことをそのまま話して、それで大丈夫だって、安心して一緒にいられる人」

「うん」

「ずっと淋しかったんだ、俺、凄く。自分でも気が付いてなかったんだけど、本当は淋しかった。ずっと誰か、俺を見てくれる人を探してた」

「うん……」

「これから先も、ずっと独りで生きていこうと思ってた。そうできると思ってた。でも――もう無理だ」

 有里の声は少し、昂って震えている。

「饗庭に会ってしまったから、一緒にいることの楽しさを知ってしまったから、饗庭に会えてこんなに嬉しいのに、淋しくて堪らなくて、もう、独りになるのが怖くて仕方ない」

「有里――」

「俺、饗庭のこと好きだよ。相当好き。いつからだか分かんない。気が付いたら大好きになってた。絶対離れたくないの。ね? だから――」

 グイと体重を掛けられて、俺は素直に押し倒された。

「饗庭君、俺だけの物になってよ」

 力負けする相手ではなかったけれど、押されるに任せて抵抗はしなかった。拒否することが、彼を傷付ける気がしたから。

 それで、俺の両肩を掴んで首元に顔を埋めてきた有里を体重ごと受け止めて、そのままじっとしていた。頭の中は冷静なようで、どこかパニックでもあって、心臓が大きく鳴っているのを感じる。

 どうしよう。有里はこの後どうする気なんだろう。彼は何を求めていて、自分はどこまで応えてあげられるのか。望むことは叶えてあげたい気持ちと、それでもきっと、自分にはできないこともあるだろうという気持ちと。

 具体的に何ができて何ができないのかは自分でもよく分からない。とりあえず、有里が一体どうしたいのか、それが分からないことには――

 心臓の音に思考を掻き消されそうになりながら、大人しく押し倒されたままでいると

「ねえ」

 首元で有里が囁くように言った。

「うん……?」

 俺は戸惑いながら小さく答える。有里の声も戸惑っていた。

「これ、この後どうしたらいい……?」

 緊張の糸が切れて、ガクリと気が抜けた。

「俺が知るかい」

 押し倒して来ておいて、そんなことを言われても。

 俺が呆れてはぁぁと息を吐くと、有里はガバリと頭を上げる。俺の肩を掴み腕を突いて、俺の顔を見下ろしてきた。

「ちょっと! 男らしくリードしてあげようとかそういうのはないわけ⁉」

「無い」

 お前も男だろうがと心の中でツッコミつつ、不服そうにこちらを見下ろしている有里の顔を見上げた。

「無いよ。有里がどうしてほしいのか分からないし。有里はどうしたら淋しくなくなるの」

 有里が大きな瞳を見開いた。

「俺は……」

「いいよ、なんでも。俺にできることなら」

 有里は少し逡巡して、泣きそうな顔をした。

「分からない……」

 有里の瞳にじわじわと涙が浮かんで、俺の頬にパタパタと雫が落ちてきた。

「分からない。どうしたらいい? どうしてほしいんだろう、分からない。足りないんだ。何かが足りない。饗庭がいてくれるのに、いてくれるだけじゃ、まだまだずっと不安で、どうしたら満足するのか、自分でも分からない」

 もしかしたら本当は、有里がどうにかしてほしい相手は親なのかもしれない――と思った。それが生みの親なのか、育ての親なのかは分からないが。

 きっと有里は、これまで貰えなかった、足りなかった愛情を求めている。しかし上手な愛の求め方が分からなくて、だからこんなことになってるんだ。

 うう、と俯いて泣く有里に、右手を伸ばして頬を撫でた。

 そうして俺の方も、足りないものをどうすれば埋めてあげられるのかが分からない。

 自分達に足りないのは知識か人生経験か。何も分からない。それがもどしくて、苦しい。

 俺は頬を撫でた手を有里の背中に回そうとして、手を止めた。

「背中、触ったら痛い?」

「……力いっぱいじゃなきゃ、大丈夫。皮膚の境目が引き攣ると、ちょっと痛いんだ」

「分かった」

 背中にそっと触って、弱い力で引き寄せる。有里は体を支えていた腕の力を抜いて、大人しくまた俺の首元に頭を埋めた。

 俺は右手を有里の背中に軽く乗せたまま、左手で頭を撫でてみた。

「大丈夫だよ、有里。これからだって楽しいことがいっぱいあるよ。俺、なんでも付き合うよ。ずっと一緒にいる。――それなら淋しくない?」

「……」

「有里……?」

 有里が返事をしなくて、俺は何か返事を間違えただろうかと少し不安になった。

 自分では結構、いいことを言ってあげられたと思ったんだけど。

「ずっと……?」

 有里が呟くように言う。

「うん、ずっと。――いや、有里がそこまで言ってないっていうなら、ずっとじゃなくてもいいけど」

「……ねぇ、饗庭はなんでそんなに優しいの? 皆にこんなに優しくしてたら身が持たないでしょ」

「……」

 そんなことは俺にだって分かる。

 だからこれまでちゃんと線を引いて、誰彼構わず優しくするようなことはしてこなかった。有里のことだってつい先日まで、教室の隅に独りでいることは分かっていて、それでも声を掛けなかった。

「俺そんな優しくないよ。別に、世の中の人間全員気に掛けてるわけじゃない」

 俺は気に掛けてる相手を選んでいる。本当は何も優しくない。

 俺が気に掛けている人は、多分、この世界で二人だけ――

 一瞬、思考がここから離れた。有里は大人しく俺に体を預けたままで言った。

「じゃあ、俺は特別だと思っていいの?」

「……」

 まあ多分、そこそこ。

 初めは確か同情に近い気持ちだった気がするのだけど、一緒にいると楽しいし、笑っていてくれると嬉しい。悲しい気持ちも、淋しい気持ちも、させたくない。

 正直なところ、他の友人達に(いだ)く気持ちとは、何かが違う気がする。

 その気持ちをどんな言葉で言い表そうかと迷っていると

「おい正直者」

 有里がまた上体を起こして、冷めた声と目で俺を見た。

「こういうときは嘘でも『特別だよ』って言うんだよ」

「いや、別に違うって言いたかったわけじゃなくて……」

「しょうがないな。実力行使するしかないか」

「なんだよ」

「饗庭ってアホが付くほどのクソ真面目だから、手を出したらちゃんと責任取ってくれるでしょ?」

 いつものように、少しふざけたからかう口調で。有里は「よいしょ」と体勢を立て直し、俺の体に跨ったまま改めてこちらを見下ろしてきた。

 どう見ても手を出されてるのは俺の方に見えるんだけど、でも。

「いいの? このままだとちゅーしちゃうよ」

 ふざけた口調とは裏腹に、見下ろして来る有里の顔は何かに縋るように不安げで、彼を安心させてあげられるなら、俺はもう、なんでも良いと思った。

「有里がしたいなら、いいよ」

 有里が瞬く。

 一瞬迷うように目を伏せて、もう一度こちらを見て。俺と目が合うと、ゆっくりと顔を落としてきた。

 なんだか現実感が無くて夢の中のようだ。修学旅行の夜に、もしかしたら俺も相応に浮ついているのかもしれない。

 瞳を閉じて顔を近づけてくる有里に合わせ、俺も少し顎先を上げ、ゆっくりと瞳を閉じて……

 ――ドンドンドンドンドン!

 部屋のドアを叩く音がして、俺達はびくりと固まった。

 反射的に目を開けると、有里とかなりの近距離で視線が合って、俺は夢から覚めたようにハッとした。有里を軽い力で押して起こさせて、縺れる足で慌ててドアの方に向かった。

 その間も、まだドアは叩かれている。

「は、はい……?」

 入口近くまで来て恐る恐る声を掛けると、ドアの向こうから情けない声がした。

「あいばぁー」

「近江⁉」

 急いでドアを開けると、これまた情けない顔で近江がひとり立っている。

「どうし――」

「俺もこっちで寝させてくれ」

 近江は俺の体を押して、グイグイ部屋に入り込んで来た。

「は? 何、なんで?」

 その体を軽く押し留めながら俺は聞く。

「やっぱり溜まり場になった。だから言ったじゃん」

 近江はべそをかく。

「いつもの奴らが入ってきて、俺のベッドに勝手に座ってさ。何か俺も仲間に入れられた感じで盛り上がり出して。俺、無理だって。しれーっと抜けてきたから、ここで寝る」

「ここでって……、ベッド二つしか無いし」

「お前と一緒でいいから」

 お前が決めることかと思ったが、それを言う前に近江は俺の制止を振り切って、ズカズカと部屋の中へ進んでいった。そして小さくあっと声を上げて、潜めた声で言った。

「有里もう寝てたんだな、ごめん」

 有里はこちらに背を向けて布団を被り、後頭部だけが見えていた。さっきの今でもう眠ったということは無いと思うが、彼は寝たふりを決め込んだらしい。

「あ、ああ……」

「あちゃー、ベッドでっかい方有里に取られちゃったかー。お前、尻に敷かれてるな」

「なんだよそれ」

「ちなみにわたくしは当然艮野様にセミダブルを献上しました!」

 言いながら、近江はいそいそと勝手に人のベッドに滑り込む。

「じゃあそういうことで。有里起こしたら悪いし、もう寝ようぜ。おやすみー」

「こら」

「……」

「マジかお前」

「……」

 近江はもう返事もしない。

 俺は溜め息を吐いて、部屋の電気を薄明かりにしてから近江を追い掛けて布団に入った。シングルベッドは男二人で並ぶにはかなり狭かった。

「うわ、せま。寝苦しっ! こっち壁当たるんだけど!」

「お前が文句言うな」

 有里が寝ているという前提の下、小声で言い合う。肩や腕がぶつかる距離で、お互い仰向けになり目を閉じた。

 寝苦しいと言っていたわりに、近江は十分もしない内に寝息を立て始めた。

 ――自由な奴。

 心の中で溜め息を吐いて、眠る近江の反対側、有里の方を見る。いつの間にかこちらを向いて横たわっていた有里と目が合った。

「お人好し」

 有里は声を潜めて笑う。

「止める間無かったし」

「シングルベッドに男二人で可哀想」

「寝たふりしないでそっち譲ってくれたら良かっただろ」

「やーだよ」

 有里はクククと噛み殺したように笑って、真っ直ぐこちらを見た。

「こっちおいでよ」

「いい」

 さっきまでのシリアスな空気を思い出して、なんとなく今、隣に行くのは気恥ずかしい気持ち。

「何よ、俺よりそいつの方がいいの?」

 有里が頬を膨らませる。

「そうじゃなくて」

「アリサちゃんのお誘いを断るなんて勿体なーい。客からなら五十万は取るところを、無料で誘ってあげてるのに」

「いくら貰ってもすんなよ」

 俺は呆れた声で言う。ああ、もういつもの有里だと、心の中で安堵してベッドを出た。

 有里のベッドに移動し、掛け布団に潜り込んで仰向けで隣に並ぶ。セミダブルはその分余裕があって、近江の隣より断然寝やすかった。

「ありがとな」

「いーえ」

 なんだか安心して、体が急にリラックスしたように感じる。時を置かず、ふわりと眠たくなった。

「……ありがとうね、饗庭」

 有里がぽつりと言うのが聞こえたけれど、もう返事も出来なくて。俺は小さく頷いて、微笑みだけで応えた。



 翌朝。近江はぱっちりと目を覚まして、一瞬ここはどこだっけと考えた後、今は修学旅行中で、昨夜饗庭の隣で眠ったことを思い出した。

 それにしてはベッドに余裕がある。隣を見ると、すぐ側ではなく隣のベッドに饗庭の後頭部があった。

 近江は起き上がり、そーっとベッドから降りて、隣のベッドを覗く。

 饗庭と有里が二人、顔を突き合わせるようにして穏やかな寝息を立てているのを見て、「へええ」と呟くと、周りを見回した。

 机の上に班の使い捨てカメラが置いてある。近江は独りニヤニヤし、とても大きな親切心と、ほんのちょっとのいたずら心で、二人を写真に収めてみた。








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