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見返りを君に  作者: 雪川月花


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五章

「なあ、お前有里とどうなってんの?」

 その日の放課後。俺はいつものメンバーに呼び出されてファミレスにいた。

 いつも通りのくだらない話に付き合うつもりで席に着いて、とりあえず人数分のドリンクバーと山盛りのポテトを注文する。さて飲み物を取りに行こうと立ち上がり掛けたとき、近江が俺の腕を掴んだ。

「え、何?」

 俺は意味が分からなくて、すとんと席に座り直し、隣の友人の顔を見た。

「お前さー、気付いてないかもしれないけど、俺達がめちゃめちゃ聞かれんの。あいつらどうなってるんだって」

 向かいに座った洲鎌と城井が神妙な顔で頷いて、御門もその隣で深刻そうな顔をしていた。

「どうって……」

「なんも無くはないだろ? よく一緒にいるじゃん、最近。なんで?」

「なんでって……。友達だからだよ、普通に」

 友達だと今日、確認したところだ。

「有里といつ友達になったんだよ」

「友達っていうのは、いつ今からせーのでなるもんじゃなくて、気が付いたらなってるもんだろ?」

 有里の瞳をキラキラさせたこの台詞に、友人達はしらーっとした。御門だけはなんか、感心してたけど。

「本当になんもないの?」

 近江が不審げに言う。

「なんかってなんだよ、何も無いよ」

 特に誤魔化したつもりもない。本当に何も無いから。

「じゃあ具体的に聞くけど」

 と、近江は妙に緊張した面持ちでまっすぐこちらを見た。

「ちょっと前な? 朝、有里に呼び出されてたじゃん」

「ああ」

 有里を夜の横浜で見かけた翌朝のあれだ。

「あのときさ、様子見に行くって言って出てった奴らがいるんだけど」

「えっ」

 全然気が付かなかった。会話の内容を聞かれていただろうか。

「お前が有里に、壁ドンしてたって」

「なんて?」

 俺は思わず聞き返してから、あの時の状況を思い出して得心した。

「あー、あれかぁ……」

 そう思われたなら、会話は聞かれていないだろう。それなら良かった。

 しかしあれも壁ドンっていうのかな。まあ、第三者から見たらそうか……

「そんで、こないだ有里が倒れた日」

「うん」

 外周の掃除中に、有里が熱中症を起こした日だ。

「有里に駆け寄って支えたお前の速度が、少女漫画の王子様のそれだったって女子が騒いでた」

「いや、あれはたまたま、倒れる前から有里が目に入ってて。なんかフラフラしてるなーと思ってたから」

「それに最近、昼になったら毎日二人で消えるし」

「史学準備室で昼飯食べて喋ってるだけだって。今度来る? お前ら全員はちょっと、座る場所無いかもしれないけど……」

「有里と飯なんて何喋っていいか分かんねぇよ。お前一体何喋ってんの」

「別に普通だよ。お前らと喋ってるのと大して変わらない」

「変わるだろ。有里は冗談なんて言わないだろうし」

「有里も冗談言うよ」

「有里は冗談なんて言わない!」

 近江が力強く断言して、俺は呆れて近江を見つめた。

「お前の中の有里像どうなってんだ」

「そして極めつけが、今日だ」

 逸れた話を戻すように、目の前の洲鎌が穏やかな口調で言った。

「お前、有里引っ張って出て行って、昼まで帰って来なかった。なんで? どこ行ってたの?」

 俺はギクリとした。学校で何も言われなかったから、もう聞かれないものと思い自分でも忘れかけていた。実はあの後本気で寝てしまって、起きたときには午前の授業が終わる十分前だったのだ。

 ちなみに、有里は俺が起きたときにはまだ隣でスヤスヤ寝ていて、俺の腕はもう一生動かないのでは無いかというくらい痺れていた。

 そして腕が治るのを待つ内に昼休みになって……

「ええと、屋上」

「何してたの」

「うーん……」

 それは非常に説明しにくい。というか、無理だ。話せる部分が無い。

「話してただけだけど……。後ちょっと、寝ちゃってた」

「饗庭さぁ」

 次に口を開いたのは城井だった。

「なんか知らないけど有里に感化されて、お前、良くない方に行こうとしてない?」

「なんだよ、良くない方って」

 俺は思わずムッとした。城井は冷静にこちらを見ていた。

「饗庭は授業サボって屋上行っちゃうようなタイプじゃないでしょ、本来。有里はよくいないけどさ。あれは何で許されてるんだろうね、知らんけど。――百歩譲って有里がお前を連れてったなら分かるよ。でも今朝はお前が連れてってたじゃん。授業、出なきゃ駄目でしょ、お前は」

「……」

 その通りだと思ったので、俺は何も言い返せなかった。

 ちなみに今日の昼休み、弁当を教室に取りに行ってから向かった史学準備室で神川先生から尋問を受けた。しかし有里が「俺が付き合ってもらったんです」と口を出しただけで、それ以上は何も言われずお咎めも何も無かった。

 もし他の生徒が授業を午前中いっぱいサボったりしたら、反省文の上親に連絡、一週間の居残り掃除くらいはさせられただろうに。

 俺は改めて有里の特別待遇の威力を知った。

「饗庭は授業サボって屋上で寝てるような不良になっちゃったの?」

 返事をしない俺に、城井が追撃してくる。

「いや、違うんだ。今日はイレギュラーで」

「イレギュラーって?」

「昨日の夜大変だったから」

「お前ら夜も会ってんの⁉」

 城井は愕然とした顔をした。

「いや、会ってないって。学校の外でなんて――一回だけ会ったけど……会ってない」

 その場が一度、しんとした。

「あのね、饗庭君」

 と御門が言った。

「皆、怒ってるわけでも責めてるわけでもなくて、心配してるんだと思うよ」

「心配?」

「もしかして何か……、有里君に弱みを握られてるとか」

「へぇ⁉」

 俺は驚いて瞬いた。

「僕もまあ、有里君の噂はいろいろ聞いたけど、最新のやつ知ってる?」

「最新のやつ……?」

 心当たりが無くて、俺は友人達を見回す。表情を見るに、全員何か知っているようだ。

「有里君、お医者さんの家の子だって言われてたけど、本当は違うんじゃないかって話」

「うん?」

「――ヤクザ屋さんの家の子で、服を脱がないのは体にびっしり刺青があるからじゃないかって」

「……」

「で、饗庭君は脅迫されて、彼の言いなりになってるんじゃないかって――」

 俺はぽかんとして、それから思わず吹き出して、大声で笑った。

 有里がヤクザ。似合わない。いや、寧ろ似合うのか?

 涼しい顔をした有里が、柄の悪い大男達を従えて腕組みして立っている様が思い浮かんで、俺は更に笑った。

「何それ――無い無い。誰だよ、そんなこと言い出した奴」

 俺の大笑いをきっかけに、全体を包んでいた緊張した空気が途切れた。

「なんだよもうー。俺達本気で心配してるんだぞ」

 近江が俺の肩を掴んで体を揺すった。

「お前なんか今朝様子おかしかったし、帰って来ないしさ。連れてったのは確かにお前だけど、帰らせてもらえなかったんじゃないの?」

「違うんだって、本当に友達になったんだよ。――ちょっとキッカケがあって、それで打ち解けられたというか……。基本的に有里側の事情だから、俺からは勝手に話せないんだけど……」

 俺は目の端に溜まった涙を拭う。

「体に刺青なんて入ってないし」

「なんで無いって知ってるの!」

 城井がまた愕然と声を上げる。ヤクザ疑惑はそれとして、やはり別の疑惑もしっかりあるようだ。

「倒れたとき、保健室でふぅちゃんに服脱がせて体冷やしてやってって言われて、俺、したし」

「うっそ、どうだった?」

 近江が体をバッと離して俺の顔を見る。

「どうって別に……俺らと変わらないよ、なんも」

 俺は努めて穏やかに言った。

「しかし饗庭、本当に信頼されてるんだな。服脱がせるの、他の奴だったら無理だったでしょ、多分」

 洲鎌が感心したように言う。

 ――そういえば、今にして思えばさして抵抗されなかったな。

 あの日まで懸命に隠してきたのだろうに、俺に知られて構わなかったのだろうか。言いふらされると心配しなかったのか。

 洲鎌の言うように信頼してもらえていたのか?

 そういえば口止めもされなかった。単に体がしんどすぎて、後のことを考える余裕が無かっただけかもしれないけれど。

「……まあ、とにかくそういうことだから、大丈夫。ちゃんと自分の意思だから。――授業サボったのは、自分でもまずかったと思ってるよ。本当に、ちょっと今回だけ特別だったんだ。もう絶対しない」

 こちらをじっと見つめる友人達を、真剣な目で見回す。沈黙が降りて数秒、友人達は目配せし合ってから肩の力を抜いた。

「分かった、信じよう」

「お前は元来真面目な奴だよ。それはよーく知ってるから」

 俺もホッと息を吐く。

「心配掛けたな、悪い。――ありがとう」

 心配してくれたのは、確かにありがたかった。しかし、ありがたいと同時に少し引っ掛かる気持ちがあった。

 皆、俺を心配してくれている。その心配は、同じクラスメイトの有里にも向かないものだろうか。

 心の端に少し責めるような気持ちがあったが、友人達の感覚は理解できた。

 自分自身がほんの一ヶ月程前まで、有里が何をしていようが何を感じていようが、全く(もっ)てどうでもよかったのだから。

 近江が言った。

「しかしまあ、ヤクザは俺達もそこまで本気で信じたわけじゃないけど、でもお前ら本当に友達なの? お前あの鉄仮面をどうやって懐柔したわけ?」

「懐柔したつもりは無いんだけどさ……」

 俺はごにょごにょと呟いて、そして閃いた。

「そうだ! お前らも有里と仲良くなればいいんだよ」

「どうやって」

「うーん……」

 そう言われると、困る。

 有里に友達ができない理由は圧倒的に有里側にあって、友人達には何も無い。有里の方から歩み寄ってもらわないことには、恐らくどうにもならない。

「……でもさ、案外、お前らが思ってるよりは話せる奴だから。ちょっとまあクセはあるかもしれないけど、普通だから、別に。今後何かタイミングが合ったときには、まずは大らかな気持ちで接してやってほしい。もしかしたら多少失礼なことするかもしれないけど、なんかあったら俺、ちゃんと仲介に入るから」

 四人は目をパチパチさせる。

「饗庭って有里の友達っつーか、保護者みたいだな」

 城井が呆れたような感心したような様子で言う。

「或いは、全方位威嚇する小型犬を唯一手懐けた飼い主」

 近江が顎を指で撫でて言う。

「或いは、高飛車なお姫様の護衛の騎士。――漫画みたいだな」

 と、洲鎌が言って

「漫画っていうか、ドラマみたいだよね!」

 御門が弾んだ声をあげた。

「僕、今日の朝は饗庭君がまるで式場に花嫁を攫いに来た人みたいに見えて、ドキドキしちゃったよ」

「ええー……」

 俺はがっくりと肩を落とす。

「別にそんなつもり無かったんだけど……」

「まあ絵にはなってたな」

「だから話題にもなるし、俺達がなんやかんや言われるんだよ」

「とりあえず次聞かれたらどうする? 保護者でいい? 小型犬の飼い主? お姫様の護衛? それとも花嫁の元カレか?」

「だから友達にしといてって……」

 げんなりした俺を見て、友人達は気兼ね無く笑った。

 そのタイミングでポテトが届いた。

 その後はいつものようにくだらない話をして、俺達は放課後の時間を過ごした。



「最近、艮野が絡んで来ないんだよね」

 ある日の史学準備室。卵焼きで口をもごもごさせながら有里が言った。

「ね、なんか言ってくれたの?」

「なんかって?」

 有里は卵焼きを飲み込んで、キリッとした顔をした。

「『有里は俺のだから手を出すな!』とか」

「俺、お前のこと引き取った覚えないんだけど」

 うんざりした顔でそう答えながら、言われてみれば確かに最近、艮野が有里に絡むのを見ていない気がした。

「別になんも言ってないけど……。まあでも、近いものはあるかもしれないな」

 艮野は恐らく、一匹狼を決め込んで勝手をしている有里が気に入らなかったのだろうから。友達が出来たらしいと――しかも、幼馴染の俺が有里と仲良くしているらしいと気が付いたら、牙が折れたのかもしれない。

 そんなことを思っていると、有里がやれやれと息を吐いた。

「いいねぇ、美しきクラスメイトを巡って幼馴染と三角関係。映画化決定じゃん?」

「……誰と誰と誰が三角関係だって?」

「俺とお前と艮野だよ」

 有里はそう言ってサンドイッチを一口食べる。

「大丈夫。艮野っていかにも当て馬だし、饗庭君が勝つよ」

「……」

 まあ一旦、俺のことは置いておこう。

「でもお前、艮野に嫌われてるじゃん。それでどうやって三角関係になるの」

 俺が至極真っ当なことを言うと、有里はニヤッと笑った。

「はー、饗庭君は純粋で可愛いねぇ」

「なんだよ」

 一段高い所から見下ろすような言い方に、俺はカチンと来た。

「お前、俺にそんだけ喋れんだから艮野にも直接言い返してみたら? 怖いのは分かるけど」

「ああ⁉」

 有里は不機嫌そうに眉を歪めた。

「怖いもんか、あんな奴」

「え、だって」

 俺は戸惑う。何を言われても言い返さないのは、他の多くの友人達と同じように、有里も艮野を怖いと思っているからだと思っていたのだけど。

(やから)が徒党組んで偉そうにしてるだけのお山の大将を、なんで俺が怖がってあげなきゃいけないの」

「……」

 酷い言われようだ。まあ間違っちゃいないが。

「俺からすりゃあ、なんであんなに周りの奴らがビクビクしてるのかが理解できないね。一人じゃなんもできないアホの集団が」

 有里は唾を吐く勢いで悪態をつく。

「どうせ女にもモテやしねーだろ、あんな奴ら。そういう鬱憤をクラスで偉そうにして晴らしてるの、相当ダサい」

「でも艮野彼女いるよ」

 俺が言うと、有里は目を丸くした。

「は? 何あいつ彼女持ちなの?」

「うん。小学校から一緒だった子と、中学のときから付き合ってる」

「ふーん」

 有里はつまらなそうに遠くを見る。そして、

「ねえ、その彼女って俺に似てるの?」

 と言った。

「はあ?」

 突拍子も無い問いに、俺はぽかんとした。

 何がどうしてその質問になるのか、全く意味が分からない。

 ちなみに艮野の彼女は――どう考えても有里には似ていない。なんなら、性別抜きにも一番遠いタイプかも。

 飾り気の無い姉御肌で、同性にも異性にも友人が多く、少々ふくよか。小学生の頃に一度、豪快に笑いながら思い切り背中を叩かれて、肺が破裂したかと思ったのを覚えている。

 美人かと問われるとちょっと……即答しかねるが、艮野は恐らく、彼女のその気兼ねなく接することのできる親しみやすさを好いている。付き合いが長くて腐れ縁、というのも多少はあるかもしれないけれど。

「いや、全然似てないけど」

「そう」

「え、なんで……?」

 あまりに意味が分からなくて戸惑いながら俺が聞くと、有里はつまらなそうな顔のままこちらを見た。

「いや、女の好みも一緒なのかと思って」

「うん?」

 頭にハテナがたくさん浮かぶ。

「だって艮野って、あいつ、俺のこと好きだよね」

「はあ⁉」

 思わず大きな声が出た。有里はフッと鼻で笑った。

「分かんない? 構ってほしくて仕方ないって、露骨に態度に出てるじゃん。チラチラこっち見て、挑発してさ。多分、呼び出して二人っきりで――」

 有里はそう言い掛けて、グイッとこちらに体を寄せ、瞳をうるりとさせて俺を見上げてきた。

「『もう、いじわる言わないで。僕、本当は君のこと……』」

「えっ……」

 俺は俺は思わずドギマギする。有里はそれに気が付いたのかいないのか、スッと冷めた顔をして元の姿勢に戻った。

「――って言って手でも握ってあげれば、一瞬で俺の親衛隊になると思うよ」

「そう……か……?」

「まあ本人も無自覚なんだろうね」

 そういえば、と俺は思う。

 いじめといっても、物を隠したり捨てたりだとか、怪我をさせるようなことをしたりだとか、そういうことは多分してないんだよな。ただひたすら、有里にうっとうしい絡み方をして無視されているだけ。

 そもそも俺の知る艮野は、本来弱い者いじめをするタイプでは無かった。あの風体だから勘違いはされやすいけれども。

 それがどうして有里に拘るのか、考えてみれば不自然ではあった。

「艮野も可哀想にねぇ。こんな美少年が近くにいたばっかりに、性癖を歪められてしまって」

 有里は髪をかき上げニヤリと笑う。有里の言葉は、その音とは裏腹に「ざまあみろ」と言っていた。

「……」

 俺は正直まだ、有里の言っていることがピンと来ていない。しかし言われてみれば確かに、艮野の態度は好きな子の気を引きたくてわざと嫌な思いをさせる、男子小学生のそれと同じだ。

 もし本当に有里の言う通りなんだとしたら……なんて不器用な奴なんだ、艮野!

「でも彼女持ちか。まあ、良かったよ」

 と有里は言う。

 何が良かったのか分からず黙っていると、有里は真面目な顔で言った。

「その内襲われるかと思ってたんだけど。まあでも女いんなら、そっちで性欲発散できてるだろうし、俺の貞操はとりあえず大丈夫でしょ」

「……お前ってたまにめちゃめちゃ下衆だよな」

 俺がドン引きの眼差しを送ると、有里はニヤリとした。

「温室育ちの饗庭君とは見えている世界が違うのだよ。――あの何? いつも一緒にいる取り巻き二人はどう思ってるのか知らんけど。さしもの俺も、三人掛かりで来られたら無理かもね」

 有里は謎に自身のフィジカルへの評価が高い。こいつ、艮野と一対一なら勝てるつもりなのだろうか。

 でも、と有里は小首を傾げてこちらを見た。

「その時は饗庭君が助けてくれるでしょ?」

「そりゃあ、助けるけど……」

 でも、そんなこと起こらないと思う。

 艮野は他校の番長と殴り合いの喧嘩をすることはあっても、そういう種類の問題を起こす人間だとは思えない。

 俺はドン引きの面持ちのままで言った。

「あのさぁ……。俺、艮野のこと三歳から知ってんだよ。だからあんまり、あいつのそういうの、想像したくないんだけど……」

「饗庭君は初心で可愛いねぇ。おー、よしよし」

「うるせぇ」

 子どもをあやす口調で頭を撫でようとしてきた有里の手を、パシリと(はた)いて止めさせた。有里は声を上げて笑った。

 それからふと、有里はなんだか嫌そうな顔をする。

「ていうかあいつ三歳だったことあるの? 全然想像できないんだけど」

「そりゃあるだろうよ」

「饗庭君の三歳は可愛かっただろうねぇ。――あ、ねえ、今度アルバム見せてよ。大丈夫、ちゃんと俺のも見せてあげるから! 七歳からしか無いし、数もあんまり無いけど、ごめんね?」

 申し訳無さそうに有里は小首を傾げる。

「……」

 俺は別に見たいって言ってないんだよなぁ。まあいいけど。

「……その内な」

 と呟いて、俺はふと思いついたことを聞いた。

「あのさ」

「何」

「艮野のこと。そこまで分かってるんなら、普通に話したらいいんじゃないの? お前なら上手く艮野の手綱握って、いいように転がせるんじゃない?」

 有里の話を完全に真に受けたわけではないけれど、艮野の有里への対応が嫌悪や侮蔑からくるものでは無く、根底にあるのは好意なのだとしたら。

 だとしたらちょっとした匙加減一つで、上手くやっていけるんじゃないだろうか?

 ――こいつ、そういうの上手そうだし。

 まあ俺だって、艮野が有里に骨抜きにされてデレデレしているところなんて、絶対見たくは無いんだけど。

「なんでそんなことしてやらなきゃいけないんだよ」

 俺の提案に、有里はイラッとした様子で言った。

「俺は嫌いなんだ、ああいう奴が。あの手合いは相手に取り合ってもらえないのが一番堪えるんだよ。それを機嫌取っていい気分にさせてやるなんて、絶対そんなことしてやんない。する義理が無い。卒業まで無視して、視線の端にも入れてやらない予定だから」

「そう……」

 有里はニヤリと笑った。

「艮野の奴、俺が饗庭と話すようになったのを見て、そういう道もあったことに気が付いただろうね。けど、今更俺に優しくして仲良くなることもできない。自業自得。勝手に悶々としてりゃいいさ」

「なるほど……?」

 有里がそんな風に考えて艮野を無視しているとは思っていなかった。驚きはしたが、説明を聞いて納得はした。

「ま、でも有里の言う通りだな。嫌がらせしてくる相手、わざわざ構ってやることないよ」

 俺が言うと、有里は意外そうにこちらを見つめた。

「え、何」

「いや、お前艮野の幼馴染なんだろ? なのにそんなこと言うんだと思って」

「まあなー、俺から見たら艮野は悪い奴じゃないんだけど、お前は事実、被害者なわけだし」

 有里は目を丸くして、その瞳がなんだか、キラキラと輝き始めたように見えた。

「お前がそんな感じだから分かりにくいけど、傷付いてないわけではないだろうし」

 そう言いながら、俺は心の底では少し勿体ないと思っていた。

 両方を良く知る身としては、実は有里と艮野は相性がいいのでは無いかという気がする。初めの関わり方さえ間違えていなければ、いい友達になれたのではないかと思うのだ。

 恐らく問題点としては、有里はプライドが高く人から従わせられるのが大嫌いで、艮野も艮野で幼い頃からのガキ大将気質を引き摺ったまま、相手より優位でいようとする性質がある。

 ちょーっとずつ譲り合って、お互いを尊重し、相手の上に立とうとするのを止めれば、もしかしたら二人は親友になれる可能性も……

 ――そんなこと言ったら、せっかくの機嫌が悪くなるだろうから言わないけど。

 俺は、なんだか嬉しそうな顔をしてサンドイッチを食べている有里の横顔を見つめる。

「でもさ、いい奴なんだよ」

 俺がぽつりと言うと、有里はこちらを見て眉を顰めた。

「なにそれ、矛盾してない?」

「してない。映画版だと優しくなるタイプなんだ」

「なにそれ」

 有里はクスクスと笑った。

「ええっ、分かんない?」

「全然分かんない」

 日本に昔からあるアニメのあるある。いつも自分勝手でいじわるなガキ大将が、映画になると主人公を助け、男気溢れる大活躍をするパターン。

 分かってほしくて懸命に説明したのに、何かがツボに入ったらしい有里は、俺の話を聞けば聞くほどに大笑いした。



 その日は珍しく、昼休みの史学準備室に神川先生がいた。

 先生は四十絡みの、俺達の担任の男性教師。俺はこれまであまり先生と一対一で話すことが無くて、実を言うと先生のことをずっと真面目で厳しい人だと思っていた。

 しかしこうして史学準備室に来るようになってから知った先生は、個人的に話す分にはなかなか融通も聞くし、冗談も言う、信頼できて親しみやすい人だった。

 先生は衝立の向こうから顔を出して、「見るか?」と、俺にパンフレットの束を渡した。

「修学旅行のパンフレット。皆には明日見せるけど、特別な」

 先生はそう言って有里を見て

「行くか? 有里も」

 と、軽い口調でノセるように言った。

「行かないです」

 即答した有里に、神川先生はしょげた顔をしてそれ以上勧めはしなかった。恐らく、強要しないという親との約束もあるのだろう。

 しばらくして神川先生が出て行って、俺達はいつも通り二人になった。

「ほら」

 俺は金目鯛の塩焼きを一切、箸で有里に差し出した。食べさせることになるのを見込んで、有里のために一口サイズにしてきた金目鯛だ。

 有里は当たり前に食べて

「関西に行くんだね」

 と、俺が机に置いたパンフレットの表紙を見て言った。

 自分に関係が無いからって、修学旅行まで一ヶ月を切ったこの時期に、有里はそんなことも把握していない。

「そうだよ。奈良・京都・大阪、三泊四日」

「いいじゃん。楽しんでおいでー」

 心の籠ってない声で有里は言う。

 昼食がサンドイッチしか無いものだから、俺が弁当を食べ終わるまでいつも有里は暇そうだ。今日は修学旅行のパンフレットがあったので、手持ち無沙汰にそれを手に取っていた。

 俺が弁当を食べ終わって有里を見ると、興味無さげにパンフレットを捲っていたはずの有里が、一つのページをじっと見つめていた。

「なんかあった?」

「ここ……知ってる気がする……」

「え?」

 有里はなんだか、夢見るように呆然としていた。俺は有里が見ていたパンフレットを覗きこんだ。

 それは、大阪で一番大きな水族館の紹介ページ。ジンベエザメのいる大水槽を、広い空間から見上げるアングルの写真が大きく掲載されている。

「俺さ、ホントにもう、前の家族のことなんて全然覚えてないんだけど。なんか印象的なところだけ、何個か覚えてるような気がすることがあって」

「うん」

「ここ……、このでっかい水槽。ここに立って、誰かと一緒にジンベエザメを見た気がする。だってほら――」

 有里はスマートフォンの画面を見せた。

「ジンベエザメって、日本に四ヶ所しかいないんだって。関西ではここだけ。俺、ふんわりとだけど、関西弁に馴染みがあるというか、『小さい頃聞いてたんだろうな』って感覚があって。養護施設も多分どっか関西圏だったんだよね。有里の家に来てからは大阪なんて行ってないし、養護施設でも水族館なんて行ってない。もっと、もっと小さい頃の記憶だと思うんだ。多分、家族と一緒に行った……」

 瞬きもせずに大水槽の写真を見つめる有里の大きな黒い瞳が、いつもより大きく輝いて見えた。

「本当に、切り取ったみたいに、その場面しか覚えてないけど。でも……」

 有里の瞳が揺れる。

「水槽が大きくて……綺麗で……。でも、海の底深くに飲み込まれてしまいそうで怖かった。誰かが隣で手を握ってたんだ。俺はそれに凄く安心して、幸せで……」

「有里、修学旅行行こう! 水族館一緒に行こうよ!」

 俺が勢い込んで言うと

「ええっ」

 有里は目を丸くしてこちらを見、迷うように目をそらした。

「いや、いいよ……。だってもう後一ヶ月無いし……」

「神川先生がどうにかしてくれるって」

「泊まりは嫌なんだって。風呂もだし、着替えも。外歩き回ると熱中症だって怖いし」

「俺がちゃんと面倒見る。絶対に大丈夫だから。――嫌?」

「嫌では無い……けど……」

 渋る有里に、俺は久しぶりに伝家の宝刀を抜いた。

「分かった」

「何が」

「見返り、これにしよう。修学旅行来て欲しい。来て」

「そんなもん見返りになるかい」

 有里は珍しくツッコミを入れて、

「……分かった。修学旅行、行くよ。でも、見返りはそれじゃなくていいから」

 嬉しそうで、不安そうな、そんな複雑な表情で視線を落とした。



「なんで有里が修学旅行に来るんだよー!」

 体育の時間。ドッジボールでアウトになった近江は、壁際に座る俺を見つけると縋り付いてきた。俺はぽかんと彼を見返した。

 この直前の休み時間。神川先生が体育館に向かう俺達五人組を呼び止めて、有里が修学旅行に参加することを伝え、既に決まっていた俺達の班に入れてやってほしいと頼んできたところだった。

「なんでって……来るのが当たり前っていうか、普通だろ」

「だってあいつ、これまで一回も泊まりの行事に参加したことないはずだろ⁉ なんで今回だけ来るんだよ!」

「……いいことだろ」

 俺は少しムッとした。

 これまで行事に参加して来なかったクラスメイトが、せっかく修学旅行に来るというのだ。それなのに、迷惑がるような近江の反応は酷いのではないか。

「悪かないけど、俺、一日目お前と同室だと思ってたのに」

「ああ」

 なるほどそういうことか。

 修学旅行の一日目、奈良のビジネスホテルはほとんどの生徒がツインルームの二人部屋。出席番号順に部屋が振り分けられるという事前情報があって、近江は自動的に俺と同室になると思っていたらしい。

 出席番号一番が「あいば」、二番が「ありさと」、三番が「おうみ」だからだ。

 この順番が違っていたとしても、恐らく神川先生が上手くやって俺と有里は同じ部屋になっていただろうが、自然な形で同室になれたのはよかった。

 だが近江はそもそも有里が来るはずないと決めつけて、俺と同室だと確信していたらしい。とはいえ、俺と一晩部屋が離れるだけで有里を迷惑がるなんて、やはり少し酷いのでは無いか?

「一晩くらい一緒じゃなくてもいいじゃん。城井達もバラバラだろ? お前、そんなに俺にべったりだったっけ?」

 出席番号六番の城井と七番の洲鎌も有里が来ることで別部屋になるけれど、二人は別に不満そうにしていない。俺が鬱陶しいと思っているのを隠さずに言うと、近江はべそをかいた。

「俺は別にお前と一緒じゃなきゃ嫌だなんて言ってねーよ! ――こちとらおかげさまで艮野と二人部屋なんだぞ!」

 そうだった。出席番号四番は「こんの」である。

「おかしいだろ! どうして『おうみ』の次が『こんの』なんだよ! か行どこ行った!」

 近江は叫んで、それから頭を抱える。

「うぇー、こえーよー。どうすんだよ。俺、何喋ればいいの? 喋っていいの? 風呂はいつ入ればいいの? 電気はいつ消せばいいの? っていうか、俺の部屋奴らの溜まり場になりそうじゃない? 無理なんだけど」 

「艮野って別にそんなに怖くないよ」

 俺が言うと、近江はキッとこちらを睨んだ。

「幼馴染様には分かんねーんだよ!」

 そしてハタと気が付いた顔をした。

「お前、艮野大丈夫なんならさ、俺と部屋替わってくれよ!」

「えっ」

「有里の扱い方も大概分からんけど、艮野の百倍いいわ」

「それは……」

 有里の拗ねた顔と、「じゃあ行かない」という台詞がリアルに想像できた。

「本当は有里が俺と替わってくれたら最高だけど――」

「それは絶対無理だろ」

 間髪入れずに俺が言うと

「分かってるって。俺だって鬼じゃない。生贄はお前で十分だ」

 近江は真顔で俺の肩を叩いた。

「……ちょっと、有里に聞いてみる」

「よっしゃ!」

 まだ決まってもいないのに、近江は一人でガッツポーズをする。

 あまり期待するなと忠告はしたが、彼の中では部屋の交換はもう決定事項になっているようだった。



「じゃあ行かない」

 有里はそっぽを向いた。

 その日の昼休み。いつもの史学準備室。想像した通り有里は不機嫌になった。

 俺は一応、近江と同室はどうですかと有里に提案してみたのだが、これは近江のためではない。どちらかというと有里のための提案のつもりだった。

「有里さ、俺以外にも友達作った方が良くない?」

 有里は胡乱げにこちらを見る。

「別に、火傷のこととか家のことまで話さなくても、普通に。こうやって昼飯食える相手とか、ちょっとしたことでも頼める相手とか、俺の他にもいた方がいいと思うんだけど」

 そして近江は気軽に友達になるのにかなり適した相手だと思う。頼りにはならないかもしれないが、裏表の無いいい奴なのは間違いないから。

 多少軽率で単純でお調子者だけど。その分悪気というものが無くて、きっと有里とも打ち解ければ上手くいくはず。

 少々口が軽いような気もするけど、それだって。有里のような事情なら、もし知ってしまったらちゃんと内緒にできる奴だ、あいつは。

 しかし有里は、やはりというか気が乗らないようだった。

「饗庭君は僕を一晩他の男と二人きりにして心配じゃないの?」

 芝居がかった口調で、縋るような目をウルウルさせて迫って来る。この行動にも随分慣れて、俺はしらーっと有里を見返した。

「ぜんっぜん心配じゃない」

 そもそも心配していないし、なんといっても相手は近江である。

 有里と仲良くなろうと思った近江が、例えばふざけ半分に有里の肩を抱いたとして。有里がチッと舌打ちでもしようものなら、近江は途端に縮み上がって「すみませんでした!」と叫び部屋の隅まで飛んで行くだろう。

「修学旅行なんて友達作るめちゃめちゃいい機会じゃん。これを期にちょっとさ、まずは近江とか、同じ班の奴らと話してみたら――」

「いい」

 有里は不服そうに俺から離れる。

「俺は饗庭だけいればいい。他の奴らのことは知らない。話しするつもり無い」

「……」

「つまんないことすんなら、行かないからね」

 有里はぷいとそっぽを向く。俺は小さく息を吐いた。

「ああ、分かった。部屋の件はいいよ、ちょっと言ってみただけだから。分かったけど、でもさ、お前その態度止めろよ」

「たいどぉ?」

 有里が片眉を上げる。

「俺はいいよ、もう。お前の面倒見るって決めたし、俺が来てくれって言ったんだから。でも、他の奴は修学旅行楽しみにしてるんだ。無視したり、失礼な態度を取って空気を凍らせるようなことはしないでくれ。これは本当に頼む」

 俺は諭すように有里に言った。

「……」

 真剣な顔で見つめる俺を、有里は不服そうに見つめ返す。しばらくして目をそらし、息を吐いた。

「分かった分かった、分かりました。お前の顔はちゃんと立てるよ。心配すんな」








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