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見返りを君に  作者: 雪川月花


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十章

 再び学校に通うようになってから一週間。俺は問題無く、これまで通りに毎日を過ごしていた。

 変わったことといえば、俺が多少それまでよりもクラスに溶け込んだことだろう。饗庭の言う通り、饗庭の友人達は俺を普通に受け入れてくれたし、艮野とも和解したし、他のクラスメイトとも多少交流ができた。

 何より俺の心が変わった。クラスメイトと話しをしたり、何かするのは素直に楽しい。これまで広い教室で独り、一日誰とも話さずにただ前を見て座っていられたことが、今では信じられないくらいだ。

 これも全て、饗庭がいてくれたから。饗庭に出会えていなかったらと思うと、ぞっとする。

 俺は先日饗庭が家に来てくれた日のことを思い返した。

 あの日、饗庭を部屋から追い出して、俺はドアに凭れて部屋の床に座り込んだ。

 ――ああ、びっくりした。

 身請けだなんだいうのは、俺は別に本気で言ってたわけじゃない。

 俺だって別に、汗をかく肉体労働は無理かもしれないけど、普通に働けるわけだし。今はあんな仕事をしてるけど、これから先ずっと人に養ってもらわないと生きていけないわけじゃない。

 あの馬鹿が付くほどの真面目が、身請けの話をそんなに真剣に捉えているとは思わなかった。普通に考えたら分かることなんだから、ああいう話はちゃんと、饗庭の方で拒否してくれないと困る。

 そうじゃないと、また本気にしてしまう。

 ――でも、もし、本当に一緒に生きていけたら……?

 勿論その時は、饗庭におんぶにだっこで一方的に世話になろうだなんて思わない。

 ちゃんと饗庭と同じくらい働いて、同じくらい家事をして、困ったときには助け合って。

 ――そうやって一緒に生きていけたら、どんなに楽しいだろう……

 そんな未来を想像すると、胸の奥がじんとするような、熱くなるような、ワクワクとした高揚感に包まれた。

 ――本当に、いいの?

 饗庭は、それでいいと思ってる?

 俺への同情とか優しさだけじゃなくて、饗庭自身がそうしたいと、本当に思ってくれている?

 突然現れた未来の展望に、心がキラキラと、チカチカとした。

 そうして居ても立っても居られなくなって、俺はまた、登校することを決めたのだ。

 昼休みになり、俺は今日も史学準備室に向かおうと鞄からコンビニの袋を出した。

 昼飯も、もう教室で近江達も交えて一緒に食べてもいいのだけど、俺は当たり前のこととして史学準備室に向かうようにしていた。

 この時間が無くなったら、饗庭と二人で話す時間が無くなってしまうから。その時間を手放すのが惜しくて、俺は教室で食べる選択肢に気が付かないふりをしていた。

 饗庭も今まで通り、毎日史学準備室に来てくれている。きっと饗庭も二人の時間を大切にしてくれているのだと思う。

 ――俺はそれだけで、とても満足している。

「饗庭君」

 昼休みが始まってすぐ、教室の前側の入り口で見覚えの無い女の子が二人、饗庭を呼んだ。

 ――そう、俺はとても満足していて、幸せだ。

 だからこんな風に、饗庭が俺と過ごすはずの昼休みに女の子から呼び出されて教室を出て行っても、全然だいじょう……ん?

 饗庭は教室の入り口で一言二言女の子達と何かを話し、それから一緒にどこかへ消えた。

「久々に来たなー」

「俺、初めて見た。二年になってからは初では?」

「いや、春に一回あったぞ」

 俺の席の少し後ろで、弁当を食べるために机をひっつけ始めていた近江達の声がした。近江が何事か分かっていない御門に説明を始める。

「前にも言ったでしょ、饗庭ってモテるんだよ。だからああやってたまに、告白しに女の子が来るの」

「ねぇ」

 俺はそれを聞き咎めて、振り返って近江に話し掛けた。

「饗庭って、モテるの?」

「そりゃあもう」

 近江は自分事のように得意げな顔をした。

「そんな漫画みたいにロッカーにラブレターがごっそり! とかは無いけど。俺の観測してる限りは年に一、二回は告白されてるね。中学のときに一回文化祭フィーバーってのもあって」

 洲鎌と城井が「なんだよそれ」と笑って、御門は「ほお」と興味深そうな顔をした。

「いやいや、本当に。その時の校長が結構ゆるいというか、若者文化に理解あるタイプでさ。文化祭に有名なライバーのグループが来たのよ。で、生徒が屋上から全校生徒に向かって自分の想いを告白するみたいな企画やって、そん時に饗庭が隣のクラスの子に告白されたんだよね。それで、ライバーの人たちも『今の子イケメンだね』ってなって。――俺も親友として隣にばっちり映ったはずなんだけどね? おかしな話よ」

 近江はそのときの気持ちを思い出したようで、不満そうな顔をする。

「お前のことはいいんだよ」

 と、城井が近江を軽く(はた)いた。

「それで、饗庭君オーケーしたの?」

 御門が興味津々の様子で聞くと、近江はやれやれと首を振った。

「しないしない。あいつ、多分告白受けたことないよ。――でもまぁ、その時ちょっとだけ有名になったもんで。更にモテてたね、あの時は」

「なるほど、ミーハーが寄ってきたわけね」

「そうそう、しかも多分、人が良いって言ってると自分もなんか気になってくる……みたいな相乗効果もあったりするんだと思うよ」

 そんで、と近江は俺を見た。

「今回のモテは、有里のせいが大分あるぞ」

「俺……?」

 俺はぽかんとする。

「いいか? 今女子達のグループは大きく三つに分かれて、世界は混沌としてるわけ」

 近江が真面目くさった顔で言った。

「まず一大勢力が、『なんかやってんな』くらいで特に関心の無い人達。これがまあ、大多数だわな。――そして第二勢力、饗庭君と有里君を見守ろう勢」

「“尊い”ってやつだねぇ」

 御門が近江の隣で、腕組みをしてうんうん頷く。俺はそれをチラリと見て、近江に視線を戻した。

「そして第三勢力。『有里君羨ましい! 私も彼女になって饗庭君に守られたい!』勢だ」

 近江は台詞に合わせ、手を組み合わせてシナを作って見せた。

「これが急先鋒。饗庭ってば今多分、過去最大に人気だよ。これから来るかもね、フィーバーが」

「一人告白してきたとき、その人を好きな人は潜在的に後十人いるらしいよ」

「え、三十人じゃなくて?」

「そうだっけ」

 俺はちょうど通り掛かった艮野の腕を、そちらも見ずに捕えた。

「うおぃ⁉」

 艮野は驚いて声を上げ、誤魔化すように咳払いした。

「なんだよ」

「饗庭って小さい頃からモテてた?」

 艮野は「はぁ?」と戸惑う様子を見せて、考える。

「あー、まあ、そうだな。うちの小学校って田舎だから、同じ学年に男子十人くらいだったけど、そん中じゃあ一番二番だったんじゃない? 見た目もいいけど、優しいからな、あいつ」

「ああ……そう……」

 俺は用無しになった艮野の腕を離す。

 ⾉野が訝しんでこちらを⾒下ろしている視線を感じたが、俺は奴に返す言葉が無くて黙っていた。

 そのまま降りた静寂を執り成すように、近江が咳払いする。

「しかしまあ、それで誰かと付き合ったとは聞いたこと無いな。全部断ってるっぽい。一体何を選り好みしているのやら……勿体ない!」

 憤慨する近江と、それを笑ってからかう友人達をそのままにして、俺は昼飯を持って史学準備室に向かった。



 ――どうしてこれまで気が付かなかったのだろう。

 俺は呆然と、史学準備室のソファに座った。

 女の子に持っていかれる可能性を、今日の今日まで考えていなかった。

 そりゃあ、モテて当然だ。

 まあカッコいいし、優しいし。肉体的にも精神的にもとても健康な少年で、真面目で常識があって、勉強も恐らく中の上はできる。

 結婚するにしても、特別お金持ちな風は無いから玉の輿とはいかないとしても、饗庭自身が将来有望な優良物件であることは間違いない。

 饗庭がそのうち素敵な女性と付き合って、ごく一般的で幸せな家庭を築く未来は簡単に想像できた。

 そうだ。俺は饗庭がいい父親になれそうだと思っていたんだ。その上饗庭は一人っ子だと言っていた。

 こんなハグレ者を掬い上げてくれたその性格の良さから察するに、きっとご両親も世話好きないい人で、健全に育ってきたのだろう。

 饗庭のお父さんお母さん――見たことは無いがもう既に、饗庭を通してその為人(ひととなり)が透けてみえるその人達から、孫の可能性を奪っていいものなのだろうか。

 大切に育てた一人息子がパートナーとして俺なんか連れて帰った日には、さぞかしがっかりされるに違いない。何をどうしたってゼロはゼロ。なんにも生まれないんだもの。

 大体、饗庭の言う「ずっと」っていつまでだ? 俺はなんかもう勝手に、墓場まで付いてくくらいのつもりになってたんだけど。

 ――まさか、「可愛い彼女が出来るまで」……?

 そんな風に考えて、ギュッと胸が苦しくなった。

 ――そういえば、饗庭の好みってどんな子なんだろう。

 あいつは面倒見がいい。それは裏を返せばもしかして、手が掛かる人間が好きということかもしれない。他に面倒を見てあげたい女の子なんて出来た日には、俺なんて簡単に捨てられてしまうのでは?

 もし彼女ができたら、饗庭は彼女と二人でお昼を食べるんだろうか。もう史学準備室には来てくれなくなって……それどころか、今まで自分に使ってくれていた気持ちが全部、そっくりそのままその子の物になって……

 ――彼女は絶対大切にしてもらえるだろうな。あいつ、本当に優しいもん。

 心がザワザワとして、その気持ちを掻き消したくて、大口にサンドイッチを食べた。

 昼休みも残り半分以下になってから饗庭がやってきた。何も言わずに入ってきて、当たり前のように隣に座り、弁当の包みを解き始める。

 俺の方はすっかりサンドイッチを食べ終わっていたので、それを見ながらつっけんどんに尋ねた。

「彼女、できたの」

「できてないよ」

 饗庭は弁当の蓋を開けながら言う。

 おいしそうな白身魚のフライが入っていて、ふと「そういえば饗庭の弁当のメインはいつも魚だな」と思った。

「告白されたんでしょ」

「まあね」

「付き合わないの」

「うん」

 返事が短く会話が続かない。

「なんで断っちゃったの? 饗庭君ってもしかして意外と面食い? 可愛い子がいいの?」

「別に」

「あ、じゃあスタイルだ。今日の子は胸が小さかったんでしょ」

「見てない」

「近江が言ってたよ。饗庭はモテるって。今まで何回も告白されたことあるんでしょ?」

「そうでもないよ。オーバーなんだよ、近江が」

「どうして断っちゃうのさ、勿体無い。なんか拘りがあるの? どういう子が好みなの? 饗庭君、理想高そうだよね」

「……」

 饗庭が釣れなくて、俺は段々イライラしてくる。何か反応を得たくて、意地悪なことが言いたくなる。

「饗庭君も男の子でしょ。せっかく向こうから寄ってきてくれるんだからさ、適当に付き合ってやることやって、嫌になったら別れて、取っ替え引っ替えまた次に行きゃいいじゃん」

 ――バンッと、饗庭がお茶のペットボトルを机に強く置いた。

 俺はビクリと身を竦ませて、思わず饗庭の顔を見る。

 饗庭はこちらを見ずに目の前の弁当箱の辺りを見ている。その横顔が静かに怒っていた。

 彼がこんな風に、物に当たって怒りを表明したのは初めてだった。そもそも饗庭って、全然怒らないし。

「……ごめん」

 俺はしゅんと俯いて謝った。いつもならほんの少しの静寂の後に溜め息を吐いて「いいよ」と言ってくれるはずの饗庭が、今日は何も言わない。

 俺はそろそろと饗庭の顔を盗み見た。饗庭はやっぱり弁当箱の辺りを見ていて、その横顔はゆっくりと、怒りの表情では無くなっていた。

 段々と、いつものように穏やかな……

 ――何か、諦めたような顔。

 そう思って俺はドキリとした。

「饗庭……、あの、ごめんね………?」

 俺はいつものからかいのつもりだったのだ。饗庭はいつも俺のからかいを大した動揺もせずに躱して、嫌がっている様子なんてなくて。だから今日だって、いつも通りの反応をしてくれると思ったのに。

 一体どうして、今日は怒ってしまったのだろう。

 はぁ、と饗庭は目を閉じて息を吐く。そしてこちらを見た。

「いや、いいよ。こっちこそ、びっくりさせて悪かったな」

「謝んないでよ。どう考えたって俺が悪いのに」

「本気で言ってたんじゃないんでしょ?」

「うん……」

「じゃあいい」

 昼休みも残り短い。饗庭は壁の時計を見て「間に合わない」と呟くと、弁当を大口にパクパク食べ始めた。俺はその横顔をじっと見つめた。

 どうして怒ったのか、何が嫌だったのか。言えばいいのに、どうしてこの人は自分の中だけで飲み込んでしまうんだろう。

 なんだか急に、この男のことがよく分からなくなったと思った。

 いや、違うな。そもそも何も分かっていなかったのだ。

 俺はこれまで饗庭にいろいろなことを話してきた。家のこと、火傷のこと、バイトのこと。自分の考え方や、思っていること。饗庭に聞いてほしくて、知ってほしくて、隠し事無くなんでも話してきた。

 しかし思い返してみれば、饗庭は自分のことをほとんど俺に話してくれていない。

 この土地生まれで艮野の幼馴染。兄弟のいない一人っ子で、イケメンのお父さんに似ているらしい。卵焼きは甘くないのが好きで、毎日の弁当に魚が多い。本当に、それしか知らないかも。

 それでも何故か、自分のことを知ってもらった分、饗庭のことも全部分かっているような気になっていた。

 ――だけど本当はまだ、俺は饗庭のことをほとんど何も知らないのでは……?

 俺は饗庭の横顔を見つめたまま言った。

「なぁ」

「ん?」

「今度の休みさ、饗庭の家に遊びに行きたい」

 突然の申し出に、饗庭はこちらを見て「はぁ?」という顔をした。

「饗庭俺んち来たじゃん。今度は俺が行きたい」

 割と勇気を出して言ったのに、

「無理。今度の土日はバイトあるから」

 饗庭は弁当を食べながらさらりと断ってきた。

「はぁぁぁぁぁぁ⁉」

 俺は思わず声を上げる。饗庭がビクリと身を引いてこちらを見た。

「な、なんだよ」

「お前、俺にあんなにバイト辞めろって言っておいて、自分はバイトしてるわけ⁉」

「お前のバイトと一緒にすんじゃねぇよ。俺は近所の漁港で働いてんの。学校に許可取って、学校が休みの日の朝から昼過ぎまで。とっっっても健全に太陽の下で働いてるの!」

「嘘つけ!」

「なんでだよ!」

 嘘だと思ったのは、この学校のアルバイト許可のハードルが高いと知っているからだ。

 基本的には不許可。貧困家庭であるなど収入を得なければならない特段の事情がある場合にのみ認められ、内容も審査されてなんでもいいというわけにはいかない。その上、成績が一定より下がれば許可は取り消される。

 生徒のほとんどが「特段の事情がある場合に限り」という基本的な要件を満たせず、満たせたところで許可を取るのが面倒で、アルバイトがしたい子達は学校に内緒で好きなものを選んでやっていた。学校からしてもそれが暗黙の了解で、当たり前だった。

 成績はさほど悪そうに見えないものの、ごくごく普通の生徒である饗庭に、学校から特別な許可が出ているわけがない。

 俺に対して今更、許可を貰っているなんて建前を使わなくてもいいのに……と、俺は少し不満に思い、アルバイトをしていることすらこいつは教えてくれていなかったのだと、淋しい気持ちにもなった。

「本当だって……じゃあ、見に来る?」

 やれやれ、というように饗庭は言う。

「え、いいの」

「いいよ。日曜は朝市やっててさ、近所の人とか観光の人も普通に来るから。見せてやるよ、働いてるとこ」

 別に漁港バイト自体を嘘だと言ったわけではないのだが、せっかくだから見てみたい。

「行く! 何時にどこに行けばいい?」

 勢い込んで言った俺に、饗庭はニヤッと笑った。

「食堂が八時に閉まるから、七時には来て欲しいなぁ」

「……夜の?」

「朝のに決まってんだろ。有里のとこからなら始発で出て丁度くらいじゃない?」

 俺は饗庭に言われるままにスマートフォンで地図を操作する。

 それによると、まずは電車を乗り換えつつ最寄り駅まで。そこから十五分ほどバスに揺られた先が、饗庭のいる漁港のようだった。

 家からは電車で一時間半くらい。本当に始発か、その次の電車には乗らなければ、朝八時の閉店時間にも間に合わない。

「……お前何時から働いてるの?」

「五時」

「うええ」

 一気に行く気が失せてきた。

 あからさまにげんなりした俺を見て、饗庭は笑う。

「ウソウソ。俺、昼過ぎにバイト終わるから、十二時くらいに来てよ。昼ご飯にまかないで何かしてくれるように、頼んどくから」

「……いいの?」

「いいよ」

 饗庭が弁当の最後の一口を食べたとき、午後の授業の予鈴が鳴った。








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