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序章

「いろんな学校に転校したけど、こんなに海の近い学校は初めて」

 九月。二学期初日の昼休み。とある高校の二階の教室。

 思い思いに昼休みを過ごす生徒達の中に、机を合わせて昼食を広げる五人組の男の子達がいた。

 その中の一人、一番小柄な御門(みかど)は転校生で、黒縁眼鏡の奥のまん丸な目をキラキラと輝かせた。

「海岸線を通るバスで学校に通って、教室からも海が見えるなんて素敵だね」

「俺達にとっちゃ当たり前だけど、そうか、珍しいのか」

 ひょろりと背の高い、朴訥な印象の洲鎌(すかま)が頷いて

「海と山しか無いもんな」

 中肉中背、明るい髪と瞳の色をした城井(しろい)が、少しうんざりとした様子で言った。

 神奈川県の東の先、三浦(みうら)半島の海沿いにこの高校はある。

 交通の便が良いとは言えないこの田舎の街には、そこに住む高校生から見たら「何も無い」。

 相模湾(さがみわん)に面した自然豊かな土地で、この高校も一方を海に面していたけれど、多くの子ども達は小さな頃からこの景色を当たり前に見慣れていて、今更ありがたくもなかった。

 でも、転校生からしたら格別のロケーションだ。

 御門は「青春映画に出て来そう!」と声を弾ませて、残りのメンバーはピンと来ずに首を傾げた。

「でも、高校二年にもなって転校なんて大変だな。受験はするの?」

 机を囲むメンバーの一人、快活で人懐こそうな印象の近江(おうみ)が言った。

「うん、一応。それで、さすがにもう転校は最後にしようって、僕だけ三浦のおじいちゃんおばあちゃんの家に来ることになったんだ。だからもう、卒業までここにいられるはず」

 御門が答えて、全員の間に歓迎する空気が流れた。

 この学校は、地元の子どもであれば大抵の子を受け入れてくれる、偏差値が少々低めの公立高校だ。地元の子達は志高く街の私立を目指さない限り、大抵この高校に進学してくる。

 なかなか派手で自由な生徒がいる反面、それを押さえつける校則も厳しめ。よくある田舎の公立高校そのものの学校だった。進学率もさほど高くなく、生徒の半分程度は卒業すればそのまま地元の企業に就職する。

 やんちゃな子達のグループに、優等生のグループ。音楽好きの集まりに、漫画やアニメが好きな子達。いろいろなタイプの子達がそれぞれに集まる中で、彼らは“普通”に振り分けられるグループだろう。

 勉強も内申も可もなく不可もなく。特別目立つわけでも無ければ、陰気な気配を纏ってもいない。問題も起こさなければ、飛び抜けて成績が良いわけでも無い。彼らはそんな子達の集まりだった。

 高校生は自分と同じ香りのする仲間を見つけるのがうまい。

 昼休みになり、転校初日の御門が弁当を片手にオタオタしているところに近江が声を掛けて、彼はあっという間にこのグループの一員になった。

「僕ね、本当は最初一人気になった子がいて、仲良くなれたらと思って声を掛けたんだけど……」

 話が途切れたところで、御門が控えめに言った。

「へえ、誰?」

「あの……なんていうのかな。細身で顔が綺麗な……」

「どいつだ?」

「うちにそんなのいる?」

 全員心当たり無く首を傾げる。

「話し掛けたら返事はしてくれたんだけど、それ以上なんにも喋ってくれないし、凄く冷たい目で見られた気がして――」

有里(ありさと)だ」

 洲鎌が言って、城井が「それだ」と指をさす。御門は目をパチパチさせた。

「凄い! 今ので分かるの?」

「そりゃあまあ、転校生に塩対応する綺麗系って言ったら、有里しかいないでしょう」

「御門チャレンジャーだな。多分、うちのクラスで一番話し掛けちゃいけないぜ」

「ええっ、そうなの?」

「何が気に入らんのか知らんけど、愛想無いし。そもそも俺は授業以外であいつの声聞いたことない」

「仲良くなれそうな気がしたんだけど……」

「まー、一見冷たそうには見えないよな。女顔? だし、優しそうにすら見える」

「うん、そう」

 御門は頷く。

 小柄で可愛らしいタイプの御門は、一目で彼を仲間だと思った。だが、残念ながら違ったらしい。

「有里綺羅(きら)、っていうんだ」

「へえ、なんだか綺羅綺羅(きらきら)しい名前だね」

 恐らく全員の頭に「正にキラキラネーム」と浮かんだが、口に出すと寒い気がして誰も何も言わなかった。

「でも、似合ってるよね」

 と御門が言って、三人は頷く。

 綺麗な顔立ちをした、細身でミステリアスなクラスメイトに、その名前はよく似合っていた。

「あいつの家、葉山(はやま)なんだ。父親が医者らしいよ」

「へぇ、そうなんだ!」

 近江の言葉に城井と洲鎌が驚いて、御門はきょとんとする。

 近江は得意げに御門に補足した。

「葉山分かる? 逗子(ずし)横須賀(よこすか)の間の町。金持ちが住んでるんだ」

「ほお」

 と御門は頷く。

 つまり城井達が驚いたのは「遠い三浦の高校までなんでわざわざ」というのと「あいつ金持ちの家の子なの?」という二つの意味だ。

「高校なんてあっちにいくらでもあんじゃん。頭悪そうでも無いのに、わざわざこんな田舎の公立高校に来るなんて、あいつなんかあんの?」

 城井が訝しげに言う。

「あとさ、俺気になってたんだけど。なんかあいつ、この夏の間中ずっと長袖着て無い? 暑くないのかね、あれ」

 洲鎌も首を捻る。

「俺、友達に逗子の奴がいてさ。小中有里と一緒だったんだよ。それで聞いたんだけど」

 近江が少し、声を潜めた。

「有里は小学一年のときにどっかから転校してきて、それからずっと、いつも長袖しか着てないらしい。あと、春の林間学校来なかっただろ? あれもずっと」

「ずっと?」

「泊まりのある行事には絶対に出ないんだ。――で、それは何故か。服を脱ぎたくないからなんだって」

「服?」

「あいつ、体育も出ないし、着替えなきゃいけないときは教室にいないだろ? どっかで着替えて帰ってくる。人前で着替えたくないんだよ。ずっと長袖なのも多分、肌を出したくないからで、風呂も人と入りたくないから、泊まりの行事に来ない」

「そう言えば確かに」

 と、城井と洲鎌が頷いて

「へぇ……、でもまたなんで」

 御門が首を傾げる。

「見た感じ、別に普通だよね」

「そうなんだよ。だからこそ、中学のときも結構噂にはなってたみたい。あの見た目だし、性格だし、余計にな。一体服の下どうなってるんだろうって、ちょーっと、見てみたいと思うよね」

 冗談めかして言った近江は、城井と洲鎌が少々冷たい目をしたのを見て咳払いをした。そして改めて声を潜める。

「まあそいつが言うには……有里って、女になりたい? とか、自分のこと女だと思ってる? とか、そういうタイプの人なんじゃないかって。それで、男が好きなんだって。――だから、男に混じって服脱ぐのが嫌なんだよ」

「へぇ」

 御門は驚いて目を丸くした。

「あくまで噂な、噂。でも、他に理由無くない? だからそうかのかなって。聞いても本人も否定しないらしいし」

「そんなの直接聞く奴いんの?」

 城井は嫌そうに顔を顰め、洲鎌が「そういえば」と言った。

「あいつ、髪も校則の規定よりちょっと長いよな? でも先生になんにも言われないの、なんでだろうとは思ってたんだ」

「だから、本当は女子みたいに伸ばしたいんだよ。それを先生が認めてるんだ」

「なるほどなー」

 城井と洲鎌は得心して頷く。

「じゃあ、有里君はそれで独りなの?」

 と、御門が聞いた。

「それもあるけど――」

 近江は教室を見回し、聞かれて困る相手がいないことを確認してから、頭を低くして更に声を小さくした。

「いじめられてるんだ、あいつ。艮野(こんの)って奴に」

「艮野?」

 御門も縮こまって近江に顔を寄せる。

「多分まあ、見たらすぐ分かると思うよ。明らかにヤンキーの、怖そうな奴。図体もデケェし、態度もデカい」

「良く言えば兄貴肌というか、お山の大将というか? 仲間にゃ優しいのかもしれないけど、そうじゃない奴のことはパシリくらいにしか思ってないんだ」

「こないだ、横須賀の高校の三年と喧嘩して勝ったって」

 同じく声を潜めて、城井と洲鎌も言う。

「ひぇぇ」

「有里のあの感じ、気に入らないんだろうよ。御門も目、付けられないようにな」

「あの……」

 御門は三人を見比べておずおずと言った。

「有里君のこと、誰か助けてあげたりとかは、しないの?」

 三人は顔を見合わせる。

 誰しも巻き込まれたくないし、自分がターゲットになるかもしれないリスクを背負ってまで、有里を助けてやる義理も無い。

 それも正直な本音だが、それ以上に有里は、一般的にイメージするところの所謂いじめられっことは何かが違った。

「うーん、なんか、そういう感じじゃないんだよな……」

「なんか、大丈夫そうっていうか……」

「助けたところで迷惑がられそうというか?」

 三人は首を傾げながら答え、御門も首を傾げる。

「ま、御門も多分その内分かると思うよ。とりあえずは遠巻きにして、関わらないようにしとき」

「うん、分かった」

 御門は素直に頷いて、昼食を囲むメンバーを見回した。

 このグループは自分も入れて五人組。最前から、ただ黙々と弁当を食べている人がいる。

饗庭(あいば)君って、カッコいいよね」

 御門は彼に話題を振ってみた。

「お、俺⁉」

 いきなり自分が議題に上がって、饗庭はご飯をゴクリと飲み込んで、目をパチパチさせた。

 饗庭はあまり自分から話題を振るタイプでは無かった。食事の初めこそ会話に混ざっていたものの、話題が有里のことに移った辺りからコメントすることが無くなって、気が付いた時には完全な聞き手に回っていた。

「なんかちょっと、一昔前の俳優さんみたいな」

「それは俺、褒められてんの」

 確かに、饗庭はその辺の平均的な高校生より大分整った顔をしていた。

 太めの眉に濃い睫毛と真っ黒な瞳が印象的で、特別華があるわけでも背が高いわけでもないけれど、恐らく大抵の人が「見た目が良い」と判定してくれるだろう。

 近江が音を立てずに拍手した。

「さすが御門君、お目が高い。中学からの友人の俺調べでは、饗庭君はなかなかのモテ男よ」

「やっぱり!」

「真に受けんなよ」

 饗庭は落ち着いた調子で言う。

「近江はなんでもオーバーだから」

「なんだって! ホントだぞ!」

 近江は何故か、自分のことのようにムキになった。

「中学からの友達であるこの俺が、饗庭君のモテモテ伝説を教えてあげようか?」

「わー! 教えて教えて!」

「いいから。――それ以上言ったらもうテスト前助けない」

「ぎゃあ! それは困る」

 近江は大袈裟に飛び上がって、それからガッと饗庭と肩を組んだ。

「まあ饗庭の凄いところはそれだけではない」

「何、なに?」

「こいつ、艮野と対等に話せるんだ」

 御門が目を瞬かせる。

「へぇ、怖くないんだ。勇気があるんだね」

「そんなんじゃないよ。ただ、幼なじみなんだ。保育園からずっと一緒で」

「痛い痛い痛い痛い」

 饗庭は近江の腕を捻り上げながら言う。

「だから全然、怖いとか無い。――まあ艮野があの感じだから、周りがビビるのは分かるけど」

「へぇ、そうなんだ」

「御門もそんな、気にしなくて大丈夫だよ。何にも無いのにあっちから突っ掛かって来やしないから」

 饗庭はそう言って、御門を見て優しく笑った。

「うん」

 御門も嬉しくなって笑う。親切な友人達を得て、新しい学校生活は上手くいきそうだ。



 午後の授業が始まる五分前。彼らはそれぞれの席へとバラけていく。ほぼ同時に話題の人――有里が、どこからか帰ってきて静かに席に着いた。

 俺――饗庭は、自分の席に戻って鞄に弁当箱をしまいながら、それまで特に気に留めたことが無かったクラスメイトに目を向けた。

 有里は席に座って、独りじっと前を見ていた。

 確かに、まだ夏の盛りといえるこの時期に、有里は一人だけ長袖のシャツを着ている。弱冷房の掛かったお世辞にも涼しいとは言えない教室で、涼しい顔をしていた。

 改めて見れば、確かに有里は細身で色白で、綺麗な顔をしている。

 しかしどう見ても骨格はしっかり男だし、顔こそ睫毛が長く、目が大きくて女顔と言われるのも分かる顔立ちをしていたが、その他に女っぽいところは特に無くて、友人達の噂話は俺から見ればあまり真実味が無かった。

 ――まあ、いろいろな人がいるから。

 女になりたい益荒男(ますらお)がいても、男になりたい手弱女(たおやめ)がいても、何もおかしくは無いんだろうけど。

「――有里、今日もぼっちなの?」

 俺がなんとなく有里の方を見ていると、二人の手勢を後ろに従えて、もう一人の話題の人――艮野が、ふらりと有里の前に立った。

 ただの質問という調子では無い。明らかに、冷笑(せせらわら)うような毒を含んでいる。

 近くにいた数人が少しだけ気にした様子はあったが、これはもう、クラスの景色と化していた。

「お前っていつ喋るの? 笑うことあんの?」

 体格が大きく、髪を染めて制服をだらしなく着た艮野は、それだけで威圧感がある。

 有里は返事をせず、艮野の方を見もしない。ただ、前を見て座っている。

 艮野がチッと舌を鳴らす。恐らく聞かせるように。相手を怖がらせるつもりで。

 艮野と似たような風体をした、彼の友達二人が笑った。

「つまんねー奴だよな」

「生きてて楽しいのかね、こいつ」

 絶対に聞こえている。艮野達も聞かせるつもりで言っている。だが有里はまるで何も聞こえていないかのようだった。

「艮野」

 気が付いたときには声を掛けていた。

「あ?」

「昨日、お前の母さんに会ったぞ」

「うわ、マジ⁉」

 艮野の顔が、保育園の頃から見知ったバツの悪そうなものになった。

「お前、昨日店の手伝いサボっただろ。適当に話し合わせといたけど――」

「サンキュ。俺、図書委員やってることになってるから、頼むわ」

「図書委員ってガラかよ」

 午後初めの授業は科学。先生が入ってきて、生徒達は席に着き始める。

 艮野達が有里の席から離れて、俺も席に戻ろうとした刹那、こちらを見た有里と目が合った。

 一瞬、何か反応を――それも好意的な反応を期待してしまった自分がいる。

 しかしまるで目など合わなかったかのように、彼は無表情のままで視線を元に戻した。

 ――がっかりしたというのとは、多分違う。

 だが、あまりに自然に無視されて、それがなんだか自分の行動を恥ずかしく思うような気持ちにさせた。

 恐らくこういうことの繰り返しで、彼は学校の中で人との関わりを無くしている。

 ――一体何を考えているんだろう。

 自分の周りにはいないタイプのクラスメイトに、数分後には忘れていそうな淡い興味が湧いた。








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