第1話 魔法使いに憧れる超能力者
俺の前に男が立っている。仲間の命を消費して力を手に入れ、体の大半を機械に換えてまで俺を殺そうとする恐るべき生体兵器だ。
その白い髪に精気は無く、赤い瞳は如何なる感情を写し出さない。尤も、思考盗聴に何も引っかからない——即ち感情がないのだから、当然の事だ。
「なぁ、勇者。終わりにしよう」
心底重いため息を吐き出して、剣呑な眼で勇者を睨む。
同時に、今や呼吸と同じぐらい体に馴染んだ超能力が不可視の鉄鎚を下した。
地球重力のおよそ三千倍程の重圧が勇者の双肩にのしかかる。だが、この程度で斃れるならとうにこの世から去っている。
本当に厄介だ。自分自身と戦うのは。
何処かに残っていた俺の遺伝情報を基に生み出されたデザイナーズベイビー。それが勇者の正体だ。火星第六コロニーを破壊してその地に残る記憶を読み取って確認したから間違いない。
本来、超能力者に能力の限界などはない。人工超能力者とかいう贋作は謂わば俺の劣化コピーだから一つの能力しか持ち得ないが、始祖にして真なる超能力者たる俺自身の超能力には限界というものがない。
まあ、現時点に於いて限界が測定されていないだけとも言うが。
それにしてもまずったな。
恐らく先祖返り——体内イコルの濃度が高い個体を喰らったな。俺に近い因子を取り込んだ事で、後遺症が残った状態じゃ相手にするには重たくなった。
どの口が、という話になるが、仲間を躊躇なく犠牲にするとかマジ狂ってるわコイツ。
ここ火星から月までそれはもうすごい距離がある。重力操作や瞬間移動の熟練度が足りないのも知っていた。だからって「じゃあ始祖に近い仲間の因子を取り込もう」とはならないだろ。
重力を斥力で相殺し、雷光の如き挙動で勇者が襲いかかるのが視えた。
力場を発生させ、ヤツを捕らえようとするが、殆ど光速というイかれた速度域で動き回られちゃたまらない。
未来予知を駆使して攻撃を避けるしかない。幸運な事にここは月面。空気が無いに等しいからソニックブームも起こらない。
雷速の拳だけでいっぱいいっぱいなのに、人体を容易く破壊する衝撃波まで躱わさなければいけないとなったらとっくにやられてる自信があったわ。
「ハハっ、クソがよ……!」
瞬間移動を発動する。逃げる為、ではない。どのみち弱った状態じゃこの超能力者絶対ぶっ殺すマシーンから逃れるのは無理だろう。
自らに流れる始祖の血を頼りに魔王城まで来るようなヤツだ。瞬間移動も、恐らくあちらの方が高精度で扱えるだろう。
だから、俺が持ってくるのは奥の手だ。
唐突に、かつて人類の第二の故郷として機能していた月面第三コロニーの上空に小惑星が現れた。
既にサイコキネシスで制御出来る最高速度に引き上げられたそれは現れると同時に勇者に向かって吶喊し、月面に衝突。
無音の筈の宇宙空間でも伝わるほどの凄まじい衝撃を轟かせ、俺の体を揺らした。予めサイコキネシスで加速させた小惑星を瞬間移動で転移させる俺に出来る最大限の悪足掻きだ。
これには肉体を電気に分解した勇者も恐ろしいのか、瞬間移動で逃げようとしていたがすかさず重力場の出力を最大に引き上げれば問題ない。あとは俺だけ悠々と転移して逃げればいっちょ上がりってな。
「ま、やっぱ無理だよなぁ………」
喉奥から込み上げるものがあり、衝動に逆らわずそれを吐き出せば、鮮血が俺の口を濡らした。
現時点で俺の超能力に限界は測定されていない。
だが、肉体的な制約として実質的に扱える超能力には限りがある。
要は強すぎる超能力の負荷に俺の肉体が耐えられないのだ。
さっきから脳に直接電流を流されてるような激痛が突き刺さっている。
その上心臓を貫手でぶち抜かれてるんだから、もうマジ無理って感じだ。
「はぁ、結局こうなったか」
未来予知の超能力は遠くない未来俺に訪れるであろう結果を教えてくれる。ここで重要なのは、その未来は「未来を知った俺が未来改変しようと足掻いた上での結果」なんだ。
全くの第三者たり得る巨大な外部要因がない限り予知の未来は変動しない。
そして封印から目覚めた俺が最初に知った未来、それは月面で心臓を貫かれて死ぬ俺だった。
長年の経験から、この未来予知はまず外れない。その時点で俺とこの宇宙が内包するあらゆる可能性が、魔王の死という点へ向けて収束している時点で詰んでいるのだ。
だからと言って諦める訳にはいかなかったが、ここまでだな。
「全く、嫌になる。この世界も、オマエ達も、全部間違っているのに。間違ったものは、消えなきゃいけないのに……」
どうせ負けるのなら、主人公を最大限に苦しめたラスボスっぽく死にたかった。なんだってこんな心が欠落したやべーヤツに殺られなきゃならんのか。
仲間はどうした仲間は。もっと絆とかで立ち向かってこいよ。
何で勇者と魔王の最終決戦がタイマンなのよ。
いや仲間の覚悟を託されて来たって言えばそれはそうだけど、カニバリズムはちょいと話が違うでしょ。
宇宙よ、そんなに滅ぶのが嫌か。そんなに必死こくまで俺が怖いのか。
みみっちいなぁ。
「ハハっ、ほんと、嫌になるぜ」
嘲るような調子で嗤う。人間を、この世界を。負けは負けだが、タダで死んでやる気はない。
心臓を貫く勇者の腕に、魔王のイコルを染み込ませる。俺に近しい因子を取り込んだ上に、旧き超能力者の血も加えれば人格の侵食には事足りるだろう。
とは言え、今の魔王の人格が現れるとも限らないから、洗脳で人類の殲滅を刷り込む。
「第二第三の魔王は、オマエ達だ」
自分自身のコピーっていうのは本当に最終手段だったんだがな、オリジナルが既に瀕死っていうなら問題ないだろう。
この勇者を基点に、魔王は増殖し続け人類を滅ぼし、この物理宇宙を破壊するだろう。
その果てに何が起こるかわからないが、少なくとも同じような世界が生まれない事を祈るよ。
そうだな、魔王の力を受け継いだ時代の魔王。人間にとって変わる新たな種族。名前がなければ名乗りも出来ないだろうし、この名を残しておこう。
俺から進んで誰かに与えるなんて、800年ぶりか。
「さぁいけ、次代の魔王。最初の魔族よ」
俺と同じ暗黒色に染まった白髪を靡かせて、勇者は俺の首筋に牙を突き立てた。鮮血が暗黒の海に浮かび、凍らないまま周囲に撒布される。
「人間を滅ぼせ」
始祖の血を全て啜り終え、第二世代の魔王は顔を上げた。人外の視力が凝視する先は火星。そこにはまだ人類が生存しており、即ち彼が向かう新たな標的だ。
こうして勇者は死に、第二の魔王、そして魔族が生まれた。
俺の血によって繁栄した人間は、俺の血を直々に分けた藁人形によって滅ぼされるだろう。そしてこの宇宙も、いつか滅ぼせる。
俺は何よりも人間の可能性を信じている。洗脳も薄れ、魔族はいつか自我を手に入れる。
そうすればかつての人間のように欲望のまま力を振るい、破滅するだろう。
俺もまた人間だ。俺の血から生まれた魔族も、俺の思う通りになるだろう。
じゃあなクソッタレな世界。精々これから起こる地獄を楽しんでくれ。
◆
その思考を境に、魔王の肉体は完全に生命活動を停止した。同時に超能力者が持つ自己保存能力が機能しなくなり、魔王の屍は絶対零度の宇宙空間に熱を奪われ、凍り始めた。
そして物理宇宙は、自らの体内で暴れ回る癌細胞が死に絶えた事を確認するとそれを体外へと吐き出した。
己が玉体を散々食い荒らした害虫だ、並々ならぬ怒りを抱いているが、直接手を下すような真似をすればタダでは済まない。だから死体を投げ捨てるに留めた。
宇宙の外側には何も無い。完全なる『無』だ。そこに捨てれば確実に存在が消し飛ぶ。世界の狭間としての役割もあるそれを掻い潜って異次元や別世界に漂着する事もない。
所詮は物質生命体。少し神秘に優れているところで、世界そのものに抗う事など不可能。
しかし物理宇宙には誤算があった。
一つは、死しても尚魔王を僭称した超能力者の力は健在であるという事。肉体への負担や後遺症で出力を落とさざるを得ないだけで、彼が持つ神秘自体に翳りはない。
故にその肉体と魂は神秘による加護もあって、世界の狭間に放棄されても存在を喪失する事はなかった。
もう一つ、世界の狭間はその特殊性から様々な空間系統の能力の媒介として利用されている。
例えば転移。
例えば異空間生成。
例えば、封印。
魔王が封じられていた特殊空間も世界の狭間を流用したものであり、それも相俟って彼の死体は存在を保つ事が出来ていた。
そして、世界の狭間に追放され、封じられた囚人の目に止まる。
それは別世界の封印術によって『無』に閉じ込められた邪神だった。既に幾星霜の時が経ち、話し相手もいない悪しき神は何もない筈の狭間を漂流する魔王の死体を発見する。
こうして、やがて地球世界を滅ぼす元凶と、異世界の邪神、両名の運命が交わり始めた。