さざなみ
──さざなみ
それはさざなみのように砂の城を飲み込み
何処かへと消えてしまう
さざ波の音、だと思った。
七月七日の七夕、私、備後耀は何処かも分からない場所に監禁されている。海の音が聞こえたから海岸か島かなのかな等と冷静を装ってはみたけれど、あまりにも理不尽な状況のせいでそれも出来ない。
そろそろ前期試験で憂鬱だなんて思いながら通勤ラッシュに巻き込まれたら誰かに意識を飛ばされてました。目が覚めたら窓すら無い部屋で一人きりでした。ベッドとトイレはあって食べ物は来ますが他は何もありません。何でこんな事をするんですかと叫んでも誰にも聞こえてない!
いっそ泣きたかった、けれど泣いてしまえば心が折れてしまう気がして。
私には耐えることしか出来なかった。
そんな部屋の扉が不意に開く。何者かが私の腕を掴んで何処かに連れて行こうとする。何もないよりかは不審者の方がまだマシだと思ってされるに任せ、たどり着いたのは別の部屋。
そこには大きなスクリーンがあって、何故かあのお姉さんが映っていた。ヨタサという単語と結びついている彼女が。不思議なことにスクリーンの向こうにいる彼女は私に気付いたらしい、こちらを向いたその瞬間にほんの一瞬だけ何かが繋がる感触があって。
そこで私の意識は再びフェードアウトした。
目が覚めた時には七夕の夜空の下、野原であのお姉さん…ヨタサさんの膝枕の上だった。満天の星に抱かれて二人きり、そういえばこの人は目を開けた事が無いなと思いながら、私の意識は三度フェードアウトして…目が覚めたら下宿している自分の部屋。
何だか全てが現実離れしていたから長い夢だとも思ったのだけれど、確かにカレンダーは三日進んでいた。何よりPCを起動したらネムレースさんが血相を変えていたし、大学に行ってみたら皆が見た事のないような顔をしてもいた。だからきっと、私が拉致されてヨタサさんの所に飛んで、いつの間にか帰ってきたのは現実なのだとは思えた。
この三日の間に何処で何が起きていたのか。
私が知ることが出来たのはほんの少し。けれど、ひどく恐ろしいことがあったのは私にも分かる。
私は、どうすれば良かったのかな。
──
それは「組織」を名乗る愚か者達であった。
無から肉体を生み出し乗り換える事で不老不死を達成しようとする、外法に手を染めた者たちの成れ果てである。彼ら彼女らは時々対立もしていた「守護者」達が消え去った事、それが謎の存在によっていともたやすく行われた事を把握していた。この謎を解明すれば「組織」の目的は達成できるのでは、あるいはもっと凄まじい結果を出せるかもしれない、と考えたのは自然な話ではあった。
「守護者」にセンサーがあったように、「組織」は第六感のようなものを手に入れていた。だからすぐに分かったのだ、「守護者」をズタズタにした何者かと備後耀に何らかの繋がりがあると。
即座に命令が下る。つつがなく遂行される。備後耀は地図に無い島に監禁された。続けて「組織」は数日で「何者か」の居場所を把握する。まずはスクリーン越しに備後耀と「何者か」を接触させてみようか…と考えたのが運の尽きだった。
数百kmの距離を理不尽に飛び越えて備後耀と「何者か」の間に接触が成立する。あの日備後耀が「何者か」の腕を掴んだように。
普通の人間である備後耀の意識と感覚器官は0.1秒もかからずに機能を閉じて「何者か」の巨大な生命が入り込むのを防いだが、同時に「何者か」はほんの一瞬ではあるが備後耀と視覚聴覚を共有していた。それは0.1秒未満だけ「何者か」の目が開いて耳が通ったのと同義である。
僅かな時間で「何者か」は半径10km以内の全てを把握して、そこにある存在が備後耀に害を及ぼす存在である事を理解した。
何が起きたか。
水音すら無かった。
半径10km、言い換えれば高度及び水深1000m分の光と空と海がゼロ秒で消えて無くなり、次の瞬間には空いた隙間に周囲の大気と海水がなだれ込んだ。一つの島がそこにいた全ての生命ごと─もちろん、備後耀は除く─消えてなくなった。
この有様は人類には謎の気圧低下及び津波として観測されて、副次的に少なくない被害も出たのだが、しかしそれは所詮さざなみでしか無いのだ。これから「何者か」…ヨタサがやろうとする事に比べれば、こんなものはあまりにも矮小なただの現象でしかなかった。
「組織」もまた「ヨタサ」という単語を知る事は無かった。ヨタサと備後耀に手を出そうとした者たちも生命から生命を辿られて、「守護者」の時のように世界各地でぱちゅぱちゅぱちゅぱちゅっと水音が弾けた。
…のだが、実はこれは「組織」の終わりの始まりでしかなかった。備後耀に手を出す事は無数の虎の尾を踏み逆鱗に触れる事と同義である。特に幽儀誌乃、ネムレース・レクロノミコン、エリザベート・リヴァイアの領域を侵してしまったのが致命傷だった。彼女達は微塵の容赦もなく「組織」を狩り尽くす。生き残ったのは着の身着のままで逃げ出した僅かな者だけであった。その残党にさえも後に「殺戮人形」が舞い降りるのだ。「組織」がその趨勢を立て直すのは数十年後の話になる。
──
そしてヨタサは「芽」を辿った。備後耀がヨタサのいる所に跳躍する。
人間が「七夕」と呼んでいる夜空の下でヨタサは運命の相手と再開した。
時はまだ満ちていない、けれど。運命と渇望の果てにある絶対の喜びが、今ほんの僅かに強くなった気がした。
いつか、この目と耳が開ききって。
端末として完成したら、本当の意味で備後耀と一つになれる。
その時まで備後耀には備後耀でいてほしい。
だから今は彼女をあるべき所に帰さなくては。
永劫を超える唯一絶対の喜びの為に。
叶えるべき願い、私と彼女の運命の為に。




