たそがれ
──たそがれ
それは黄昏の種族
運命の成り果てにある唯一絶対の喜びを幾度となく夢に見る
備後耀は夢を見る。
何度も何度も「ヨタサ」の夢を見る。
しかしそれは夢としてもひどくあやふやなもので、
目が覚めてしまえば泡のように消え去ってしまう。
覚えているのはあの日に出会ったお姉さんの顔と、
何故か幼き日の備後耀が着ていたような白いワンピースと、
「ヨタサ」という三文字だけ。
目が覚めたらもう日が暮れていた。
おやつを食べた後に眠気が来たので仮眠でもしようかと思っていたら数時間。
どうにも最近疲れやすい気がする。
自分でも変な夢だと思う。
しかしこんな曖昧な夢をどう説明すればいいのかが分からないから、誰かに話すことも出来ないし…と、考えた所で思い出した。
ファンタジックとしか言いようのない友人が自分にもいるじゃないかと。
ノートパソコンを開いて電源を入れる。
彼女は別にPCの中から出られない訳ではないから、呼びかければ応えてくれるのだけれど、いつの間にかPCを開いて話しかけることがルーチンになっていたのだ。
果たしてこの日の夕暮れにもネムレースさんは現れた。
手を伸ばせば掴める液晶の向こうに。
「こんにちわ…こんばんわ? そういえばパソコンの中には朝とか夜とかってあるのかな?」
「そちらが夕方なのは把握していますよ。グリニッジの時計から明石の経度で調整した時間をこのパソコンが刻んでいますから。流石に太陽の光は届いていないのですが」
「それって、もしかして私ひどいことして…いや死霊ってむしろ太陽が邪魔で…ええーっと?」
「ふふ、私も快適だからここにいるので。不満だったらそう言っていますから、気にしなくて大丈夫ですよ。…さて。待っていました、アカル」
「となると、まさかネムレースさんも同じ夢を見てるとか」
「流石にそこまでは。けれど、何かの夢にうなされているのも、最近のアカルが疲れているのも分かりますから」
「えっ、どうやって」
「だって、この部屋では四六時中そばにいるようなものじゃないですか。体調くらいは見守っていいでしょう?」
「言われてみれば。でも、その、嫌じゃないかな」
「ふふ、そうですか、ふふふ…」
何だかネムレースさんが嬉しそうな顔をしたのだけれど、すぐにまた真剣な顔に戻った。
そんなに今の私は危ないのだろうか。
「ネムレースさんって、夢診断みたいな事も出来たり? これで本当に眠レースだなんて」
「何を言っているのかちょっとよく分かりませんが、とりあえずはどんな夢を見ているのか聞かせてくれれば」
「といっても、本当に覚えてる事がほとんどなくって」
「どんなに小さな事でもいいですから、教えて下さい。二人で整理してみましょう」
私を案じる気持ちに嘘はないと思った。
だから、私はネムレースさんにあの夢の事を話してみる。
六月の雨の夜更けに出会った、何故か裸だったお姉さんのこと。
そのお姉さんが白いワンピースを着て私の夢の中に現れること。
「ヨタサ」という何も分からない三文字のことを。
ネムレースさんは私の話を聞いて頷いたり首を傾げたりしてから、
「うう~ん…」
何かを考え込み始めた。思い当たる所でもあるのだろうか。
どうしよう、さっき食べたチョコでも持ってこようかなんて考えた所で、ネムレースさんが再び口を開いた。
「イルハザード…私のいた世界の存在では無い、それは確かですね」
「うん、あのお姉さんはこの世界の人間っぽかった」
「おそらくはアカルが出会ったその人と、ここ最近の夢には繋がりがある。かつ、その人と「ヨタサ」という言葉には何かの関係がある。推測できるのも現状ではこれだけですね。アカルの安眠を妨げる者にはそれなりの目にあって頂くつもりですが」
「あの、そんな物騒な」
「この世界の者か別の世界の者か、生者か死者か、悪意の有無は…」
「待って待ってネムレースさん、何を言ってるのかさっぱり」
「そうだアカル、ちょっといいでしょうか」
「えっ、あっ」
ネムレースさんの白い腕がぬっと私の頬に触れる。指が何かを描くかのように動いた。細くてきれいだなぁ…ってそれはともかく。
「…うん、やはり。何かがアカルの中にあります」
「ええっ?!」
「死霊であれば私が今すぐ抜き取れますし、アカルの世界の物質であれば手術で除去できる、呪術や魔法ならば調べれば対処法はある…けれどそのいずれでもないようです」
「それってつまり何か危ないとか…?」
「おそらくは、貴女の肉体や魂に何かをしでかすものでは無い筈です。そういう類の呪いであれば私ならばどうとでもなりますから、安心してください。…ところで、アカルはその人に触ったりとか?」
「腕を、掴んでる。返事がなかったから呼び止めたくて」
「私としては、以後はそういう事は止めてほし…いえ、そんなアカルだから私を今ここに置いてくれているのですよね」
「私は、どうすれば良かったのかな」
「誰かを助けるなとは言いません。けれど、変な人や変な何かと関わったら私に全てを教えてほしいです。私の為にも、アカルの為にも」
「分かったよ、ネムレースさん。…で、私の中にある何かはどうしよう」
「なるべく早く私が正体を突き止めて除去してみせます。…それまでは、よく食べてよく寝てください。もし貴女に危険が迫るようなら何をしてでも必ず救いますから、それはご安心を」
「…何だか疲れたから、ちょっとだけ膝枕してくれたりとか」
「ええ、ええ。もちろん喜んで」
久しぶりにPCから出てきたネムレースさんに甘えてみる。
何だかいい匂いがするなぁ、流石は眠レースさんだと思いながら私は心地よい夕方寝に落ちていった…
──
何処の何者かは分かりませんが、私のアカルに手を出すからには容赦はしませんよ。「ヨタサ」とやら、その忌々しい「芽」を必ず根本から断って差し上げましょう。
──
その少し後の七月一日、何処かの海岸。夕焼けの中でそれは佇んでいた。
周りには様々な出で立ちの専門家がずらり。
退魔師やエクソシストなどと呼ばれるその道の達人が獲物を携えていた。
…実はこの世界には悪霊や呪霊といった悪意のある超常現象が存在し、そんな連中を狩る為に世界の裏でこっそりと多くの人々が協力しているのだ。あえて名前を付ければ「守護者」とでも呼べる彼ら彼女らは、それこそ紀元前から海と大陸を跨いで活動しており、世界に張り巡らせている情報網とセンサーを以て、備後耀と出会った「それ」の危険性をおぼろげながら把握していた。「ヨタサ」という単語は知る由は無かったけれど。
彼ら彼女らは働き者であった。世界の脅威となりうる存在には容赦は不要という鉄則も叩き込まれていた。そして戦力の逐次投入は下策という兵法の基本にも忠実だった。一人が号令を上げ、生きている者達が「ヨタサ」を排除しようとして
しかし今回ばかりはその全てが仇となってしまった。
ぱちゅっ。ぱちゅぱちゅぱちゅぱちゅぱちゅぱちゅぱちゅっ。
そんな水音となって彼ら彼女らは溶けてしまったのだ。
「ヨタサ」を世界から排除しようとする意思はごく正確に跳ね返った。生命から生命を辿って「守護者」達の隅々まで跳ね返った。周りにいた者だけではない、それを排除せよと決定して命じた「守護者」の指揮系統ごと全てが、ぱちゅっと音を立てて文字通りに水泡に帰してしまった。撃ち込まれるべき弾丸や呪符に聖餅聖遺物といった獲物は虚しく地面に転がって「ヨタサ」に飲み込まれる。
この瞬間、ヨタサはこの世界における神秘の有り様に触れた…が何の役にも立たないので打ち捨てて終わった。その後「守護者」の上層部がまるごと消え去った世界はしばらく昏迷に突き落とされる事になる。
数百の魂が一度に溶けて無くなった音はネムレースにも聞こえていた。
おそらくヨタサのやった事であろうという直感もあった。
この出来事からネムレースはヨタサを少しづつ把握していく。
そして、どうすればヨタサを排除できるのかも。




