よふけ
なぜ備後耀でなければならなかったのかと問われれば
それが彼女達の運命であったからだとしか答えようがない
悪姫ユリレー片華零墨 第九話 よふけ たそがれ さざなみ
──よふけ
それは夜更けよりも昏く誰も知らない別の世界から
空を通して落ちてきたものであった
今日の日本にも暗黒街としか言いようのない場所はある。
道を三つも踏み外せば法が届かなくなる空間は存在している。
そこには裏社会で命運が尽きた者の新鮮な死体がいくつか転がっていた。
撃ち殺したのは殺戮人形と呼ばれる一丁拳銃の女の子だったのだが、
このお話における彼女の出番はこれで終わりである。…それはともかく。
雨の降る夜更けであった。
何かの予感に引かれてべっとりと粘りつくような液体が空から落ちてきたのは。
その液体はまだ熱のある死体を這い回ってドロドロに溶かしていく。
雨と死体と黒い液体が混ざりあったものはある一点を中心に集まっていき、やがて一つの端末を作り出すに至った。
黒い液体から白い人肌色の腕が這い伸び空気を虚しく掴んで、
それから頭、胴体、腰、両足が現れた。
人間の女の形を模したそれはのたうち回ってコンクリートの感覚を確かめてから、両足で立ち上がってふらふらと歩き始める。
すぐ近くにいる筈の運命の相手に惹かれるように。
…その日、備後耀は普段なら絶対に通らないであろう歓楽街の外れ道を一人で走っていた。
イズミが久しぶりに連絡をくれたからどうしても会いたかったのだ。
雨の中で危険な道を突っ切る事になろうとも。
そして彼女は踏み越えてしまった。
もう少しで目的地に辿り着く所で。
目に止まってしまった。
雨の中で女の形をしたものが裸で覚束なく歩いていたら、見なかった事にするか駆け寄るかのいずかであろうが備後耀は後者であった。
矢も盾もたまらず彼女のもとに駆け寄る。
それが全ての始まりになってしまうとも知らずに。
「…あの、大丈夫ですか?!」
はっきり言えば彼女が正気であるとは思えない。
しかし耀は勇気を振り絞ってその女のような存在に声をかけた。
警察か病院に駆け込めば何とかなると思えていた頃である。
彼女の周りにいる存在に対して公権力が無力であると思い知るのはまだ先の話。
それは何も答えなかった。声どころか音すら出さなかった。
耀の呼び声に反応する事もなく何処かに彷徨っていこうとするもの。
耀が意を決して彼女の腕を掴んだその時に。
その種族は理解した。確信した。
今触れたものが私の運命であると。
備後耀こそが我々の種族の使命を満たす唯一の灯りであると。
それは初めて触れた「生きている」存在でもあった。
備後耀の右手から人類の組成が彼女の種族に入り込んでいく。
死体から擬態していたが故に人の形なのは見た目だけであったその端末は、あっという間に中身も人間のそれに近い所まで組み上げてみせた。
耀にはそれの中身が組み代わった事を知る由は無かったけれど。
だが、それはあくまで模倣であった。
解剖学的には人間の目と同じ形になった場所は視覚情報を取り込むには至っていないし、人間の喉と同じ形になった穴も未だ声を出すには至らない。
だから返事をする事は出来なかったのだが、それでも彼女は思ったのだ。
人間の言葉にすれば「貴女に出会う為に私は存在していたのだ」と。
どうも様子が変わったらしい、という事は耀にも分かった。
前後不覚になるまで酔った友人が多少は正気を取り戻した時のような感覚。
とはいえ腕を掴んだ彼女が裸に見える事には変わりはない。
どうしようかと考えて、意を決した耀は羽織っていたレインコートを脱いで彼女に着せていく。
何も着ていないよりかはずっとマシであると思ったし、もう少しでイズミの待つ所に行けるから多少濡れてもいいだろうとも思ったから。
「実は、このすぐ近くにある場所に向かっているんです。お姉さんも一緒に来ますか?」
彼女は首を横に振った。
「何かされたとかなら、警察とか病院とか」
再び、首を横に振る。
「放っておけませんよ。何か私に出来ることとか」
彼女は耀の後ろに回って背中を押した。
私はもう大丈夫だからと言わんばかりに。
この時点ではもう耀に出来る事は無かった。
やがて耀は雨に打たれながらイズミの元に向かう。
申し訳ないと強く思いつつ。
名前くらいは聞いておけば良かったと思った。
…それは結局叶わなかったのだが、
しかしこの日から耀はある夢を見るようになる。
いつぞやの雨の夜に耀がレインコートを着せたお姉さんが現れる夢を。
夢が終わって目覚める度に、耀はある三文字を思い浮かべる。
「ヨタサ」
それは夢の中でさえ言葉としても声としても聞いてはいないけれど、
何故か彼女と強く結びついているような気がした。
これが備後耀と「ヨタサ」の出会い。
「ヨタサ」にとっては運命の出会いであり、
備後耀と地球にとっては…




