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贄と呼ばれた少女の、幸せ【書籍化進行中】  作者: 紬夏乃
第1章 贄と呼ばれた少女
5/93

ニエ(3)

 





 朝起きて一番に、少女は昨日着ていた服を抱きしめて部屋の外に出た。できることが増えるかもしれないという期待は、少女の心を弾ませた。


 少女が見つけたのは、布を運ぶ女たちだった。


(あれは、おんなじかもしれない)


 少女はそう思い、あとについていくことにした。


 ついていった先では、女たちが大きな布やなにかをたらいでごしごしと洗っていた。何をしているのか、どうすればいいのか聞いてみようかと思ったが、邪魔をすると殴られるのだと少女はそう認識している。だから、何をしているのかをじっと見つめて覚えようと思った。


 女たちは、たらいに水を張り、濡らした布に何か粉をかけてぎざぎざとした板の上で布を擦りつけていた。そしてたらいの水を替え、布を何度か新しい水に泳がせてからぎゅうと絞り、ロープに引っ掛けていた。


 あれはできるかもしれない、と少女は思った。使われていない道具を手にし、女たちから少し離れたすみっこで、女たちのまねをし自分の服を洗ってみた。ロープの端に洗った服を引っ掛けると、どうしてか少女の洗った服だけずっとぽたぽたと水が滴っていた。少女は、ぽつりぽつり落ちる水滴をひとり黙ってしばらく見つめ続けた。


 部屋に戻ると、朝食も掃除用のバケツも、もうとっくに部屋に運ばれたあとだった。朝食はすっかり冷めて机の上にぽつんと取り残されていた。


(なくなってなくて、よかった)


 少女はそう思って、冷めきったスープの椀に口をつけた。少女はまだ、カトラリーの使い方も知らなかった。


 ひとり分だけぽたぽたと落ち続ける水、取り残されて冷めきった食事、迷惑そうな目、どこにも混ざれない自分、そういったものを見ようとすると、胸の奥からざわざわと何かが沸き立ちそうになった。


 それはとても覚えのある感覚だった。


(なくなれ、なくなれ)


 少女はそれを、ぎゅうぎゅうと心の底に押し込めた。


 少女はここでは誰にも殴られなかったが、まるでそうされているときのように床にうずくまり小さく丸まった。それは、幼い少女が必死に自身を守ろうととった体勢だった。


(いたいの、なくなれ、なくなれ)


 少女の体はどこも痛まなかった。なら、どこが痛むのか、少女はそれをきちんと考えてはいけないと強く思った。


(なくなれ、なくなれ)


 少女はそれらのすべてを、ぎゅうぎゅうと心の底に沈め続けた。




 そんな日々をいくども繰り返した。少女は、人の顔や、話している言葉、やっている事を毎日観察するようになった。


(ちゃんとできるように、したい)


 少女は、知ることに飢えていた。


 少女は毎日毎日、少しずつ他人がやっていることを覚えていった。どこへ行っても少女は無視をされるか嘲笑されるかのどちらかだったし、会話を交わそうとする人間はいなかった。


 それでも少女はいろいろな場所に赴いた。それを咎める者もいなかった。


 少女はいろいろな場所でたくさんの人を見かけたが、不思議なことに、少女に雑巾を投げつけた女はどこにも見かけなかった。




 ある日、庭のはしまでたどり着いた少女は、見かけない格好をした男に初めて咎められた。


「逃げるつもりか」


「『にげる』って、なに?」


 少女は知らないことを問われ、誰かに話しかけられたことに驚いたはずみで問い返した。


「ここから出て、どこかへ行こうとでもしているのか、と聞いているんだ!」


 その男の様相は、ひどく暴力を連想させた。


「ニエは買われてここにいるように言われたから、どこにもいかないよ」


 少女は本当にそう思っていたし、この屋敷以外にどこか行くところも思いつかなかったので、そう答えた。


「なら屋敷の中で大人しくしていろ!次にこんな外側で見かけたら容赦しないからな」


 男はそう凄んで少女を追い返した。少女は今まで屋敷のどこに赴いても咎められなかったが、敷地の外に近づくことは許されていなかった。少女は初めてそれを知り、これは許されないのだと覚えることにした。


 それでも、なぜか『逃げる』という言葉は強く強く印象に残った。




 §




(ほら、またあの子)


(領主様の娘っていうわけじゃないんでしょう?)


(黙ってこっちを見てきて、気持ち悪い)


(自分のことを、『贄』なんて言ってるらしいじゃない)


(やだ、気味が悪い。何かあるの?)


 使用人たちの間でそんな噂話がいくどとなく繰り返され、そしてたち消えていった。


 なぜだか、そういった噂話が好きな者は長続きせずにこの屋敷からいなくなった。


 何年かすると、数人を残して使用人の顔ぶれはすっかりと入れ替わっていた。


(ばかばかしい)


 女は、その残った何人かのうちのひとりだった。それは少女の髪を剃り落とした女だった。


(この屋敷で、深く他人に関わろうとするから長続きしないのよ)


 女はいつしか、メイド長という立場になっていた。


 女からすれば、あの少女は虐待を受ける哀れなただの子どもだった。しかし、哀れに思って深入りしてはいけないと感じていたし、その思いはぽろぽろと欠けていく同僚が増えるほどに強くなっていった。


 女は仕事を辞めたいと毎日思っていたが、『辞める』と言い出すことが何か致命的な引き金を引くことを察していた。




 女は人知れず、静かに追い詰められていった。






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