プティ・ブティ
「俺もニナに服を買いたい」
突然ヒースクリフがそんなことを言い出した。ニナがあれから何度か街に行って、少し慣れてきたときだった。
ヒースクリフは毎日のように食べ物を買うために街へと行っていたし、ニナも毎回ではないが何度か一緒に街へ向かった。まだ店に入って食事や買い物をしたことはないが、屋台の食べ物を買って街で食べたこともある。ニナは街にも人の多さにも、少しずつ慣れてきた。
ヒースクリフは言ったとおりにニナに本を買ってきてくれたので、留守番をしているときは空いた時間にネビュラに教わってゆっくりと教本や『星の神狼』を読んだり、お金の数え方を勉強していた。
もう銅貨や大銅貨、銀貨も知っているので、大銀貨のおつりにそれらが出てきても『増えた』と混乱することはない。
ニナがいつも切り分けて食べている大きいパンが銅貨1枚だと知ってから、ニナは自分の給料が多すぎるのではないかと思っていたが、ジルとヒースクリフが正しいということに対して疑問を口に出せずにいる。
「服は、たくさんありますよ?」
ニナのクロゼットには、ジルから貰った服がいつもかかっている。全部で4着も貰ったので、ニナが困ることはなかった。
「それはジルさんに貰ったやつじゃん、俺が買いたい!季節も変わるし!」
それを見ていたネビュラは、ああ、病気が始まったか……とどこか諦めたような目でヒースクリフを見つめた。ネビュラもさんざん付き合ったのだ。
ヒースクリフは、かわいいうちの子にかわいい格好をさせるのが、とても好きだった。
「そう、仕事着!仕事着だと思えばいいんだよ。ニナの服は、俺が用意するのが当たり前だと思うんだ」
ヒースクリフはうちの子をかわいがりたいあまりに屁理屈をこねだした。
「ニナよ、主に付き合ってやれ。あれは言い出せば聞かぬ。主は我が姿を消すたびに地に落とすというのに、やれこれが似合うあれが似合うと我の首にスカーフを巻きたがった。主はそれが楽しいのだ」
ヒースクリフが諦めるまでかなりの時間がかかったが、今でもその大量のスカーフはこの家に死蔵されている。ネビュラは首を振りながら息を落とした。
「付き合ってやれ」
「あの、わかりました」
ニナは服に困っていないが、ヒースクリフが楽しいならと受け入れることにした。
§
「そうは言っても、俺が知ってる普通の服屋はジルさんに紹介してもらったここだけなんだけどね。でもみんなの憧れだって聞くし、辺境伯令嬢の服だって一手に担ってる店だし、ニナの服もたぶんここの服だと思うよ」
うきうきとしたヒースクリフに案内されたのは、立派な店構えのプティ・ブティという服屋だった。
「店主のマダムは信頼できる人だし、吊るしの服を買うから安心してね」
ヒースクリフは今までニナを連れてどこかの店に入ったことがなかったが、狭く物が多い店ではどこから客や店員の手が伸びてくるかわからないからだった。だがここなら、店内は広く既製品も取り扱っているし、貴族相手の商売もするぶん店員は教育が行き届いており客に向かって手を差し出すこともない。店主のマダムは物腰が柔らかく、頼んだことをきっちりと守ってくれる信頼できる人物だ。
今のニナに丁度いい店を、ヒースクリフは選んでいた。
「さあ、行こう」
ヒースクリフに促され、みんなでドアマンの開けた扉を通るとそこは吹き抜けの広いエントランスだった。エントランスの右の方には応接セットがいくつか用意されており、左手は広い部屋に繋がっていた。その部屋には台の上に置かれた美しい小物と、壁際にずらっと吊るされた色とりどりの服が陳列されており、ニナはそれを色が溢れてくるようだと思った。
「まあ、ヒースクリフ様。ご来店くださりありがとうございます」
ヒースクリフの来店が告げられたのだろう、奥から店主が出迎えにやってきた。
「やあマダム、久しぶり」
「本日はどのようなご用向きでしょう?」
「この子の服が買いたいんだ」
優雅な物腰のマダムと呼ばれた女性が、ニナに視線を向けた。その視線は柔らかく、優しかった。
「当店をお選びいただき光栄です」
「吊るしの服が欲しいんだ。それと、この子にあまり人を近づけたくない。服をあてるときも俺がやるから、いくつか似合うものを見繕ってくれるかな?」
マダムはそれだけで、ニナの事情をある程度理解したようだった。
「かしこまりました。すべて私が対応させて頂きます」
案内された席につき、しばらくするとマダムが数枚のワンピースを持って戻ってきた。
「お嬢様にお似合いになる色味かと存じます」
「ありがとう、マダム。ニナ、ちょっとそこで立ってくれる?」
ヒースクリフはマダムから服を受け取り、ニナを立たせて服をあてがった。
「……うん、いい!」
しばらく真剣な顔でニナを見つめていたヒースクリフが力強くうなづいた。そしてあてがう服を替え、またしばらく真剣な顔をした。
「……うん、これもいい!」
ヒースクリフはそれを持ってこられる服の枚数分繰り返した。マダムはにこにことヒースクリフに渡す服を替え続けた。
「どうしよう、全部いいぞ」
ヒースクリフは顎に手を当て、真剣に悩み始めた。服は近くに山と積まれていた。
「お嬢様はお可愛らしくて、どれもお似合いになりますね」
マダムはにこにこと同意した。支払い能力の高い太客がものすごくちょろかった。
「そうだよな……うん、全部」
「ヒースさん、私の体は、ひとつしかありません」
言われるがままに服をあてられていたニナが、真剣な顔で初めて口を出した。首をふりながら、できるだけ深刻な声でヒースクリフに話しかけた。
「体は、ひとつです」
「でもニナ、1年は360日もある」
「そんなにも、着れません」
深刻そうにどこかずれた会話をしているふたりに、マダムがくすくすと笑いながら口を挟んだ。
「お嬢様のおっしゃる通りに致しましょう?着てくださるのはお嬢様ですもの」
マダムは無理な売り方をしない、きちんとした店主だった。
「こちらから3着お選びになるのはいかがでしょう?」
それなら、とニナはほっとして頷いた。ヒースクリフは「3着かあー……」とつぶやいて真剣に悩み始めた。
マダムの助言も参考にどうにか3着を選び終え、ヒースクリフたちはにこにことしたマダムに見送られた。
「また寒さが増したころに、お嬢様にお似合いの服をご用意してお待ちしております」
ヒースクリフはそれがあったと天啓を得たように頷いた。
「また来るよ」
ニナはまたやるのかとおののいたし、ネビュラは最初から最後まで諦めていてずっと無言でニナに寄り添っていた。
マダムは無理な商売はしなかったが、長く長く続く極太の客をがっつり捕まえた。








