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涙、或いは一片の花弁  作者: 内藤晴人
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「では、クァク・ヴァよ、お前はその手で兄者を討ったと言うのか? 」

 

 ダムマイの問いに、クァク・ヴァはゆっくりとうなずく。

 それを見たダムマイは、しばし茫然と中空を見つめ、うわ言のようにつぶやいた。

 

「我が兄者を捜したのは、屠るためではない。お戻りいただきたかったのだ。それが……」

 

 それが耳に届いていないのだろうか、血を吐くようなクァク・ヴァの告白は更に続いた。

 

「その夜、官衙に安置されていた殿下のご遺体を取り戻し、誰にも知られぬよう葬りました」

 

 ジンソエはオロ・ノードへの恭順の証として、殿下の首を狙っていた。

 ご遺体が傷付けられるのは、耐えられなかった。

 

 涙ながらに語るクァク・ヴァに向かい、そうか、とうなずいたダムマイだったが、当初から抱いていた疑問を改めて口にする。

 

「それにしても……お前のその有様は一体どうした? 初めて見た時は、幽鬼かと思ったぞ」

 

「自ら……私が、自ら……」

 

「何だと? 」

 

 聞きとがめて、ダムマイはクァク・ヴァの顔を覗き込む。

 対してクァク・ヴァはその視線から逃れるように左手で顔を覆った。

 

「殿下を手にかけてから月日がたっても、一向にその感触は消えることはありませんでした。目を閉じればあの光景がまざまざと……」

 

 遂にその口からは嗚咽が漏れる。

 いつしかダムマイは、色を失っていた。

 

「クァク・ヴァよ、お前は……」

 

 その言葉に、クァク・ヴァはうなずいた。

 

「逃げ出したかった……忘れたかったのです。ですから、殿下を刺した右腕を自ら斬り落とし、あの光景を焼き付けた目を潰しました。けれど……」

 

 一度、クァク・ヴァは言葉を切る。

 痛みに顔を歪めながら上体を起こすと、ダムマイの衣に取りすがった。

 

「後生でございます、陛下。この身を憐れと思うなら、何卒私に死をお与えください! 」

 

 ダムマイは、そう泣き叫ぶクァク・ヴァの肩に手をかけ、そっと引き剥がす。

 そして、その顔を真正面から見据えて告げた。

 

「仔細はわかった。だが我は、なおさらお前を殺すことはできぬ」

 

「……陛下? 」

 

「クァク・ヴァよ、生きるのだ。生きて兄者の生き様を……人となりを我に伝えよ。それがお前に与える罰だ」

 

 あるいは死ぬよりも辛いやもしれぬ。

 だが、この国と民の行く末のために、どうしても聞かなければならぬのだ。

 そう語るダムマイの目にも、光るものがあった。

 

「わかったら、しばし休め。何か不都合があれば、ベク・タウルに告げよ。悪いようにはしない」

 

 言い終えると、ダムマイは踵を返し部屋を後にした。

  その姿が完全に見えなくなると、クァク・ヴァは力無く寝台に横たわる。

 室内には彼のすすり泣く声がいつまでも響いていた。

 

 

      ※

 

 それ以後、ダムマイの政に対する姿勢は一変した。

 独断でヴァウル侵攻を行い手酷い敗北を被った将軍を厳罰に処し、祖父により左遷されていた先王以来の忠臣を呼び戻した。

 優れた人物は身分の貴賎にかかわらず登用し、彼らからの忠言に良く耳を傾けた。

 その行動の裏には、クァク・ヴァから聞く兄レッテ・ディンに少しでも近付き、賢王たろうという堅い意志があった。

 非情の王と恐れられていたダムマイは、いつしか臣民に慕われるようになり、一度は荒れ果てた国土や人心もかつての豊かさを取り戻そうとしていた。

 

 そんなある日、ようやく体力を回復したクァク・ヴァは、ベク・タウルと共にダムマイに従い王宮の中庭を散策していた。

 ふと視線を巡らせると、彼はある物に気付き足を止める。

 

「いかがした、クァク・ヴァ殿。お加減でも優れぬか? 」

 

 先を歩いていたタウルは振り向き、声をかける。

 そして、クァク・ヴァの見つめる先を追う。

 

「ほう、これは見事な」

 

 タウルは思わず感嘆の声を上げる。

 そこには無数の花々が今を盛りと咲き乱れていた。

 そのうちの一輪に、クァク・ヴァは手を伸ばす。

 

「グァラパの花か。しかも珍しい色よな」

 

 いつの間にか傍らに来たダムマイも、その美しさに目を奪われたようだった。

 

「……ディン殿下が、お好きな花でした。特に、この色が」

 

 言いながら、クァク・ヴァは花に触れた。

 と、花弁ははらはらと舞い散る。

 驚き、咄嗟に手を引くクァク・ヴァを見、ダムマイは言った。

 

「お前がいつまでも後ろを向いているから、兄者も泣いておられるのだ。そうは思わぬか、タウル? 」

 

「……御意」

 

 王と近侍。

 その両者に、クァク・ヴァは自らと失った主を重ねる。

 そして、おもむろに両者の前に恭しくひざまずいた。

 

「どうした、急に? よもや、本当にどこか悪いのではあるまいな? 」

 

 不安げに言うダムマイに向かい、クァク・ヴァは静かに告げた。

 

「いえ……本日は私のディン殿下に対しての忠義のあり様をお話しいたしたく……。何卒、タウル殿にも」

 

「よかろう。タウルも異論はあるまい」

 

「は、喜んで」

 

 それから三人は連だって東屋へと向かい、時が経つのも忘れ語らい合った。

 

 

 ──レッテ・ダムマイの名は、オロ・ノード中興の祖として歴史に刻まれる。

 だがその代償は、あまりにも大きく、そして哀しい。

 

 

            涙、或いは一片の花弁 完

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