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涙、或いは一片の花弁  作者: 内藤晴人
6/7

其の伍 忠心と良心

何故、あんなことをしたのだろう

何故、あんなことをしなければならなかったのだろう

 事を成し遂げ、追手を巻く。

 その間、私はずっとあることを考えていた。

 

 全ては、主であるレッテ・ディン殿下のご命令に従ったまでのこと。

 しかし、結果として私は幼い頃からお仕えしていた殿下を、この手で亡き者にした。

 従者が主の命を奪うなど、あってはならぬこと。

 だが、それは殿下の願いだった。

 

 私はどうすれば良かったのか。

 果たしてこれで良かったのか。

 頭の中で、従者としての忠義と人としての良心がせめぎ合う。

 

 今、私にできることは何か。

 考え抜いた末、深夜官衙に忍び込みそこに安置されていた殿下のご遺体を運び出した。

 そして、人知れず墓地へ向かい、一際立派な木の根本に殿下を埋葬した。

 

 すべてが終わり、ほっと息をついた時だった。

 不意に右腕を、嫌な感覚が襲う。

 あの時……殿下を刺した時の生々しい感触と、流れ出る血の生暖かさが蘇る。

 思わず私は手にしていた円匙(えんぴ)を取り落とす。

 震える右腕を左手で抑えて、何とか平静を取り戻そうと目を閉じる。

 と、あの時の光景がまざまざと眼前に浮かび上がった。

 私は頭を抱え、膝を付く。

 大声を上げたくなる衝動を、必死に堪える。

 図らずも、私の頬を涙が伝い落ちる。

 今さっき殿下を葬ったその場所に取りすがり、私はしばし泣いた。

 

 

     ※

 

 翌日、私はギオクの港を歩いていた。

 忌々しいこの町から、一刻も早く離れたかった。

 けれど、どこへ向かえば良いのだろう。

 リデ……ネフリットの館には、もう戻れない。

 そう、私の帰る場所はこの世にはもう存在しないのだ。

 それならば、いっそのこと……。

 投げやりな気持ちで海面を眺める私に、声をかける人がいた。

 

「……お兄さん? やっぱりあの時のお兄さんだ」

 

 ぎくりとして、私は身体ごと振り返る。

 そこには、あの踊り子の姿があった。

 他でもない、私が殿下を刺すところを最も近い所で見ていた人物だ。

 

 何を言うつもりたのだろう。

 犯人は私だと気付かれたのだろうか。

 

 そんな私の内心とは裏腹に、彼女はくすくすと笑った。

 

「また怖い顔してる。そんなんじゃ幸せになれないよ」

 

 いや、私にはもう、幸せになる資格は無い。

 そう言い返したいのをぐっとこらえて、私は曖昧な表情を浮かべた。

 それを気にするでもなく、彼女は更に続ける。

 

「それより、お兄さんもこの町を出るの? 」

 

「……そのつもりですが、行き先は、まだ……」

 

「そう、ならあたしと一緒だね。どこへ行けばいいのか、さっぱり」

 

 そう言えば、彼女は一座を辞めると言っていた。

 どうやら無事自由の身になれたのか、それとも……。

 私は、彼女に気取られぬようにして、周囲に視線を巡らせる。

 案の定、良からぬ風体の人物がこちらの様子をうかがっている。

 このままでは、彼女の命が危ない。

 私の罪を見た人物ではあるが、見殺しにする事はできなかった。

 せめてもの罪滅ぼしに、彼女を守ろう。

 ジンソエを離れ、新天地にたどり着くまで。

 彼女が私を殺人の咎で役所に届け出るなら、それはそれで構わない。

 そう決めた私は、彼女に問いかける。

 

「ここから離れて、何かするつもりなんですか? 」

 

 彼女は私の言葉に、小首をかしげて見せる。

 その仕草は、見た目の幼さにそぐわない大人びた物だった。

 

「あたしは踊ることしかできないから、踊って生きていくつもり」

 

 それで、あわよくば素敵な人に見初められて、と、今度は年頃の少女らしい夢を語る。

 私は、一つうなずいた。

 

「でしたら、劇場があるような大きな街に行ったほうが良いですね。モルウルサルのベンデルか、オロ・ノードの……」

 

 帰るつもりのない故国を口にして思わず口ごもる私に対し、彼女は目を輝かせる。

 

「ウェデビ? 聞いたことがある。とてもきれいな港街だって」

 

 お兄さん、行ったことあるの? と聞かれ、私は不承不承うなずいた。

 

「なら決めた。あたし、ウェデビに行く。お兄さん、案内してくれる? 」

 

 こんな形で故国に帰ることになろうとは。

 しかし、一旦決めたことなのだから、仕方がない。

 

「わかりました。……あまり詳しいとは言えませんが」

 

 

     ※

 

 こうして私は、ウェデビまでの船旅を彼女と共にした。

 オロ・ノードによるヴァウル侵攻の影響を受けない海路を通る定期船の乗船券が取れたのは、不幸中の幸いだった。

 船倉同然の三等船室で、私はつかず離れず彼女を守った。

 守ることに集中している間は、あの時のことを思い出さずに済んだ。

 けれど、床につき目を閉じると、惨状が脳裏に浮かぶ。

 雑魚寝であるから、彼女はもちろんのこと、周囲で寝ている関係のない乗客を、私のうめき声で起こしてしまうことも多々あった。

 

 そんな航海の末、私達は無事、オロ・ノード随一の港街ウェデビにたどり着いた。

 中でも有名な劇場に彼女を案内し、通訳として面接と実技、そして契約に立ち会った。

 

 別れ際、彼女は満面の笑顔で言った。

 

「お兄さん、色々ありがとう。こっちでもたくさん踊って、お客を釘付けしてみせるよ」

 

 もちろん、言葉も頑張って覚えなきゃね。

 そう言う彼女に、私は洒落た言葉をかけることはできなかった。

 ようやく一言、お元気で、と口にした私に、彼女は不意に真面目な表情を浮かべた。

 

「本当に、ありがとう。……お兄さん、死んじゃだめだよ」

 

「どうして、そんなことを? 」

 

 私の問いに、彼女は目を閉じると頭を揺らす。

 

「……なんとなく、そんな気がしたの。違ってたらごめんね。じゃあね」

 

 言い終えると、彼女は劇場の中へと消えていく。

 その後ろ姿を見送りながら、そして見えなくなった後も、私は呆然と立ち尽くしていた。

 

 

     ※

 

 それから私は、あてどもなくオロ・ノードをさまよった。

 その間も右腕にはあの時の感触が度々蘇り、脳裏に焼き付いたあの光景は消えることがない。

 けれど、別れ際の彼女の言葉が引っかかり、私は自ら命を絶つことができずにいた。

 

 どうすればいい。

 どこへ行けば、楽になれる?

 

 ふと、私は、あることを思い出した。

 弟君ダムマイ殿は理にかなわね事を嫌うと、ディン殿下はおっしゃっていた。

 ならば、もしかしたら。

 

 私は、王都……宮殿へ向かおうと決めた。

 終わりを与えてもらうために。

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