其の肆 運命を選ぶ者
民が不幸になる争いは、起こすべきではない。
私の存在が根源と言うのなら、いっそのこと……
オロ・ノード第一王子などと持ち上げられても所詮私は庶子に過ぎない。
玉座は当然、嫡子である弟ダムマイが継ぐべきだ。
それこそがこの国の正しき在り方。
そう思い、私は腹心の友と言える側近のクァク・ヴァと共に出奔した。
流れ着いたのは、モルウルサルの港町リデ。
町の人々は、氏素性の知れない私達を温かく迎え入れてくれた。
ひょんなことから語学の才を買われて商家の仕事を手伝うことになり、縁あってその家のご令嬢と結婚し、婿として家業を任されるようになった。
やがて妻との間に息子トリエットも産まれ、商売も順調だった。
そんな矢先に、故郷オロ・ノードが東方の島国ヴァウルへと侵攻を開始した。
ヴァウルへの海路は双方の軍船により封鎖され、東方貿易の道は完全に絶たれた。
時同じくして南方のジンソエより、新たな輸出品の打診があった。
確かに南方航路は、ふさがれてはいない。
起死回生の好機と、私はこの話に乗ることにした。
が、準備を進める私のもとに義父が訪れ、考え直してはくれないか、と言った。
「なぜです? このまま争いが終わるのを待っていては、全てが立ち行かなくなってしまいます」
気色ばむ私に、義父は静かな口調で告げた。
「儂が昔から持っている商人の情報網に、気になる話が入ってきた。オロ・ノードが消えた第一王子を血眼になって捜している、と」
義父には妻との婚姻を結ぶ際、自分が何者で何故この地へやってきたのか、全てを話している。
咄嗟に返す言葉を失う私に、義父は更に言った。
「これは不確かな話だが、ジンソエがオロ・ノードに取り入ろうとしているらしい。そんな中に行くのは危険だ。何とか思いとどまってくれないか」
義父の気持ちは、痛い程わかる。
どこの馬の骨とも知れぬ私の話を信じてくれた上、実の息子同然に接してくれているのだから。
そして、かつて大切な跡取り息子を、嵐で亡くしているのだから。
しかし……。
「それでも、私はこの商家の当主です。仕えてくれている奉公人達の生活を守る義務がある。どうか、私の最後のわがままをお聞き届けください……」
※
「本当に、何でも? 」
目の前に控えるクァク・ヴァに、私は問う。
それに対しクァク・ヴァは私の目を見てはっきりと言った。
「ルフマンド様のご命令とあらば」
彼がそう言うのは、わかりきったことだ。
それを敢えて聞いたのは、無意識のうちに許しを求めていたからなのかもしれない。
心の中でクァク・ヴァに詫びながら、私は切り出した。
「……私を、殺して欲しいんだ」
「……は? 今、何と……? 」
予想通りの反応だった。
旅の準備の手を止めて、私は同じ言葉を繰り返す。
「私を、殺して欲しいんだ」
「何故です? どうしてそんなことを? 」
そこで私は、先程義父から聞いたことをクァク・ヴァに伝えた。
そして、ジンソエは私の首を恭順の証としてオロ・ノードに送るつもりだろう、そう告げた。
「ならば、自分を貴方の剣としてお使い下さい。貴方のためなら、この命をなげうってもかまいません」
「……私は、誰も死んでほしくない。もしもこの先、私の存在が原因で誰かが死ぬというのなら、いっそのこと私が死んだ方がいい」
「……ルフマンド様……」
色を失うクァク・ヴァに、私は笑って見せた。
「人殺しを生業とする暗殺者を差し向けられたら、おとなしく殺されてやるつもりだ。君は端から見ているだけでいい。けれど」
一度言葉を切り、私は唯一本音で語り合える友の顔を改めて見る。
そこには苦渋の表情が浮かんでいた。
「もし、何も知らない……例えば女性や子どもを使って来たときは、君の手で私を殺して欲しい」
無関係な罪無き人を、我々の揉め事に巻き込むのは忍びない。
これは、私の嘘偽り無い本心だ。
そこまで言ってもなお、クァク・ヴァは懊悩しているようだった。
無理もない。長年仕えて来た主を、その手で殺せと言っているのだから。
私は、一つ吐息をつき、クァク・ヴァを正面から見据えた。
「クァク・ヴァよ、主命である。……私を、殺せ」
瞬間、クァク・ヴァの身体には稲妻が走ったようだった。
弾かれたようにその場にひざまずくと、彼は絞り出すように答えた。
「……賜り……ました。必ずや……」
※
港町ギオクの領主の館では、遠方から訪れた客人をもてなす宴が開かれていた。
主賓は言うまでもない、モルウルサル随一と言われる商家の当主アウル・ルフマンドである。
ルフマンドは目の前に並べられた豪華な料理にも手を付けず、演奏されている見事な音曲にも興味を示さない。
ただひたすらにギオクの商人達と情報を交換し、商談を進めていた。
と、一際華やかな曲が奏でられる。
同時に艶やかな衣装をまとった少女が舞い始める。
一瞬、ルフマンドの視線がそちらに向く。
それを見計らったかのように、ギオクの領主が声をかけてきた。
「いかがです? お楽しみ頂いておりますでしょうか? 」
「ありがとうございます。身に余るおもてなしに、恐縮しております」
「とんでもない。ご無理を言って来ていただいたのですから。と……レイナ、こちらに」
ちょうど、舞が終わった頃合いで、領主は踊り子の少女を呼び寄せた。
息を切らせ、頬を上気させた少女は、領主の隣に座ると、ぎこちなく床に手を付き一礼した。
「この度お呼び立てしたのは、他でもありません。我がジンソエで一二を争うアルバの銘酒を、ぜひとも取り扱って頂きたく……。レイナ、お酌を」
と、踊り子……レイナは慣れぬ手つきで酒器を取り、危なっかしくルフマンドと領主の盃を酒で満たす。
新たな我らの関係に乾杯、そう盃を掲げると、領主は一気に中身を飲み干した。
それを見て、ルフマンドも盃に口をつける。
爽やかだが豊かな味わいの液体が、口内に流れ込んできた。
「……なるほど、これは聞きしにまさる銘酒ですね」
「でしょう? この酒は、砂糖を入れると風味がまた変わるのです」
言いながら、領主はかたわらの小さな壺の中身をルフマンドの盃に入れるよう、レイナに促す。
彼女は慣れぬ手つきで匙を取り、壺の中の白い粉末をルフマンドの盃に加えた。
領主は満面の笑顔で、ささ、どうぞ、と勧める。
再びルフマンドが盃に口をつけようとした時だった。
不意に、女性達の悲鳴が上がる。
絶え間なく奏でられていた音曲が途絶える。
何事かと視線を巡らせると、黒衣をまとい覆面をした男が、突如宴の間に乱入した。
男はその場の人々を一瞥すると、腰に帯びていた短剣を抜く。
「な……曲者……‼ 」
ルフマンドの正面に座していた領主は、わずかに腰を浮かす。
次の瞬間、黒衣の男は疾風のようにルフマンドに飛びかかる。
そして、恐怖のあまり動けずにいるレイナの目前で、手にしていた短剣をルフマンドの胸に突き刺した。
剣が抜かれると同時に傷口から鮮血がほとばしる。
ルフマンドは、自らの作り出した赤い沼の中にゆっくりと倒れ込んだ。
その時、ようやく館の警備隊が宴の間になだれ込む。
が、黒衣の男はそれに目もくれることなく、あっという間に姿を消していた。
「は、早く! 賊を追え! 」
わめき散らす領主の言葉に従い、警備隊達はわらわらとその場を後にする。
泣き叫ぶ女性達。
呆然とするルフマンドの随行人達。
そんな中、ルフマンドの一番そばにいたレイナは、未だ動けずにいた。
「……え? 」
ふと見ると、かすかにルフマンドの唇が動いている。
恐る恐る近寄り、レイナは耳をそばだてる。
荒い息の中、ルフマンドは途切れ途切れに言った。
「……ク……ありが……とう……」
言い終えると同時に、ルフマンドは力尽きがっくりと首を折る。
叫ぶことも泣くこともできず、レイナはただ見つめることしかできなかった。