其の弐 踊り子の矜持
自由と引き換えに得られる物なんて、あるはずない
そう思ってた
あたしは踊り子。
親の顔は知らない。
生きるためなら、ゴミ漁りでも盗みでもやった。
そんな最低な生き方をしていたあたしを助けたのは、旅回りの一座。
座長は厳しかったけど、あたしの才能を見つけてくれた。
それが、踊り。
ちょっと教わっただけで、あたしはどんどんうまくなった。
そして、このジンソエの街を回る一座の看板になった。
踊るのは楽しいけれど、一座という集団があたしには窮屈だった。
今までの勝手気ままな生活と違いすぎて、抜け出したかった。
あたしは遂に我慢できなくなった。
そして、決めた。
この一座を抜けたい。
自由に生きたい。
そう座長に言おうと。
※
とある港町、ここが今回のあたしたちの公演場所。
滞在期間は、二週間。
その間、あたしたちは天幕を張ってそこで生活する。
奥まった所にある一番大きな天幕が、座長の家。
この町での公演が終わったら、お暇をください。
そう伝えるために、あたしはその中をのぞき込んだ。
「……座長? 」
恐る恐る、声をかける。
けど、中からは座長と誰かが話している声がした。
先客がいたなら仕方がない。
出直そうと思って回れ右をして戻ろうとした時だった。
「レイナ、構わない。入りなさい」
どうやら座長はあたしに気がついていたらしい。
気まずさを感じながら、あたしは天幕の中に入った。
座長と話していたのは、知らない人だった。
けれど、何だか偉そうな感じの嫌な奴だった。
そいつは値踏みするように、あたしのことを頭の先から爪先まで眺めていた。
あたしが不機嫌を隠そうともしないのに、座長は苦笑いを浮かべて言った。
「この子がうち一番の踊り子、レイナです。先程お話した」
座長の言葉に、偉そうな客はようやくあたしを見るのをやめた。
「なるほど、これほどまでの美形なら、かの御仁も心を奪われることでしょう」
あたしは、寒気がした。
第一あたしは踊り子だ。
それ以外のこと……春を売るようなことはしたくないし、するつもりもない。
それがささやかな、あたしの踊り子としての矜持だから。
そんな嫌悪の感情が顔に出ていたのかもしれない。
座長は、誤解だ、と言って笑った。
「じゃあ何なんです? あたしに何をしろと? 」
「今度、外つ国からのお客人を招いて宴が催されるんだが、その席で……」
「踊るなら構いません。それがあたしの仕事だから」
そう言うあたしに、偉そうな客はいやらしい笑みを浮かべた。
見たくもない。
反吐が出る。
顔をそむけようとした時、そいつは妙なことを言った。
「実はそのお客人に売り込みたい商品がある。アルバ地方の酒なんだが……」
その噂なら、聞いたことがある。
確か、造れる数が少ない貴重なお酒で、とても美味しいんだとか。
「実際に相手に気に入ってもらわなければ、意味がない。そこで、貴女に踊りが終わったあと客人にその酒を売り込んでほしい、と言うわけだ」
「でも……あたしは踊ることしかできないよ。第一無学で……」
戸惑うあたしは、助けを求めるように座長を見る。
売り込めと言われても、あたしには気の利いた会話なんてできない。
育ちが悪いあたしが何を言っても逆効果だろう、そう思ったから。
「まあ、もし貴女が断ると言うなら、この一座が無くなるだけのことだが」
偉そうな客の、何気ない一言にあたしは耳を疑った。
既にそいつの顔からは、あのいやらしい笑みは消えている。
「本当なの? 座長……」
あたしの問いかけに、座長は弱々しくうなずいた。
聞けばこいつは、この国……ジンソエの有力者で、うちの一座に援助をしているという。
あたしが断ればそれを打ち切る、と言うのだ。
あたしは迷った。
一座が無くなれば、晴れてあたしは自由になれる。
けど、家族同然の一座のみんなが路頭に迷うことになる。
自由と引き換えにみんなの恨みを買うのは嫌。
けれど、あたしは……。
「レイナ、頼む。もしやってくれるなら、何でも褒美をやろう」
座長の言葉に、あたしは決心した。
「わかったよ。その代わり……」
※
ジンソエの港町ギオクは、リデほどではないが少なからずオロ・ノードのヴァウル侵攻の影響を受けているようだった。
以前訪れた時よりも若干人通りが少なくなっている。
街中を見て、クァク・ヴァはそう思った。
主ルフマンドから託された『願い』をかなえるため、彼は人知れず、かつ主より一足先にこの街にやって来た。
けれど、彼はまだ悩んでいた。
いかに主の願いとはいえ、そして実行するのは容易いとはいえ、なぜあんなことを望むのか。
彼にはどうしても理解できなかった。
ふと、彼は足を止める。
考え事をしていて、いつの間にか路地裏の空地に迷い込んでいた。
慌ててもと来た道を戻ろうとした時、一人の少女が目に入った。
彼女は踊り子なのだろうか。
一心不乱に踊るその美しさに、クァク・ヴァはしばし見惚れた。
そしてふと、少女と目が合う。
「……すみません。あまりにも見事だったので、つい……」
生真面目に謝るクァク・ヴァに、少女はくすくすと笑った。
「いいよ、別に。お兄さんかっこいいから、特別にタダにしてあげる」
本当はお金を払わないと見られないんだよ、と言う少女の顔には、まだあどけなさが残っている。
「中央広場で公演している一座の方ですか? 」
礼儀正しくたずねるクァク・ヴァに、少女は更に笑った。
「そうだよ。一座の看板。……でももうすぐおさらばするんだ」
「一座を、辞められるのですか? 」
「そ。今度外国から来るお客の前で踊って、珍しいお酒をすすめたら、何でも好きなものをやるって座長が言うから」
で、あたしは自由が欲しいって言ったんだ。
そう無邪気に笑う少女とは対象的に、クァク・ヴァは黙り込む。
「どうしたの、お兄さん。怖い顔して? 」
「いえ、練習を邪魔して失礼しました。成功を心からお祈り申し上げます」
そう言うと、クァク・ヴァは逃げるようにその場を後にした。