恋するマリトッツォ 殿下と側近の一喜一憂一刀両断
「そうだ、マリトッツォ・パーティしよう!」
「はい?」
「マリトッツォ・パーティだ!」
「それは聞こえましたが、なぜ?」
「街中では流行っているらしいじゃないか。ところで、マリトッツォってなんだ?」
側近筆頭のトーニオは天を仰いだ。
しかし、すぐに気を取り直したようだ。
「ブリオッシュにホイップした生クリームをたっぷりはさんだものですね。」
「簡単に作れそうだな。」
「包丁一つ持ったことのない人が、言っていい台詞じゃないですよ。」
トーニオは厳しい。
だが事実だった。
厨房には入ったことがあるのだ。
子供のころ、専門家のお仕事を学ぼう、ということで、自分の食事を作ってくれているシェフのちょっとしたお手伝いをしてみるという授業があった。
絶対安全、という皮むき器を渡され、芋の皮をむいた。
ところが芋より先に、指の皮がむけた。
シェフは真っ青。スーシェフは失神。厨房は水を打ったように静かになり、私の扱いに慣れている従卒だけが、冷静に手当てを行った。
シェフ達の精神状態を心配した母上が、わざわざ足を運び
「子供の怪我は当たり前。命に別条がないんだから、気にしなくていいのよ。」と優しく慰めた。
そして、私に向かって顎をしゃくり、こっち来いやとばかりに人気のない場所に引きずっていった。
「不器用なの? 不注意なの?」と問い詰める母上に
「どっちもです。」と答えたのは当時、側近候補としてお友達から始めていたトーニオである。
母上は扇子の裏でため息をつき、トーニオに告げた。
「あなたは頼りになりそうだわ。今日から側近を頼めないかしら?」
「おことわ…」
「今日からなら、通常の倍の手当てを支給します!」
「謹んでお引き受けいたします。」
こうして母上は、私をトーニオに売ったのだ。
「売ったなんて人聞きの悪い。私は、大切な王子殿下をお預かりしただけです。」
嫌味っぽくメガネを直すトーニオ。
インドア派のくせに、私より身長が6センチも高いのはなぜだ。
一歳しか違わないのに、なぜかトーニオには敵わない。
こいつときたら文武両道、冷静沈着、臨機応変、慇懃無礼…ああ、舌噛みそう。
私が暴走した時には、死なない程度のダメージなら与えても構わないので絶対止めろ、という母上発行の命令書まで持っているらしい。
らしい、というのは、いろんな意味で怖くて確認できないからだ。
「では、次回のお茶会はマリトッツォ・パーティということで進めますね。」
トーニオが確認してくる。
お茶会の目的は、第二王子である私の嫁探しだ。
現在14歳、そろそろ決めないといけないらしい。
「作るの簡単なんだからさあ、招待するご令嬢方に作ってきてもらう、とかどう?」
ナイスアイディア! と思ってドヤ顔してみたら、氷点下30度の視線が返ってきた。
「阿呆なんですか?」
阿呆なのはわかってますけど、一応、タテマエで言ってます、という表情のトーニオ。
「生クリームの温度管理をなめてはいけません。
ちょっとの油断が食中毒を起こすんですよ!
そうでなくても、味にも食感にも影響します。」
へー、なんでもよく知ってるなー。
「温度管理のために、氷属性の魔導士が貴族に独占されれば、市井の魔導士相場が跳ね上がって、大変なことになります。」
ちょっと言ってみただけじゃん。
「もっと、いろいろな影響を考えてから発言なさってください。」
「ハーイ。スイマセンデシター。」
かなり本気で睨まれた。
「でもさー、トーニオ、お菓子作り詳しいのなんで?」
あ、目をそらした。
ナニカあるぞ。
「もしかして、彼女、お菓子作り得意、とか?」
おおお、動揺している。書類を落としたぞ!
「トーニオの彼女って誰?」
「…教えません!」
「ふーん。マルコ、トーニオの彼女、知ってる?」
今まで、ずっと黙って話を聞いていただけのマルコが首を横に振る。
マルコも私の側近だが、いわゆる暗部。
黒髪黒目の細マッチョでイケメン。無口で不愛想。そして無類の甘党だ。
「マルコ、モルトボーノ菓子店のシーズンスペシャルチョコおごるから、速攻調べて!」
壁に預けていた身体を起こし、動き出そうとしたマルコにトーニオが待ったをかける。
「マルコ、今、王都で一番おいしいチョコレートを出しているのはモルトボーノ菓子店ではありませんよ。」
マルコは相変わらず黙ったまま、驚愕の表情を浮かべた。
「いつも、任務に励んでいる貴方のことです。
最高のチョコレートを、わたしからプレゼントしないこともありませんが?」
それを聞いたマルコは、また壁に身体を預けた。
なんだよー、お前の主人はそいつかよー。
たぶん、トーニオは一生私の側近だろうけど、死ぬまでに一泡吹かせることはできるだろうか?
そんな大それたことは考えるべきではないだろうか?
何と言っても、私が王子面してやっていけてるのは、トーニオがいればこそ、である。
阿呆、阿呆と言われるが、さすがにそれくらいは私も理解しているぞ!
ドヤ! …心の中でドヤ顔しても虚しいだけだった。
そして、恥ずかしい!
ほら、私の百面相をトーニオが白い眼で見ている。
初夏の薔薇園。
お茶会に向いた、香り優しめの薔薇があちこちに咲いていた。
テーブルごとに、クリームだとか生地だとか、トッピングなどを変えて、工夫をこらしたマリトッツォが置いてある。
シェフは、若いコックの修行にも丁度いい、とマリトッツォ作りを歓迎したらしい。
無事に開かれたマリトッツォ・パーティ。
でも、なんか思ってたんと違った。
招待客名簿を作成したのはトーニオ。
令嬢たちは好みのマリトッツォを探して、テーブルを回っている。
昼のお茶会、柔らかな色合いのドレスがさらに薔薇園を華やかに彩る。
あちこちから聞こえる会話も上品ながら楽しそうだ。
追加のマリトッツォを運んできた若い男の給仕がよろけた。
まだ、新人みたいだ。
3人の令嬢がさっと近づき、1人は給仕の手から離れたトレーを見事にひっくり返さず受け止める。
もう1人は、給仕を抱きとめた。令嬢の腕の中で、頬染める給仕…。
最後の1人は、給仕がぶつかりかけたテーブルをすすっとずらした。あれ、鉄製の、かなり重いテーブルなんだけどな。上に乗った水差しの中身、ほとんど揺れてないし…。
「すげえ…」
「お気づきですか?」トーニオが珍しく笑顔だ。
「彼女たち何者?」
「先日の武道大会の上位入賞者たちですね。
まだ学生ですが、卒業後は騎士団入隊が確定しています。」
うん、私にもわかる。
会場にいる令嬢たちは、華奢さが微塵もなかった。
スラっとしていても、筋肉質。
動きを見れば、体幹が半端ない。
中には、ボディビルチャンピオンみたいな令嬢もいたけど…。
「……」
マルコはボディビル令嬢から目が離せないようだ。
黙々とマリトッツォを食べながら、じっと見つめている。
さすがのイケメンも、ちょっとキモい。
食べるか見つめるか、どっちかにして欲しい。
これ、私の婚約者探しのお茶会だよね?
自問自答する。
何年も前、第一王子である兄上のお茶会を覗いたことがある。
いかにも、ご令嬢~って風情の可憐な美少女たちが集っていた。
しかも、兄上がモテるモテる。
婚約者探しなのだから、アプローチがあるのは当たり前だ。
そう、当たり前なのだ。
お茶会開始から早2時間。
マリトッツォは順調に消費されていくが、私の前に挨拶に来るご令嬢は皆無だった。
「これは、私から会場を回ったほうがいいのかな?」
「そうですね。」
トーニオが、懐中時計を確認している。
「ご令嬢方も、十分にマリトッツォを堪能されたことでしょうから、お邪魔にはならないでしょう。」
なんたる言いぐさ!
私の婚約者探しなんだぞ! それでは私はマリトッツォのおまけではないか。
そう口から出そうになったが、「そうですが、何か?」とか言い返されたら泣きそうなので止めておいた。
「婚約者探しの茶会なのに、こんなんでいいのか?」
「いいんですよ。顔は見せましたし、下手に動いて醜態さらされてはたまりません。ご興味を持たれた家からは、後日アプローチがあるかもしれません。その僅かな希望にかけましょう!」
僅かな希望って言った。
「殿下は阿呆ですが、悪い人間ではありません。
いつか、それをわかってくれる令嬢が現れますよ。
一人くらいなら、…たぶん。」
私はきっと無表情になってる、今。
くどいようだが、招待客名簿を作成したのはトーニオだ。
たぶん、選ばれたのは自分の身を自分で守れる令嬢だ。
母上にも側近にも信用のない私が、たとえマチガイを起こしそうになっても可及的速やかに対処しうる人材を集めたに違いない。
……お茶会の人材ってナンだ?
私が歩くにつれ、ご令嬢方が美しいカーテシーを披露する。
さざ波のように次々に動く様は、まるで一種の舞踏のようだ。
ここにいる体幹無双の令嬢たちならば、もっと難しい礼でもこなすんじゃないか、そう思った。
宙返りとか? 一回捻る? コミカルなステップを挟むとか?
楽しい想像に笑顔になってきた私を、トーニオが目を細めて見ていた。
カーテシーの波が切れた薔薇園のはずれで、一人の令嬢が、ひたすらマリトッツォを食べていた。
どうやら、食べるのに夢中で、周囲の状況に気付かなかったようだ。
それにしても、いい食べっぷりだ。
そのテーブルにあったのは一口サイズの小ぶりなもの。
ひょいぱくひょいぱく、って食べ方、初めて目の前で見たな。
じっと私が見ていると、さすがに彼女が気付いた。
一瞬、目を見開いてこちらを見る。
私は思わず、ニッコリ笑った。
次の瞬間、
「いやあああああああああああ!」との声と共に、どこから出したのか巨大なハリセンが現れ、私を吹き飛ばした。
私は気を失ってしまった。
そろそろ終わりの頃合いかと、様子を見に来た母上が、令嬢がハリセンを振るう現場を目撃したそうだ。
姑目線で一目惚れした母上は土下座せんばかりの勢いで拝み倒し、とりあえずだが婚約を承諾させた。
目が覚めたら、すっかり話がまとまっていて、母上は涙していた。
ハリセンの彼女を見ると、ごく普通に可愛い、ごく普通の令嬢に見えた。
「殿下、申し訳ございませんでした。」
と、平謝りする姿が、とても可愛い。
吹き飛ばされた後遺症か、動悸が止まらない。
彼女になら、もう一回、ハリセンで叩かれてもいいな、なんて考えが、ちらりと頭をかすめた。
これって、変な性癖ってやつ?
「甘いもの好きなんだね。
たくさん用意しておくから、遊びに来てくれる?」
と訊ねれば、
「はい、ありがとうございます。是非。」
と頬を染めて微笑む。
ブリオッシュに挟まれた生クリームみたいに、ふわふわで甘~い笑顔だな、と思った。
ちょっと舐めてみたくなって顔を寄せれば、マルコに首根っこをつかまれた。
側でトーニオが私を睨みつけている。
「殿下?」彼女が戸惑ったように言う。
「ああ、大丈夫。私は王子だからさ、いつも、この二人はくっ付いてくるんだ。いろいろ勝手に動くけど、気にしないで。」
ちょっと考えた彼女は
「わかりました。」と言った。
いい子だな、と思って、ふとトーニオを見れば、なんだか驚いた顔をしていた。
彼女の反応に驚いたのか、それとも、私、一矢報いた?
どうでもいいけど、マルコ、そろそろ放してくれないかな?
首、締まりそうなんだけど。