帰り道
昇降口の脇のある植え込みの裏側に雪村煌は立っていた。もう6時半だった。
「暗くなるのが早くなってきたな‥‥‥。のばら、遅い‥‥‥。錦鯉研究部の計画書は最優先で通してやったのに。一緒に帰る約束‥‥‥‥、あの時はわざととぼけたんだろう。のばらはツンデレだからな。うん。」
煌は西の空を見ながらつぶやいた。
生物室ではみんなで協力して書いた文化祭の計画書の認可がおりたことに盛り上がっていた。
「まだまだこれからよ。さあ、ずいぶん暗くなってしまったわね、早く帰りましょう。」
のばらはみんなを促し生物室を出た。
「僕が生物室のカギを閉めておくからみんな先にどうぞ。」
ミチルが皆を見回して言った。
「サンキュー、さっすが部長!」
そう言うと、マナカと中村は二人で下らないギャグを飛ばしあいながら二人で騒がしく昇降口に向かって歩いて行った。
ミチルは戸にカギをかけて生物室の前のロッカーの所定の場所に隠した。ミチルがロッカー扉をガシャンと閉めたとたん、ロッカーの向こう側の脇から雅秋が現れた。
「あらあら、こんな所で待ち構えているなんて‥‥‥まるでストーカーだわね。ミアちゃんは大変ね。はぁ‥‥‥。」
のばらは大袈裟にため息をついた。
雅秋はのばらを無視して言った。
「ミア、帰ろうぜ。」
「ミチルちゃん、行きましょう。」
のばらがミチルににこりとした。
「あ‥‥‥‥、はい。」
ミチルは雅秋を初めて見た。
「‥‥‥‥お前がミチルか?ミアの幼なじみとか言う。」
雅秋がミチルを険しい顔でじろじろ見た。
のばらが雅秋とミチルの間に入って雅秋の視線からミチルを守った。
「いやーね。突然じろじろ見てきて。本当、失礼よ。ミチルちゃん、帰るわよ。ミアちゃん、また明日ね。」
のばらはミアに微笑んでから雅秋を一睨みしてつーんとしてからミチルの腕を引っ張ってさっさと歩いて行った。
「雅秋、本当に待っていたのね。こんな時間までごめんなさい。」
ミアが雅秋にすまなそうに言った。
「でもこれからは当分こうなりそうなの。先に帰っていいのよ。」
「だめだ、俺は待つ!」
雅秋は中村というモブ顔の男子が、ミチルとミアがまるで将来を約束しているかのような口ぶりで話をしてきたことをずっと覚えていた。
雅秋が待っていなかったらミアはミチルと一緒に駅まで歩き一緒の電車に乗ることになるだろう。
そんなことさせるか!ミアは俺の彼女だ。
雅秋にとって特にのばらとミチルは要注意人物だった。
「雅秋ったら‥‥‥‥。心配性もいいかげんにしないとだめよ。それに‥‥‥ミチルやのばらさんに失礼な態度をするのはやめて欲しいわ。特にミチルは私の一番大切な大切な友達なのよ!」
ミアはそう言うと、先に歩き出した。
「‥‥‥だって、俺は‥‥‥‥!」
雅秋は後ろからミアを抱きしめた。
「きゃっ!雅秋?」
「ミアを誰にも渡さない!」
ミアは雅秋を振りほどこうとしたが雅秋は放さなかった。
「雅秋、放してよ!」
ミアは雅秋がきつくつかんでいる手を引き剥がそうと雅秋の指を一本ずつ引っ張ったが無駄だった。
「ミアが完全に俺のものになるって約束したら放す!」
雅秋はミアの右耳にキスをした。
ミアは雅秋の腕が少し緩んだ隙にしゃがんで抜け出た。そして振り向いて言った。
「もう!いいかげんにして!それに私の雅秋には関係のないプライベートの部分にかかわらないで!」
ミアは一人で走り去って行った。
昇降口から数人のグループがガヤガヤと出てきた。
雪村煌はのばらがいるかもしれないと植え込みの後ろから注意深く見ていた。
「じゃあねー!のばらさん、土方くん。また明日ねっ、ばいばーい。」
「ミチル、また明日!のばらさん、明日も絶対来ると約束して下さい!」
「もちろんよ。ヒトミ、マナカ。明日もがんばりましょうね。」
ヒトミとマナカと呼ばれていた男子と女子が校門に向かって騒がしく歩いて行く。
のばらとミチルが昇降口を出たところで立ち話をしていた。
「のばらさん、さっきは僕をかばってくれてありがとうございました。なんであの先輩は僕をじろじろ見たのかな?そういえば生徒会室でも生徒会長が僕をじろじろ見ていたし‥‥‥僕もしかして‥‥‥?」
ミチルはあわてて自分の身なりを確認しだした。
「大丈夫だ‥‥‥。じゃあ顔に何かついてるとか?」
ミチルは両ほほに手のひらを当てた。
「うふふっ、ミチルちゃんのかわいい顔があるだけよ。」
のばらが言った。
「かわいいだなんて‥‥‥‥。僕は‥‥‥たくましい所が全然なくって‥‥‥。」
ミチルはしょんぼりしてしまった。
「どうして?ミチルちゃん。そんな風に取らないで。私はほめているのよ。」
のばらは首をかしげた。
「いいんです。どうせ僕はこんなんだからミアにも男子とし見てもらえないんだ‥‥‥‥。」
「‥‥‥あ、‥‥‥ミチルちゃんはミ‥‥‥」
のばらがそういいかけた時、雪村煌が現れた。
「のばら、待ってたかい?」
「え?いえ別に‥‥‥‥あ、そうだったわね。」
のばらは錦鯉研究部の計画書が通ったら煌と一緒に帰ることを約束していたのをすっかり忘れていた。
「じゃあ3人で、帰りましょう。」
のばらが言った。
ミチルがちろっと煌を見ると鋭い煌の視線が自分に向けられているのがわかった。
「あ‥‥。僕忘れ物したみたいです。先輩方は先に帰ってください。」
ミチルはそう言うと靴箱の方に戻って行った。
「あっ、ミチルちゃん!待って。」
のばらが言ったがミチルは気づかないふりをして二人の視角から外れるところで止まって立っていた。
ボソボソと煌の声が聞こえて来た。
「なにむくれてるんだ?のばら。‥‥‥‥‥。おいっ、待てよ!‥‥‥‥のばら‥‥‥」
煌の声が遠ざかって行った。
ミチルはひとり昇降口から外に出て校門に向かう松の石垣の横を歩き始めた。
のばらと煌の姿はもう見えなかった。
「ミチル、待って。」
ミアの声がした。
ミチルは振り返った。
「‥‥‥ミア?あれ、どうしたの?あの待っていた先輩と帰るんじゃなかったの?」
「ううん、いいの。ミチル、久しぶりに一緒にかえりましょう。」
ミアが寂しげな表情のまま小さな笑みを作った。
「‥‥‥‥うん。ミアがいいならいいけど‥‥‥‥。」
そのまま二人で歩き出した。
ミチルはどんな顔をしてミアと二人でいればいいのかわからなかった。
沈黙したまま二人で校門を出た。
「‥‥‥‥ケンカしたの。」
ミアがひと言言った。
「え?」
ミチルが驚いてとなりを歩くミアの顔を見た。
「‥‥‥‥‥甲斐先輩がミチルやのばらさんに失礼な態度をとるから。私‥‥‥。」
「‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥私ね、小さい頃からずっとミチルが大好きだったのよ。知ってた?」
「‥‥‥それなら僕だって。」
ミチルはミアに言った。
「そういうんじゃなくて‥‥‥‥‥。」
「‥‥‥‥‥えっ?」
「‥‥‥でも、これからは違うの。‥‥‥‥私、何があっても一生ミチルが大好きよ。いつか私が誰かと結ばれたとしても、ミチルが私の知らない誰かと結ばれたとしても。」
ミアは前を向いたまま言った。
「‥‥‥‥‥うん、ミア。」
ミチルも前を見たまま言った。ミアを見たら涙が出てしまいそうだったから。
ねえ、ミア?わかってないね。僕はミア以外の女の子なんて‥‥‥‥‥。
そのまま再び沈黙したまま二人はいつもの道を帰った。
雅秋はミチルとミアの並んで歩く後ろ姿を距離を保ちつつ歩いた。
ミチル‥‥‥‥ずいぶんとかわいらしいまだ子どもみたいなやつじゃねえか。あいつの武器はきっとそれだな。穢れのない天使のような顔でミアだけじゃなくて、あののばらまでたらしこんでやがる。
おいおい、あいつは見かけと違って相当な遣り手じゃん?
だからって俺は負けねぇからな!