七時限目 ユーリ 出陣
「サーシャ! 大丈夫か!?」
薄暗い路地裏の中、壁に座り込んでいる彼女を見てユーリは一目散に駆け寄る。幸い、外傷は見当たらないがその表情は何処かおぼろげで弱々しかった。
「せんせぇ…………どうしてここに着たの?」
「お前が教室に忘れ物したから届けに着たんだよ。ほら、お前の鞄」
酷くか細い声でそう言うサーシャに、そっと優しく鞄を渡してからユーリは彼女の前に立つ。目の前で待ち構えていたのは悪意が顔に張り付いている三人の男達だ。
「で、お前達は一体何者なんだ? サーシャのお友達ってわけじゃあないだろ?」
「…………ああ、そうだ。友達じゃあない。俺達は“商人”みてぁなもんでな、そこのお嬢ちゃんにある物を売ってくれって頼まれてよぉ」
三人組の中で一際邪悪さを放っている男が一歩前に出てきて、懐から何か透明な液体が入っている試験管を取り出した。
「こいつを担任教師に飲ませてやりてぇんだとよ。ハハッ! 教師思いの良い生徒を持ったもんだな!」
そう言ってウォーギャンはユーリに試験管を手渡す。何が入っているのかは分からないが、明らかに危険な物で間違いないだろう。
「……サーシャ。こいつ等の言ってることは本当なのか? 俺に、コレを飲んで欲しいのか?」
「ううん、そんなこと思ってない……思ってないんだけど…………」
歯切れが悪く、覇気がまるで無いサーシャ。そんな彼女と男の様子を見てこの路地裏で何があったのかは大体察することが出来る。
彼女は男達に脅されて、この液体を自分に飲ませるよう言われたのだろう。どんな方法で脅されたのかは分からないが彼女はそれに屈服してしまっている。あからさまに様子がおかしいのはその為だ。
そんな中、急な自分の登場に男は作戦を変えた。彼女がこの液体を飲ませたいと公言することによって飲まざるを得ない状況を作ったのだ。
飲まないという行為はサーシャを否定し、信用しないことに直結するから。わざわざ鞄を届けに来て、すかさず助けに入る程の教師なら例え毒だと見抜いていても飲むだろうと考えたからだ。
瞬時に作戦を切り替え、人の性格を読み抜く力。そして言葉巧みな話術……希望に満ちた才能を持っているにも関わらずそれら全てを悪事に使うこの男をユーリは許すことが出来ない。
才能を腐らせている以前に、自分の大切な生徒を、まだあどけない一人の少女を自らの悪事に利用したコイツを許すことなんて到底出来ないのだ…………!
「…………なんだ、そういうことだったのか。てっきり俺はコイツ等に酷いことされたんじゃないかって心配したんだぞ?」
「え? せんせぇ何言ってるの?」
虚ろな目をしているサーシャが困惑した顔でユーリを見る。そんな彼女にふと優しい笑みで返した後。
「でもこんな危なそうな物は俺が没収するからな…………一応念の為味も見ておくか」
「ええっ!? ちょっ!? せんせぇ駄目だって!! 絶対駄目ッ!!!」
「なんで駄目なんだ? 俺に飲んで欲しいからわざわざ買ったんだろ?」
「そんなん嘘に決まってんじゃん!! それは毒なの!! 絶対飲んじゃ駄目なの!!!………………あっ!」
サーシャの必死な警告を無視して、まるで風呂上りの一杯かのようにユーリは液体を一気に飲み干す。その様を見てサーシャは声にならない悲鳴を上げ、ウォーギャンと手下二人は歪に口角を上げた。
――そして。
「――うん、飲めるには飲めるがちょっと濃すぎる。これならいつものコーヒーの方が美味いな」
「…………え?」
毒に苦しみもがくことは無く、突然発狂し倒れこむことも無く、ユーリは至って平凡な味の感想を述べる。そんな彼に、この場に居合わせている全員が驚きの声を上げた。
「何のん気なこと言ってんのさ!! 早くペって出した方が良いって!!」
思わず立ち上がり、背中を擦ってくれるサーシャ。ユーリはそんな彼女の頭に手を置き、そっと優しく撫でる。その時、彼の身体が僅かながら光り輝いていることに気が付いた。それは補習授業を受けていた時に見た暖かくて、何処と無く頼りがいのある光だ。
「大丈夫、心配すんなって。俺はこんなモンじゃあ死ないから」
そう言ってもう一度優しい笑みを見せた後、男達三人に顔を向ける。彼等は依然として状況を飲み込めていないようで揃いもそろって呆けた面をしていた。
「さぁて、これで用事も済んだな。明日も授業があるんだからお前は一足先に帰ってろ……俺はちょっとコイツ等と話を付けてくる」
一歩、また一歩とユーリはウォーギャン達へとゆっくり歩みを進めていく。彼が纏っている僅かな光は徐々に大きさを増していき、燃え盛る闘志の炎のようになっていった。
「あ、兄貴ィ……! あの毒は牛くらい秒で殺せる程のやべぇモンじゃなかったんですかい!?」
「あいつ滅茶苦茶だ! ここは一旦退いた方が……!?」
そんなユーリに手下である二人は完全に狼狽えてしまっている。まぁ無理もないことで、実際ウォーギャン自身も今起こった事柄を理解出来ないでいた。
しかし。
「いいや、寧ろチャンスかもしれねぇ……お前等! ちょっとばかしあいつのこと攻撃してみろ」
何がどうなっているのかは分からないがユーリが毒薬を飲んだのは確かなことだ。問題は本当に毒が効かない体質なのか、それとも毒が効いていない振りをしているかだ。
それを確かめる為に攻撃を仕掛ける。そうすることで奴の身体は激しく動き、動けばその分毒の回りも早くなる筈だ。それに効かない体質だったとしても単純に二対一の戦闘はこちらに分がある。そうウォーギャンは考えた。
「いやぁでも俺達なんかじゃあ返り討ちにあって終わっちまいますよ! ここはやっぱり逃げましょう!」
「うるせぇ!! つべこべ言ってねぇで行け!! 使われるだけが取り得のクズ野郎共がよぉ……!」
ウォーギャンの怒声に怯えビクつきながらも、行かざるを得なくなった二人は腰からナイフを取り出し、ユーリに襲い掛かる。
一心不乱に振りかざされるナイフ。しかしユーリには一向に当たらず、ただ空を切るばかりである。
「くそ!? な、なんでだ、なんで当たらねぇんだ!? ぐわッ?」
焦燥の色が滲み出ていた手下の一人がその場に蹲って倒れる。彼のガラ空きだった腹部に重い拳の一撃が突き刺さったからだ。
「……なんで当たらないかって? それはお前達の攻撃に意図が無いからだ。ただ闇雲に振り回しているだけじゃあ俺には通用しないぞ」
「く、くそッ!? ほざきさがれッ!!」
今度は顔面目掛けて飛んで着たナイフを一切の無駄が無い、必要最低限の動きで華麗に避ける。避けたと同時に素早く彼の手首を掴んだ。
「それにこのナイフ、所々錆付いているし、よく見れば刃こぼれもしている…………ナイフの基礎知識からしっかり勉強し直さないといけないなっと!」
相手の手首をしっかりと掴んだまま、ユーリは手刀でナイフの刃をへし折る。手入れが行き届いていない刃は角砂糖のように脆く砕け散った。
「ば、化けモンだ……! こんな奴に勝てるわけねぇ!!!」
それを見て完全に戦意を失った手下。ユーリがパッと手を離してやると尻餅ちを付いて倒れこみ、そのまま一目散に路地裏から姿を消してしまった。
「化けモンじゃあなくて俺は教師なんだけどなぁ…………」
去り際に言われた言葉に少し傷つきながらも、その目はしっかりとウォーギャンを捉えていた。
「残るのはお前一人だけになったけど、どうする? 誰の指示を受けてやったのかはこの際どうだっていい……しっかりサーシャに謝ってくれるのなら今回の件は見逃してやってもいいぞ?」
「へっ! 馬鹿なことほざきやがって……! この俺が、ゴミ同然のクソガキに頭下げるわけねぇだろ!!」
ユーリの譲渡を、そしてサーシャの事を侮辱するかのようにウォーギャンは地面に唾を吐き捨てた。
そして。
「いいぜぇ、やってやんよぉ……! てめぇらクズ共に俺が本物の才能ってやつを見せ付けてやるよ!!!」