六時限目 目に見える結果
狭い路地裏に連れて来られたサーシャ。眼前には大柄な男達の中で、一際不吉なオーラを放っている男が悪意に満ちた笑みを浮かべていた。
ジャック・ウォーギャン……男達のリーダーの名前である。
サーシャとが昔住んでいた居住区出身の彼は幼少時から悪名高い不良少年であった。度重なる暴力や非行に親とも縁を切られ町から追い出された彼は今ではここら一帯を餌場としているチンピラ紛いになっていた。
「で、話って何? 悪いけどウチ、本当に急いでるんだけど」
そんな極悪非道な男に狼狽えることなく、サーシャはしっかりとした口調で言い放った。
「忙しいところ悪いな。実はお前の教師に用があってだな……」
「せんせぇに用事?」
「ああそうだ。あるお偉いさんに頼まれてな、コレをその教師に飲ませてやりてぇんだよ」
そう言ってウォーギャンは徐に試験管を取り出した。中には透明な液体が入っている。何が入っているかは分からないが間違いなく飲んではいけない物だろう。
「コレをお前に預けるからよぉ、飲み物にでも仕込んで欲しいって訳よ……お前、そういうの得意だろ?」
ニヤついた薄笑いで、ウォーギャンは試験管をサーシャに渡そうとしてくる。しかし、当然ながら彼女が受け取る訳なかった。
「ウチがそんなことするとでも思ったわけ? せんせぇを殺すなんて絶対ありえないし!」
「おいおい、何も殺すとまでは言ってないだろ。ちょーっとだけ動けなくなるだけだよ。な、どうってことないだろ?」
「いや、そんなの絶対ウソじゃん! とにかくウチはアンタ達の企みなんかには――うぐッ!?」
不意にウォーギャンがサーシャの胸ぐらを掴み自分の方に引き寄せる。
「いい加減素直に従えよクソガキが! 魔法も碌に使えねぇゴミに、俺が存在価値を与えてやってるんだからよぉ!!」
額の血管が浮き出るほどウォーギャンは激昂し怒鳴り散らす。威圧感と罵倒で屈服させようという魂胆なのだろうが、サーシャはそれに屈することは無い。寧ろ余裕な笑みを浮かべられるほどの余裕があった。
何故なら彼の罵倒には間違いがあったからだ。
「…………ウチ、使えるよ。魔法」
胸ぐらを掴まれながらも、堂々と平然にサーシャが言った。その言葉にゴロツキ三人の表情も少しばかり曇る。
「ダークエルフの中でもクズなお前が魔法なんて使えるわけねぇだろ? 寝言は寝てから言えや」
「ううん、本当に使えるし。アンタ達何か余裕でぶっ倒せるくらい凄いやつ!」
「ほう、面白れぇじゃねぇか……。それじゃあちょっと使ってみろよ」
そう言ってウォーギャンがサーシャから手を離し、お手並み拝見と言わんばかりに腕を組んだ。他の二人組も好奇な目で彼女を見ている。
まるで端から何も期待していないような、何も出来ない事を見透かしているような視線がサーシャに集中している。こんな視線を彼女は今まで何回も、何人もの人間から浴びせられ続けて生きてきた。
(やってやる……! ウチだってやれば出来る子なんだって思い知らせてやる!!)
心の中でメラメラと闘志を燃やしながら、サーシャは習い立ての炎魔法を繰り出そうと試みる。
しかし。
「あ、あれ? 出ない……?」
ギュっと目を瞑り念じるように魔法を出そうとするも、その手からは何も出ない。
「なんで? さっきは出来たのに! なんで今は使えないの!?」
何度も繰り返し魔法を使おうとするも、その手から炎が出ることは無かった。焦りと混乱が彼女の闘志を激しく動揺させ、それに追い討ちをかけるように男達の汚らしい笑い声が路地裏に反響した。
「おいどうしたぁ? 早くご自慢の魔法を見せてくれや……まぁどうせ嘘ついたんだろうけどよ」
「違う! 嘘じゃないもん! ちゃんとせんせぇに教えてもらって、本当に使えるようになったんだから!!」
薄ら笑うウォーギャンにサーシャはそう吼える。だが、余裕の無くなった彼女の言葉は男達三人の笑い声に拍車をかけるだけだった。
「成る程、こんなクズ生徒を持たされる担任教師も所詮クズだってわけだ…………なぁ、サーシャ。俺がクズ教師の代わりに一つ良い事を教えてやる」
そう言ってウォーギャンが彼女の前に一歩を踏み出す。
「いいか、世の中っつうのはな、目に見える結果が全てなんだ。本当に魔法が使えるかどうかはこの際関係ねぇ。今この瞬間使えなかった時点で失格! 不合格!! お前は何の役にも立てねぇゴミクズ野郎なんだよぁ……!!」
一歩、また一歩と威圧するかのように近づいてくるウォーギャン。思わず後ずさりしてしまうサーシャ。しかし後ろには壁があり、これ以上後退することは出来ない。最早彼女にはこの状況を打破出来る術が無く、その場に力無く座り込んでしまった。
失格、不合格、ゴミクズ野郎に役立たず…………正直こんな言葉は生まれてこの方学校の連中や他の大人達から散々言われ続けてきたのでもう慣れてしまっていた。しかし、今だけは何故か胸を抉るように痛めつけてくる。
それは一瞬でも魔法が使えるようになったから。それが嬉しくてはしゃぎ過ぎてしまったから。こんな駄目な自分でも一生懸命頑張れば何でも出来るだなんて期待してしまったから…………。
(ほら、やっぱり頑張っても辛い目に遭うだけじゃん…………)
完全に心が折れてしまったサーシャ。そんな彼女の目の前にそっと置かれたのは、劇薬が入っている試験管だ。
「これが最後のチャンスだ。俺の駒になって教師にコレを飲ませろ。それがゴミカスなお前が他人様の役に立てる唯一の方法だ。勿論、報酬だってちゃあんと山分けしてやるからよぉ……!」
上から目線で乱暴な言い方をしながらも微かな希望の言葉を仕込ませながら、ウォーギャンは座り込む彼女にそっと手を差し伸べる。まるで一服盛るように仕込まされた言葉は、サーシャの折れてしまっている心を容易に蝕んで行った。
(せんせぇの言ってた通り、もうちょっと補習授業頑張ってればよかったのかな…………?)
一つの後悔が生まれながらも、サーシャはウォーギャンの手を取ろうとする。
ダークエルフで役立たずの自分。そんな自分が目に見える結果を出すにはもう他に方法はないのだから――。
「――サーシャッ!!!」
手が触れ合う直前、あと数ミリ単位の所で路地裏に大きな声が反響する。握りかけた手を引っ込めたサーシャとウォーギャン達の視線が一斉に声の主へと集まる。
薄暗くなってしまった夕日の、僅かながら燃え盛る赤色の光を背に、彼女の担任教師であるユーリが駆けつけたのであった。