二時限目 男の弱点
勇者カバジェロが魔王を倒し、人々に平和と希望が戻ってから実に百七十年余りが経過した。
「全ての国民に幸があらんことを」という意味を込められ新たに作られたこの国では、人々に平等な暮らしを提供し、魔王が打ち滅ぼされた後、行き場を失った魔族や知性のあるモンスター達にはかつて魔王が支配していた土地をそのまま居住区として与えた。
誰もが平等に、平和で幸せな暮らしを願った国。しかし、そんな願いとは裏腹に居住区の人々の暮らしは貧しく、激しい迫害を受けながら明日も分からない不幸な生活を送っていたのだった――。
「――そんな時、建国八十九年に起こった魔族主体の運動のことを【自由国民権運動】と言う。この言葉と年号は次のテストに出るからな、しっかり憶えるんだぞ」
爽やかな春の日差しが照らす教室の中、担任教師であるユーリは黄色いチョークでアンダーラインを引き、指し棒を使いながら必死に教えていた。
期末テストの範囲であることも勿論なのだが、この運動のお陰で今日の平和があることを生徒の皆に知って貰いたい。普段よりチョークの色を濃くしたのはその為だったのだが……。
「……それでね、その男がずっと付いてくるからマユ怖くなっちゃって、思いっきり股間蹴り上げてやったんだよねぇ」
「おいおいそりゃあ男の方が災難だったな。【男の弱点】にマユの蹴り喰らっちゃあ一溜まりもねぇだろうよ」
「…………ふむふむ、股間は男の弱点ね。メモメモっと」
そんなユーリの熱弁も虚しく、教室内には授業と全く関係の無い声で賑わいをみせている。ユーリは誰の耳にも聴こえないよう小さくため息を零し、ズレたスーツベストの袖を直してから。
「マユ、レベッカ。授業中なんだから変な話するの止めてくれないか?それと、サーシャもそんなことよりこの単語覚えてくれよ」
なるべく反感を買わないよう、優しく注意をしてみる。おっとり系のマユは気の抜けた返事で、気の強いレベッカは軽く舌打ちで返答している中、サーシャだけはニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「えぇー、ウチにとっては、その何ちゃら運動よりよっぽど大事なことなんだけど。男の弱点ってことはせんせぇの弱点でもある訳じゃん? せんせぇの弱みは沢山知っておきたいんだよねぇ」
「俺の弱点なんか覚えてどうするんだよ、何の使い道も無いだろ?」
「ううん、一杯あるよ使い道。例えばさぁ……」
そう言ってサーシャは教壇の方へ歩いていく。彼女が歩くたびに老朽化された床が軋み、その音がユーリの心中を妙にざわつかせた。
「……ねぇねぇ皆聞いてー! ウチさぁ、実は今日同じベットでせんせぇと寝てたんだよぉー! 朝ご飯も一緒に食べて、一緒に登校してきちゃったさぁ!!」
彼女の発言に教室内には悲鳴にも近い驚愕の声が鳴り響く。当の本人はユーリの腕に抱きつき、自慢げにピースサインを作った。
「さ、サーシャ! 誤解されるように言うのは止めろ!! 皆も騙されるんじゃないぞ!? これは寝起きドッキリだったわけで……つまり俺は嵌められただけなんだ!!!!」
「いやいやハメたのはせんせぇの方っしょ~。あんな情けない声挙げちゃってた癖にさぁその言い訳は酷くない?」
その言葉に続き、他の生徒からはサーシャを擁護する声とユーリに対する罵声、ブーイングが飛び交う…………これでは授業どころの話ではないな、とにかく生徒の皆を落ち着かせなければ!
「はい! この話はもうお終い!! 授業再開するから皆一回落ち着いて!! サーシャも席に戻れ!」
「おいおい先公よぉ、自分の生徒に手ぇ出しといてそれは無ぇだろうよ! ちゃんと一から全部説明して貰わないとよぉ!」
「そーだそーだ! ちゃんと教えてくれない先生の授業なんて、マユ受けたくないでーす!」
落ち着かせようと思った矢先、レベッカとマユがここぞとばかりに大きな声で言った。これで教室の雰囲気はユーリにとって完全アウェイ、まさに四面楚歌の状況になってしまった。
「ね? 一杯あったでしょ、使い道」
サーシャがユーリの顔を下から覗き込み、言った。
そんな彼女にユーリはため息でしか反応出来ず、長い長いため息と同時に終業を告げるチャイムが鳴ってしまったのである。