第一章-3 実力はあれど……
信じられなかった。漫画の世界だけだと思っていたことが現実に起きるなんて。
でも、そう考えないと納得が出来ない。突然自宅が異常な空間になっていたことからして、現実では説明することが不可能だ。
「ええっと。ですから、ここはウラヘイルムで――もしかしてさっきの攻撃を避けた時に頭をぶつけられたんですか⁉ どこか怪我をされたのなら今すぐ治療しますね!」
少女は慌てた様子で俺に近寄る。綺麗な顔立ちとふわっとした髪から女性特有の甘い匂いがするのを感じる。思春期の男の子なら唐突なその行為にドキッとしてしまうかもしれないが、俺は未だに仕舞われず、少女同様に慌ただしい動きを続けるロングソードの方がドキドキ、いやハラハラしてしまう。
「俺は至って健全ですから大丈夫です! うつ伏せで倒れたんですから頭は打ちませんからね! それと剣仕舞ってください! 怖いですから!」
「あっ。ふわわわわっ! ご、ご、ごめんなさい!」
「慌てないでください! まずは落ち着いてその剣を仕舞って!」
カタカタ震える少女の手を押さえ、腰にある剣鞘にロングソードを収める共同作業をする。目の前に凶器が無くなったことに俺は落ち着くことが出来た。が、少女は未だに落ち着いていないようだ。
「えっと異世界って言うのは地名じゃなくて、全く異なる世界のことで、俺は恐らくこことは違う世界からこの世界に何らかの原因で連れてこられたんです」
「違う世界?」
「そうなんです。マンション――家に帰った途端、突然ここに飛ばされて」
今までのことをさっき会ったばかりの少女に全て話した。少女の常識と俺の常識の違いを説明した。
「つまり――あ。私はステラ。ステラ・イシリオルと言います」
「そう言えば名前も教えていませんでしたね。望月恵太と言います」
「モチヅキさん、ですか。異世界は変わった名前の人が多いんですね」
「どっちかと言うと恵太の方が名前かな? 望月は苗字と言って――ステラさんのイシリオルと一緒だと思うんですよ。ステラさんの親もイシリオルさんじゃないですか?」
この世界がもしアメリカなどの海外と一緒なら始めに名前が来て、その後苗字が来る。ステラと言う名前は地球でもよくある名前だからそうじゃないかと疑ってかかった。結果、「そうです、私たちの家はイシリオルの一族と言います」少女から予想通りの答えが返ってきた。
「ケイタさんはこの世界に理由も無く連れてこられたんですね……。帰る方法はあるんですか?」
「分からないんだ。そもそもこうした事例自体が今までに無かったことだからどうすればいいのか、さっぱり分からないんだ」
俺が異世界転生の知識を持っているのは漫画や小説と言った架空世界、フィクションから学んだものであり、現実で事件になったこともニュースになったことも無い。だから、対処法も分からない。
では、漫画や小説だとどうなっているかと言うと――大概は永住してしまっている。けど、そうなると俺としては色々困る。
単位の話。留年の話。
失踪の話。拉致や事件性に発展する話。
そもそも――明日のバイトを無断欠勤してしまうこと。
「分かりました。なら、私が助けてあげます!」
前例がない、先の見えない絶望。
ピクニック日和な世界とは裏腹にそこだけ曇天な俺に、手を差し伸べてくれたのは、会って数分しか経っていない少女だった。
「どんなに困難なことであっても解決策はどこかに必ずあるはずです! 私たちイシリオルの一族は困っている人たちを放ってはおきません! それが勇者の一族である私たちの、そして現勇者である私の役目です!」
両手を優しく覆う手とステラさんの笑みに心が洗われるようだった。
そして、俺は気になったことを打ち明けた。
「勇者――の末裔?」
「はい! だから人助けをすることが私の役目なんです!」
剣や魔物、コンクリート整備されていない広大な草原から中世のような異世界を想像していたが、まさか勇者が存在するとは。それも第一村人ならぬ第一異世界人が勇者だったとは。
でも納得がいく点はある。先ほどの狼、魔物の群れを退治した際、ステラさんはロングソードを鞘から抜いていたから。自身の得物を利用して魔物を退治したと思われる。
しかし、彼女は俺を挟んで狼とは対極に立っていた。そうなればロングソードを投げでもしない限り狼には傷をつけることさえできない。それなのに狼は真っ二つに、それも一匹残らず切り裂かれていた。
物理法則を無視した討伐の仕方。
それを可能に出来るのは、戦闘のエキスパートだけという結論に俺は至った。ただの魔法使いかもしれないし、一塊の傭兵が武勇伝を広める為に大袈裟に言っているだけかもしれない。
それでも、魔物が蔓延る世界において、非力な俺が寄り添うことが出来る存在が名乗り出てくれたことは非常に喜ばしい事である。
「ただ、言った矢先で申し訳ないんですけど、異世界から来た人をエスコートするのは初めてですから、私にもどうしたらいいのかさっぱり分からないですから、ご迷惑をおかけすると思います……」
「そんなこと気にしないですよ。現地の人がいるだけで心強いですから!」
「本当ですか? そう言ってもらえると嬉しいです!」
ステラさんが可愛く両こぶしを握る。その姿に絶望的な状況であるにも関わらず勇気を貰う。
「それではまず首都へ向かいませんか? 人が多い所であれば情報も自ずと集まってきます。何よりしばらくこの世界で生きる為には衣食住が必要ですからね。まずは安全な場所を確保しましょう」
「流石に一日でどうにもならないですよね……。所で、街にはどうやって行くんですか?」
周りを見る限りどこまでも続く草原。街どころか建物、木すら見えない。
「ここから一番近い町ですと、ヘインスと呼ばれる田舎町があります。そこからなら馬車が出ていますので一番近くにある宗教都市セイスキャンへ行けます。ですからまずはヘインスへ向かいましょう」
「まずはヘインスに向かうんですね。で、そこまではどうやって?」
「それは、歩いてですよ?」
「……どれくらいかかるんですか?」
どこまでも広がる地平線に嫌な予感しかしない。
「二時間」
その予感は的中する。