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前金三万じゃ足りません。 ~鏑木湊斗の不器用な霊視商法~  作者: 黒崎リク
第一話 黒い四階 ~前金三万じゃ足りません~
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(4)


 ドンッ、と目の前の扉を強く叩く。


 ――けて――お――い――や、く――


 あ――や――わ――やく――


 ドン、ドン、ドン、ドン!

 握った拳が痛くなり、柔い皮膚は破れて血が滲む。

 それでも、痛みも熱さも忘れて、ひたすら扉を叩く。


 ――あけて――あけて、はやくあけて


 ――おねがい――たすけて、だれか


 ぺた、ぺた    ぺた、ぺた


 裸足の足音が近づいてくる。

 背後の闇から、何かが近づいてくる。


 ――いやだ、こないで、こないでよ


 怖くて、振り向けない。見たくない。

 ただひたすらに、扉を叩く。


 ドン!    ぺた


 ――おねがい、あけて!


 ドン、ドン!    ぺた、ぺた……たっ


 足音が途切れた。

 ヒュー、ヒュー、と何かの呼吸がすぐ後ろから聞こえる。背筋が凍った。


 ――っ、い、やだあぁぁ! あけてぇぇぇ!!


 血に濡れた掌で、狂ったように扉を叩くその耳元に、生臭い息がかかった。

 何かが、笑っていた――




***




「っ……!」


 ばっと目をこじ開ける。

 先ほどまで広がっていた暗闇はなく、視界は白く眩しい。自分がどこにいるのか、一瞬わからなくなる。

 息苦しくて、短い呼吸を数度繰り返す。口の中がからからで気持ちが悪い。滲ませた唾を飲み込めば、喉がじわりと痛んだ。

 何度か瞬きして、ぼやけた視界がようやくはっきりしてきた。

 見下ろしたノートの白いページには、文字の形をとっていたものが、途中からミミズがのたくったような線となって描かれている。

 湊斗みなとは、度の入っていない眼鏡を掛け直すそぶりをして周りを見た。

 湊斗がいるのは工学部の203教室、後ろから三番目の窓際の席。四限の講義の真っ最中だった。

 ――ここは、現実だ。

 ほっとして息を吐くと、頭の奥がずきりと痛んだ。

 湊斗は気を落ち着かせるように、左手首に着けている水晶の数珠をいじる。一個ずつ珠を手繰って、頭の中で数を数える。百まで数えたときには、頭痛は治まっていた。

 だが、もう講義に集中できる気がしない。後で誰かに借りようとノートを取るのを諦め、湊斗は頬杖をついて窓の外を見る。

 講義中に油断して、無防備な状態で居眠りしたのは久しぶりだった。こうならないように、いつも決まった時間に昼寝するようにしているのに。


 ……あいつのせいだ。


 昼休み、非常階段で水宮みずみやが去った後、湊斗は呑気に昼寝なんてできなかった。

 はじめは、水宮との約束をすっぽかして――そもそも湊斗は了承していないのだし――、そのまま午後の講義をサボって帰ろうかと考えた。

 だが、学費を祖母と叔父に借りている分、講義をサボることはしたくない。

 それに、水宮はなぜか湊斗の取っている講義、教室も知っていた。他学部の学生で尚且つ初対面の湊斗の時間割を、水宮は完璧に把握していたのだ。最初から湊斗のことを知っていて、調べ上げているようだった。たとえ今日は水宮と会わないようにしても、いずれ彼に捕まりそうだ。

 水宮から『前金三万』を受け取ってしまったのも痛い。

 今思えば、彼が三万円出してきた時点で警戒して無視すべきだった。安易にひやかし客だと思って、受け取ってしまった数時間前の自分を殴りたい。湊斗の手元にこの三万円がある以上、水宮を無視しておくわけにもいかないのだ。

 あれこれと考えあぐねているうちに休み時間は終り、結論の出ない状態で講義を受けていたが……。



 ちらりと時計を見れば、あと五分で四限が終わるところだった。こんな時に限って、教壇の講師は「今日は少し早めに終わりますね~」なんて言う。

 やった、と隣でさっさとテキストを片付け始める男子を横目に、湊斗はゆっくりとした動作で筆記具をまとめる。

 頭の片隅で、今なら急いで教室を出れば水宮に出くわさずに済むんじゃないかと考えもしたが、夢見の悪さが後を引いてやる気も出ない。

 諦め悪くだらだらとしたペースで、湊斗がテキストをバッグに入れ終わった頃だ。

 教室の前方の扉付近が騒がしいことに気づく。集まっているのは主に女子……で、何となく察しが付いた。

 裏付けるかのように教室の前方に向かう女子達が「水宮君がいるって!」「うそ、マジ!?」「何で工学部に?」とはしゃぐ声が聞こえてくる。

 現役大学生モデルの水宮慧――学内一の有名人の突然の来訪に、半分以上の学生が前方の扉に注目していた。逆に、後方の扉を出て廊下からアプローチする女子学生もいる。


 ……あ。今ならこの騒ぎに乗じてやり過ごせるんじゃね?

 そうだ、今日はもう疲れたから、明日以降に水宮に対応すればいい。なんなら、数少ない友人に頼み込んで、間接的に水宮に三万円を返す方法だってある。避けに避けまくったら、あいつも諦めるかもしれない。


 悪魔のささやきに従い、湊斗はそろそろと後方の扉へと向かう。前方の方では「鏑木君? 誰だっけ?」「いる?」なんて会話が聞こえ始めている。

 急がねば、と湊斗は後方の扉を出て、前方の人だかりに背を向けて一歩踏み出した時だった。


「――鏑木君! 鏑木湊斗君」


 無駄によく響くいい声が、背中にぶち当たってくる。

 振り返ると、人だかりから頭一つ飛び出た長身の水宮が微笑んでいた。


「待ってたよ。約束、忘れてないよね?」


 水宮の言葉に、周囲の学生達の視線が一気にこちらへ向かってくる。


「……」


 この場から逃げられないと悟った湊斗は、渋々頷いた。


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