黒の指輪
燃えている。
俺を連れて、庭を駆け回る少女の姿。遠慮がちに袖を引っ張り付いてきて欲しいとねだる少女の姿。
頭を抱えながらも、苦手な勉強に取組む少女の姿。友達を作ろうと勇気を出して声をかけようとしている少女の姿。
俺と婚約を交わし、恥ずかしそうに微笑む少女達の姿。
心の内で全てが黒い炎に包まれ、やがて灰となる。
「レイ⋯⋯、あんた何持ってんの?」
「まさか、わたしたちと戦うつもりですか?」
目前には、こちらを無駄な足掻きだと嘲笑う聖女が二人。
左手に焼け爛れるような痛みが走り、やがて俺の手に握られていたのは、指輪が形を変えて作り上げた黒い剣。
「あんた、三日前にハヤトに殴りかかろうとして、私達に手も足も出ずに打ちのめされたことをもう忘れちゃったの? 本当に愚かね」
覚えてるさ。ただ信じて待っていた俺への返答があれだったのだ。その屈辱は忘れることは無い。
「ああ、そうだな。きっと愚かなのだろう、俺は。ただ、こちらも二日前に生まれ変わった身でね。もうすべてを受け入れて一人で嘆くつもりは無いんだよ」
「はあ? 何言ってんの? 気でも狂ったの?」
怪訝そうな表情でこちらと、その手の剣を見据えるリーティア。
「まあ、もうこれ以上あんたと話し合うつもりも無いし。さっさと退場してね、さっきから言ってるけど目障りよ」
剣先がこちらを捉える。こちらへ剣を向ける彼女は、教会のステンドグラスから入る鮮やかな光に照らされて、神聖な雰囲気を纏い、まるで聖女のようだった。
なんて皮肉を考えながら、俺も剣を握り直す。
三日前の俺と、二日前からの俺とで違うこと。それは、心持ちもそうだが、何よりこの黒い指輪の存在である。
確かに以前の俺では、【剣の聖女】である彼女と刃を交えたところで、一瞬の内に葬り去られたであろう。
だが、直感的に理解出来たこの指輪に込められた権能。
おそらく、勇者達に苦戦を強いられることは無いのだろう。
その事が俺に安堵をもたらすと共に、人は所詮、神々の玩具でしかないのだろう、という事を認識できてしまい虚しくなる。
「もう、あんたの知っているあたしじゃないの。その事を無理矢理にでも理解させてやるわ!」
構えた状態から、こちらへ突っ込んでくるリーティア。
俺はフィナの方を一瞥するが、動きはないようだ。リーティア一人で事足りると判断されたらしい。
リーティアの振るう剣が光を纏い、一閃。
これが彼女が五年間の修練と旅から身につけてきた一撃。
そして刃の競り合う甲高い音が教会に響く。
「⋯⋯どういうこと?」
剣を受け止められた彼女が、まるで理解できない事象だというように呟く。
実際、今までの人同士の剣戟においては、例外なくこの一撃で方がついたのだろう。
受け止める事が出来たとしても、そのまま【聖女】の加護による力で剣ごと切り捨てられたはず⋯⋯
おそらくそんな所か。
だが、黒き指輪に付けられた楽園の神々の加護がそのような人智を超えた能力を封じ込める。
指輪の権能は「女神の加護を打ち消すこと」だと、誰に語られるわけでもなくわかった。
「俺は愚か者ではあるけれど、何の策もなく牙を向くほど無謀でもないよ」
鬱陶しそうにこちらを睨みつけるリーティア。
「ふーん⋯⋯何だか知らないけれど、少しは戦えるようね、良かったじゃない。一方的な惨殺じゃなくて、戦いの果てに死ぬ事ができて」
彼女の言葉も空虚に聞こえる。加護の無い彼女は、ただの剣を持った少女に過ぎない。
なんという皮肉だ。俺が求めていたものは、それを諦める選択をすると簡単に手に入ってしまった。
【聖女】ではなくて俺の婚約者であった普通の少女。
だが、もう再び手に入れようとは思わない。彼女を惜しく思う気持ちも何も残っていないのだ。
再び剣を振るってくる彼女をいなし、今度は彼女を押し返す。
「ちょっ、何なのよ! おかしいわ!【聖女】のあたしが⋯⋯こんな」
【剣の聖女】とは、伝承では剣の一振りで山を砕く程の凄まじさだったという。
彼女がそこまで至ってなかったとしても、人間一人にここまで手こずる事は有り得ないのであろう。
「何をやっているのですか? リーティア姉様。そんなんじゃハヤト様に失望されてしまいますよ」
呆れながら、リーティアに声をかけるフィナ。彼女達への情を捨ててから、改めて見る二人はあまりにも醜すぎた。
「ち、違うの! こいつが変な力を使うから、ハヤト! 誤解よ!」
「本当ですか? 元婚約者だからって情けをかけてるんじゃないですか?」
喚くリーティアに、それを歪な笑みを浮かべながら咎めるフィナの姿。身内でも足を引っ張りあい、ただ勇者からの寵愛を独占しようとする浅ましい姿。
「まあまあ、フィナ。君も手伝ってあげたらいいじゃないか」
「はい! 勇者様が仰られるなら、もちろんです!」
勇者の提案を肯定して、フィナもこちらへ杖を向ける。
リーティアと刃を交えることで、確信した。
だが、もう一歩だけ躊躇わない⋯⋯いや、無理やり納得するための理由が欲しい。
「なあ、最後に確認したいんだ。勇者を選んだのも、マリアを陥れたのも、父さんたちを殺したのも⋯⋯全部、お前らの意志か?」
意味の無い問いだ。答えはもちろん知っているし、この返答がどうであれ、俺は傷つく事になる。
問いかけに対し、二人は顔を見合わせた後、
「ええ、そうよ、全部私が勇者様のためを思って実行、協力、選択したこと。あなたを可哀想だとも思わないわ」
「もちろんです、わたしの意思で勇者様を選びましたとも、まさかマリアさんと同じように洗脳されているとでも思い込みたかったんですか? 残念でしたね、あなたは選ばれなかっただけですよ」
淡々と語る、どこまでも歪みきった恋をする少女達。
もう充分だ。彼女達への情が残らぬ今、湧き上がるのは、何故こんな少女達を想い、勇者へ嫉妬していたかという悔恨の思い。
「わかったよ、俺からも、もう話すことは無い」
残されたのは唯々薄汚れた復讐心のみ。
「さっきから⋯⋯いい気にならないで頂戴。」
「聖女二人を相手に何を気取っているのですか、滑稽にしか映りませんよ」
そう言って、フィナが詠唱を始め、リーティアが横薙ぎに剣を振るう。
聖女の力は確かに絶大だと思う。が、それは聖女の力が優れているのであり、彼女達自身を指すわけではない。故に、その力を取り除くことができる今は⋯⋯。
実際に、彼女達の振るう剣や魔法は稚拙だ。ただそれに一度でも当たれば、死ぬというだけで。
こちらへ飛来する氷の槍を剣で切り落とし、そのままリーティアの剣を弾き返す。仰け反ったリーティアに蹴りを入れ、そのままフィナの元まで突っ込む。
「な⋯⋯いやっ!?」
近接距離で何の策も持っていない魔術師など、ただの獲物でしかない。
急ぎ詠唱をしようとするフィナの足に剣を突き立てた。
フィナが潰れた声のような悲鳴をあげる。そのまま突き立てている剣に、代償を払い願いを込める。
剣先から黒い炎が燃え上がり、フィナを蝕んでいく。
「な⋯⋯なんですかこれ⋯⋯」
呻くような声を上げ、その場に崩れ落ちる。そのままこちらを睨みつけ、魔術を使おうとするも、
「嘘⋯⋯なんで? わたしの魔術が⋯⋯魔術がぁ⋯⋯」
「加護ならもう使えないと思うよ⋯⋯。同じく加護を持ったマリアの治癒なら治せたかもしれないけれど、君たち自身で切り捨てたのだし」
「いや⋯⋯いや! これじゃあ勇者様に必要とされない⋯⋯守ってもらえない⋯⋯」
この期に及んでまで勇者か。喚くも動けないでいるフィナを放って、今度はリーティアの方へ向き直る。
「げほっ⋯⋯何なのよその剣⋯⋯。私たちの加護は⋯⋯」
蹴られた腹部を抑えながら信じられないような顔をして怯えるリーティア。
フィナと同じように黒い炎を纏わせた剣を突き立てる。
「わ、私達に手を出して、ハヤトが許すはずないんだから⋯⋯」
「勇者の許しなんて、絶対に乞わないよ」
そのまま二人とも痛みから苦悶の表情を浮かべ、気絶した。
蓋を開けてみれば呆気なく終わった【聖女】との戦闘。だが、自分の婚約者二人が斬られたと言うのに、勇者は唯々、不気味に笑うのみ。
「何が可笑しいんだ、自分の婚約者がやられて笑っていられるのか、お前は」
「いや、流石に【ラスボス】は違うと思ってね。正直、彼女達が僕以外に負けるところを見たことはなかったんだが、最後の一戦は一味違うというわけか」
そう言って、聖剣を呼び出し、女神に向かい勇者は高らかに宣言する。
「見ていてください! 女神エンゼリカ! 彼を見事打ち破り、貴女を手に入れてみせましょう!」
だが、女神は俺の握る黒い剣をじっと見るばかりで、勇者の言葉には反応しない。
「まさか⋯⋯その剣が私の加護を消している? そんな事が出来るのは⋯⋯あの神々が戻ってきた?⋯⋯勇者よ、急用が出来ました。私は一旦元の場所へ戻ります。その間の時間稼ぎをしなさい」
「ええ、わかりましたエンゼリカ。僕達の結婚の準備をするために一度戻るのですね? この勇者ハヤトにお任せ下さい」
傍観に徹していた女神が急に慌てだし、逃げ出そうとする。逃すまいと女神を追おうとするが、
「おっと、どこへ行くんだい? 君の相手はこの僕だ。エンゼリカの所には行かせないよ」
「勇者⋯⋯。こいつらは放っておくのか? お前の婚約者だろう」
そう言って俺は剣で倒れている二人の聖女の方を指す。
「大丈夫に決まっている。 彼女達が愛しているのはこの僕だ。つまり助かる。」
「お前の言っていることは何一つ理解できない」
「簡単で当然の話だよ。勇者にはハッピーエンド、これは絶対の決まりだろう?」
その言葉一つ一つが全て狂言にしか聞こえない。
「ま、御託を並べても仕方がない。【ラスボス戦】を始めようじゃないか! ええと⋯⋯そうだ! レイ・オルロスト君!」
「随分と今までこの世界で勝手をしてくれたみたいだな、異世界の勇者、アマカケハヤト。」
勇者は神々しく輝く聖剣を、俺は禍々しく燃える黒剣を構える。
勇者の前に敵として認識されて立つのはこれが初めてだ。
俺から全てを奪っていった勇者。
奪われた物のほとんどは俺にとって二度と取り返す事のできないものとなった。
だが、それでも取り返したいもの、ただ一人俺を信じ抜いた故に悲劇へと陥った聖女を。
この勇者は無情にも切り捨てた。
「僕は【聖女】達とは格が違うよ?」
「なら俺はさらに多くの対価を支払うまでだ」
両者の剣が今、交わり⋯⋯。
―――――――――
女神エンゼリカ
「まずい⋯⋯まずいわ」
私は急ぎ、勇者達の式場を出て、教会の一室へと駆け込んだ。
レイ・オルロストが使っていた指輪が形を変えた剣。その炎にどこか見覚えがあったが、今まで思い出せなかった。
だが、聖女達が為す術もなく敗れたのを見て、その力が何なのかを思い出した。
あれは、過去に私を受け入れなかった男神の⋯⋯私が魔王として封じた女の夫である男神の力だ。
何故、レイ・オルロストが私の誘いに乗らなかったのか不思議でならなかったが、先にあの女神と男神に出会っていたのならば納得だ。
それはつまり、私が偶然ではなく、意図的に彼から婚約者達を遠ざけたこともばれている、という事であり。
「何なのよ! 何でまた手に入らないのよ、理解できないわ! 私より美しい者など居ないというのに⋯⋯男神も、レイ・オルロストも、なんで!?」
だが、不満を叫んでいても仕方がない。あの指輪の力は私にとって危険だ。
勇者に時間を稼がせている内に、この世界を管理している神の部屋へと帰らなければ。
きっと、勇者は死ぬであろう。レイ・オルロストが手にしているのは私より高位の神の力だ。
今回、レイ・オルロストが手に入らないのは不満だが、何よりもあの力に対抗する準備を整えるために、今は一度引くのだ。
この世界に降りるのにも、帰るのにもある程度力を消費する。戻ったら、また信仰を深めるために、世界各地の魔物でも暴れさせてから、英雄を作り上げればいい。
「やるべき事は増えたけれど、次こそは失敗しないわ。私の欲しいものは全て手に入れてやる、どんな手を使っても⋯⋯」
「次なんて無い」
え? と、声を上げる前に私の背中に剣が突き刺される感覚。
「な⋯⋯?」
何故ここにいる? 彼は勇者と戦っていたはずでは?
「色々と聞かせてやりたい恨み言もあるが、まあ最初に言うべきなのは。」
復讐に来ました、女神様。
1話増えそうです。見通し甘くてすみません。
勇者パーティーはこれで退場ではありません。