由美と、達也と、さやか
「だからさ、この数式は……」
達也が丁寧に、受験用の問題を解いてくれる。由美は真剣にそれを聞いて、分かったという印に軽くうなずいた。
「お前、実力はあるじゃん。今まで努力しなかっただけなんだなぁ」
達也があきれるように言った。
「だって……高校を卒業したあとの目標とか、あんまり気にしてなかったし」
由美は問題を解く手を休めて答えた。
放課後の教室。グラウンドから体育系の部活に励む高校生たちの声が聞こえる。
由美は幼なじみの達也に勉強を教えてもらい、自習していた。
達也とは10年以上の付き合いになる。
保育園も、小学校も中学校も同じ。もちろん高校も。
親同士も、いずれは結婚するかもね、なんて言葉が出てくるくらいには仲がいい。
しかし、由美には、ほかに好きな人がいた。
この春に卒業していった柿野先輩だ。卒業式に告白をして、受け入れてもらえた喜びと、これから猛勉強しなければならない苦しさを感じて、成績の良い幼なじみの達也に勉強のフォローをお願いしたのだ。
達也はそれを聞いて、複雑な表情をしていたが、引き受けてくれた。
放課後に残る二人を見て、友だちはお熱いね、なんて声をかけてくる。
「そ、そんなんじゃないってばー」と、由美は真っ赤になって反論した。
達也はそんなとき、まんざらでもなさそうな表情を浮かべるので「達也も違うって言いなよ」と由美はあきれていた。
「じゃあ、次の問題な」
達也はいつものひょうひょうとした顔つきになる。
由美は達也が話し出すのを待っていた。
「もし、さ」
達也が勉強以外のことを口にした。
「ん、なに?」
「俺にしとけって言ったらどうする」
「え?」
「遠くに行った柿野先輩なんかほっといてよ、俺と一緒になろうって言ったら」
「……本気?」と、由美は驚いたように尋ねる。
「……嘘」
達也は微笑んだ。
「ちょっと、もう!」
由美はこぶしを振り上げた。
「わ、悪かったって」
達也は笑った。だが、その表情にかすかな寂しさがあったのを、由美は気づかないふりをした。
今の言葉は、達也の本心かもしれない。
そう簡単に本音を言うヤツではないから、せめてジョークで自分に告白してきたのかもしれない。
「あんたにだって、お似合いの子がいるでしょ」
由美は意地悪そうに言う。
ガラリと教室のドアが開く。
「いよっ、お二人さん。今日も熱いねー」
入ってきたのは、もう一人の由美と達也の幼なじみ、さやかだ。勉強に加わるわけではないが、二人が自習しているところへやって来ては一緒の時間を過ごしている。
三人で、昔はよく遊んだ。秘密基地を作ったり、流行りのおもちゃで遊んだり。
楽しい時はあっと言う間に過ぎ、三人とも高校三年生になった。
卒業してそれぞれの道を歩むことになるのも、もうすぐだ。
「さっちゃん」
由美はほっとしたように、さやかを見た。
達也の告白まがいのジョークを、意地悪く返してしまった元の原因だ。
さやかは達也が好きだと、以前、由美に言っていた。
もしかしたら、今がそのことの、結果を確かめるときなのかもしれない。
由美は真剣な顔つきになった。
「さっちゃん。さっちゃんは、達也のことが好きなんだよね」
「えっ、う、うん」
さやかはすこし顔を赤らめた。
「達也はさ、さっちゃんのこと、どう思う?」
「……おいおい」
達也は困ったように笑った。
「どうなの」と、由美。
「さやかは大切な友達さ。卒業したって、ときどきは会いたい」
「そっか。そっかあ」と、由美は笑った。
さやかと達也。お似合いだと、由美は思っている。
柿野先輩を追って、由美が遠い大学に行ったら、さやかと達也は、あとは自然にくっつくだろうと予想できた。
だからこそ、きわどいジョークは、ジョークでなければならない。
「わたしなんかより、さっちゃんのほうがずっといい女だよ。達也、わたしがいなくなったら任せたからね」
由美は真顔でそう告げた。
「分かったよ。冗談言ってごめんな」
達也も真面目に答えた。
「じゃあ、次の問題!」
由美は勢いよく、えんぴつを握りしめた。
「……このままさ。時が止まっちまえばいいのにな」
達也はぽつりとつぶやいた。
「何よ、勉強手伝ってくれないなら、ジュースおごらないよ?」
由美は達也に文句を言う。
「はいはい。由美には負けるよ」
達也は肩をすくめてみせた。
「……次の問題は……」
由美と達也が勉強しているところを、さやかがにっこりと笑いながら眺めている。
夕日が教室に差し込み、あたりはオレンジ色に染まり始めていた。