どうやら毒リンゴになったようです
異世界トリップというものは聞いたことがあった。
ある日突然、なんの脈絡もなく、異世界に飛ばされてしまうという物語だ。
古今東西、特にライトノベルには多い話だったし、今さら目新しさは感じない。だが、それは、自分の身に起きなければの話だった。
音成林檎、17歳。人生最大のピンチである。
今、私の目の前でほくそ笑んでいるのは美女だった。真っ黒いドレスに身を包み、その上から真っ黒いローブを身に着けているという、地味なんだか派手なんだか分からない恰好。ショールみたいな薄いローブだから、彼女がとびっきりのボディラインをしているのは隠せなかった。
今まで見たどんな綺麗な女優さんより、美人だ。街中を歩いていれば、10人が10人、どころか歩いていない11人めまで食いついてきそうな美人だ。
私もまた、状況も忘れて彼女の美貌に釘づけだった。
状況。そう、状況が悪い。私は、硬い石の台の上に寝かされ、手足を縄で拘束されている。その上、私の首の真上には、今にも落ちてきそうなギロチンがあったのである。
「あ、あのう。……差支えなければ、教えていただけないでしょうか」
拘束されたまま私がそう尋ねると、彼女は意外そうな表情を浮かべた。
「おや、このリンゴは口を利くのか」
「利きます、利きます、喋れます。自慢じゃありませんが、三カ国語くらいは余裕です。ですから、どうか、こう、せめて説明をですね……」
ちなみに三カ国語というのは、日本語(共通語)と日本語(地元方言)と英語のことだ。その英語だって期末テストでそこそこはとれるかな、というレベルなので、実践には自信がない。外国人と話せとなれば挙動不審になるのは間違いない。
「説明など、不要であろう?そなたは今から生贄になるのじゃ。我が国の白雪を弑するための、尊い犠牲というわけじゃ。光栄に思え?」
「と、尊い犠牲って、それはその……。やっぱり、この、ギロチンを使って……?」
「そうじゃ」
美女はにっこりと笑った。
「そなたの首から流れる血を使って、毒薬を作るのじゃ。鏡に最高の生贄を――魔法の毒リンゴを賜れと念じた結果、そなたが現れたのじゃからな。」
「……」
絶句した私に、美女は楽しそうな様子を崩さなかった。
「さて。ではさっそく実行と参ろうではないか。あいにくと、首が落ちるほどの出血をさせると、あちこちに飛び散ってしまうであろう?血の汚れはすぐには落ちぬ。わらわは別室で待機しておる」
美女はそう言って、部屋に残っていた男に後を任せて出て行った。
美女が目を惹き過ぎて気づかなかったが、部屋には一人男がいた。
こちらはカーキ色のフードつきジャケットを身に着けた男で、前髪が長いせいもあって表情がよく分からない。少しうつむいた状態のまま、ギロチンの刃を確認しているという具合だ。美女と比較すると地味も地味、むしろ意図的に気配を消しているのではないかと思うくらい存在感がない。
勝手に呼んでおいて、死ぬところは見たくないというのは本当に身勝手な話である。だが、私だって彼女にどうしても死ぬところを見せたいわけではない。
むしろ、彼女がいなくなったのが最後のチャンス。この男の気が変わるよう、なんとか説得したい。
そう、希望を込めてジッと見つめてみるが、彼は淡々と作業を続けるだけだった。
ギロチンのそばに、カラのガラス瓶を三つ並べている。おそらくあれに、私の血を注ごうというのだろう。献血をするには少々量が多すぎる。
「あ、ああああ、あの!」
ギロチンの刃がギラリンと光るのを見ないようにしながら、声を上げる。
「た、助けてくれませんか!?」
私の、切羽詰りつつも少々間抜けた声に、意外なことに男は返事を返してくれた。
作業する手を止めて私を見やる。前髪の間から目が覗くのが見えた。
予想よりも遥かに整った顔をしているが、目が怖い。見られるだけで殺されそうな気がする、鋭い眼光が私を射抜く。
「なぜ?」
「な、なぜって、その。ギロチンが落ちたら、私、死んじゃうじゃないですか!」
「そうだな」
「そうだな、じゃありません!私死にたくないんですよ!」
「リンゴのくせに?」
「リンゴはリンゴですが、私、人間なんです!」
そうなのだ。私の名前はリンゴという。音成林檎というのが本名で、小さいころはともかく高校二年生にもなった今となってはわりと恥ずかしい名前だった。
「だが、王妃が呼び寄せた生贄だろう。諦めろ」
男はそう言って、また作業に戻る。
ダメだ、説得しようがない。
「せ、説明をください!か、仮に死んじゃうとしてもこのままじゃ死んでも死にきれません!首が落ちた瞬間に、あなたに噛みついたりしますよ!?一生かけても解けない呪いとかかけちゃいますからね!」
私の脅し文句に、男は一瞬嫌そうな表情を浮かべた。
なにしろ私は毒リンゴらしいのだ、その当人に呪うなんて言われたら嫌だろう。
「どう説明しろと?」
「ま、まずあの女の人のことです!すっごい美人でしたけど、あの人何者ですか、私を使って何をしようとしてるんです!?」
「あれはこの国の王妃だ。憎い相手を呪い殺すために、おまえを使って毒薬を作るのだと自慢していたな」
「そんなに憎いなら直接ヤっちゃえばいいでしょう!何も私を使って毒薬作らなくたって……」
「たとえ王妃であっても、直接害したとなれば罪を問われる。だが、呪いは実証できないからな、王族や貴族のような身分のある相手を殺したい場合は、呪いを使うのが一般的だ」
なんてことだ。そんな常識がまかり通る世界なのか。まるで平安時代みたいだ。
「てか、それって呪いじゃないですよ!毒殺じゃないですか!」
それとも何か、この世界は毒殺イコール呪いなのか。調べられないのか。
「おまえとて、直接剣を振るえと言われたら嫌だろう?」
「な、なら、私がやりますよ!ちょいっとヤってきちゃいますから、毒薬作りは止めてください!」
「……ほお?」
焦っていたとはいえ、私はとんでもないことを口にした。
とにかくこの場を回避したかったという、ただそれだけだったのだが、その代わりに口走ったのは、墓穴を掘ったあげく自分を入れて土をかけるほど余計なことだった。
「これでもクラスじゃ一番運動神経がいいんですから!小さいころから鍛えてますから剣でも銃でもドンと来いです!さあ、その憎い相手とやらの居場所を教えてください、さっそく行ってきますから!」
嘘八百である。徒競走だってクラスメイト女子の中で下から四番目だ。
「ならばその自慢の腕を見せてもらおうか」
ニヤリと男は笑って、私の縄をスルスルと解いた。
思惑がうまくいってホッとしている私に、彼は耳元でささやく。
「ただし、俺がお目付け役としてついていってやろう。殺せなければ――分かっているな?」
ゾッとするような低音で言われ、私の背筋は凍るかと思った。
※ ※ ※
そもそものはじまりは、よく分からない。
私の異世界トリップに、経緯というほどの経緯はなかった。
自室にいて、ベッドで寝転んで漫画を読んでいたら、いきなりトリップしてしまったのだ。
服装だってラフもラフ、半袖Tシャツにショートパンツである。薄手のカーディガンを着ていたのが不幸中の幸いだったが、そんなものでは寒さは防げない。
春らしいのだけど、日本の春とは気候が違うのだ。
ヒンヤリと寒い。春というより秋である。石造りの建物もヒンヤリとしていて、どこからか隙間風まで入ってくる。どうせならジーンズ履いていれば良かった。
おやつ代わりにリンゴを剥いて、シャリシャリと食べていたのは確かである。皿の上に皮を剥いたリンゴを載せて、ベッド脇にあるサイドテーブルの上に置いていた。
と、突然、『手』が現れたのだ。
にゅいっと出てきた『手』は、私の食べかけのリンゴを盗ろうとした。
「ダーメ」
ペシッと片手で『手』を払い、「これは私の」と追いやったのは覚えている。「食べたきゃそっちにまだあるよ」
だが、その後、ふと疑問を覚えた。
誰だ、これ。
『手』は、一度では諦めなかった。私のリンゴを盗ろうとしてさらに伸びる。
そう、伸びていた。どこから生えているかといえば、自室にある姿見だった。
一メートルほどある長い鏡面の中央あたりから、『手』が生えている。
それが、にゅいいいいっと伸びて、ベッドの上に寝転んだ私の手からリンゴを掠め取ろうとするのだ。
「ぎゃぁああああああああ!?」
異常だ。オバケだ。化け物だ。
私は大慌てで逃げようとした。ベッドから転がり落ちるようにして、自室を出て廊下に飛び出そうとしたのだ。
だが、慌て過ぎて転んだ。ベッドの上にあった布団に足を引っかけてしまったらしい。
ズデン、と頭から倒れこんで――……。
ハッと気付いた時には、石の台の上だった。
リンゴが悪かったのかもしれない。
『手』の目的はリンゴだったんだから、素直に分けてあげればよかったんだ。どうして食べかけをわざわざ狙ったのかは知らないけど、素知らぬ顔して自室を出れば、きっとこんなハメにはならなかった。
次の機会があったら、ちゃんと分けてあげよう。間違っても私をギロチン送りにしないように。次があるかどうかは分からないけど。
さて、現実に目を戻すとする。
男は、アウルというらしい。『梟』の意味で、本名というわけではないらしかった。
私の縄を解いた後、彼は素早く身支度を整えてギロチン部屋を出た。
私はといえば、靴さえ履いていない。せめてスリッパでも履いていれば良かったのに、石だか煉瓦だかでできた床を歩くと、底冷えしてしまう。
「あ、あのう、靴とかないですかね」
「リンゴに履かせる靴はないな」
「ううう。でも、その、憎い相手のところまで距離があるようでしたら、足の裏ズタズタになっちゃうというか。……じゃあ、スリッパとか草履とかでもいいんですけど」
「予備のブーツならあったはずだ」
「では、ぜひそれを!」
「ブカブカだろうが、いいな?」
平気で人殺しとかしてそうな怖い顔をしながら、アウルはそこそこ親切だった。
ああ、でも、逃がしてくれるわけじゃないからやっぱり親切じゃないな。感謝とかしないでおこう。
アウルの予備のブーツとやらは、長靴みたいな形状をしていた。なんでも紐でぐるぐる巻きにして大きさを調節するものらしい。靴にフリーサイズがあるとは驚きだ。
私も挑戦してみたが、革紐を強く結ぶことができない。諦めて、これは長靴なんだと思うことにする。
靴を借りたのは大正解で、連れ出された外は森だった。
私がいたのは、石造りの城の、地下室であったらしい。地下室で出たゴミを捨てるための専用ルートを通って外に出たという次第。
私がされそうになったことを考えると、この部屋から出るゴミというものは、考えるもおぞましい代物ではないかと思う。
森の中にある城は、見晴らしがとてつもなく悪い。城から出てどちらに向かえば人里があるのか見当もつかない。
城に出入りする人のために、もう少し道を整備した方が良いんじゃないだろうか。
木々の間に下草が生えているのだが、それをかき分けて進む。
日本の森と違うのは、下草がどれもこれも元気がないことだった。日本の森や林は、春ともなると雑草がワサワサになってくる。さらに夏になると身の丈ほどになってしまうのだ。
ところがこの森は、誰が手入れをしているというわけでもなさそうなのに、あまり下草がないのだ。馬とかで歩くこともできそうである。
「あ、キノコ」
美味しそうなキノコに思わず手が出そうになる私だが、アウルに睨まれたので自重する。この人の睨んだ顔、本気で怖い。子供だったら泣くレベルだ。
あと、前髪がわりと鬱陶しいので、切ってはどうだろうか。いやいや、もしかしたらもっと怖い顔になっちゃう?なら止めてもらおう。
「そ、そうだ。毒キノコを食べさせるとかはどうですか?その憎い相手」
「食べないだろう、怪しいものは」
「だったら毒リンゴだってダメじゃないですか!」
「そこを食わせるのが、刺客というものだ。殺す相手に疑わせるようでは、刺客として失格だ」
「ううう……」
刺客の心得を説かれてしまった。しかもちょっと納得。
「アウルさんはやっぱり、その……王妃様付きの暗殺者とか、そういう方ですか」
「特に王妃に雇われているわけではない」
「じゃあ、どうして」
「知れば口封じをすることになるが?」
「やややややや、やっぱり遠慮します!聞きませんったら、聞きません!」
大慌てで耳をふさいだ私は、とぼとぼ歩きを再開した。
アウルは、私に人殺しなどできるわけがないと考えているらしい。
わざわざ私をターゲットのところまで連れていってくれるというのは、相手の顔を見れば諦めもつくだろうということだろうか。一体どんなバケモノだっていうんだ。
それならアウルが直接ヤっちゃえばいいのに、と思うのだけど、それはそれ、『直接害したとなれば罪を問われる』というやつなのだろう。
「王妃様が憎んでいる相手って、どんな方ですか?」
「美人だな」
「……美人、ですか」
「ああ。話によれば、雪のように白い肌、血のように赤い頬や唇、黒檀の窓枠の木のように黒い髪を持った子が欲しい、と妃が願ったらその通りの子が産まれた、ということだ。そんな馬鹿げた話がまかり通るような、美人だ。
本名は別にあるが、王族の本名は恐れ多いということで『白雪様』と呼ばれることが多い」
どこかで聞いたことがあるフレーズだ、と私は首をひねった。
歩き続けること、おそらく二時間くらい。
深い森を抜けた先に小さなログハウスが見えてきた。
小屋というには大きい。城ほどじゃないが、森の中にぽつんと佇むわりには大きい。10人くらいは余裕で住めそうな大きさで、別荘といった雰囲気だった。
ログハウスの入り口には薪割り中だったと思われる薪の山と、小ぶりの斧が放置されている。雨でも降ったら困ると思うんだけど、しまっておかなくていいのかな。
建物の端の方には馬が一頭つないであった。
「あのう」
「なんだ」
質問してばかりの私の相手が疲れたのか、アウルは面倒そうな表情を浮かべてこちらを見た。
「いえ、……なんでもないです」
薪と斧の話を出して怒らせるのは怖いので、自重する。その代わりに、私は首を伸ばしてログハウスの方を見やった。
「王妃様は、どうしてこちらの家の方を憎んでいるんでしょう?」
「難しい話だな」
「難しいんですか?」
「ああ。……一般的に見れば、ただの逆恨みだ」
そういって、アウルはログハウスを指差して私に言う。
「王妃のターゲットはこの家に住んでいる。この時間帯なら、相手は一人きりのはずだ」
さあ行って来いと見張られ、私は仕方なく扉をノックした。
ノックに対する返答はない。留守かもしれない、
どうしようと迷った末、私はおそるおそるノブに手をかけた。後ろでアウルが見張っている以上、家に入らないわけにはいかないからだ。
勢いのままに来てしまったが、私の目的は人殺しをすることだ。
……縁もなければ恨みもない相手を、自分の保身のためだけに殺すなんて言っちゃったわけだ。どうしよう。
いざ殺そうなどと言ったところで、手には武器もないし格闘技などができるわけでもない。 王妃様が憎んでも仕方がないような悪人ならばともかく、……そうだとしても人殺しなんて嫌だけど。極悪人ならこんな手段をとらなくても警察とかが捕まえるはずだと思うわけだ。つまり、このログハウスにいる人間は、罪のない人だろう。
来ちゃったんだよなー、どうにか逃げられないかな。
「あ、あのー、どなたかいらっしゃいませんか?」
ガチャッと開けてみると、開いてしまった。鍵がかかってないらしい。
ログハウスの中は荒れていた。
あちこちに服やガラクタが転がっており、引っ越し直後か夜逃げ直前みたいな感じである。足の踏み場がないってほどじゃないのだが、何がどこにあるのか見当もつかない。
母親の怒りが爆発する寸前の私の部屋よりもヒドイ。どこがって生ゴミの臭いがするところだ。ベッドにリンゴを持ちこむ私だが、さすがにこれはしない。たぶん、服の下とかに、放置された食べものが転がってるとかだ。それが腐ってカビて、こんなヒドイ臭いになっているのだ。サイアクである。
他人のふり見て我がふり直せみたいな言葉があったと思うのだが、そんな気分だ。家に帰れたら自分の部屋を片づけよう。
あまりのことに鼻を摘まみ、引き返そうかと思った時である。
掃き溜めに鶴、みたいなものを見つけた。
ログハウスの中は広々とした空間だった。イメージとしてはリビングダイニングといった風。部屋の奥に扉が一つあり、また二階に上がる階段もあるので、部屋はここだけではないのだろう。
リビングダイニングには大きなダイニングテーブルがあり、それを囲む長い椅子があった。どちらも木で作られたもので、こんなに荒れていなければ素敵だなーと思ったに違いない。
その、長い椅子の上に寝ている人物がいたのだ。
艶々した黒髪をした、男の人だった。目を閉じているが素晴らしく整った顔立ちをしていて、服装の方もどこぞの王子様みたいだ。真っ白い服に金の飾りが誂えられていて、どこかの舞台衣装みたいにも見えた。
ただ、いかんせん、薄汚れている。
真っ白い服だったろうに、どこかくすんでいて、たぶん、何日も着っ放しなんだと思われるのだ。しかも周りには生ゴミの臭いである。惜しい。
「もしもし、そちらの方。こんなところで寝ていると風邪引きますよ?」
私の声掛けに、彼は不機嫌そうな様子で片目を開けた。
寝ているところを起こされたせいだろう。
美形である。目を閉じていても美人だったが、開けると迫力が違う。呆れるほど美人だ。それでいて、どこから見ても男にしか見えない。
「なんだ、おまえ」
透き通るような声だった。男の人にこんな言い方していいのか分からないが、美しい声だ。声変わりして――るよね?たぶん?と言いたくなるような中性的な声。
「あ、はじめまして。こちらに、王妃様に憎まれている方がいらっしゃると伺って来たんですが」
私の言葉に、彼は不愉快そうな顔をした。
「それは俺のことか?
王妃にとってみれば、前の王妃が生んだ王位継承権第一位の王子は邪魔に決まっている」
バタン。私は扉を閉めた。
※ ※ ※
てっきり、白雪姫なのだと思ったのだ。
悪者王妃と不思議な鏡、毒リンゴ、『白雪』と呼ばれる美貌の王族と言うんだから。
だが、ログハウスの中にいたのはどこから見ても男だった。
扉の前で待っていたアウルは、「ほら、見たことか、できないだろう」と言わんばかりの顔をこちらに向けた。
「男じゃないですか!?」
「女だと言った覚えはないぞ」
「白雪姫じゃないですよ、あれは!?『鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ?』って聞いて『それは白雪姫です』と答えたから殺すっていう、世にも有名なストーリーはどうなるんです!?」
「知らん。世界一美しい白雪王子と呼ばれているんだから同じだろう」
「大違いですよぉ!」
アウルのそっけない対応に、私は頭を抱えた。
「さて、殺しにいかないのか?ターゲットは確かにいたぞ」
「うぅううううう」
「できないだろう。女には殺せない男だ、白雪は」
「どういう意味ですか、それは!」
「顔が良すぎてつい手が鈍るらしい。
王妃自身、自分より美人で腹立たしいので殺したいが、自分ではできないらしいからな」
頭を抱えたが、ここまで来てしまって引き返すことなどできはしない。
アウルがいなければとんぼ返りすることもできそうなのだが、扉の前で待機されてはそれもできない。
私は覚悟を決めて、薪割り中の薪の山の横に落ちていた小ぶりの斧を手にとった。
「ほお、それをどうする?」
「頭をかち割れば、私の勝ちです」
とりゃー!
扉を開けて飛び掛かった私は、白雪王子の蹴りで床に転がされた。
音成林檎、17歳。人生最大のピンチ再びである。
白雪王子によって倒された私は、斧を取り上げられ、縄でぐるぐる巻きにされた。
まったく罪のなかった前回と違い、今回は殺人未遂なので同情の余地はないかもしれない。斧で飛び掛かる前に、白雪王子を説得するべきだったと後悔したのは、捕まった後だった。
白雪王子、顔に見合わず強い。
「――で。ミラー、こいつは何者だ?」
白雪王子は、イライラしたような声でログハウスの入り口を見やる。
そこには先ほどからずっとアウルがいて、その怖すぎる目をどこか面白そうに細めている。
「王妃が召喚した毒リンゴだ」
「はぁ?どこから見ても人間の娘だろう。これがリンゴに見えるのか、あの頭の緩い女には」
白雪王子は口が悪いらしい。一言ボヤいたかと思うと、マシンガンのように続けた。
「父上もどこが良くてあんな女を後妻に迎えたんだ。顔か?顔だな、あのメンクイ親父め。
俺の母親も顔だけが取り柄で他に何にもいいところがなかったらしいじゃないか。
結婚して数年、子供も作らず毎日鏡に向かってばかりだぞ?民の中には魔女扱いしている者も多いと聞く。確かに美人だが、心底美人だがそれだけだ。顔とスタイルしか褒められたところがないんだぞ。王妃じゃなくて花だろう、それでは。愛でられるだけの花なら花瓶にでも生けておけばいいんだ。飯を食わせて服を与えてやるだけ、大損じゃないか。
王妃ってのは、王族なんだぞ?外交や内政……いや、そこらへんは本人に能力がなければ大マケしてやるとしても、子作りと子の教育だけはやるべきだろうがっ!」
「王子が優秀だから二人目は要らぬという理屈らしいぞ、国王は」
「騙されてるだけだろう、オヤジが!王族なんてたくさん子供がいてちょうどいいんだ、そもそも俺だって弟か妹が欲しい!」
「それは国王に願ってはどうだ」
「~~~~っ!……い、言えるか、そんなこと!はしたない!」
ぎこちなくそっぽを向いた白雪王子は、その白い肌を赤く染めた。
「あのう……」
おずおずと口を開く私。縄でぐるぐる巻きだと考えると間の抜けた姿だが、他に動かせる場所がないので仕方がないのだ。
「ミラーって、どなたですか?」
「……」
白雪王子は、「はぁ?何を言っているんだこのボケは」みたいな顔をした。
アウルはもはや見慣れた呆れた風の顔で、そっけなく答える。
「『鏡の精』の王族特有の呼び名だ」
「へえ……。……え?」
きょとんと目を丸くしたものの、発言者であるアウルの方を確認するのには時間がかかった。
白雪王子がミラーと呼びかけたのは、……たぶん、この人なのだが。
「アウルさんというお名前なのではなかったんですか?」
「似合わないだろう、ミラーは」
「ええ、確かに」
こくこくと私はうなずいた。言っては失礼だが、ミラーと言ったらもう少し細面の人物を想像したりはしないだろうか。英語で鏡って意味だし。いやいや、苗字だとすれば、おかしくはないかもしれない。それでいけば私だってリンゴだ。リンゴって、もう少し可愛らしい女の子につけるべき名前だと常々思っている。
名が体を表すという言葉はあまり正しくないのかもしれない。
「……いえ、そうでもないかもしれません。今のお名前のアウルだって、その姿は『梟』には見えませんし。『鏡』でも『梟』でも問題ない気が……」
そういえば、アウルもミラーも英語だけど、『白雪』は日本語だ。私自身は日本語しか喋ってないわけだし、この世界の言語ってどうなってるんだ?
頭をひねりながら私が呟いていると、白雪王子がイライラした様子でアウルに尋ねた。
「王妃よりも頭が緩いのか、この娘は」
「リンゴだからな。熟れすぎて柔らかくなっているのかもしれん」
「またそれか。……王妃の身内か何かか?ぜんぜんまったく似てないが」
フン、と白雪王子は鼻を鳴らして私に話を振った。
「娘、助けて欲しけりゃ事情を話せ。おまえはなぜここにいる?」
「は、はい。喜んで!」
ぐるぐる巻きになったまま、私はエビぞりになりつつ経緯を口にした。
「すると、おまえは王妃が鏡を使って召喚した毒リンゴで、呪い薬の材料になるのが嫌なあまり、自分で殺すと言い張ってやってきたというわけだな」
白雪王子は私の説明を聞いて、こめかみに青筋を浮かべながら続けた。
「嘘をつくならもう少しマシな嘘をつけ。
何が魔法だ。王妃が魔女と呼ばれているのは、美貌に対する畏敬のようなものだ。そんなものがあるわけないだろう?」
「え?」
「ミラーもだ、こんな娘を連れてきて何のつもりだ?」
「王子が、あまりにも現実主義なんでな。魔法の結果を見せてやろうかと思ったんだが」
「ハッ。バカバカしい」
王子はぐるぐる巻きになった私を足蹴にすると、そのままゴロゴロと入り口まで転がした。扱い方が粗大ゴミみたいである。ヒドイ。
「どうせ、王妃を納得させるために、この娘の血でも混ぜた薬を作ってお茶を濁すつもりだったんだろう。そんなもので、俺が死ぬか」
「よく分かったな」
「魔法の紐、魔法の櫛ときて、魔法のリンゴだ。塗り薬じゃ効果が薄いとみて飲み薬に変えようとしたところは評価してやってもいいが……。頭に魔法とつけるのはどうにかならんのか」
「『鏡の精』の言葉が信じられないか?」
「ミラーは王族専用の隠密の名だ。姿を見せず鏡の後ろで命令を聞くことからその名がついた。魔法の鏡なんていう戯言を信じているのは王妃だけだ」
吐き捨てるような王子の言葉に、私は驚いてポカーンと口を開ける。
「あ、あのう……」
「どうした」
「魔法じゃないんですか?」
「白雪はそう言っているな」
「じゃあ、どうして……。私はここにいるんです?」
ニヤリ、とアウルは一際悪そうな笑みを浮かべた。
ただでさえも目が怖いのに、そんな表情をすると、極悪人である。背中がギクリと悲鳴を上げた。
「いや、あの、き、聞かない方がいいですか?なら、その、無理にとは」
「いいや、聞いておいた方がいい」
アウルはシレッとした声でそう告げると、白雪王子に対して目を細めた。
「やはり信じられないか」
「当然だろう」
「なら、この娘をやるから引き取れ。聞いての通り、こいつは毒リンゴだ。王妃には『呼んだ毒リンゴは王子に送りつけた』と報告しておけば、ここにいてもおかしくはないからな」
「引き取る?……どういう意味だ」
「煮るなり焼くなり好きにしろと言っている。ただし、忠告はしておくぞ。こいつの毒は、血や体液に含まれる。そのため、流した血を口に含めば、おまえは死ぬ。他の男たちについても同様だな。当然、口づけやそれ以上の行為をした場合もだ」
「っっっ!?」
白雪王子の頬がたちまち真っ赤になった。彼、肌が雪のように白いので、赤面した時にものすごく目立つのだ。感情を隠せないタイプである。
「だ、誰がそんなことをするか!?」
「おまえはしないかもしれないが、他の連中にも伝えておけ」
「~~~~っっっっ!」
「ではな。『梟』は城に戻る」
バタン、と扉を閉じて、アウルはそのままいなくなった。
沈黙が続く中。私はおそるおそる口を開く。
「あのう……」
ギロリと苛立った顔で睨まれ、私はうっと言葉を呑んだ。
アウルほどではないが、白雪王子の顔にだって、睨まれたら怖いのだ。
「私、何をすればいいんでしょうか」
※ ※ ※
森の中の小屋で暮らしはじめた私は、掃除や洗濯、それに薪割りを担当することになった。
料理については「毒リンゴの作ったものは食べたくない」と拒否されたので、作らなくても良いことになっている。正直なところ、リンゴを剥く程度のことしかできないので助かる。
この小屋は、従来森の管理人が使うための小屋らしい。森に住む動植物の飼育や保護のほか、王族が狩猟をする時には案内もするとのことだ。下草を刈ったりもするのかと尋ねてみたが、そういったことはしないそうである。日照条件が違うせいか、そもそも、あまり雑草が茂らないらしい。
森の中は暗いが、馬が移動できる程度なので、日中歩き回る分にはさほど問題がない。ただ、迷うと帰ってこられない気がするので今のところ遠くには行っていない。
もう少し慣れたら人里を目指して脱出するのも手だとは思う。
白雪王子はここで、近隣各国の要人たちと秘密の会合を行っている。
まあ、かっこよく言ってみたが、隣国の王子様(王子ではないのかもしれないけど、そうであっても貴族の子息様だ)とかがやってきて、こっそり遊んでいるわけだ。つまり秘密基地である。
相談事は、時に物騒な話題になっているようだけど、そういう時はたいてい、私は席から外される。私自身、ログハウスがけっこう広いので、掃除や洗濯、薪割りといった日課だけでも忙しく、いちいち彼らの相談事に耳を傾けている余裕はなかったりもした。
いつ、日本に帰れるのか。それについてはまったく分からない。
そんな私の、目下の悩み事はこれだった。
深夜になるとフッと舞い降りてくる影。音もなく移動する様子は確かに『梟』に似ている。
天窓から降りてくる影に気づくと、窓を開けて出迎える。最初の日に屋根裏部屋を与えられてからというもの、こんな日々が続いている。
「アウルさん!」
「叫ばなくても、聞こえる」
子供が見たら泣きだしそうな鋭い眼光。カーキ色のフードつきジャケットを身に着けた男は、前髪を切っただけで男前に変身した。
切ったらどうでしょう、って言ったのは私だったんだけど、本当にやってくれるとは思わなかった。
「来てくれて助かりました。白雪さんは、今回は何泊されるんですか?」
最初は日帰りだったはずの白雪王子が宿泊するようになったのだ。
ログハウスは、森の管理人さんと私の二人暮らし。やってくる王子様たちのために食事を用意したりはするが、日々の食材ストックは多くない。外泊用に部屋の片づけもしているが、それだって何泊もされるとタオルやシーツが足りなくなってきて、非常に困るのである。
この小屋、日照条件が悪いせいなんだろうけど、タオル類の乾きが悪いんだ。
ちなみに洗濯機や洗剤などはないので、ゴワゴワした石鹸を使って手洗いしている。宿泊数が増えることがいかに迷惑であるか、分かってもらえると思う。
「二泊のはずだな。城で会議があるから、それ以上はできない」
「二泊ですかぁああああ……」
「嬉しくなさそうだな」
「ちっとも嬉しくないです。どうして泊まったりするんでしょう?お城から徒歩でも二時間、馬なら一時間もしないんだから、遊びにいらっしゃるなら通いで十分なのに」
できれば食事は城でして、それから遊びにきてくれればいいのに。
なんでもログハウスでやった方が仕事に集中できるからといって、最近はいろいろ持ちこんでいるのだ。そのくせ、機密情報だから触るなと、室内の掃除はさせてくれない。
「そりゃ、他に目的があるからだろう。毒リンゴの毒が効いてきたんだよ。ジワジワとな」
「え?」
アウルはシレっとした声で告げたが、私が詳しく問い返す前に話を続けた。
「王妃が、王子たちの動きに勘付いた。いよいよ、はじまるぞ」
「な、何が……ですか?」
「おまえは、白雪がここに遊びに来ているだけだと思っているだろう。だがそんなはずはないんだよ。各国の王子たちと連携して、あいつは国を乗っ取る気でいるからな」
「く、国を?どうして……」
「王妃の魔法のせいで、国王は政務がほとんどできない。このままでは国が滅ぶと、あいつは考えているからだ。手っ取り早く王位を譲らせるために、武力で後押しする気なんだろう。
目的を果たし、かつ、国民を疲弊させない。周辺各国にも付け入れさせない。……そのバランスを保つために、あいつは準備をしてきた。七人の同盟者たちとな」
「……」
ポカーン、と私は口を開けた。
何やらとんでもないことを聞いてしまったような気がする。
おそるおそる耳をふさいで、私はアウルの顔を見上げた。
「き、聞いてませんよー。私は何も知りませんよー?」
ニヤリ、と彼は笑った。
「王子が王妃を追い出せば、毒リンゴの役目は終わるが――……」
「えっ」
日本に帰れる?
パッと耳をふさいでいた手を離した私の手をとって、アウルは目を細めた。
「どうやら俺も毒にやられているようだ。さて、どうしたものかな」
「え?……あ、私の体液が毒といったって、汗は大丈夫ですよ!?だいたいそういうのが嫌なんでしたら、そもそも洗濯とか頼まないでほしいですよねっ」
まくしたてる私の言葉を無言で止めて、アウルはニヤリと笑う。
彼の言葉の意味を私が知ったのは、ずっと先のことだった。