■06 妹と兄
ソティは白いブランコにのっていた。
木の枝に縄を括りつけ、木板の簡素な手製のブランコだ。でもこれがソティは大好きだった。ブランコは後で立ってのっている兄のクートがよく漕いでくれていた。
「僕達は、キンマになるのさ! それで、僕達は幸せになれる。僕達は、ずっと一緒さ!」
「ほんと、おにいちゃん?」
「ああ。誰も僕達の仲をさけない。みんなで仲良く暮らせる。僕達の国だ!」
どこまでも澄み渡った大空に向け、ブランコは大きく揺れた。
「だから、早く、みんな、みたいにならなきゃ! 特別だ!」
「うん。そうだね……」
ソティの返事が濁る。本当のことがいえない。ブランコは揺れ続けた。
「クート! 隠れんぼしよ! 隠れんぼ!」
「うん。わかった」
呼ぶ声がして、クートが飛び降りた。
「お兄ちゃん! 待って!」
降りる機会を逃し、ソティはブランコに取り残された。
「待ってたら! 待ってよー!」
ブランコは無情に、永遠と揺れ続けた。どんどん激しくなって降りられない。
「お兄ちゃん――――!」
ソティがはっと気づくと白い天井がおぼろげに見えた。白い部屋。病室のベット上にいるらしい。掛け布団をたぐりよせ、ソティは丸くなった。あの後、気絶してしまったのか。
「……お兄ちゃん」
横になった顔から、ぽろぽろと涙がこぼれた。嫌な夢を見てしまった。
「フォークさえ折れなければ、豆小人族のキロンごときに、拙者が負けることがなかった。そうだ! 拙者の運が悪かったのだ! 腕ではない!」
声が聞こえてきて、ソティは掛け布団の隙間から視線をそちらに向ける。
(あいつだ。あの女も……おえ! 机のうえ、なんかいる……?)
机を挟んで椅子に座るフォルとルーネがいた。ルーネは紅茶を飲んでいて、フォルは懐中時計を手慰みに遊びながら、机上にいるものと話していた。
机上にはリリパット族の騎士ウルペンネがいた。12班隊部署にある闘技場で豆小人族キロンに敗北をきたし、憂さ晴らしにフォルが付きあっていた。
「ウルペンネ。私の記憶では、キロンに六一勝六二敗だったわ」
ルーネがいい、ウルペンネがえっくと驚愕としゃっくりが合い交ぜになった声をもらす。
「ペペリーナには五一勝五六敗。合計六敗。運が悪いじゃなく、腕が落ちたみたいね」
ルーネがカップを置き、内心に秘めた怒りを込めモジャブランにフォークを鋭く刺す。
「ルーネ」
とフォルが窘めたが遅かった。
「おお、ルーネ殿はいつもお厳しい! 拙者、絶望で涙が……もう、立ち直れぬ……!」
ウルペンネは机を叩き、おいおいと泣き出してしまった。そんなウルペンネを愛馬ならぬ、愛キリギリスが頭を撫でてやって慰める。実に主人想いのキリギリスであった。
「私のお気に入り。ネコたぁん印入りのフォークを使っていたんですもの。知らない」
ルーネが澄ました顔で言う。
(あれ、小人だ。昔話とかに出てくる……)
「え! 小人?」
ソティが信じられず飛び起きた。
「起きたか」
フォルが首だけをまげ、ソティを見やった。
「それ、なに?」
「キリギリスだろ?」
机上にはキリギリスだけがいた。小人の騎士がいない。人の動きに吃驚したかのようにキリギリスが机から飛び降り、ぴょんぴょんと跳ねてどこかへ行ってしまった。
「だって、いま……」
「寝ぼけているな」
「うるさい! お前は誰だ!」
ソティがむっとして言うと、フォルは心得たとばかりに立ち上がった。
「ほう、俺を誰かと問うか? なれば答えてやらなければなるまい。俺は連合にその人ありと云われた男! この黄昏の髪に覚えよ。闇に紛れる悪党は銀鎖の音に怯え、この大蛇の牙が狩る! 助けを求めるものがあるのならば神速と駆けつけ、うおーぉ!」
と言いかけで、フォルの側頭部に飛来してきた浮遊珠が激突した。
「馬鹿。驚いているじゃないの。可愛い子を脅さない。可愛いは正義!」
ルーネの横に浮遊珠が戻ってゆく。ソティはフォルの突飛な行動に、目を見開き驚いていた。コイツはなんだ、アホか、馬鹿か、ぽかたんかと脳裏で愚痴った。
「……なんか食べ物もらってきてやんな」
フォルは頭をさすり出ていった。部屋にはルーネとソティだけが残された。
ソティは状況に対応できず、ふとケーキを黙々と食べていたルーネと視線があった。
「私はルーネ。さっきのアレは気にしないで。連合にその人ありと云われた変態だから。いつものことなの。言わば、趣味。これ食べる? モジャブランというんだけど」
ルーネが真っ黒で丸いケーキがのっている皿を見せた。ソティは激しく首を横にふった。
「――そう」
ソティの返答に、ルーネは気にすることなくケーキを食べ始めた。
無表情で食べてる……この人……こわい……とソティはちょっと困惑した。
「スープでいいかい?」
フォルが戻ってきた。手には豆スープ、黒糖パン、サラダ、柑橘のミーツの実を乗せたトレーがあった。机をベットの近くにひっぱり、その上に置く。
「いろいろと聞きたいことあるんだ」
フォルは椅子を引き寄せ、背もたれに肘をつくような姿勢で座ると、訊いた。
「訳解らないお前に、話すことなんかない! お前達は敵だ! 話すことなんてない!」
ソティはやっと我を取り戻したように、フォルを指さし睨んだ。
「敵だってよ。君は帝国の人間かい?」
「違う! 帝国も敵だ!」
「だってよ」
「――そう。ソティたん、敵なのね」
フォルが軽く肩をすくめ、ルーネは素っ気なく返答した。
それから暫く誰も言葉も発しない間があった。スープのいい臭いがする。食欲を刺激され、ソティのお腹の音がかなり豪勢に響いた。静かだったので、その音がやけに響く。
たちまちソティは真っ赤になった。フォルが口元に親しげな笑みを飾ったのを見て、ソティが怒って立ち上がろうとした。
「笑いやがったな! この、いーたぁ……」
「ほら、暴れるじゃない。足、怪我しているんだろう」
「畜生! 誰のせいだ!」
「わかった。わかった。俺達は君にとって、邪悪な、邪悪な敵国さ」
フォルが飄々と発した邪悪という響きに身の危険を感じて、ソティは身を緊張させた。
「ご、拷問するのか? 戦うぞ! 命が尽きるまで戦ってやる!」
「嫌われたものね」
とルーネが人差し指を顎にそえた。
「そうだな」
フォルは眼の部分の仮面をこつこつと叩いて、思案した。
ちなみに、フォルが装備する仮面は飛空眼鏡というもの。
飛空眼鏡は、飛行艇乗りや空を舞う者達が、強風や日差しから眼を保護するために着用するもので、文化としてイセル世界に頒布している。
フォルが愛用するのは、眼の部分には緑色のガラスをはめこんだ一眼式で、鋭利な牙が並んだ仮面である。やや芸術的な仮面のように見えるのは“鋼鉄と魔術”時代に作られた年代ものであるからだ。
ルーネは戦闘機乗りが着用する飛空艇ゴーグルを愛用し、もっと最新式の飛空眼鏡もある。このイセル世界では地形上の問題や移動手段として飛空の技術があるので、視力を補助するよりは、眼を守るという眼鏡文化が大きく発展していた。
「解った。こっちとしては君から情報がほしい。だから交渉をしよう」
フォルは閃いたかのようにいい、ソティは眉をひそめた。
「交渉?」
「交換といってもいい。君は連合から施し……いや、連合に借りを作りたくないようだ。そこで、そこにある食料一つと、君が知っている情報一つを交換しないか? せめて、その足が治るまで食べ物が必要だろう?」
フォルの奇妙な提案。ソティは不可解な気持ちを抱き、考えこんだ。
(なんだよぉ。意味が解らないよ。耳からキノコ、はやして死ねって感じ? 敵なんだから、無理矢理でも吐かせればいいんじゃないの……でも――私――お腹ぺこりんこ)
ソティはお腹をおさえ、睨みつけると答えた。
「知っていても、みんなを裏切るようなことは教えない。それなら、交換する。だけど、一日分の食料で情報は一つだからな! 一日に一つだけ、質問に答える」
「それでいいさ。何にも話してくれないよりマシさ」
満足そうに頷くフォルをルーネは横目で見て、相変わらずこういうことは上手いわねと内心で舌をまく。敵愾心を抱く子に対して情報を得る状況をさらりと作ってしまった訳だ。
「それで質問は?」
と鼻をならしソティが訊く。
「そうだな。今まで、どんな場所で生活していたんだ?」
「みんなを裏切るようなことは教えないっていったろ! どんな場所かって、みんなのアジトを知りたいんだろう? そんなのダメだ!」
「……こいつは強敵だな」
わざわざ拳を構える愛らしもあり、フォルは飛空眼鏡をかりかりとかき苦笑した。
「アジトは引き払われて、既にいない可能性が高いわね。別の質問にした方がいいわ」
ルーネがいい、ソティは腕組みして得意満面に答えた。
「ふふん。そうだよ。もう逃げちゃっているよ」
「かもな……では質問を変えよう。ひとりだけの子はいないのかい?」
フォルの言葉に、ソティは眉をひそめた。意表をつかれた質問といっていい。
「君には兄さんがいるようだ。あのとき、な。ぱっと見た感じ、他の子達にも兄弟か姉妹がいたような感じがしてね」
「そういうことなら、みんな、いる。ひとりぼっちの子はいない」
「ふーん。みんな、兄弟か姉妹か、そんな組み合わせなのか。ほら、食べな」
ソティにトレーを渡した。ソティはスープをすくい――何故か、食べるのを躊躇した。
「気にしなくっていい。それは君が交渉で得たものなんだからな」
「そうだよな。そうだ……交渉だ」
ソティは自分に納得させるように言う。お腹をすかしていたのに、その欲に負けることなく、ソティはどこかで作法を習っていたのか、お上品に食べ始めた。
「リオン!」
突然、フォルが扉に向け叫んだ。
食べながら、誰か人がくるのだろうかとソティが見ていると、猫がトコトコと病室に入ってきた。ルーネがにゃんと猫の前脚脇を抱えて突き出し、ソティに訊いてきた。
「これ、見えてないわね?」
「見えているよ」
「見えてないな、これは」
ソティの答えをきいて、フォルが頷く。
やってきたのはライオンヘアをした山吹色の毛並みをもつ妖精猫サンダリオンである。妖精は人目から逃れるよう生活するもの。この妖精猫は見た目が猫なので、普段からその姿を晒し、猫として平然と生活している。したがって、フォルとルーネの視線は猫の頭上に向けられていた。その妖精猫の頭の上に、別にいるのである。
「だから、猫だろう! 馬鹿にしているのか! そのめんたま、突き刺すぞ! しゃーぁ」
ソティが堪りかねてフォークとスプーンを両手に持って威嚇する。
「おっと、この子を紹介しておかないと。この子の名前は、サンダリオンだ。リオンって呼んであげるといい。君と同じ女の子だから、仲良くしてやってくれ」
「やっぱり猫じゃん。この猫が、なによ?」
「見張り役」
ソティはフォルが発した言葉にきょとんとした。
「連合ってさ。人手不足か? いや犬不足? 猫を見張り役につかうなんて……番猫かよ」
心底、同情されてしまい、フォルとルーネはなんとも言いがたく顔を見合わせた。
「さて、俺達は失礼する」
フォル達が去ろうとした気配を察知して、ソティは皿を置き、叫んだ。
「ちょっと待て! もう一つ、質問していけ! 私の頼みごとと、交換だ!」
「うむ。……それは、頼みごとによるな」
「……お兄ちゃん。私のお兄ちゃん達を止めてほしい……」
「止めてほしい?」
「あ! 違う! もし、捕まえることがあったら、傷つけないでほしい!」
手を振り乱しソティは言い繕ったが、フォルには先の言葉に本音で出ていると感じた。
「捕まえていいのか?」
「だから、もしもの時だよ! もしもってことが、あるだろう? お兄ちゃんの名前はクートっていって、ちょっと頼りない顔していて。でもでもね。騎士で。顔を覚えてないか? ……そうだ! エクエス78420って、首に番号があるからすぐ解る!」
「エクエス7、8?」
「覚えなさいよ! いいわ、紙を頂戴! 書くから!」
フォルは手帳から紙を千切り、一緒に木炭筆を渡した。ソティはそれに番号を書きだす。
「いいか。エクエス78420だからね。解ったのか? 何か言えよ!」
「君は――お兄さん思いの優しい子なんだな」
フォルはしんみりと言った。
「べ、別にそんなんじゃない! お兄ちゃんは頭いいけど、無理にがんばっちゃうし、あぶなかっししー。もう! 私の気持ちなんてどうでもいいの! それで、解ったの?」
ソティは早口にまくしたてた。顔が少々赤い。フォルはソティから紙を受け取った。
「解った。善処する」
「おい! 質問は!」
「いいさ。君の兄想いの優しさに免じてね」
ソティはぼっと顔面真っ赤になった。フォルは思わず笑みをこぼす。
「くきゃーぁ。だから笑うな! 違うだからな。こん畜生! ぽかたん! ぽかたーん!」
背に悪口雑言を受けたフォルは気にするでもなくひらひらと手をかえし、ルーネと共に病室を後にした。廊下を少し歩いたあと、フォルは渡された紙を見てぽつりと言った。
「なあ。兄を見分けるのに、奴隷番号っていうのは哀しいよな……」
捜査メモ。
ソティの兄の奴隷番号エクエス78420。
謎の食べ物モジャブラン。
次回、三色真鱗→