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■37 月の夜に

「最後のキンマ神殿の位置はラガル山と判明した! キーツの一味がアッペテンの屋敷を襲い、緑のキンマ盤を手に入れた現在、早急に駆けつけ押さえなければならない。準備しろ。超高速艇が準備し終えしだい、出動する!」


 班長リリーが指示を飛ばした。


「――了解」


 フォル、アルベル、ルーネ、ファンテが頷いた。

 最終決戦が迫る。


   ◇ ◇ ◇


 夜空には狂乱と純真を司る月女神シャリアを彷彿させる美しい満月が浩々と輝いている。その月の光が医術院の対岸にある飛空艇(フリーガー)ドックの倉庫内部をやわらかに照らしてゆく。


「あんなこと言いだしたときには驚いたよ。たまにはお姫様気分もいいものだね」


 アルベルが苦笑する。フォルは笑い流し、奥にいる飛空艇技師ベルフに声をかけた。


「すまないな」

「前、あずかってくれと言われた飛竜(ワイバーン)より楽だ。気にするな」


 ベルフは相変わらずむすっとした表情している。可愛いエプロン姿で、アウデ鍋をかきまぜているのはご愛敬。隣に座るファンテがスープを一口していった。


「甘いよ~。これ~」

「甘くない」


 ベルフが頑固に言い、ファンテは振りかえって問うた。


「甘いよねーぇ」

「あまーい!」


 と小皿に群がる妖精ピクシー達が楽しそうに唱和する声がかえってきた。益々むすっとしたベルフに、フォルが白い歯を見せ笑った。


 倉庫内では異形たるものたちが和気あいあいとお菓子やスープをすすり騒いでいる。


 12班部署にいる妖精達――毛づめ鬼(カルカース)白妖犬(ガリートロツト)妖精猫ケットシー鸛殻小人(ピグミー)眠りの妖精(ビリー・ウィンカー)妖精子馬(コルトピクシー)やらが月明かりによっておぼろげに照らし出される姿は、まるで月夜の宴会。それは遠い時代に消え、人がもはや参加することができなくなった妖精達の集いであった。


 フォルが倉庫から出ると待ち構えていた人物がいた。


「なに、しでかしたの?」


 ルーネは熊人(ビヨルン)に寄りかかって寝てしまった新参ものの熊の姿を見て、辛辣に迫る。


「『お迎えにあがりました』と言っただけさ……」

「知っていて、やっているのかしら?」

「知っているさ」


 フォルは二度と動くことない懐中時計を取りだし、医術院の建物にかかる月を仰いだ。


「でもな。この連鎖は止めなければならない。こう変えられてしまったことを受け止めなければならない。なにより悲しいじゃないか、そんな風に終わるのは……哀しいよ」


 フォルがふいに寂しそうに呟いたのに、ルーネは一瞬怯んだが憎らしげに言い放つ。


「事実を知って襲ってきたらどうするの! 始末しましょう!」

「……始末か。それが楽なんだろうな……わかった……」


 フォルはいい、ルーネは顔を背けた。

 そのとき、医術院の建物から小さな光が高速で飛来してきた。


「フォル! フォル!」


 光はペペリーナの発する妖精光の輝きであり、フォル達の周りを出鱈目に飛び交う。


「ソティが! ソティが! その、あの! ソティが!」


 フォルとルーネは異変が起きたと目配せをし、次の瞬間には飛んでいた。


「まだあたたかい。廊下を見てくる!」


 開いていた窓から病室へ飛び込んだルーネがベッドを確かめ、廊下へ飛んでゆく。


「この窓を開けたのは?」


 フォルが尋ねる。


「あのね。ちょっとうとうとしていたら、ソティがいなくなって、窓が開いていて……」


 フォルはまさか落下したのかと、下を覗き、それをふと思い出した。

 医術院の建物にかかる月を仰いだとき、その平屋に人影があった気がした。人がいるような場所でない。フォルは窓から飛びだし、飛空移動(セーデ)で上昇した。


 フォルは屋根上に着地し、それを目撃して、ややおののいた。


 屋根には青白い満月がおとす光のカーテンに包まれて、ソティが裸足でうずくまっていた。月夜の光を浴びて蒼く染められたソティの姿は美しく幻想的と見えたが、それは月の女神の狂気に触れてしまった光景でもあった。


「ほうほう……ほうほう……」


 ソティはそう鳴いていた。眼の焦点はうつろと泳ぎ、ソティはフクロウの鳴きを発し、フクロウが丸くなって首を不思議な加減でかしげるように動かしていた。


「ソティ……?」


 フォルはソティの異常な行動に立ち尽くした。精神だけがフクロウになってしまったように、精神の一線をこえてしまったように、ソティはフクロウの真似をし続け、


「ぴよ……ぴよ……」


 と、ソティが唇をとがらせぱたぱたと手をふって雛鳥の真似をしだした。あまりのことにフォルとペペリーナは動けなくなった。二人は異様さのあまり事態を飲み込めない。


 ソティの狂態は続く。


 ソティは鶏が庭を徘徊する歩行をしたかと思うと、グェーと聞いたことない嗄れた老婆の声で叫び、あらゆる鳥の泣き声と真似を繰り広げる、驚異の行動を続けたのだ。


 グエー、キャキャ、ピヨピヨ、ホウホウ、ウキャー!


「ソティは『豆』を食べたの。この世界にない『豆』を! ぎちぎちって、皮膚がおかしくなったの。何かに耐えていたの。ならない、ならないって、……心配でずっと側にいたんだけど……うわーん。私が眼をはなしたせいだ!」


 ペペリーナは大泣きした。


 どの経路でソティが豆を食べることになったのか解らぬが、キンマの『豆』であることは明らかだった。クート達に起きたことが、今、ソティに起きている。人間の極限に近づくために、力を得るという代償に、身体が変貌し、精神を摩耗していくことが……


「ソティ!」


 フォルの呼びにソティはびくっと我にかえり顔を向けた。その瞳は自分がしていたこと、そう変貌してゆくこと、自分を失っていくことを理解している、哀しい理性の瞳であった。


「私はキンマにならくっちゃいけないんだ……くえ!」

「いいか。キンマになるためには血の繋がったものを……」


 フォルは事実を告げるべきか迷い口を閉ざした。


「知っている……お父様はみんなに内緒にしていたけど、私は知っていた……」


 ソティは既にそれを見透かしていた。


「知っていたのか……!」

「うん。ピエ! 私は連合が憎い! 帝国が憎い! お母様を殺したヤツラが憎いんだ! コケケ! こうしないとヤツラは殺せないんだ! くえ! 殺すんだぁ!」


 ソティの会話に混ざる鳥獣の鳴き声が、フォルには痛々しく見ていられない。狂ってゆく、崩れていく。大人の身勝手な思いで描かれた思想によってソティの人生は潰される。


「けど、けど、私に優しくしてくれた人、好きな人を食べて、キンマになるなんて……そんなこと、できないよ! でも、しなければ、みんなから裏切り者、扱いだ! ……どうすればいいの? 愛した人を犠牲にした世界で、生き残ったとしても意味がないのに!」


 ソティは一瞬救いを求めるようにフォルを眺め、儚く笑い、決意の意志を瞳に宿し、ゆっくりと後退してゆく。


「でも、これは私の人生よ。私が決める!」


 なんと誇り高き笑顔であっただろう。ソティは自ら姿勢を崩し、屋根から飛び降りた。


「私が乗るブランコはきれてしまった……もう、どちらでも、乗れないんだ……乗れないんだ……!」


 ソティは手に入れなかったものを求めるように手を伸ばす。キレイで髑髏みたいな月が遠ざかってゆく。手が泳ぎ、からっぽの空気しか掴めない。掴めないのだ。小さな少女のあがき程度では。


 世界は無慈悲で残酷なのだから。


 しかし……。


「ソティ!」


 フォルの叫び声が遠くで聞こえ、ソティは衝撃を感じた。


 全てが真っ暗になる。


 地面と激突して脳漿をぶちまかす。


 身体が破裂し内臓の醜い赤花が咲く。


 そうなる筈だった。そうなる前にフォルに抱きしめられていた。死ねなかった。ソティが激しい怒りを交え睨む。


「なんで……助けるのよ……!」

「ブランコ……乗ろうぜ……」

「乗るか! 連合で乗るもんか! 敵で、敵でお前は殺すべき敵で……」

「好きなんだろう、それでいいじゃないか。守ってやるさ。ソティ。君がどちらで乗ろうとも、守ってやるよ」


 フォルがにっかりと笑い、ソティの顔が苦しさと嬉しさで歪んだ。ぽつんと暖かいものが心に滲みた。どうしてこの人はそんなことをいうのだろう。でも、それにすがりたい。


「……私にそう言ってくれるのは、もうお前しかいないんだね……」


 この人は連合とか帝国とか私の国すら関係ない。優しさをくれた。ソティの瞳から涙が溢れた。


 フォルは無言でソティを抱える。


 フォルは歩いた。歩き。歩いた。ゆっくりと確実に。


 それはソティの人生において、最も幸福な時間だった。フォルはソティの一番好きな場所に運んでいってくれているのだ。


 闇夜で木々がざわめくように葉を揺らしている。


 少し冷たい風が肌をなでる。


 何度も通った医術院の渡り廊下と中庭が見えた。


 引き詰められた冷たそうな石畳の道。


 静かな威厳を持って一角馬(ユニコーン)に乗り時計を掲げる無機質な乙女像の噴水。

 水の流れる音が夜の闇に染みて、どこか哀しい。


 最後に揺れるブランコが見えて、ソティはそれだけで満足してしまった。


 もう座る必要はない。乗る必要もない。こぐ必要もない。


「……ありがとう」


 そう言って、ソティは微かに微笑んだ。それが最後の限界であった。


 感情、理性、精神、身体の全てにおいて崩壊がきた。

 人としての限界がきたことを祝わんばかり、人外の聖誕を祝福せんばかりに、ソティの全身からあらゆる鳥の羽根が噴出した。


 純白の羽根がどこまでも真っ黒な世界へと舞い散っていく。


 鳥の羽根が降り注ぐ中、誰も乗ってないブランコがきいきいと寂しく揺れていた。





 その夜、誰かは夢を見た。いや現実だったのかもしれない。


 遠くで、悲しい馬の嘶きが木霊していた。


 医術院の窓から広がる暗闇の世界で妖精子馬(コルトピクシー)がぽつんといて、こちらを見ている。


 淋しげな妖精子馬(コルトピクシー)の姿を見て、誰かは信じられないほど胸が苦しくなった。


 妖精子馬(コルトピクシー)は全てを決意すると踵を返し、闇の世界へと歩いていく。

 妖精子馬(コルトピクシー)の顔は……クートに似ていた……。

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