■36 狂気の側面へ
そして――コンテナ住居の中は静まり返っていた。
フォルがキーツ一味から奪還することになった子供達が生活するコンテナ住居だ。
木立の影がコンテナ住居の外観に斑模様となって踊るさまが、異様な空気感とも伴って、どこか不気味さを感じさせた。
「双子の女の子いないねぇ」
異様感に堪え兼ねてアルベルが言う。
入った部屋には落下した衝撃で割れた皿や本などが散乱しているだけで、誰一人いない。窓から覗いていた双子の少女の姿も消えている。
「隠れちゃったみたいだね」
「隠れん坊か……」
フォルがぽつりと言った。
隠れん坊。二人はその言葉から、あの日記の一文を思い出した。
――みんなとかくれんぼう。あとひとりだけが見つかりません。頑張ってさがすと、なんていうだけ? 空気のあな。そこに空気のあなの所に隠れてました。見つけたときは吃驚しました。顔だけがあったから。見つかると横になって奥へ逃げていってしまいました。見つかったのにズルイんだ。
二人は自然にその方向へ視線を向けていた。
排気口がある。蓋はなかった……あるのは……
「……なんてことだ!」
アルベルが顔をひきつらせ恐怖に呻いた。
それは、まさに日記の通りであった。
排気口には、少年の顔があって、こちらを怖々と伺っていた。あんな小さい穴なのに。少年はフォル達と視線があうと、驚いて、横になって奥へ逃げていった。
フォルとアルベルは動けなかった。少年の耳があるべきところからは、蟹の足脚とハサミが生えていたから。少年は首だけの存在で、蟹のような生物と化していた……
――テーブル、天井、蛇口の所、椅子の下、棚、いろんな所に隠れていました。
見渡せばいるではないか。
異形たる子供達が恐る恐る、こちらを伺って……。
収納箱からはトカゲ顔の少年が覗いている。テーブルの下には怯えきった熊の子。もちろん子供の顔をして子熊の体躯をもつ少年が……窓のカーテンにくるまって隠れているは幼い顔をした胴長のリス、ベッドの下には狐に変貌した少女達の顔がある……。
「連合の銃士だ……銃士だ。銃士だ……銃士だ……銃士だ……!」
子供達は囁きあう。
「キーツはなんてことを!」
フォルが掠れ声で呻いた。フォルはアルベルと背を合わせ、周囲を警戒する。
「それだけじゃない。あの日記は、この姿で隠れん坊をしていた……! 今まで、この姿で日常生活を送っていたんだ……隠れん坊をし……遊んで。これがどれ程のことか……!」
子供達はこのコンテナ住居を拠点に生活していた。
ある日は、赤焼けに染まる地面で遊び、自分達の影を馬のように――あるいはトカゲのように――ありのままの姿を影と躍らせて。
またある日は、設営された天幕の前で一枚の服を着る双子の姉妹が熊や鳥、白い子馬と戯れて。遠目から見ればサーカス団やジプシー旅団と芸を生業としている一団と見えた。
しかしそれらありのままの光景を晒して生活しているだけだったのだ。
(何も知らぬ子供達を、こんな風にかえやがって! こうなることが正しいと!)
フォルは激怒に奥歯を噛みしめた。だが、踏みにじられ続けた人間はもう手段を選ばない。国を奪われ、家族を奪われ、愛するものを奪われた憎しみはとまらない。これは、ヘリコニア国が帝国と連合に踏みにじられ、追い詰められた結果なのだ
と、そのとき、クローゼットがキイッと開きだした。閉めが甘く、勝手に開いてしまったようだった。隠れていたのは双子の少女だった。少女二人はアルベルと目線を合わせてしまい、身を震わした。少女二人がか細い声をダブらせて、言う。
「殺さないで……殺しにきたんでしょ? 私達を……!」
「大丈夫だよ。僕達は君達の誰も傷つけな……」
いよ……と優しく言いかけて、アルベルは冷水を浴びせられたように硬直した。
少女は双子でなく一枚の服を着る一つの胴体。そこから首が伸ばす双頭の双子であった。
「――みんなに手をだすな!」
突如、衝撃波とともに、声がした。
鋭い光が奔ったのを感じ、フォルは即時と銀鎖で叩き落とす。ナイフ数本が床に落ちた。ナイフが飛んできた方向を見ると、白い子馬がいた。フォークや皿をマラークスキルの念力らしき力で浮かべ従えさせ、白い蹄の脚を進ませやってくる。
しかし馬の顔はない。馬の上半身となるべきところには狂った芸術家が施したのか、子供の顔だけが張り付いていた。白い子馬より、子供の白馬と表現すべき異様な馬体だった。
「れ、れ、連合の銃士! み、みんなは殺させないぞ! 僕は騎士だ! みんなを守る!」
子供の白馬は勇ましく叫んだ。その声が震えていた。なけなしの勇気を振り絞っている。
「……アルベル……首だ、あの子の首の……番号!」
顎で促し、フォルは天を罵りたい気分になった。
「――エクエス78420!」
子供の白馬の首筋にはその番号が刻印されていた。
「ソティの兄だ……」
「どうする? ……大騒ぎになるぞ」
アルベルは苦い顔で腰の火銃に手をやり尋ねる。
フォルが世界を呪い叫ぶ。
「キーツ……お前は子供達の未来を奪ったな! 人でいることすら奪ったな!」
そして――
ペペリーナが叫ぶ。
「食べちゃダメよ! その豆は人の世界のものじゃない!」
キーツが叫ぶ。
「連合も帝国も人の皮を被った化物だ。我々は化物にはかなわない。我々は誇り高き人間なのだ! この化物に勝つためには……もう、我々は『悪魔』になるしかない!」
大精霊フロリースはそれを告げた。
「『豆』の正体、それは『悪魔』の肉芽です……いいえ、それだけではありません」
「『豆』は食べ重ねることで、肉を放ち、心を放ち、常世を放つ。異界の力を現世に呼び起すには三に関わる儀式が必要だ。しかしそれだけでは不十分。最後には血を分けたものを喰らう。この禁忌を犯しているという感覚が重要なのだ。それが精神の箍をはずす! 人間性を捨てられる!」
あるお伽噺に語られる魔術師グリカムは世界を嘲笑う。
「魔導の道具など所詮、道具である。大事なのは側面に堕とすこと。神を信じお布施を払うように、いかにして、人間をその側面に落とすことが重要だ。狂気の側面に!」
大精霊フロリースは叫んだ。
「心が壊される! 愛するものを守るために、愛するものを喰らう! 親が子を喰う、姉が妹を喰う、兄が弟を喰う、キンマの晩餐が始まる!」
そして、ソティは悪魔の『豆』を食べた。
ソティはこれから始まる未来を思い哀しみに微笑んだ。
これから血を分けた家族を食べなければならないと。
いやもしかしたら、食べられてしまうのだろうと。
「さあ、狂気の側面に堕ちよ!」
1200年前。赤い葉が散華する幻想の中、兄は妹の頬を噛み千切ったのだ。




