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■23 ぺぺリーナ

 病室の窓からは細長い雲がだらだらと流れているのが見えた。

 ソティは物憂げに嘆息した。


(流れに任せればいい、ということだけれど……私は今、あの雲と同じ。流される雲……)


 ソティは窓枠から離れ、鏡の前にいって自分の姿を眺めてみた。今ソティは丈の短いスカートと白い薄手の上着に青いリボンが飾られた清楚感溢れる学生服を着ていた。

 鏡の写る自分は愛らしく、くるりと回ると、ソティは嬉しさに笑みをつくった。ちらりと机の方もみる。白いワンピースなどもらったいくつかの服がある。どれもお気に入りでいつか着ることになると思うと、女の子として自然に笑みがこぼれてしまう。


(そうよ! この生活を続ければいいんだわ!)


 だが突如、その罵りがソティの心に突き刺さった。


 ――キンマになりたくない? そんなこと考えるなんて、酷い!

 ――お前は裏切り者だ! もう遊んであげないんだ!


 そして、兄クートが優しく諭す声が耳鳴りにように聞こえてくる。


 ――こうなっていくことは別に変じゃないんだよ。『豆』を食べたことで進化するんだ。スゴイことなんだ。キンマになることをやめようなんて言わないで……


 ソティはうな垂れ、胸ぐらをぐちゃぐちゃに掴んだ。


(キンマにならないといけない私。ヘリコニア人じゃなくなった私。裏切り者……)


 初めて『豆』を食べたとき、ソティは褐色の肌を失い、黒髪が金髪になってしまった。肌の色が緩やかに消えてゆき、髪が黄金色に染まっていく時間は、まさに恐怖の時間だった。母親ゆずりの黒髪を失ったことは、ソティの心を酷く傷つかせた。

 ほかのみんなが変質していくことを受け入れ喜んでいたことは、ソティには到底信じられなかった。あの日から、みなとズレ始めたのだ……


(……どうやっても、私の言葉が届かない。私が考えていることは変なの?)


 ソティは唇を噛んだ。八方塞がりの迷路に迷い込んだ気分だ。出口が見えない。


「お母様……」


 とすがるように呟き、ソティは愛しそうに自分の長い金髪を撫でた。

 お母様はもうソティの髪は癖毛ね、と優しくこの髪をよくすいてくれた。しかし、もうすいてくれるお母様はもういない。それを感じると、ソティの瞳が憎しみに濁った。


(帝国、連合のヤツラはお母様を殺した! 国を奪った! 皆殺しよ!)


 瞬間、それが揺らめいて出現した。鏡が真っ黒に染まっている。鏡の向こうには暗闇の世界と赤い荒れ地があり、赤い巨木が立っていた。何千何万の血のような葉を茂らせる巨木だ。『豆』を食べてから白昼夢のように見えるようになっていた。まだそれは遠い。しかし徐々にそこへ自分が向かって歩いていっている気がする。巨木が囁く。


 ――血の受け皿となる者よ……ここへ……


(そのためにキンマにならなきゃいけない! でも……できる訳がない……!)


 闇の鏡が消失し、哀しげなソティの姿を映す。


(だけど、ここにいれば……選ばなくっていい……)


 結局、ソティはそう逃げてしまう。と、それが目に入った。ソティの病室から緑の木立に囲まれた噴水の中庭が見える。枝葉が揺れるに合わせ、白いブランコが揺れていた。


「ブランコ……乗りたいな……」


 ――今度は遊ぶの? いいご身分ね。


 あの姿が見えない主のからかう声が聞こえ、ソティは触発され怒りに叫んだ。


「いいご身分って……! 私は捕まっているのよ! 囚人なの!」


 ――囚人は暗い牢屋にいるものよ。


「間違えたわ。捕虜なのよ! 貴族や王族が人質になったらお金で交換するでしょ。それと同じ。私から情報がほしくって、ヤツラは私のところへ交渉しにくるでしょ?」


 ――きゃははは! 本当にそう思っているの? ここにずっといたいんでしょ?


「なにをいっているの!」


 先ほどまで悩んでいたことを指摘され、ソティは動揺した。


 ――だってさ。鏡をみて嬉しそうにしていた。カワイイお洋服が着られるここに、ずっといたいんでしょ?


「違う! そんなことで、私はここにいたいんじゃないわ!」


 ――あら、やっぱり、ここにいたいんじゃない。


 ソティは一瞬どもった。理由は違うが、ここにいたいと思ったの確かだ。


 ――図星ね。金髪ちゃんのお仲間はさぞや大変なことになっているだろうに……裏切って、ここにずっといたいんだ。この、う~ら~ぎ~り~もの~ぉ!


 その揶揄する声が引き金となって、みなの罵りの声も脳裏に響いてきた。


 ――裏切り者! 裏切り者! 裏切り者! 裏切り者!


「裏切り者じゃない……私は違う……」


 ソティは悔しくって泣きそうになった。拳を握って、ぐっと堪える。ごしごしと顔を乱暴にこすって、認めたくないとばかりに枕を投げつけた。


「私の気持ち、何にも知らないくせに!」


 枕は寝ていた妖精猫の上の壁に衝突した。妖精猫はにゃあと驚いて逃げ出す。


 ――ぴっぱぷーぅ。私は♪ 私は♪ 私は、その子の側にはいないのよん♪


 馬鹿にした声が返ってきた。ソティは声の主を探して、周囲を睨み睨み睨み回す。


 ――私はドコ? ドコ、ドコ、ドコ、ドコ、どこにいるでしょう? でもオマヌケな金髪ちゃんには見つけられなーい。きゃははははははっ!


 声が部屋のあっちこっちから反響してこだましてくる。


「姿を現せ!」


 ――べーぇ、べーぇだ! 絶対、金髪ちゃんの前なんかに姿を見せない。べーぇ!


「ふん! キタナイ顔しているから、姿見せられないのね。豚のような顔。このメス豚!」


 ――メス豚! なんてヒドイことをいう子なの。信じられない! これはオシオキね。ホース・アンド・ハトック! ソティのおパンツ!


 力ある言葉が唱えられると、ソティが空中に浮かび上がった。スカートがばさばさと翻る。ソティは白い太股が露わになってしまい、吃驚してスカートを押さえつけたが、履いている純白のパンツが意識を持ったようにくねくねとせり上がってきた。

 ソティは恐るべき現象に慌てふためいた。パンツが上がってくる。


「ウソ! なに、これ。パンツがぁ、あがるぅ! やめろ! 食い込む! おー!」


 ソティは驚愕と羞恥を交え叫んだ。太股を密着させもぞもぞとして耐える。


「いやん! このぉ! 食いこんじゃう! やぁん! 食い込んでるぅ! やーん!」


 もう真っ赤になったソティは耐えられないと、上がってくる自分のパンツをぐいぐいと懸命に下ろそうした。下がらない。上がる上がる。食い込む食い込むイケナイ恥部に。

 ソティは躰をびくんびくんとさせ、太股をもじもじさせ、白いパンツの猛攻撃を耐える。


「やん、あん。うん。ああん。私、何をしているの、おろしてる! ああん、あふん!」


 と、ソティは甘い吐息を漏らし、混乱ぎみになった。


 ――きゃははは! 金髪ちゃんのおパンツがまるみえ~♪ あそこもくっきりまるみえ~♪ どうだ、思いしったか! この私、ペペリーナ・オラテナスの力!


 ソティははっとした。そして、叫んだ。


「名前、ペペリーナ・オラテナスっていうのね! 覚えてらっ……」


 途端、ソティは落下した。小さな悲鳴をあげ、腰をしたたかにぶつけたが気にせず、それが床にへたりこんでいるのを眼で捉える。少女の小人。いや蝶の羽があるから風妖精(スプライト)だ。

 激情のままにソティは床をはい進み、妖精を捕まえようと手を伸ばした。


「うわーん。秘密の名前を知られちゃった!」


 ペペリーナが大泣きしだしたので、ソティは面食らい手を止めた。


「なによ! 名前を知られたぐらい!」

「妖精は秘密の名前を知られたら、その人に支配されちゃうのよ!」


 妖精というのは真の名前を知られると支配されると信じていて、恐れる。だが同時に大声で自分の名前を叫びたくなる衝動を覚える矛盾した面をもっているのだ。


「もうダメだ。きっと怒った金髪ちゃんが、私に目を開けたまま顔を洗えって恐ろしいこと命令するんだわ! それも石鹸をたっぷりつけて! たぷたぷーよぉ!」

「そんな下らないことしないわよ」

「じゃあ、私の目のところに針をもってきて、いつまで耐えられるかって、尖端の恐怖を味わわせるのよ! ああ……考えただけでも羽根がもげる!」

「それなら、ひとおもいに刺した方がいいんじゃない?」

「え! 刺すの! 私、おもらししちゃう! あう。ちょっとおもらし!」


 怖々とした瞳でペペリーナが見詰めてきた。ソティは完全に毒気を抜かれてしまった。


「もう、いいわ……怒る気うせちゃった。あっちいって、この部屋から出ていって」


 ソティが投げやりにいい、ペペリーナは切なそうに頷きひらひらと飛んでいった。


「あ、やっぱりダメ……」


 拒否の声に、もうなによとソティは迷惑気味に唸った。


「だって、私は金髪ちゃんをここから出さないよう約束していたんだ。約束は守らないといけないんだよ。モジャブランが食べられなくなっちゃうんだよ」


 ソティはめそめそと泣くペペリーナをうんざりと見た。弱いもの虐めしている気分になってきた。もう完全に怒りはどこかにいってしまった。


「……解ったわ。私がモジャブランをあの仮面男におねだりしてあげる。それをあなたにあげる。それでいいでしょ?」

「え? なんで、そんなことしてくれるの? 怒ったんじゃないの?」

「私がしたいからするの!」


 ソティの強情な叫びに、ペペリーナは身を竦めたが、まじまじと見詰めかえしてきた。


「金髪ちゃんって、口は小鬼(ゴブリン)。いいえ悪魔並みに悪いけど、意外に根が優しいのね……」

「悪魔みたいは余計よ。金髪ちゃんもやめて。ソティって呼びなさい」


 ペペリーナはソティをじろりと伺い、嬉しそうに顔を輝かせた。


「じゃあ、ここの迷いの廊下を解いてあげるわ! これで外にいける。ブランコに乗りたいんでしょ?」

「別に乗りたいわけじゃ……」


 と言いかけて、ソティはペペリーナを盗み見た。それから自分自身を納得させるように、さも尊大に言い放った。


「あなたがせっかくそう言ってくれるんだし……いいわ。乗ってあげる!」


 ペペリーナはソティの態度に気にした様子もなく、満面の笑みでうんと喜んだ。


「じゃあ、早速!」

「待って。あなたって妖精よね?」


 ソティは粗暴に四つんばいで迫って、ペペリーナを観察した。ソティの純真な輝きを宿した青い眼に自分の姿が映って、ペペリーナはこそばゆげに身をくねくねとする。


「スゴイ! 妖精って本当にいたんだね。色々とお話しましょう! あなた、綺麗!」

「え……!」


 ソティは無邪気で大輪の花が咲き誇ったような笑顔を見せた。それにペペリーナは負けてしまった。魅入られたともいっていい。と、突然ソティが立ち上がる。


「……どうしたの?」


 ペペリーナは不意をつかれ心配そう訊く。


「え! ちょっと……」


 恥ずかしそうにして、ソティは食い込みすぎた白いパンツをくいと指先で戻した。

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