■01 連合銃士
「ほう。何者かと問われれば答えねばなるまい!」
ゆるやかに飛行する飛空艦アンシャンボロの甲板上より、大喝がひとつ。
飛空艦アンシャンボロは数十枚のプロペラと航空用飛空機関で飛空する巨大飛空艦だ。その空飛ぶ巨鯨を思わせる豪華客船というべき外形が陽光に照らされていく。
「この黄昏の髪に覚えよ。闇に紛れる悪党は銀鎖の音に怯え、この大蛇の牙が必ず狩る!」
白雲が甲板上を流れゆき、まとわりついていた雲がはがれていくかのように叫ぶ男の姿が現れた。
ニッと不敵に笑えば口元から長く鋭い犬歯が覗き、歩けば腰まで伸びる黄昏色のざんばら髪が軽やかに揺れる。
「助けの叫びあれば神速と駆けつけ、不可能といわれた事件ほど解決する! まさに、俺は連合にその人ありと云われた男!」
銃士制服である漆黒の塹壕服が際だち映え、全身に纏う銀鎖が心地よい音を打ち鳴らす。
襟首の階級章は[中級銃士:力天第五位]を現し、眼の部分だけを覆った奇妙な牙の仮面をつける男が銃士の中で相当の身分であることが判断できた。
「その名を――」
「アホか!」
反発の声とともに、発砲音がうなった。
――飛空移動!
瞬間。独特な起動音がし、燐光が舞い散る。
仮面の男であるフォル・グライシスが直立不動の姿勢まま、強制横移動していた。
銃弾はむなしく燐光だけが落ちる空間をゆきすぎる。
「最後までいわせんか!」
次の刹那。
発砲した礼服男の目前にフォルが右側から滑りこむように出現し、その構えていた火銃をけり飛ばしていた。
もちろん、フォルの動きはそこで終わらない。
フォルは腰を下ろし、礼服男の足を払う。
礼服男がもんどり倒れる。
フォルは礼服男の腹部を狙い、拳をくりだす。
そこで不思議なことがおきた。
あろうことか礼服男が寝ている体制のまま、床を滑っていったのだ。
「飛空持ち!」
拳が空振りに終わりフォルが呻いた。距離をとると礼服男は、倒れた棒が端を踏まれてビンと一気に立つような、奇妙な立ち上がり方をする。
「この仮面野郎!」
礼服男はフォルに向けてピッと指差した。
ひゅんっと音があり、羽根が二つに分断され、はらりと落ちていった。
フォルが身に絡めていた銀鎖の片方を振るっていた。銀鎖の先端には牙に似た刃石。その牙石が見事に羽根を切り落としたのだ。
礼服男はフォルの銀鎖の手さばきに目をみはった。こいつ何者だとという表情がある。
「断じて、飛空の動きじゃねぇな……大人しく、捕まれーい!」
フォルはゆらりゆらりと揺れ上昇した礼服男を見て叫ぶ。
曲線がある上昇だ。
(アーラ装備は見当たらない……)
フォルは礼服男の腰辺りに注目した。
先程、フォルは見えぬ力で強制移動した。それはベルトにある飛空装置【アーラ】から発生された力のせいである。
飛空装置【アーラ】の中には浮雲液体を満たした円筒が五本ある。浮雲液体は電気が流れると、淡い輝き放ち、空に浮く力場を発生させる。その浮遊力を強制的な移動力場と変換し、短距離を一瞬にて移動する。フォルはその使い手なのだ。
通称、飛空と呼ばれる者達である。
ただしこの装置を介して飛行移動を行った場合、動きが直線になる。瞬間的に、強制的に、一定の場所へと移動するだけであるから、緩やかな曲線の動きができないのだ。
よって、浮遊力や移動の力に曲線や円軌道の動きがある場合、
(石使い? いや――)
フォルは礼服男の肩に出現した燕を睨む。
「あの燕……」
フォルは呟いた。礼服男の肩にいる緑の燕は半透明で、後ろの背景が透けて見える。
「これが見えるのか? ただの銃士ではないね~ぇ」
「ただの、銃士さ。そちらさんもただのスリ犯じゃないな」
フォルは皮肉に口元を歪めた。その燕は今の時代では、ある一部のものしか知覚できぬ存在なのだ。
「さてさて、銃士さん。これは見えるかな?」
礼服男が天を指さした。その上には、いつのまにか、輝く数千の羽根がわさわさと塊となって、まるで蚊柱の密集如く舞っていた。
フォルは軽く笑う。
「ほう。それでふわふわベットでもつくって、お気楽豪快にお昼ねか? 子守歌でも歌ってやろうか。お前のママの子守歌には及ばんがな」
「なめるな! 穴だらけにしてやる! お前のママンでもわからんほどにな!」
礼服男が両手を突きだすのに応じ、数百の羽根が即連射される弾丸の勢いで放たれた。
「――通じゃねぇ!」
――飛空移動!
真横へ――フォルは飛空装置から発生した強制移動で、羽根の猛攻をかわしにかかる。
「飛空の動きでも、かわせないぜ! あばよぉ♪」
軽い調子で言うなり、礼服男は下へ飛んでいった。
「待て! 逃がすか、なっ!」
フォルは驚きの声をあげた。曲がったのだ。明らかに追尾性能を持った羽根。
この攻撃に対して、フォルがとった行動は単純明快だった。
腰から両手で――双子蛇刀の二つを抜きさる。
双子蛇刀は握りの部分が蛇をモチーフにした円環型をし、刃の形状は牙を思わせる異質な短剣である。
短剣の柄頭から―銀鎖―牙石と連接した、名の冠する通り二対双子の短剣武器だ。ヌンチャクや三節混という武器が短剣の形になっているといった方が早いかもしれない。
「踊れよ、銀蛇!」
フォルは両腕に巻きつかせていた二条の銀鎖を解放し、二対の双子蛇刀が8の字を描くように動き、襲い掛かった羽根を叩き斬った。
フォルの動きは止めない。放たれた羽根の数は圧倒的だ。
フォルは飛空移動で燐光を振り撒き、じぐざくに躱しつつ、双子蛇刀を駆使する。
銀の牙が煌めき、白銀の旋風が翻る。
羽根を、双子蛇刀が斬る。銀鎖が打ち据える。刃石が裂く。銀鎖が打ち据える!
荒波の如く襲い掛かる羽根が刈り取られてゆく。
しかしながら、数百に及ぶ羽根群の圧迫はやはり凄まじく、フォルは後退を余儀なくされ――
壁際へと追いやられた。
むろん、フォルは動じない。動揺など無用。飛空の起動音。飛空移動の力場を上に転換。フォルは動きをとめない。空に背を向け、壁を足場とし――
「しゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃー!」
人が垂直に昇ってゆく!
下から迫る羽根を撃退しながら上へ昇っていった。一気に駆け登り壁がなくなると、フォルは前檣のてっぺんに、
「しゃぁおん!」
と最後の一枚を切り裂き着地し、双子蛇刀の円輪に人差し指を入れくるりと腰にしまう。
フォルは数千の羽根の襲来を、斬り、裂き、打ち据え、凌いだのだ。
「ふさふさの鳥さんになるところだったぜ。まったく、通じゃない」
フォルはぼやき、視線を下方へ泳がせた。礼服男が艦橋の扉へと入るのを目撃する。
――どこで遊んでいるの?
唐突に、女性の冷たい声が聞こえてきた。
「追跡中!」
フォルは襟に装着された小型通信機に叫ぶ。
――追跡中? おかしいわね。私は、今、あなたの担当場所にいるの。目の前に、あなたが捕まえる予定だった子が、鼻にネジをつっこんだアホ姿で歩いているわ。
「スリがあってな。そっちを追いかけている―――――――――――――ぅ!」
フォルは前檣先から躊躇なく飛び降りた。凄まじき降下である。衝突すると思えた直前、フォルは飛空装置で上昇の力を発生させ、ふわっと、着地する。
フォルは艦橋の扉に飛び込み、スリ犯である礼服男を追跡すべく長い廊下を走り出した。
「おまえ! どうして! 悪き旅行者には向い風を!」
気づいた礼服男の声に応じて緑燕の目が輝いた。すると、どうであろう。明らかに異常とも思える突風が、この廊下に吹き荒れた。
反射的に、フォルは飛空装置から突風に対抗する力場を発生させる。
――飛空移動!
身体から燐光が激しく立ち昇り、腕輪の水晶面が赤く点滅しているのに、フォルが叫ぶ。
「ぶっこわれちまう! ぴかぴかにゅるにゅる、新品なのに!」
飛空装置は連続使用に弱い。間をおかず、稼働しつづけると浮雲液体が沸騰して、加熱停止してしまう。腕輪はその状態を知らせていた。
あの羽根が飛来してきて、フォルは即座と飛空装置をきる。突風で一気に押し飛ばされる勢いで羽根を躱し、フォルは身を空中でクルクルと回転させ着地する。
「断じて、通じゃねぇ」
と同時に逸れた羽根が小型シャンデリアに直撃し、ガラスの破片を派手な音と共に飛散させた。
――武装しているの?
物々しい音を耳にして、通信の相手が尋ねた。
「どうも俺達の分野のヤツだ」
――こっちのは、私が捕まえないといけないのかしら。
「頼む」
――おごりなさい。私、モジャブランを食べてみたいわ。
「待て! あれ限定品だ! おっと! くそぉ、それで手をうつ」
――うふふふ、楽しみにゃ。おっと仕事仕事。応援をよこすわ。今、どこかしら?
フォルは走りつつ首をめぐらす。壁に案内札をみつけた。
「……暁の廊下3番?」
――そっちにはアルベルとファンテがいるわ。その廊下はオーニング神像の間に続いています。待機するよう伝えておくわ。私もこの子を捕まえ次第、向かいます。
「りょーかい」
フォルが返事をすると、通信が途絶えた。
と、礼服男との追いかけっこが続いた数分のこと。
――あの子、大浴場へ向かってる。
再び、女より通信が入ってきた。
「大浴場なんてあるのか。ほんと、贅沢な船だな」
――もう、恨むわよ。あの子、大浴場へ逃げ込んだわ。
「恨む? 入って、捕まえればいいだけだろう」
――簡単にいってくれるわね、ほんと。ここで見逃すと逃げられるし……もう!
と、そこで撃鉄の音が聞こえた。
「おい! なぜ、火銃を構えた!?」
フォルが慌てた。しかし返答はなく通信機より無音の間があったあと、声が響いた。
――あなた達、両手で隠しなさい! 私は、隠しなさいと言っているの! 誰が、両手をあげなさいと言ってます? 見せないの! 前を隠さない人から、そこを打ち抜くわよ! さーあ、大事なものを、手でしっかり隠しなさい!
「――男湯かよ」
フォルは大浴場で男どもが青ざめた顔で股間を押さえてるのを想像し、
「痴女だな。大変態な痴女だ! うむ。通だ!」
と喜色を露わにした。
――何が、通よ! 覚えてなさい!
女の怒号が響いて、フォルは問答無用に通信をきって笑う。
廊下を走り抜けると、広い空間にたどり着き、フォルは戸惑うことになった。
そこはオーニング神像の間という、この巨大客船の待ち合わせ広場である。中央に像があり、円形の空間となっていて、計五つの廊下につながる広場であったのだ。
礼服男の姿を探し周囲を見渡す。まばらに行き交う乗客達の中に姿はない。廊下それぞれも見るが、姿は見当たらず、どの廊下から逃走していったか見当もつかない。
「逃げられた……」
そう洩らしたとき、フォルはオーニング神像の近くに見覚えある姿を発見した。
オーニング神。それは神話時代、酒を創造した神で、旅人を守護する神でもあって旅する飛空艇に飾られることがあり、棒のような鼻をもった鬼面の神なのだ。
そんな鬼面の神の像を、じっと眺めやる少女がいた。像を囲む柵にはイセル言語で『鼻に触るべからず』とプレート板があった。
少女は愛らしい顔をひどく真面目な顔にすると、柵を乗り越え手を伸ばし始めた。
オーニング神像の鼻に向け――
「ファンテ!」
「ほにゃん」
猫が毛を逆立てるかのように、少女は奇妙な声をあげ驚いた。
ふと少女は異物を感じて、手を見てみる。オーニング神像の鼻がある。ぽっきり折れてしまった。少女は折れた鼻を背後に隠すと、大きな胸を振るわせ、抗議してきた。
「フォルちゃん! 突然、声をかけないの! びっくりん、よん!」
少女の名のはファンテ・ホルトーレ。
ファンテはニコニコとした笑顔を常に飾り、つややかな髪が腰まで伸び、つばの広い帽子と淡い白桃色の塹壕服を着用し、まるで深窓の佳人めいた品の良さが端々に伺えた。
しかし誰もが一目見て不釣り合いな印象を覚えるものが背にあった。異様に胴の長い犬のヌイグルミを背負っているのだ。目の焦点が合ってない子供が泣きそうなヌイグルミを。
「すごい音がしたな……」
フォルがいうと、ファンテはぎょっとあたふたした。
「なんでもないの! 音なんかしてないの!」
フォルは広場にあるオーニング神像を見てみる。鼻がない。ファンテと視線があった。しばし、互いに沈黙したあと、ファンテが絶妙な間でいった。
「はい。あげる!」
ファンテはフォルに鼻を手渡した。
「断じて、いらんわ」
直ちに、フォルは鼻をつきかす。ファンテはしぶしぶ受けとる。
「えー、残念なりなり~ぃ。あ! アルちゃんきたなりなり!」
ある人物を発見したファンテはオーニング神像の鼻で指し示した。
恋人同士のように寄り添う男女が歩いている。男がなにか囁く。女はうっとりとした表情を浮かべ、男の頬に軽く接吻すると去ってゆく。男の方がこちらへ歩み寄ってきた。
「アルベル、また口説いたのか……」
黄土色の塹壕服を揺るがし歩みよってきた男に、フォルは半ばあきれるように言った。
「口説いたんじゃない。声をかけただけさ」
アルベルが軽妙に答えた。黄金の瞳をたたえる優しげな相貌。まるで貴公子の雰囲気を漂わせるアルベル・ハイウイシュであった。
「ルーネちゃんもきたなりなり~!」
ファンテがオーニング神像の鼻でさした方角より、飛行してくる赤毛の美女がいる。
美女は両側に浮いていた二つの水晶球体から力を受け、ふわっと停止する。
「――で、捕まえたの?」
やってきた美女ルーネ・ネワレツが腰に手をやり、鋭い口調で尋ねた。
病気的までに白い肌、均整とれた肢体を深緑色の塹壕服で包む赤毛の美女――ルーネである。髪は肩のところで切り揃え、両耳の間から長い髪房が豊満な胸元まで流れ、朱を加えた口元。その口元の左下にある黒子と短股脚から覗く白い太ももがいかにも煽情的だ。
猫の肉球シールをはった飛行艇用ゴーグルを首元にぶら下げ、階級章はフォルより一段上の[中級銃士:主天第四位]を示していた。フォルと通話していた人物である。
牙の銀鎖を身に纏う仮面の男フォル。
浮遊する水晶球体二つを伴った赤毛の美女ルーネ。
胴長犬ヌイグルミを背負ったファンテ。
貴公子アルベル。
この四人は同じ仲間で12班銃士である。
「ルーネちゃん。捕まえたよ~、ほら~」
ファンテが革袋を掲げる。革袋の中には、生物がいるようで、もぞもぞと動いていた。
「僕もきちんと捕まえたさ」
アルベルは腰の革袋を叩いてみせた。革袋からキーッという鳴き声がした。
「いいえ。こっちの方ではないわ」
ルーネは自分の腰のぱんぱんに膨張した革袋を指さす。革袋には二匹の生物がいるようで、その顔型がくっきり浮かんでいた。息が苦しそうだ。
「スリがいたの。それを捕まえたのか、という話よ」
「うむ。重大なことを告白しなければならない。実は……」
「――逃がしたのね」
フォルが言い終わるまえに、ルーネが鋭く言葉を指した。
「あなたという人は、私に男湯へ突入させるなどさせておいて、逃がすとは何事?」
「男湯に? まあ、ルーネちゃんったら、大胆変態!」
ファンテが顔を赤らめる。
「それも、火銃を構え、男の大事な部分を打ち抜くと脅してだ! 信じられるか?」
フォルが口元に悪戯っぽい笑みを浮かべ、拳をにぎり力説する。
「ルーネ君。君はなんて恐ろしい人だ! 男の敵だ! 木の実のピザ屋さんだな!」
アルベルが大げさに驚き、ファンテが耳を塞いでばたばたした。
「ひ~~! よく解らないけど、怖いの~~ぉ!」
フォル、アルベル、ファンテの三人。その全員の目と口が笑っている。
ルーネの紅玉色の瞳がフォル達三人を鋭く射ぬき見た。三人はびくっと反応し、こりゃいかんと、しゃべりだす。
「ファンテ! 最初に、ここに来ていただろう! 燕を肩に乗せたいかにも小愉快ヤツは見なかったか? そう、燕は輝いていた!」
「わ、私、見てないよ! 私がここに来てから、フォルちゃんがすぐ来た感じだったもの! その前に、小愉快な泥棒さんは来たんだと思うよ。アルちゃんは見た?」
「ぼ、僕だって見てないさ。輝く燕なんてものを乗せる小愉快な方がいたら、アホなんだろうか、アホなんだろうね、と気にとめるだろうし……見てないな、アホな小愉快な方」
三人は慌てざまに話したあと、ぎこちなく首を曲げ、ルーネを恐々と垣間見た。ルーネは首をキッとかっきる仕草を見せ、三人は引きつった笑いを浮かべた。
「ファンテは、どの通路から来た?」
フォルがルーネの脅威から逃れるように尋ねた。
「え? 私はあっち!」
「アルベルは、むこうだよな?」
「うん。そうだよ」
「私は、言わなくとも解るわね」
とルーネは肩をすくめた。
「俺があっちだ」
フォルが言い、ある方角の廊下を見た。四人はそれぞれ別々の廊下より、ここにやってきたのだ。しかし、ここに通じる廊下は五本ある。
「一本あまるね……」とファンテ。
「あの廊下は?」
「確か、下の飛空艇格納倉庫に続いているわ」
フォルの問いに、ルーネが答えた。
捜査メモ。
スリ犯を追って飛空艇格納倉庫へ→