■10 奴隷印官
「でっかいな」
「でっかいだろう?」
巨大な藍色の球が空中に浮かんでいた。
「また一段とぷにぷにしているな」
「ああ、ぷにぷにしているよ」
フォルは額の飛空眼鏡をコンと拳で叩き、アルベルに向きなおる。
「海球のことだよ。胸じゃない」
二人がいるのは、海岸が近くに立てられたアッペテンの別荘前だ。巨大な藍色の球体があり、それが岸と接着して白い砂浜となっている。その浮かぶ藍色の球体が海なのである。
イセルでは海のことを海球と呼ぶ。焼かれた絶壁世界に海はない。泉や湖は普通にあるが水に浮遊塩が含まれると、球体となって浮き海となる。海球は大小様々で、巨大なものとなれば直径数億エメロ(km)となり、大海球となる。浮かぶ球体の海だ。海球は風で流れるものもあれば、気流や浮遊力の関係で、大陸と密着し海岸をつくることがある。
「なんだ。そっちか」
アルベルの胸は見事に膨らんでいた。アルベルは男だが、その美貌とその豊かな巨乳が相伴って、完全に美女である。大抵の男ならイチコロでおとせそうだ。
「治るのか?」
フォルが顎でアルベルの巨乳を示す。
「桃真鱗を取れば治るらしいよ。セフィロナくんが会議あったから、今度、時間作ってもらって外す手術してもらうよ。それまで我慢だよ。こんな経験もたまにはいいさ」
「あのさ……触って、みていいか?」
フォルがきりっとした男前で云ったことに、アルベルは心の真の底から震撼した。
「馬鹿なこと言った。忘れてくれ」
「――いや! フォル君の気持ちはわかる。こんな凶器みたいなもんがあったら、男はおかしくなる。おかしくなるさ。君とは長い付きあいだ。さあ――ぜひとも、触ってくれ!」
むにゅ!
フォルはアルベルの乳を問答無用に鷲掴んだ。躊躇も迷いすらない。
「ああん」
桃色な一瞬とあえぎ声があって、ばっと、フォルとアルベルは背を合わせた。
「アルベル……すまない。凄い、情けない気分になってしまった」
「いや、いいんだ。感じてしまうなんて、僕も思わなかった。僕はいい気分だ……」
「お待たせ致しました。旦那様の元へご案内致します。如何なさいましたか?」
やってきた執事は同時に溜息をもらしたフォルとアルベルを心配そうに伺った。
「でっかいが恐ろしい……なんでもない。アッペテン氏まで頼む」
フォルはアルベルの乳の誘惑の恐ろしさを語る。
もちろん執事ははぁと生返事をするだけだった。二人はアッペテンがいる部屋へと案内された。
「この部屋で旦那様がお待ちでございます」
そう言って執事が扉を開けて、フォル達を促した。まず、フォル達はそれに驚いた。
脂肪の化け物がいた。人の三倍はあろう脂肪の巨漢。既に自分で歩くことできず、浮雲珠を内臓した浮遊安楽椅子に座っている。それがアッペテンらしい。
次は、それに驚いた。アッペテンは涎をたらし、全身痙攣していた。
「旦那様! 呼吸困難ですか! お医者様を! お医者様を!」
執事が叫び、召使いやメイド達が行き交い、たちまち場は騒然となった。
フォル達は黙って、それを見ていた。誰も気づいていない。最も異様な光景だった。
白目をむくアッペテンの肩上に顎をのせ、半透明の白い怪物が居座っていた。皮が幾重にも折り重なって形をなし、髑髏の薄青い化粧をした怪物がぶつぶつと呟いているのだ。
「……言ヱ……言ヱ……キンマ盤……ドコだ……?」
アッペテンは口から白い泡をもらし、痙攣し途切れ途切れ答えた。
「……ソコの……ヱのウラノ………」
「旦那様!」
執事が慌ててアッペテンの口の泡を拭く。その手が怪物と重なるが、素通りする。髑髏の怪物は実体化してない。
「――下がれ」
フォルが強引に執事を下がらせ、身に絡めていた銀鎖を振るった。
「ギャギャギャ……」
青の火花が散り、怪物が銀鎖にからまれて、床に落ちた。
「なんですか! これは!」
突如、現れた怪物に執事が腰を抜かした。
「骨なしの怪物だ。夜道、人の後を追ってきて追いつかれると、恐怖のあまりその人間は死ぬ。恐怖心をつく妖精さ。この手のモノは銀や鉄に弱く、実体化する」
「妖精! 何を、そんなお伽話みたいなことを!」
「フォル君。その説明じゃ、誰も信じないよ。これはマラーク者の分離系スキル。下僕を操るマラークなんだよ。アッペテン氏はそれで命を狙われたんだな。きっと!」
アルベルは男イチコロリンの巨胸を痛快に揺らして自信満々に大うそをこく。
「そうなのですね。そこの仮面の方と違ってお嬢さんは常識をお持ちでいらっしゃる」
執事の返事に、フォルは全く事実を語って信じられないとは断じて不毛だと愚痴った。胸は偉大なのだ。
「さて。聞こう。お前が手伝っている存在。あるいは主人がいるだろう。どこに――」
言いかけ、即座フォルは飛空移動で回避――
ガラス窓を打ち破り、二つの飛翔戦斧が回転し飛来する。
一つは銀鎖を断ち斬り、もう一つはフォルが元いた場所の床に突き刺さった。
激しく煽られた白いカーテンが戻り、忽然と出現したように、その男が片膝をつきいた。
帝国鉄兜を被り、緑のマントを羽織る青年だ。額には傷跡があり、起伏のない表情でフォル達を眺めている。
「奴隷印官だと!」
「フォル君。違う! はぐれだ! 額に支配真鱗ない!」
アルベルが叫び、火銃を抜こうとしたが――
「……動くな。動けば……この男を殺す……」
奴隷印官が緩慢に立ち上がりその手が動くのに合せ、床に突き刺さっていた飛翔戦斧がアッペテンの喉元に突きつけられた。
飛翔戦斧は腕輪の浮雲珠と連動し、自在に動く。
帝国のみが秘匿する独自技術で、一説によれば連合圏から亡命した浮雲珠技師のピスキス派が開発した武器であり、連合の人間から見れば裏切りものが作った武器とされる。
奴隷印官の青年が頷き、その意をくみ取った骨なしの怪物がするすると滑っていって、壁の絵画を弾き飛ばした。隠し金庫が現れ、骨なしの怪物は怪力で金庫の扉を掻き割った。中には宝石や書類などに混じって、緑色の筋が入った銀杏葉の形をした盤があった。
それを手にして戻ってきた骨なしの怪物は奴隷印官の身体にくるりと巻き付く。
ひゅんと、奴隷印官は窓の外に飛空移動で飛んだ。
「逃がすか!」
フォルが奴隷印管を追い、飛びだす。
捜査メモ。
アルベルの巨乳は男イチコロリン。
アッペテンのキンマ盤を奪った妖精憑きの奴隷印管を追跡→




