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いろいろあったけど、これからマジよ

啓治君から携帯あった。なんだかいい話だって。例によって閉店間際に来るらしい。ミドリに陽児君を連れてってもらった。陽児君は、ほんとミドリんちのケイコちゃんと仲良し。

気が付けば、この頃ようやく残暑のうだるような暑さが和らぐ時期になっていた。昔から言うよね「暑さ寒さも彼岸まで」って。

いつものようにコツコツとガラス張りのドアをノックして啓治君が入ってきた。

「やぁー」って。あれ、なんかいつもと違う雰囲気。妙に自信にあふれてるって感じ。「どおしたの」って、思わず僕は聞いた。

「俺さ」って、なんかもったいぶった言い回し。「実はさ」って、なんかうれしさがこみあがってくるみたいな表情。「今度さ」って、また間をあける。

なんだようー、早く言えよ。

「刑事の辞令もらっちゃった」

うふって、笑いをかみ殺したような言い方。

「えーっ、ホント、真実(まじ)

なんかもう啓治君、得意満面って顔。

「でもどうして、なんで急に」

僕の方は、思わず目を白黒させている。

「例の孝子の自殺。やっぱ、捜査のやり直しってことになったんだ」

啓治君、本格的に捜査するため交番勤務の休暇願いを出したんだって。

その理由としてそれまでの捜査状況をレポートしたみたい。そしたらそれが捜査一課に伝わり、大騒ぎになったんだって。

ことは10年前の傷害致死事件が、冤罪の可能性にまで及んでるので大変だってなったのね。それで捜査の見直しみたいなことになって、啓治君に正式に刑事の辞令が降りたんだって。

「へー、凄いね。お手柄じゃん」と僕もうれしくなっちゃった。

啓治君のなんとも満足そうな顔。いつか、陽児君がはじめてミルクセーキ飲んだ時の顔とそっくりだった。おもわず吹き出しちゃった。笑ちゃって悪いと思ったのでそのことを説明したら、啓治君そんなことちっとも気にならないぐらい幸せみたい。

二人して顔見合わせて、また一緒に笑いあった。

でも、事態は僕たちが思っている以上にすごいことになっていたようなの。

なにしろ問題の中心にあの有名女優の花咲このみが関わっている。マスコミに知られた途端、世間の注目を一気に浴びてしまう。

当然、冤罪とかいうことで警察が責められてしまう。当局にしてみれば大変ってことらしい。

「でもそれだと問題がそれちゃうね」って僕。

「えっ?」って啓治君。

「だってそうじゃない。孝子の不審死はどうなるの?」

「うん、まぁ、身代りのことを調べてゆけば、そこんところもはっきりするよ。きっと」

「ふーん、そうかなぁ。ねぇ、啓治君流されちゃダメよ!」

「えっ」

「だって捜査がそっちの方に集中しちゃうでしょ。でも、啓治君はぶれないで孝子のこと中心に追っかけて」

「うーん、なるほど。そうするとポイントは吉本か?」

「そうね、合鍵のこと考えると吉本ね」

「どっちにしても、捜査当局はもう一度当時の劇団員全員にあたってるので、吉本もいろいろ聞かれるはずだけどね」

「あくまで10年前のことでしょう?」

「まぁね、あの時も吉本は劇団の渉外担当なので現場にいたわけでないし、捜査の中心からはずれるかもね」

「かならずこのみと連絡取ると思うな。啓治君見逃さないで」

「よしわかった。そうするよ」って啓治君、にっと笑って親指を立てた。おおー、乗ってるねー。帰りぎわ、啓治君ドアのところで振り返って「あっ、そうそう一つ忘れてた」って言うの。

なんか前に、テレビの再放送で見たことあるアメリカドラマの「刑事コロンボ」みたい。うふふ、ちょっとおかしぃ。

「あのね、マリコのこと民間協力者ってことで報告してあるので、そのうち謝礼も出ると思うよ」だって。

よく麻薬の捜査なんかするときに、お金を渡して情報をとったりするらしいんだけど、それようの予算の中から僕にもお金が出るらしいの。

「それって、情報屋さんってこと?」

「情報屋にもいろいろあるよ。マリコは立派な民間の協力者として登録されたってこと。正当な報酬だから安心して」

「それならいいけど。それじゃ、それ楽しみにしてるわ」

「ああ、これからもよろしく頼むよ」って手をふって啓治君帰って行った。なんかかっこいい。


たかし君と何日ぶりかで食事した。僕のミソスープおいしって。

ぶりの照り焼きとほうれん草のおひたし。ひき肉と玉ねぎのみじん切りがたっぷりのオムレツ。

たかし君はさっきまで陽児君とピカチュウのゲームで遊んでたの。今は、その「男の子二人」並んでおいしいおいしいって食べている。

「お仕事どう?」

僕は、ふだんよりうんと優しく話しかけた。アベノミクスのおかげで休みの日の仕事が増えちゃったーって言ってたよね。

「そう、それに単価があがって前より実入りがよくなった」ってうれしそう。僕も忙しいからあんまり一緒にいられなくてごめんねっていったら、ばつ悪そうに「うん」ってうなずいた。

しばらく黙ってるので「アッコから聞いたよ」って、言ってみた。びくっとしたみたいだけど、うつむいたままお茶飲んでいる。

「館山行った時も一緒だったんだってね」

こくりとうなずくたかし君。

「ごめんね」って、言ってあげたらそのまま下向いてる。

「アッコ泣いてた」

僕もうつむきながらつぶやいた。たかし君「うん・・・」って、うなづく。

「もうしないよね」

しばらくの沈黙。うなだれるたかし君

「さびしいとき言ってね」

「わかった・・・ごめんよ」

「マリコいけないときはしかって」

「そんなこと・・・ごめんね」

「今、なにかあるなら言って」

「うん・・・いんだけど、やっぱケン君のこと・・・」

やっぱそこか。なんか感じてたんだね、たかし君。でもそれだってたかし君がしっかりしてないからぁ・・・、って言ってもしょうがないか。

「ああ、うん・・・ええ、ごめんなさい」

ぼくは肩をつぼめた。ここは素直に謝ろう。僕がうなだれてると、たかし君も顔をあげない。

「マリコが、お店一生懸命やってるだろ。僕はなにしてるんだろうって考えちゃった」

言いながら、今度は後ろ手に手をついて天井をみつめるたかし君。

「僕だって男だ!って自分に言い聞かせたよ」

僕はそんな風に深刻なたかし君を久々に見た気がした。

そう、たかし君は生真面目(きまじめ)な人柄なんだ。

そんなたかし君をほったらかしにしてたのかなー僕、反省。

「俺は5人兄弟の真ん中なんだ」

そう、たしか姉、兄、弟、妹の二男坊。決して裕福とは言えない家庭だったみたい。

「姉さん、兄さんは苦労したみたい。だけど僕はけっこう、のほほんと育てられた」

「上の人が大変だったってこと?」

「そう、でも中学のころから自分はあまり家に帰ろうとしなかった」

「家が嫌だったの?」

「嫌ってことないけど、なんとなくつまらなくて仲間内と東京に遊びに行っては、漫喫に入り浸るようになったんだ」

僕も中学生の頃、似たようなことだったのでわかる気がする。

「どこにいてもなにやってもつまんなかった。だから・・・」

「うん、マリコもそうだったよ」

なんか前にもたかし君とこんな話してたっけ。

そう二人の最初の頃。学校生活の息苦しさみたいなこと。とても不自由で、クラスの子と話しても全然つまらない。

なにかと勉強々って、うるさい親がしんどかったことなんかよく言い合ったものだった。

「おやじのこと嫌いでさ」ってたかし君

「僕も」って、これも以前に共通共鳴したような気がする。

父親の威張ったような態度になんとなく反発してた。その話でいつも二人は、なぜか盛り上がってしまう。

「毎晩、酒飲んじゃってさぁー」

「そうそう、それに何かというと新聞読んでるの」

「だから話がいつもえらそうなんだよなぁー」

「どんな時も、絶対自分の間違い認めようとしないものね」

「俺はあんな親父になりたくないよ」

「うん、たかし君はいいお父さんになれるよー」

まったく以前と同じ。これで二人の気持ちはなぜか一つになる。

「ごめんなー」って、たかし君。僕思わず涙ぐんちゃった。

陽児君が心配そうに僕に近寄ってきてくれた。陽児君を抱っこしながら、ほっぺにチュってしちゃった。なにかとても幸せな気分になれた。今夜は久々たかし君とベッドインしなくっちゃー。

「なんでだよー」ってケン。

真剣なまなざし。どこか憂いをふくんだ濡れたような瞳。じっと見つめられると思わず素敵だなぁーって思っちゃう。初めてかな、僕から呼び出したの。入間の駅中(えきなか)にあるイタリアンレストラン。

「たかし君と話したの。これからもいい夫婦でいようって」

「だから・・・」

「だからって・・・。わかるでしょ。私たちのことよ」

「だから、なんだよ」と、怒ったような困ったような気弱な表情。絵になるぐらいかっこいい。もうちょっと困らせてみようかなぁー。ってのは、こんな場合ダメだよね。

「ケンのこと好きだから、ずーっと仲良しでいたいの」と僕も頑張って言ったの。またまたケンが見つめてくる。

「だからぁ、普通のお友達でいたいの」と僕。

「やだね」って一言。

うーんお願いわかって。そんな怒ったような顔して見つめないで、ケン。

すると「わかったよ」って急にケン。わぁー、助かった。よかった、わかってくれて。

「わかったから映画に行こう」

「えっ?」

「前から約束してただろ。歩いて10分でユナイテッドシネマだ。いいね」

あれー、なんか違うよ!って言っても、もう聞いてくれない。さっさとレジして僕を連れ出しちゃうの。

「映画だけよ」って、僕は言ったけど。ケンは黙ってる。

駅のロータリーから商店街につながる道は電信柱が一本もなくて、視界がとっても広く感じられるちょっとオシャレな歩道。

その歩道を大股で歩くケンに、遅れまいと必死について行く僕。二人して映画館に向かって歩いた。

「いいじゃん、今まで通りで。いままでもいい友達だったんだから」

しばらくして、怒ったような口調でケンは僕の肩をぐいと引き寄せた。

僕はケンを見上げて「ほんとにほんとに友達だよ」って、念をおした。結局、そのままケンにつれられて映画見たけど、うーんいいのかなぁー。



久々に、前田のおじいちゃまがお店に顔出した。もう9月も終わりだというのにまだ残者が続いてる。

前田のおじいちゃまも、めづらしくアイスコーヒーなんかを注文した。おじいちゃまの頭はさらに額が広くなっていた。その少なくなってしまった髪の毛も、ぜんぜん染めなくなったのでもう全部真っ白。すっごくお年寄りって感じになっちゃってる。

それはそれで悪くないかも。少しお店もひまな時間帯なので、おじいちゃま相手にダべリングしようっと。

「お久しぶりですぅ」って、僕もおんなじアイスコーヒー持っておじいちゃまのテーブルに座った。

「アー、お久しぶりー。相変わらず繁盛してるねー」

「おかげさまで。この暑さも商売には味方ですぅー」って僕。かわいく言っちゃった。

「そうか、この暑さは年寄にはかなわんよ。ようやくこの頃外出できるようになった」

「じゃぁ、夏の間はずーっと家にこもりっぱなしだったんですか?」

「うーん、軽井沢の別荘で2か月も暮らしてたよ」

「わぁー、優雅ぁー。うらやましい。さすが! 」

「そうかい。少しばっかし、野菜も作っておったんだよ」

「そっかぁー。そう言えば、もともと畑やってらっしゃったんですものねぇ」

「まぁ、今は趣味程度。きゅうりとか、かぼちゃみたいなもんぐらいだけどね」

「いいなー、いいなぁ」

そんな話から、レタスの育て方のこつみたいなことをしばらく聞かされた。

レタスは乾燥に弱いけど、湿気もだめなんだって。けっこう病気になりやすい野菜で、雨が多いときには気をつけなくちゃいけないんだって。

「へぇー」って、僕が熱心に聞くとおじいちゃまもうれしそうにする。やっぱ気の置けない会話って楽しいなぁ。ほっとするよ。

「うふふ、でもお店のことはマリコさんが頑張っておられるから安心だよ」

「おかげさまでなんとかやってますよ」

そうだ、またまたユキちゃんのことにして、ケンのことさりげなく相談してみよっと。

僕は、ユキちゃんちまで出かけて行ったことなどおじいちゃまに聞いてもらった。

「ユキちゃんそうとう傷ついちゃったみたいなんだけど、今は立ち直ってくれたんです」

「ほうーそうかぁ、よかった。そうやって強くなるんだよね」

「ええ、ユキちゃん前より明るくなってます」

「そうだなぁー、失恋ってやつは、人を成長させてくれる反面教師みたいなもんだからなぁー」

「ええ、でもわかっていてもきついもんですよね」

「その辛さがいいんだよ。人生はつらいことの方が、後で味わいになるから面白いんだ」

「ケン君と、またうまくいけばいいなぁって思ってるんですけどねー」

「ああ、そうだねぇ。まだまだ若い、これからだよー」

なんか頼もしく話すおじいちゃま。でもふと表情が曇った。

前もそうだけど、ケンの話題になると誰かのこと連想するみたい。

「そういえば、久司さんはタイでの商売は繁盛してるんでしょう」って、聞いてみた。

「うむ。しばらくは良かったんだがねー」と声が沈む。

「2年ぐらい前かな、こっちに帰ってきてね・・・」

「あら、帰って来られてたんですか」

「ふむ、それも借金かかえてなぁ。まったく」

結局、その借金のしりぬぐいをさせられたんですって。

さすがに前田のおじいちゃまも堪忍袋の緒が切れたらしく、昔でいうところの勘当みたいな感じで、出入り禁止をきつく言いつけたみたい。そしたら、その後どうしているのかぷっつりと音沙汰がないってことらしいの。

「変なものでなぁ、昔からできの悪い子ほど可愛いと言うが、なんだか気になって仕方ないんだよ」

そうか、それで顔が思わず曇っちゃったのね。

大丈夫ですよ、きっとどこかでたくましく生きておられますよって励ましてあげた。おじいちゃま嬉しそうな顔してくれた。

なんか陽児君の笑顔と似てる。うふふっ、カワイイよおじいちゃま。

「私も出来悪かったんです」って言うと「わしもだよ」だって。そんな話で笑いあってると、お店が混んでくる時間になってきた。

「それじゃぁ、またね」って、おじいちゃま帰って行った。なんとなくお店のヒマな時間帯を見計って来てくれてるのかな。って思っちゃった。もしかして、おじいちゃまも僕との会話を楽しみにしてるのかもね。

その日はアッコとエイコの当番日。夕方には例によってミドリが陽児君をお迎えに行ってくれた。

この頃はケイコちゃんといつも一緒。ケイコちゃんは陽児君より一つ上になる。ミドリんちにお泊りするのも普通になって、もう(きょう)(だい)みたい。生まれたばかりと思っていたユウジ君も、すっかり髪の毛がふえて表情豊か。ますますかわいい盛りになりつつあるの。

そこへケンとユキちゃんもやってきた。ユキちゃん制服のまま。ケンが学校までお迎えに行ったようなの。例のセコイアに乗っけてきたみたい。

なんだかんだと言いながら、うまく付き合ってるじゃない。

ふたりで一つのオレンジジュースを頼んで、2本のストローで飲んでいる。

アツアツって感じだけど、なんかケンがわざと僕にあてつけてるみたいな気もする。考え過ぎかなぁ?

「ねぇ、さっき前田のおじいちゃま来てたよ」

「わー、おじいちゃま。会いたかったなぁ」って、ユキちゃん。

「ケン君とユキちゃん、とってもお似合いだって。若いからこれからだね」って言ってたよって伝えてあげた。なんて親切な僕。

ユキちゃんうれしそう。ケンはなんか無表情。なによ、カワイくないな。

「なんかね、ケン君のイメージは一番下の息子さんと重なるんだって」

「へー、一番下のお子さんと」ってアッコが口を出す。

姿(カッコ)もよくて頭もいいんだけど、すっごくわがままで甘えん坊なの。なんかいつも問題おこすんだって」と僕。

わざと言ってやった。ユキちゃんも「そーなんだー」ってケンの方をいたずらっぽく見つめた。

「ちぇっ」ってケン。肩肘ついて横を向く。

「でも2年も連絡なしじゃ、やっぱ心配よね」って、エイコも加わってきた。

「女だよ」って、ふてくされたように横をむいたままケンが言った。

「えっ、女?」

「そうさ、その人もてるんだろう?」

「そうか、女の人がいるって訳ね」って、ケンにユキちゃんがおおげさに流し目みたいにして視線を送る。ケンは知らんぷりしてる。

「なるほど、そうかもー」って、エイコちゃんも合いの手をいれる。僕とミドリとユキちゃんとエイコちゃんと4人で顔を見合わせてうふふ、って笑いあった。

ケンはなんだよーって、感じでそっぽを向いたままでいる。気がついてみれば、ケン一人が女4人に囲まれて相手していた。

ケンの困ったような表情が女たちにはたまらなく楽しかった。

「ケン君もおもてになるものねー」って僕が言ったら女たちは「ねー」って、一斉にケンを見つめた。思わぬ攻撃にケンは困り果てていた。それも絵になってしまうのが、いい男のいい男たるところ。

きゃっきゃっと言い合ってるところに、別のお客さんも入ってきたのでケンは解放された。それからしばらくしてケンは、ユキちゃんと二人してお店を出て行った。

せいぜい仲良くしてねって、僕はちょっとさみしい気分で二人を見送った。

その夜、僕はベッドの中で考えた。久司に女がいるとしたら、それはもしかしたら孝子かも知れない。

もしそうだとすれば孝子の死に何かかかわりがあるかも。ふむ、これは調べておかなければと、うとうとしながらそう思った。

それから僕は、いつのまにかそのまま眠ってしまったみたい。

暗い部屋で、女がもがいてる。暗くてその女の顔ははっきりしない。

どうやら別の女が後ろからタオルでその女の首を絞めているようだ。首を絞めている女の顔は、もう真っ黒で全然わからない。

花咲このみかしら?って思ったけれど、姿、形からはもっと若い女のように見える。殺されかけているのはたぶん孝子なんだろう。

僕は声をあげようとするけど、なぜか声が出ない。なんともおぞましい光景だ。空を切るように手をうごかした。

そんな自分の動きで、はっとベッドから跳ね起きた。汗をびっしょりとかいていた。なんという恐ろしい夢だったことか。

動悸がとまらない。あの孝子を殺したのは男ではなく女だったのか?だとすれば吉本ではないことになる。

でも花咲このみでもなさそうだ。「一体誰?」って、僕は暗い天井をみつめながらつぶやいた。

朝早く啓治君に携帯した。返事はすぐになかったけれど、陽児君を保育園に預けた後ぐらいに返信してきた。

「どおしたの?」

「うん、その後どうなったかなって思ったの」

「そっか。あのね、もう僕一人の捜査じゃないからなかなか教えられないんだど・・・」って、少し声をひそめる様子。

「花咲このみを任意で取り調べることになった。明日あたり、マスコミでも騒ぎ始めると思うよ」

「へぇー、ふーん、そう。ミユキ店長は?」

「事情聴取は終わってる。彼女の証言は決定的な証拠だね。致死罪の時効はまだだから、このみは実刑になると思うよ」

「ただかなえにも偽証罪や犯人隠避の罪が課せられるけど、すでに5年の実刑を受けているから執行猶予になるよ」

そっか、ミユキ店長ことかなえにはもうきついお咎めはないってことかー。まぁ、あたりまえといえばあたり・・・。待てよって、僕は思った。

「あの人たちと特に親密なものはなにもない。むしろ不必要よ」と、吐き捨てるようにいったかなえの言葉が耳によみがえった。

そう、かなえは八十八夜の人たちとも決してうまくいっていなかった。というより仲が悪かったのでは。

少女期に暗い生活を余儀なくされたかなえが、どちらかというと夢をもって演劇にとりくむ同世代の人たちとうまくいかなかったとしても不思議ではない。

懸命に取り組む明るい青春みたいなものを忌み嫌ったとしても、かなえの心象風景としてはありえるかも?

だとしたら・・・。はっと、ここで僕は恐ろしいインスピレーションにとらわれたの。あの夢の中で、孝子らしい女を殺そうとしていたもう一人の女が、かなえのように思えてきた。もしも八十八夜の人たち、特に孝子をかなえが憎んでいたとしたら・・・。

「ねぇ、啓治君」

「なに?」

「前田久司って劇団員」

「は?」

「調べてみて。孝子の死となにか関係がある気がするの」

「ふーむ。驚いたね」

「えっ、なにが」

「その名前。捜査線上に浮かんでるよ」

「えっ、そうなの」

「うん、孝子と情を通じてる男だ」

「ああ、やっぱり」

「おや、知ってたの?」

「ううん、ただの推測よ」

「にしても、大したもんだよ」

「ところで、吉本と、このみはつながってた?」

「うむ、マリコにも言われてたので、これから吉本も取り調べるよ。そうすればはっきりする」

どうやらこのみと吉本の関係は、捜査当局もなんとか目をつけてくれたらしい。それでいいのだ。

久司と孝子のほうは、やはり1年前ぐらいから、あの事件以前のような付き合いが始まっていたようなの。久々の再開で、焼けぼっくいに火が付いたみたいな関係になったらしい。僕は久司に会いに行ってみようと思った。

「ええっ、ダメだよ。もう関わらなくてもいいよ」って啓治君。そうはいくかって。

しぶる啓治君から久司の動向を聞き出した。久司は、今は新宿(じゅく)でポン引きやってるって。

ポン引きと言えばアッコの旦那。僕はアッコの旦那のジンくんに助けを求めた。

お店に来てもらっていろいろ教えてもらうことにした。

「実際、ポン引きってどうよ?」って、聞いた。それから、仲間内で久司って人知らないって聞いたの。

細身であごひげを伸ばして、もじゃもじゃ頭のひょろっとした感じのジンくん。

普段から足の長いのが自慢で、この所沢では股下が一番長いとズボンを出した時クリーニング屋のおやじに言われたと、得意になっていただけのことはある。

確かに足は長く見える。そのジン君が、長い足を折りたたんでアッコとふたり並んで僕の前に座ってる。

「久司って人のことは知ってるよ。1年前ぐらいから歌舞伎町に出てきたよ」

「1年前から・・・。そう、ねぇどうやったらポン引きってなれるの?」

「別に、誰かに紹介してもらえば誰だってなれるよ」

「会社か何かに所属するの?」

「あはっ、会社だなんて。事務所だよ」

「事務所?」

「まぁ、いかがわしいというか、正体不明の事務所になんでもいいから入れば給料もらえる」

「へぇー、そういうもんなの」

「だいたい、夕方5時くらいまでにその事務所に顔出せば、後は指示されるままに客引きをするって訳」

「それをこの人ったら、結構サボってばかりいるんだから」ってアッコが口を出す。

「そうじゃないよ。景気が悪いから、この世界でも人があぶれちゃってるんだ」

「だけど顔出してれば、それなりに仕事回してもらえるのに」

「それがやばい。けっこうあぶない仕事させられるんで、そういう時はむしろ顔出さない方が安全ってもんだ」

「危ない仕事?」って僕。

「つまりさ、警察の目を盗んでの裏取引とかをやってるときの見張りとかさ」

「へー、実際そういうことってあるんだ」って、僕は思わず感心した。

「特に歌舞伎町は香港や韓国からのいろんなのがあるんだ」

「たとえばどんな?」

「最近やらされたのが戸籍の売買。女の子世話するのに、日本の国籍があったほうがいいからね」

「そんなこともやるの・・・」

「サラ金で詰まったキャバ嬢から買いたたくとかね」

「ふーん、すごいね。なんだか怖い」とアッコが身をすぼめた。アッコはもともとキャバ嬢だ。

「まぁ、あんまり深入りしない方が身のためだ」

「それでそんなに仕事にいかないわけね」

「ああ、ウエイターの仕事の方がまっとうだ。今はそっちの方を探してる」

「そうだったんだ。私なんにも知らなくて・・・」とアッコが下をむく。

「でも見直した。やっぱ男の人ってえらいね」と僕はしげしげとジンくんをながめた。

と、ジンくん照れたように頭をかく。「だってこいつが・・・」と、うつむきながらアッコの方をあごでしゃくった。

「えっ」って、僕はアッコとジン君を見比べた。

「えへへ」ってアッコが照れ笑いしながら「私、子供できたみたい」って小さな声でいった。

「うわー、ほんとう。おめでとう!よかったじゃない」って、僕は腰をうかして喜んだ。

「いやぁーそれでね、俺もまじに安定した仕事をって思ったわけ」って、ジンくん。アッコもそれを聞いてほんと、うれしそうだった。

そうだったの、よかったねーってしばらく祝福の言葉を交わした。

「久司って人、俺なんかよりうんと年上でおやじだけど、けっこうやばい仕事もしてるようだよ」

「そうかー、連絡取りたいんだけど頼めるかしら?」

「ああ、それぐらいだったら別にかまわないよ」

「大丈夫?ジン」って、アッコ。今までと違って急に不安げな顔をする。

平気さって顔で、ジンくん請け負ってくれた。それから、子供のための新しい生活についてアッコとジンくんでお互い頑張ろうみたいな話になって、その日はそれで終わった。

二日後にジンくんから連絡あった。新大久保のガード下の木賃宿みたいなとこに久司が暮らしてると知らせてくれた。もちろん携帯番号も教えてくれたの。


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