女の人生ってほんと苦労が多いの
演劇の世界って中小の劇団がひしめいていてそれぞれに活動してるんだけど、規模が小さいので思うようにできないことが多いみたい。
それで、そんな中小劇団を支援する団体が作られてるんだって。なんと、かなえはその団体のあっせんでぜんぜん関係ない仕事についていた。アパレル業界の小売のお店に就職したみたい、ってとこまで判ったんだって。
「ふーん、そんな親。それじゃぁ、その後、かなえは孝子とはぜんぜん会っていなかったんだ」
「そうなるね。かなえを支援した日本演劇協会も、担当の弁護士さんがかなえのこと心配して相談してくれたので動いたみたいなんだ」
「そうかー、そのかなえって人、もう29歳よね」
「そうだね、まだ結婚もしてないみたいだ。以外に地味に暮らしてるみたい」
「でも、もし花咲このみの身代りになってたなら、出所したら最初に行くような気がするけど」
「そうだなー、会いに行ったのかもしれない。どうだろうマリコ、花咲このみに会いに行ってみる?」
「えっ、花咲このみに?」
「そう、いっそ直接会って聞いてみるのがいいかもしれない」
「そ、そうねー、でもどうやって」
「こんど非番になる。一緒に会いにいかないか。マリコがいてくれた方が心強い気がする」
「へぇー、なんか凄い。うん、会ってみたい」
そんな大スターに、こんなことで会えるなんて考えたこともなかった。
「面白そう!。本格的な捜査みたい」
10年前に、あの殺人(実際には傷害)事件の現場をどきどきしながらうろついた、あの興奮がよみがえる。
僕は僕で前田のおじいちゃんから聞いた話を伝えたの。
「へぇー」
敬司くんも驚き顔。
「ふむ、なんかつながってきたね。あの10年前に起きたことの真相を突き止めればもっとわかるかもな」
ちょっと刑事もののドラマのセリフみたいなこと言っちゃてる。こうなるとますます花咲このみに直撃して真相を問いただすのが一番ってことになる。なんだか二人してその気になっちゃった。
その日は、ウィッグきかせてブロンズの盛り頭に、ベロアカンカン帽。デニムのショートパンツ、厚底のサンダル。茶系の太縁のサングラスを胸にかけて、白にゴールド模様の2WAYタンクトップ。
僕のこの格好に啓治君びっくりしてたけど、花咲このみに「助手です」って僕のことかろうじて紹介してくれた。
さすが大物女優。すこし怪訝そうな顔をしたけど、意に介せずって表情で軽く会釈しておすまししてる。
彼女はアップした髪がきれいに編みこまれ華やかな雰囲気。
シルクの半そでジャケットに白と水色のTシャツ、淡いピンクのジャンパースカートをスマートに着こなして年より若く見える。さすがぁ。
赤坂のホテルでラウンジのティールーム。落ち着いた雰囲気だけでなく、なにより有名芸能人がいてもごく自然にいられるといった場所柄。
「孝子さんは自殺なんでしょう?」って、このみが不快そうに問い直した。
「はい、実は困ってるんです。自殺として扱いたいんですが、なにせ遺書がないもんですから、断定できずにいるんです」
「孝子さん亡くなられたのは、確か・・・」
「五月です。ですが3月にはお友達と箱根の方に温泉に行かれたりしてる。どうも自殺する理由がみあたらないんですよ」と啓治君、本当に困ってるような顔をする。
このみはバッグからたばこを取り出して、高そうなキラキラしてるライターで火をつけた。ふーっと煙を吹きだして、しばらくなにか考えてる様子で遠くを見る目をした。
「そうね、孝子さん病気だったのよ。春先にね、訪ねてきたの。それで乳がんでどうにもならないみたいなこと言ってたわ」
(えっ、乳がん!)って、僕はびっくり。でも啓治君は平然としてる。
「そうですね。孝子さん3月の初めにこのみさんに会いに来ておられますね」
へーっ、そうだったの。啓治君ちゃんと調べてる。
「ただ検死の結果では特に病気は見つかってないんですよ」
「そうー」
ちょっとこのみの顔がこわばった。
「でも本人がそう言ってたものだから、私お見舞金に30万ばかしさしあげたの・・・」
(えーっ、30万円)大金だぁって、僕はまたびっくり。
「あの方とは長い付き合いだったのでね。一時、同じ舞台に立ってたりもしてたものですから」
「そうでしたか。すると、ご本人がなにか乳がんにかかったと思い込んでいたってことですかね」と啓治君。
「ええ、私にはそう言ってました」とこのみ。
「あのー、孝子さんが亡くなった日なんですけど、このみさんはどちらにおられました?」
と、唐突に横合いから聞いてみた。わざとぶしつけな質問をいきなりぶつけるというのは、僕の作戦の一つ。
ぎょっとした顔をしてこのみが僕をにらんだ。
「うーん、覚えてないわ。もうだいぶ経ってるから。でも、なにそれアリバイってこと?」
「あっ、あー一応念のため、皆さんに聞いてますから」って啓治君がとりなしてる。
啓治君はおたおたってかんじ。相変わらず度胸のないこと。
「あとでスケジュール確認してみます。それでよろしい?」って、半分僕をにらみながら答えてた。
「秋元かなえは出所した後、会いに来ませんでしたか」と僕はかぶせるように質問した。
またまた、ピクリと顔色が変化する。しかしそこは堂々たるものなの。
「いいえ、来てません」とピシャリと言う。
「あのー私、この後テレビ局に入る予定なんですけど」と敬司君の方に向き直る。遠慮のない質問攻めに居ごごち悪いって顔。
「いやぁ、どうもお忙しいところありがとうございました。また質問がありましたら連絡とらしていただきますが、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」と口ではいいながら、はっきりと不快な表情が浮かんでる。
「では」と少しばかり腰をかがめた挨拶をして、ホテルのラウンジからそそくさと出て行った。僕と啓治君は一礼して見送った。
「うむ、手ごたえありだな」
「僕もそう思う。いくら女優さんでも、ぽんと30万円みたいな大金渡すなんて変よ」
「そうだなぁ。葬式にも出なかったぐらいなのに、長い付き合いというだけでお金をあげるのはやっぱ不自然だな」
「ふーん、葬式にも出なかったんだ」
「うん、参列者の名簿も弔電も全部みたけど彼女のものはなかった」
「それなのに現金をポンとねー。これが孝子さんの臨時収入ってわけか。ねぇー啓治君、これでいよいよかなえを直撃しなきゃね」
「え、かなえ。うーんかなえねぇ・・・」となにか急に渋る啓治君。
「だって10年前のあの時本当はなにがあったのか、かなえに聞けば分かるでしょ」
「うーん、そうなんだけど・・・。かなえは今、偽名を使ってる」
「偽名」
っていうか、なんだかなえのこと調べついてるんじゃん。
さっきはわからないみたいな言い方してたくせに。隠してたのね。もうー。でもすぐにバラしちゃうなんて、それもだめよねー。
「そう、やっぱり前科を隠さないとまともな就職できない。身辺は調べたんだけど、ほんとつつましやかに暮らしてる。へたに聞き込みしたら、彼女の生活を壊すことになる」
「ふーん、そうか。それじゃ僕が会いに行く」
「えっ」と啓治君は驚いた。
僕はもとより警察の人じゃない。会いに行ったからと言って周囲の目を気にすることもない。なにかと好都合という訳。
「なるほど、それならそこんところをうまく含んで会ってあげて」って、けっこう心優しいことを言う啓治君。でも次の言葉で僕は息をのんだ。
「勤め先はカナディアンバウアーというアパレルメーカーのサンシャイン店。そこで店長格で働いてる江崎美由紀が秋元かなえ」
「えーっ。ミユキ店長」
僕は思わず飛び上がった。
僕は夕方には喫茶ジョイに戻った。お店の方はユキちゃんとエイコちゃん二人で頑張っていてくれてた。
陽児君を僕に代わって迎えに行ってくれたミドリも、ケイコちゃんやユウキ君と一緒に店にいた。
ユウキ君はもう目が見えるようになっていた。産毛が透き通るみたいにきれい。
「あーっ、人間って生まれたときはこんなにすきとおってるんだぁー」って、感動しちゃった。
久々にウィッグで盛り頭してる僕を見て、みんなが歓声をあげた。お客さんたちからも声がかかる。
「いいねぇ、たまにこういう格好してほしいよね」だって。
やだね。ま、悪い気しないけど。
しばらくして、たかし君も夕飯食べに顔を出した。なぜかアッコも一緒に入ってきた。
二人してカレーライスを注文した。ゲームのモンスターハンター(モンハン)の話で盛り上がってる。
しばらくしてたかし君が気が付いたみたい。あれ、マリコ今日はどうしたの、だって。アッコも、わー、マリコかわいい!って、寄ってきた。
「お二人、今日はどうしたの?」って、僕も冷ややかに聞き返した。
たかし君は今日はお休み。アッコも旦那が久々にお仕事に行ってくれたのでヒマだったんだって。
アッコの旦那は夜の新宿で客引きをやってる。なかなか仕事に出てくれないとアッコが愚痴ってる。
「私もまたお店に出たいんだけど、旦那がいやがるしぃ」
「アッコは出れば必ずナンバー1になれるよ」って、たかし君。そういう問題じゃないでしょっていうの。
ミドリやアッコが引き上げて、ユキちゃんやエイコちゃんも時間で上がった。珍しくたかし君が陽児君のお相手をして最後まで残った。
陽児君、喜んじゃっておねむにならない。やっぱお父さんと一緒はうれしいみたい。
久々に親子3人でお店を出た。
外ではケンが待っていた。陽児君はいつものように自然な動作で、ケンにだっこされて自転車の赤ちゃんイスに乗っけてもらった。たかし君ちょっと驚いた様子。
そのまま4人で僕のアパートまで並んで歩いた。道すがらたかし君が地方での自分の経験した出来事なんかの話をしてる。
北海道ではなんと海岸であのうにが取り放題。だけど業者みたいな人が大量にとったりすると捕まっちゃうんだって。それから九州の博多では、名物の屋台が保健所の規制が強くなって、年々面白みがなくなっているのがつまらないんだって。ふーん、やっぱ日本は狭いようで広い。いろいろあるんだ。それにしてもたかし君、いろんなこと知ってるじゃん。さすがに全国を走り回ってるだけのことはある。
アパートに着いても、ケンは普通に中に入ってくる。たかし君は怪訝そうな顔をしてる。
でも陽児君が当たり前のようにケンになついてるので、何も言えないみたい。
たかし君が陽児君をお風呂に入れた後も、ケンは帰ろうとしない。陽児君が寝付いちゃうと大人3人になった。
「マリコ、つめ切ってくれ」って、急にたかし君。
なんか高飛車。僕が返事しないでいると自分で爪切りを持ち出して僕に渡す。しかたないので爪切ってあげる。
まだ付き合い始めたばかりの頃、一度だけつめ切ってあげたことがあるけどそれ以来だ。ケンは何も言わずに黙って見ていた。たかし君は得意そうな顔をした。
「アッコ達って、うまくいってるのかな」ってケンがたかし君に聞いた。
最近アッコといることの多いたかし君に、チクリと質問してる感じ。
「うーん、いつもケンカばっかだって」とたかし君。
「もしかして別れるのかな」ってケン。
「どうだろう?」とたかし君、僕を見る。あれ僕にお鉢がまわってくるの?
「まぁ、なんとかつながってるんじゃない。あれでもけっこう仲いいんだよね」と僕はケンを見て言う。
なんか間が持たない。3人して所在無げにしていたの。しばらくしてようやくケンが「じゃぁ僕帰ります」とぽつりと言って腰を上げた。
たかしくんも「ああ」と返事して目で見送る感じで会釈した。ケンが帰って僕は正直ホッとした。
すると久々にたかし君が僕に迫ってきた。いつも以上に積極的。もしかしたらケンにやきもち焼いたのかも。今までたかし君がこんな風になったことなかったような気がする。
「なによ」って思いながらも、ケンとのこと変に勘ぐられたくないので、僕もちゃんと受けてあげた。もう何か月ぶりかしら。
(お父ちゃん!もっとしっかりして。早く自分のトラック持ちなさいよ。それが目標なんでしょ。)
でも、あんまし言うと嫌がるので今夜はそれでおしまい。
久々にサンシャインビルのカナディアンバウアーのお店に顔を出した。アキコちゃんが飛び出してきた。相変わらずの赤毛、おひさしぶりー。
僕の知らないもう一人の店員さんがいた。たぶん僕の代わりに入った人。
「ちょっと寄ってみたの。ミユキ店長さんは?」
今、休憩中とのこと。ハウスマヌカンって、一日中立ち仕事なのでけっこう重労働。だから交代で1時間は必ず休憩をとる。たしかミユキ店長は大体午後の2時とか3時に休憩とるのが決まりだった。
「さっきまで居たの。ちょうどすれ違いでいつものお店に行ったわ」とアキコちゃんが教えてくれた。
「そう、わかったわ。ついでだから挨拶だけでもしとこー」
僕は地下街のカフェに寄ってみた。僕もお勤めしてた頃、いつも来ていたお店。ミユキ店長は奥の隅っこの席で雑誌かなんか広げてコーヒーを飲んでいた。
相変わらずのパンツルック。クリーム色のシャツ姿、上のボタンだけはずしてる。髪はポニーテールというより、ひっつめで後ろに束ねてるって感じでしゃれっ気はなさそう。
僕が近づくと向こうで気づいてくれた。ちょっと驚いたような顔をしたけど、またいつものように愛想のない表情にもどった。
「こんにちは!」って僕の方から挨拶をした。彼女、広げてた雑誌をとじて会釈した。
「お久しぶりです。ここいいですか」って、いいながら向かいに座った。
「おひさしぶり。どおしたの?」
「うふ、ちょっと用があったので・・・」
「どぉ、お店うまくいってるの?」
「おかげさまで、なんとか」
「そー、よかったね」と特に嬉しそうでもなく言った。僕はコーラを注文した。
「今はなんとか、パートさん二人とアルバイト二人使えるようになったんですよ」
「あら、すごいわね。始めて何か月だっけ?」
「早いもんで、半年たっちゃいました」
ふーんと言って、それっきり黙ってしまう。
「私のいとこで、幼馴染の啓治というのがいるんです」と僕は切り出した。
彼女は相変わらずの無表情だ。
「小さいときはけっこう泣き虫だったんですけど・・・。最近お店に顔出してきたんです。そしたら、なんとその泣き虫が警察官になってるんです。しかもしかもですよ、今は刑事見習いみたいなことになってるんです。驚いちゃいました」
店長さん黙ったまま聞いてくれてる。
「でも見習いだから、雑用みたいな仕事が多いんですって」といっても、やっぱ何の反応もない。
「たとえば、自殺した人の動機を調べるみたいな・・・」
やっぱり無表情。すごいね。普通はへー、ってぐらい言いそうなんだけどな。
「香川孝子って人。この5月に首つり自殺した人」
僕はミユキ店長ことかなえの表情をみつめた。でも特に変化はない。けれどほんの一瞬こわばった気がした。彼女は、つっとコーヒーカップを手に取った。
「私頼まれちゃったんです。そのいとこの刑事見習いの菅原啓治さんから」って言って、背筋を伸ばして真正面からかなえの顔を見つめた。しばらくかなえはうつむいたままだった。
「そう・・・わかったわ」
ややあって、おもむろにかなえも僕を見つめ返してきた。
「聞きたいのは、あの昔の事件のことなのね」
「ええ、直接警察の者が聞きに行ったら、今のあなたの生活を壊すことになるかも知れないって。だから代わりに私がって」と僕は、表情をやわらげた。かなえもうなずいてる。
「あらましは聞いてます。あなたの本名は秋元かなえで、演出家の辻本って人を誤って刺しちゃった・・・」
「そしてあなたは自分から出頭してきたけれど、そのとき付き添っていたのが自殺した孝子さん。って、ことですよね」
「ふん、そうね」とひややかな表情でつぶやいた。
「それで5年の実刑を受けられた。出所されたのが24歳の時ですよね」
「そう・・・」とうなずく。
「このカナディアンバウアーに就職されてから5年。店長になられて1年。外資系の企業に入ったのは、日本の会社ほど過去の履歴にこだわらないから。ですよね」
かなえは小さくうなずいた。
「前田久司さんって、劇団員覚えておられます?」
かなえの表情が硬くなった。でも特になにか話そうとするわけでもなく、ただ押し黙ってる。
「その人の目撃談では、辻本さんを刺したのは花咲このみさんだそうです」
僕の、前田のおじいちゃんの話からかってに憶測したひっかけだ。真正面からかなえの顔を見つめた。彼女は遠くを見るような目でお店の入り口の方を見ていた。
ふっと、深呼吸をするそぶりを見せた。そしておもむろに、何かを深く決意したような顔つきをした。
「私の名は、もともと今使ってる江崎性だった。そう江崎香苗よ。10歳の時、母に連れられて秋元の家に入った。母が乞われて再婚したから」と静かな口調で話し始めた。
川崎でアパート暮らしの子供二人の母子家庭だった。勤め先の食料品会社の社長から紹介された。
地元の中学校の校長をやっていて、ながらくやもめ暮らしをしていた秋元則夫の後妻に入ったのだ。
則夫はこの時、すでに50歳を超えていた。かなえの母親は控えめで古いタイプの日本女性。従順な性格だった。
そこが秋元の要望に合致していた。未亡人の貧しい親子が、地元の名士の秋元家にもらわれたのだから、玉の輿に乗ったように周囲から見られた。
そのせいか、かなえたちは秋元家のなかで小さくなって暮らした。父親の則夫から優しい言葉をかけられることはなかった。
朝食は一緒に食べさせられたが、会話のようなものはほとんどなかった。
母親はまるで女中のように仕えていた。やがてこの従属関係のような夫婦にも赤ん坊が生まれた。
すると、かなえとその弟は屋敷の一番奥の部屋に移動させられた。それからは食事も姉弟だけでとらされ、肝心の母親とも一日一度ぐらいしか顔を合わせなくなっていた。
かなえは子供心にもひどく屈辱的な思いにさせられた。
中学生になるころには激しく継父の則夫を憎むようになっていた。
何度も家出を繰り返し、その都度、母親が必死に探して連れ戻した。世間体を気にして則夫が激怒するからだ。
しかし、中学を卒業するとそのまま東京に出て行き戻ることはなかった。
かなえは、年をごまかしキャバクラを転々としていた。そして池袋のキャバクラで辻本に見込まれた。
あの有名な劇団春秋の演出家で金離れもよく、しかも演劇の世界に自分を誘ってくれる。何の希望もなく生きていたかなえにも、ようやく目標のようなものが生まれた。
かなえは献身的に辻本に尽くした。その姿は彼女の母親のそれによく似ていた。
そしてあの夜、以前から辻本と関係のあった花咲このみがかなえに食ってかかった。かなえも負けてはいなかった。
日頃は母親と同じように控えめでおとなしいかなえが、嫉妬に狂う大女優をむしろ冷ややかにさげすみ見くだしたのだ。
逆上したこのみが、レプリカのサーベルをかなえに突き刺した。辻本はそれを必死にとめようとした。周りの劇団員は誰も手出しができない。
そしてあろうことか、刺されたのは辻本だった。すぐに救急車を呼べばそれでも助かったのだろう。
しかし当の辻本がそうさせなかった。ことは看板女優の犯罪だ。このままではまずいと考えた。
急きょ、格闘シーンの練習中の事故というシナリオを言い出した。さすが演出家だ。瀕死の息をしながら、皆を制して筋書きを考えた。その場で劇団員には口裏合わせが申し渡された。
ようやく呼ばれた救急車で病院に担ぎ込まれたが、すでに危篤状態だった。結局、次の日には辻本は息を引き取った。そして事件として警察が介入する。
この時も劇団は花咲このみをかばうことに必死だった。錯乱状態にあるこのみを、長野の別荘に隔離した。
一方、かなえを都内のホテルに缶詰めにした。そして劇団の直接の先輩にあたる孝子がかなえを説得した。辻本が結局死んだことと、死ぬ間際に劇団を守るためにかなえが自分を刺したことにするように指示したと伝えた。
かなえは驚いたが、苦しい息の中でも事故に見せかける算段を計画していた辻本の姿を思い承諾した。孝子の一言も効いていた。
「かなちゃん。まだ未成年だから、大した罪にはならないよ」
「でも実際は、実刑の5年の懲役だった。そのとき無実をあらためて訴えなかったの?」
と僕は聞いた。
「普通はそうなるよね」とかなえは僕を見つめて言った。
「でも途中で意味が変わった」
「意味が変わった・・・」
「そう、私がこんな事件を起こして一番困ったのは別の者だった」
「別の・・・もしかして秋元?」
「そう、母は警察に呼ばれ面会にも来たけれど、則夫は1度も来ようとはしなかった」
「それじゃぁ・・・」
「そう絶好の復讐になった。秋元家の体面は完全に地に落ちた。則夫は校長職を辞職したの。ふふ、いい気味だったわ」
かなえは昂揚し、血の色を感じさせる赤ら顔になった。
「それで5年もの実刑を甘んじて受けたの?」
「5年なんて大したことないわ!私は一番楽しいはずの10歳から15歳までの少女時代を、あの暗い牢獄のような部屋に押し込められていたのよ」
語気を荒げて、かなえは吐き出すように言った。
長年の胸にたまった怨念が毒気となって外に発散されてくるようだ。
かなえの無念さが僕にも伝わる。悲しかったのだ。母親を奪われ、自分たちの尊厳さえ奪われた。幼い姉弟にとってどんなにかつらく寂しかったことか。
「出所したとき、迎えに来てくれたのは弁護士さんだけだったのですね」
「そうあの方は年とった弁護士さんだったけど、その分細やかで情の分かる人だった」と懐かしげにかなえはつぶやいた。
出所日が近づいたとき、この弁護士が奔走してくれた。
彼女が劇団員だったこともあって、演劇界の互助会的な組織、つまり日本演劇協会に相談して就職先を探してくれた。
何回か面会してるうちに、かなえに演劇への未練がないことがはっきりした。もともと辻本に誘われてお芝居の世界に入ったのだ。
その辻本を失ったいま、舞台に未練はなかったようだ。それで舞台衣装を手がけているアパレル業界から外資系を選んであっせんしてもらった。そこが今の職場だ。
「なぜ八十八夜の人たちと連絡取らなかったんです?」
「あの人たちと特に親密なものはなにもない。むしろ不必要よ」とかなえは言い切った。
「もう時間だわ。行かなくちゃ。今の暮らしね、落ち着いてるの。確かに警察なんかに聞きに来られたら迷惑だったわ。お宅のいとこの刑事さんのご配慮、感謝するわ」
そう言って、ミユキ店長はレシートを手に取った。
「あっ、それは私が」って、言うのを店長は制していいのよってレジに向かった。エレベータの中で、別れ際に店長がふと思い出したように言った。
「一年前、あの弁護士さんが顔出したの」
「えっ、担当の」って僕。
「そう様子見に来てくれたの。そのとき教えてもらったんだけど・・・」
花咲このみが、出所しても何も言って来ないかなえを不審に思ったみたい。探偵を雇ってかなえの行方を捜したようなの。
その探偵が弁護士のところにも聞きに来たっていうの。もちろん知らないと追い返したみたいだけど、花咲このみの疑心暗鬼な様子が見て取れるって言ってたらしい。
「名前を変えててよかったわ。これからも内緒にしといてね」
そう言って、エレベータを先に降りる僕を見送ってくれた。




