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男と女の絡むことってそれだけで事件になるのよね

もすこしで8月にって頃に、啓治君から携帯があった。そしてお店にやってきた。この前とおんなじ9時ちょっと過ぎに。

前と違うのは、僕が陽児君をまたもミドリのところに預けておいたこと。

啓治君の用件がこの前のはっきりしない自殺のことだってわかっていたから、たぶん長話になるだろうと思ったからなの。

カウンターに座った啓治君は、カレーライスをパクパクっと平らげた。アイスコーヒーとコーラをゴクゴクと飲む。

連日35度超える気候だから、冷たいものがよく出る。お店にとっては商売繁盛の暑さだ。

「で、どうだったのやっぱ自殺だった」

サイフォンを片付けながら僕が聞いた。

「うん。捜査はやっぱ原因不明の自殺ってことで終了した。けど・・・」

「けど?」

「マリコがあんなこというから、僕が自殺って断定するには不自然すぎるって主張したんだ」

「へぇー」

「そしたら、僕単独で捜査続行ってことになった。もちろん内密でだけど」

「えーっ、啓治君ひとりで!内密で?」

どうやら同じ管轄内で、別の殺人事件が発生したみたい。人手の多くをそっちの捜査に回さなければならなくなった。それで自殺と断定してこの事案を終了させようとしたところ、新米の見習い刑事が異議を申し立ててきた。

ベテランたちは、こんなことは日常茶飯事なのでさほど興味をわかさない。

ところが、ほやほやの新人さんには一大事だ。ついついむきになってくる。

実際、自殺の明確な理由が見つからないのも事実なので、それではということで力試しに一人でやってごらんということになったらしい。

「ふーん、卒業試験の方は?」

「ああ、先週終わったよ」

「受かったの?」

「結果はまだ。たぶん大丈夫だろうって」

「へぇー、すごいね」

「うーん。だけどまだ刑事にはなれないんだ」

「えっ、どうして?」

試験に合格しても、枠がないので空きを待つらしい。しかも空き待ちの刑事見習いはけっこう全国にいるらしいの。

その間は、制服組にもどってまた交番勤務だって。もちろん成績あげれば、優先的に刑事に抜擢されるらしい。

けっこう狭き門をくぐらないと成れないもんなんだね、刑事って。

「8月からはまたおまわりさんに戻ると思うよ」

「じゃぁ、任された捜査の方は?」

「そう、それなんだ。じつは・・・」

「なに」

思わず身を乗り出す僕。

「例の臨時収入って言ってたやつ。その出どころがね。よくわかんないんだ。」

「ああ、なんか景気いいって言ってたやつ」

「そう、温泉旅行もけっこう豪華。箱根の個室の温泉で一泊10万円近くする贅沢な旅行なんだ。」

「へえー、すごいね。誰と。夫婦で?」

「ううん、香川孝子は、独身で旦那はいない。どうも付き合っている男と行ったみたいなんだ」

「その人、孝子っていうの。恋人がいるんだ」

「そう、吉本幸雄(ゆきお)。やっぱり40歳、団体職員だ」

「ダンタイショクイン?」

「一般の会社じゃなくて、営利目的でない団体の職員ってこと」

啓治君少し面倒くさそうに言う。何よ、悪かったわね知らなくて

「演劇関連の団体でけっこう規模の大きい団体の幹部だ」

「ふーん。孝子さんて、40歳なの?」

「そう、どうも若いころは演劇を目指してたらしく、二人は若いころからの付き合いだったらしい」

「へぇー、彼氏も独身?」

「今はね。2年前に離婚してる。子供も二人いた」

「なんかいろいろありそうね。じゃぁ、その人が怪しいって訳」

「彼にはアリバイがある。孝子が自殺した5月には、関西方面に興業のために長期出張してる」

「へぇー、でもやっぱ、変よね。首つるぐらいなんだから、覚悟の自殺だったら遺書の一つも書くような気がする」

「それがね、発作的にってことも考えられるんだ。なにせ、ドアノブにタオルをひっかけての首つりなんだ」

「えーっ、そんなんで首つれるの?」

「うん、非定形首つりって結構多いんだよ。完全に足が床から離れなくても窒息できれば絶命するんだ。未遂になることも多いけどね」

「へぇー。」

サイフォンも洗い終えて、僕は冷やした麦茶をだした。啓治君はその麦茶をおいしそうにゴクリゴクリと飲んだ。もちろん僕もゴックン。

「それで、やっぱりその臨時収入の出どころが気になって・・・」

「なにか別の仕事でもあったのかしら?」

「孝子は所沢で劇団に所属していたことがあったんだ」

「えっ、所沢にそんなのあるの?」

「けっこうあるよ。名が知れてるのは、劇団銀杏の実とかね」

「ふーん、そうなの・・・。そういえば、うちのお店にくる学生さんたちにも劇団おしゃれってやってる人いた。確かFM所沢で番組持ってるとか言ってた」

「はーん、ここら辺は学生さんが多いからね。それって学生中心の劇団だと思うよ」

「じゃぁ、孝子って人も幸雄って人も演劇やってたんだ」

「そう、劇団春秋八十八夜っていってね、あの有名な劇団春秋の所沢支部みたいな劇団にいたんだ」

「へぇー、あのミュージカルなんかで有名な?」

「そう孝子なんかは脇役だけど、けっこう知られてたらしいよ。所沢では」

「ふーん、それなのにやめちゃったんだ」

「そう、それも10年前、ある事件をきっかけにね」

「10年前、事件?」

あれって、ピンとくるものがあった。

「そう、あの僕たちが大騒ぎしたあの殺人事件」と啓治君も興奮気味に声を強める。

「えーっ、やっぱそうなの」と思わず僕も驚きの声をあげる。

「そうなんだ。まさかと僕も思ったけど、そうなんだ」

10年前の事件は、まだ子供だった僕たちにはよくわからなかったけど、まさにこの劇団春秋八十八夜のけいこ場で起きてたの。

女性団員が演出上のことでもめ、演出家を刺した。刺された演出家は出血多量のショック死で次の日に亡くなった。女は二日間の逃亡の末に自主してきたんだって。

感情的に刃物を持ち出したということで、もともと殺意のなかった傷害致死事件になってしまった。

あの時啓治君はそうとう興奮したけど、実際は「本当の殺人」事件ではなかったんだね。結局犯人はまだ19歳で未成年ということで、懲役5年の判決が出たみたい。

「この事件の後、劇団は一たん解散。最近になって再結成されたんだ」

「ふーん、でもどうしてそんな事件がおきたの?」

「その事件の捜査資料も目を通したよ」

あの夏の夜。劇団春秋に憧れて研修生として八十八夜に所属していた秋元かなえ。彼女を劇団に入れたのは演出家の辻本明夫。

秋に予定されていた「リボンの騎士」の練習が続いていた。言わずと知れた手塚治虫の代表的な作品をミュージカル仕立てで公演するものだったの。

これはひとり八十八夜の企画ではなく、むしろ親会社にあたる劇団春秋全体が取り組む全国規模のものだった。

この日も春秋の看板スター、花咲このみが練習に参加していたの。

いきなりかなえが、演出家の辻本に食ってかかった。

「なによ!昨日の話と違うじゃない!」

突然の剣幕にまわりにいた劇団員たちもそれぞれの動きを止めて二人を注目した。

初めは演出上の意見の食い違いかと皆思ったがどうも違うようだ。

どうやら辻本は彼女に準主役的な役割を約束していたらしい。

主役は春秋が鳴り物入りで売り出している大型新人の野原みゆき。かなえとは同い年になる。その主人公の親友的な役割をもらえることになっていたみたい。ところがこの配役に大物女優の花咲がクレームをつけた。

「原作にそんな人物はいない。不必要な演出だわ」と、相手は主人公のお母様の王妃を演ずる劇団の実力者。演出家も無視できない。

結局この役は没となった。突然役を奪われたかなえが、花咲の目の前で辻本にかみついたってわけなの。

しかし、その内容は微妙。どうもプライベートな付き合いで特別な関係があるようで、辻本が無碍(むげ)に突き放せず困っている様子。

見かねて花咲が中に割って入った。これがかえって、かなえを逆上させたようだった。

近くにあった演出用のサーベルのレプリカを辻本に振りかざした。

決して本物ではないので、殺傷能力のあるものではない、はずだったの。だけど体ごとぶつかったせいかそのレプリカが辻本の体を貫ぬいちゃった。

現場は大騒ぎになり、救急車が呼ばれ被害者は病院に担ぎ込まれた。

なぜかすぐには警察は呼ばれなかった。劇団内の醜聞(スキャンダル)なので、なんとか事故で処理しようとしたらしい。

しかし、翌日、当時50歳になる辻本の容体が急変して死亡してしまった。

このことで、病院側から警察に連絡がとられた。詳しい事情を聴きだすために警察はかなえを追った。かなえは行方をくらましていたが、(この間に、僕と啓治君が探偵ごっこで現場をうろついていたって訳)二日後に彼女は孝子に付き添われて出頭してきた。といったいきさつだった。

「ふーん、すごいね。それで、そのかなえってどうなったの」

「うん、すでに刑期を終えて出所してる。今どうしてるかな・・・」

「死んだ孝子(絶対自殺なんかじゃない)ときっとつながりあると思うよ。」

「そのはずなんだけど、接触した形跡がみあたらない。行方が分からないんだ」

「へー、実家でもわかんないの」

「うん、いちおう聞き込みしたけれど、出所後連絡は一切ないって言ってた」

「でもどっかにいるわけなんだから、必ず見つけ出すべきよ」と僕も熱くなる。

「この広い東京、所在不明者は何万人にもいるんだよ」

「東京?埼玉じゃない。もしかしてこの所沢かもよ」

「うーん、わかった、わかった。追っかけてみるよ」と啓治君。

なんだか突っ込みどころが弱いんだよね。小っちゃい頃は、推理物読んではいろいろ推測してたじゃない。けっこういい意見言ってたような気がするけど、大人になるとひらめきが鈍くなんのかしら。

「ねぇ、マリコ・・・」って啓治君。

「なぁに」と僕。

「頼んでいいかなぁ」

「なにを?」

「来月からは交番勤務なんで、今迄みたいに捜査に時間が割けなくなる」

「そうよね」

「それでね、マリコに頼みたいの」

「なによ」

「つまり僕の代わりにいろいろと調べてもらいたい」

「えーっ、僕!」

「そう自分も非番の時には動くから・・・」

「うーん、僕が・・・できるかなぁー」

「経費はある程度出せるよ。交通費ぐらいだけどね」

「お店もあるし、無理っぽいなぁー」

「うーん、そうだけどね・・・できるときだけでいいんだ。マリコだったら僕も安心だ」

「なによ、それ」って言いながら、なんだかやりたくてうずうずしてる僕。



ケンがじっと僕を見つめる。お盆休みを取れって言うの。彼の田舎の秩父から山梨に向けてドライブで一泊旅行をしたいという。

そういえば、お店始めて一日も休んでいない。夢中でやってきたから意識しなかったけれど、確かに休みをいれてもいい頃かもしれない。

(二人の秘密の)あの夜からしばらくして、そう8月になってからかな、毎晩ケンはお店の終わりごろに来るようになった。

決してお店に入らず、外で僕を待ってるの。おねむの陽児君をおんぶしてくれたり、逆に目がさえてなかなか寝付けないときはお部屋で寝かしつけてくれたりする。

うっかりすると父親のたかし君より親密になっている。

たかし君は地方でお泊りが多いから、週に1日か2日しかいない。その貴重な日も外に遊びに行ったりするので、陽児君にすればケンと一緒の方がお父さんとより自然な感じになっちゃってる。

僕も僕で、ケンとお別れのキスが普通になってしまった。時には抱きすくめられて、うっとりしちゃったりしてる。

ユキちゃんのこと思うと申し訳ない気がする。ケンのずるいところはちゃっかりユキちゃんとも付き合ってるってこと。

もちろんユキちゃんは僕とケンとの関係は知らない。

ばれたら大変なことになるっちゅうのに、もうケンったら。

「いいわよ。じゃぁ、二日間だけ休みを取るわ」

逆にケンを問い詰めて、僕とのことをあきらめさせてやろう。ユキちゃん一筋にもどしてあげなくちゃぁと思った。なんつたって僕はれっきとした人妻ってことわからせなきゃー。

ミドリに事情を話した。ミドリ驚いてたけど、理解してくれた。

「一番いけないのはマリコよ。かわいい女って罪作りなんだ」って言われた。そんなことない。ちゃんとけじめつけるからって約束した。

お盆の最中はどこに行っても混むので、一週間ずらしてお休み取った。

陽児君はミドリが見てくれる。

たかし君は東北方面にお仕事。なんだかわくわくしてる僕。ダメダメ、ちゃんとしなければ。ケンと白黒つけるんだから。

ケンは、トヨタセコイアの北米輸入車で色はブラックというのでやってきた。

「5800CC,V8エンジン、7人乗りだよ。ほら、高速が1000円になった時があったじゃん。そん時からは車中泊がトレンドだからね」って、こともなげに言う。

僕はもう目が真ん丸。どこからこんなすごい車持ってきたの?って感じ。

しかも二人だけのドライブなのに7人乗りって・・・。

ケンはそんなことお構いなしに、さわやかな笑顔で白い歯をのぞかせ「さっ」って、感じで僕を車内に引っ張り上げた。

「きゃっ」って、僕もかわいく驚きながら乗っかっちゃうの。

いかんいかん、こんなこっちゃ。すっかりケンのペースにのせられてしまった。

秩父路は299号線で荒川沿いにくねくねと山あいを走る。山と川が入り組んだ景色はとってもグー。

正丸峠の長いトンネルを抜けて秩父に入る。横瀬町を過ぎて、彩甲斐街道につながると甲府方面に向かう。

目的地は昇仙峡ですって。いつの間にそんな計画練ってたの!。ケンのやつ、なんにも言ってなかったのに。もうわくわくドキドキ。

ケンは、秩父の百姓家の生まれ。五人兄弟の末っ子。

兄二人はもうすでに30歳を過ぎて家庭も持っている。間に姉二人だけれど、やっぱりすでに嫁いでいる。

結局一番遅くに生まれたケンこと健が、実家に一人残っている。おかげで、わがままはたいてい聞いてもらえるんだって。

この車も、家族みんなで乗れるものをってケンが選んだらしい。

恵まれてる反面、男兄弟は医者に弁護士とみな優秀。慶応と言えば一流の大学だけど、それでも兄さん達と比べられれば低く見られてしまう。

ケンにとって、そんなエリート志向の家風が重荷になってるみたい。どことなく憂いを帯びた表情を見せるのはそのせいかしら。

でも将来は管制官のような空に関係する仕事を目指してるんだって。

大学卒業したら、都内の航空専門学校に行く予定なんだって。

秩父で名家(めいか)として知られる家に生まれたものの一人として、その程度のレベルは目ざさなければならないらしいの。

「大変だね」って僕は同情した。するとケンがひょいと横道に車をいれた。

「ちょっと休憩」といって僕を抱きすくめる。

軽く口づけをして、またドライブに戻るの。驚き:-)あまりの早業にされるがままの僕。

車は、荒川村から大滝村を抜けて滝沢ダムを超える絶景のコースを軽快に走る。

その間にも、何度かこのケンの「ちょっと休憩」があって、その都度キスが繰り返された。僕は初めは抵抗してたんだけど、だんだんと無抵抗になっていた。

はっきりいってケンは相当のプレイボーイだ。女の子の気持ちをとろかすのに慣れている。

昇仙峡の入り口で車をとめて、渓谷の入り口までは乗り合いの馬車に乗る。

ぽっくりぽっくり、複数の観光客を乗せて緩やかな上り坂をのんきに登って行く。ケンと並んで揺られていると、とても幸せな気分。ああうっとり。

馬車をおりたら、今度はけっこう険しい坂道を徒歩で登って行くことになる。

細い山道と奇岩がごろごろしている渓流を眺めながら、ケンにつれられて歩くのは楽しかった。

途中ロープウェイにのってパノラマ台から秩父連山、甲府盆地、日本アルプスにつながると音声解説してくれた雄大な眺めをケンと二人で心ゆくまで楽しんだの。

(まじ、やばっ)

戻りのくだり道ではすべて徒歩。急な下りの山道はヒールのついた靴の僕にはうまくない。ついよろけてしまい、僕はいつの間にかケンの腕にすがって歩いてた。

なんとか駐車場のところまで降りて、それから石和温泉まで車で向かったの。そしてそのままケンが秘かに予約していた宿に入った。

ここまでは完全にケンのペース。でもこのままでは終われない。

お風呂を上って、お部屋で二人だけの夕食。僕はお酒は苦手だけど、横に座ってケンに日本酒さしながらいよいよ本題。さぁー、とっちめるぞ。

「ケン。ユキちゃんのことどう思ってるの?」

「ああ、うん、あー、ユキちゃんはいい娘だね」

「そう、とってもいい娘よ。それにケンのこと本気で想ってる。ユキちゃんのこと傷つけてはだめよ」

「僕はなにもしてないよ」

「ほんとう?」

「・・・」

「そんなこと言って、ユキちゃんとも会ってるんでしょ」

「ああ、花火見に行ったよ。熊谷の花火大会」

そうそうそう!そうやって二股かけちゃいけないの。これからはユキちゃんだけを大事にしてあげてって、僕はケンにはっきり伝えたの。

「今日はいいけど、私はやっぱり結婚してる身だし・・・」

「ユキちゃんとは、これからも仲良くしていくさ」

「仲良くするって、そんなんじゃーユキちゃんが可哀そう。本気になってあげてよ」

「だからそれは僕一人のせいじゃない」

「そんなことない!ケンがちゃんとしないといけないんだよ」と少しお酒で赤らんだケンの顔を僕はにらんだ。

「違うよ!」ってケンがすっごく真剣(まじめ)な顔をして見つめ返したの。

「一番いけないのは、マ・リ・コ」

言いながら、ケンはうんと優しい笑顔で浴衣の僕を抱き寄せた。ケンの大きな体に小柄な僕は簡単にケンの懐のところまでだっこされちゃった。

「あん」って言いながら、僕はケンの胸をトンとたたいた。けど、そのまま抱きすくめられる形になってしまってる。

「こいつ」って思ったけど、ミドリに言われたことが頭んなかに浮かんできた。

「一番いけないのはマリコよ」

結局僕はケンを受け入れた。その夜ケンは僕を一生懸命愛してくれた。ケンの細やかさが十分に感じられる愛し方だった。

ダメダメって思ったんだけど、途中で考えが変わったの。たかし君がしっかりしてないのがいけないんだよって思ったの。だってだから僕がこうなっちゃうのー。

でもでもやっぱり一番いけないのは僕なのかなぁ・・・って、ケンに愛されながらぼーっとなっちゃった。

オーナーの前田さんが、久々にお店に顔を見せた。ちょっと見ない間にずいぶんとおじいちゃんになったみたい。

ホント、すっかり楽隠居しちゃって、ダンディさが消えちゃってるの。

こんなに老け込むなんて、人間あんまり楽になり過ぎるのも考えもんだね。

それでもコーヒーへのこだわりは変わらないみたいで、僕の淹れたコーヒーをじっくり味わってるのが判る。

僕としては、検定試験受けてるみたいでドキドキしたよ。

でも満足そうにコーヒーを飲んでくれたのでほっとした。

「ずいぶん頑張ってるね、マリコさん」って、にこにこ声をかけてくれた。なんか気が休まる。お年寄りの笑顔って良いよねぇ。

「ええ、おかげさまでお客さんが来てくれるので、何とかなってます」

「うんうん、評判は聞いてるよ。ふふ、私がやってる時より繁盛してるってね」と嬉しそうな笑顔。僕もうれしくなってありがとございますって言った。

「マリコさんを選んだ私の目に狂いはなかってことだ」

「ほんと声をかけていただいて、ありがとうございます」

なんか安らぐ口調。以前の、かっこいい年長者のイメージより親しみがわく。こういう力の抜けたお年寄を、僕はどっかで探してたって気がする。

「お店やってるといろいろ苦労も多いと思うけど、それもまた楽しいもんだよ」って、その通り。分かってもらえるってホントうれしい。

なんかいろいろ話したくなった。ちょうど午後の2時過ぎで少し店もヒマな時間帯。アッコとエイコちゃんにカウンターを任せて、僕は前田さんの席に座わった。

前田さんならケンのこと相談できるかもと思った。でも直接僕のこととして話すわけにはいかない。

ちょっとズルだけど、ユキちゃんの悩みみたいな聞き方でケンのことどう思いますって聞いてみた。

「ふーん、うらやましいぐらいいろんなものを持ってる人なんだねぇー」

「そうなんです。けど、どっか甘えん坊で自分勝手なんですよー」

「うーん、裕福な家に育って、しかも末っ子だからねぇ」と前田さん大きくうなずく。そして遠くを見るような目をして窓越しに外を見やってる。

あれ、なんか思い出すことがあるのかしら?

「自分の子供もね、末っ子には手を焼いたもんだよ」

「息子さん・・・ですか」

「そう一番下の子がね、役者なんか目指したりしたもんだからね。けっこう大変だったよ」

「えっ、役者ですか」

「ああ、下手に容姿(すがた)がいいもんだから、その気になってね。ずいぶんをお金がかかった」

「ええー、お金かかるんですか」

「そう劇団春秋って有名な劇団だったけど、何かとお金を取られてね」

「えっ劇団春秋」って僕はビックリ。いきなり前田さんからこの名前が飛び出すなんて。

「といっても、所沢支部みたいなもんだったから、そんなたいしたことないんだけどね」

「八十八夜ですか?」

「おうー、よく知ってるね。」

「へぇー、じゃぁ今も役者さんですか」

「あ、いや、だいぶ前にやめてタイの方で輸入品のお店を始めたりしてたよ」

「わぁータイで、すごいですね。いつごろまで劇団にいたんですか?」

「そうー、あれはお店を始めて間もなくだから10年ぐらい前のことだったかな」

「えーっ、10年前」って、またまたビックリ。ひょんなことからとんでもない証人を見つけたのかも知れない。

前田さんがお店を始めて1年目ぐらいの頃、大学出てプラプラしていた3男坊の久司君がなぜか、突然役者を目指し始めた。

後でわかったのだけれど、お店に出入りする劇団員の中の一人と付き合うようになり、その影響で劇団に入ったらしいの。

劇団春秋自体はオーデションも厳しく狭き門なんだけど、その頃の八十八夜は支部に過ぎないので、つてさえあれば簡単に入れたらしいの。

それに本人も才覚があったらしく、めきめき頭角をあらわし役ももらえて活躍したらしいの。

「なぁーに、おだてられて、けっこう資金援助させられてただけだよ」と前田さん。

主役までは無理だけど、主要な役をもらうので、公演の費用をだいぶ負担させられてたらしいの。

チケットもけっこう買わされて、相当お金を使ったみたい。

そのことで久司君とは何度ももめてしまったようなの。30歳近くにもなって、家のお金を持ち出してばかりの息子さんにあきれ果てたんだって。

「おまけに付き合ったその女に、ずいぶん貢いてたんだよ」とちょっと悔しそうに表情を曇らせる。

そんな時にあの例の事件が起きたらしいの。前田さんはお店に来る団員どうしの会話から、なんだかんだと劇団の内部事情に詳しかった。

演出家の辻本はけっこう女の子に手が早く、劇団春秋に憧れる女の子を八十八夜に誘って

は手を付けてたみたい。

あの事件を起こした秋元かなえもその一人だった。

「でもね、そんなぽっと出の女の子だけじゃなかったみたいなんだ。辻本ってやつは」と前田さんが苦々しそうに話す。あの大物女優花咲このみとも関係があったみたい。

「えっ」って、僕も驚いた。それじゃ、あの事件も本当はかなえとこのみの衝突だったかも。

「そう、そうなんだ。だからみんなも辻本刺したのはかなえではないんじゃないのって言ってたよ」

「えーっ、それじゃかなえは濡れ衣?」

「って言うより、身代りにされたってとこかな」

「えーっ、そんなぁー」

「まぁーはっきりしたことはわからないんだけど。孝子ってうちの久司をたぶらかした女が、かなえを言い含めたって話だよ」

(ええっ、あの孝子?)口には出さなかったもののホント驚いた。結局その事件のことで劇団が解散したので、久司さんも目が覚めたらしくその後は孝子とも別れて海外に行ったらしいの。

「いろいろ持ってても、男の子ってなかなか大人になれないもんなんだよ」って、前田さんは言う。

そうなんだぁー。そういえばたかし君もおんなじ。なんか父親の自覚がイマイチなのよね。ケンも似てる。あれ、もしかしたら僕ってそんなタイプに魅かれちゃう人?

3時になるとお店混みはじめた。僕はカウンターに戻って、前田さんもそれじゃぁーってアッコやエイコちゃん達にあいさつをして店を出た。

閉店時間の夜9時ちょっと過ぎに啓治君がやってきた。いつものようにガラス張りのドアをコツコツとノックする。

僕がメールしておいたの。陽児君をケンに頼んで先におうちにつれていってもらった。ケンと陽児君は大の仲良しで、一緒にお風呂に入ったりもしてるので安心。

「耳寄りな情報ってなんだい?」

カウンターに座るなり啓治君が聞いてきた。一か月ぶりにやってきた啓治君も、交番勤務の合間に宿題を追っかけていた。

出所後のかなえの足どりの調査。昔の役者仲間を当たりまわったらしいの。

でも劇団にいた期間も短かったせいで、かなえとつながってる人はいなかった。

親元に連絡がないのも、もともと親とは不仲で学校にも行かず家を飛び出していた。

事件を起こした時も、親は警察から呼び出されたけれどなにもしなかったようなの。

かなえの方もちっとも気にかけないでいたみたい。

出所した時はすでに成人してたわけで、一切顔も出さなかったらしいの。

ところが、思わぬところで情報が入ったみたい。


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