いけないこっとって、どうしてこんなに素敵なの!
次の日は連絡入れて、出勤は30分遅れ。おかげで痴漢君とは、おさらばよ。
マスターに教わった番号に携帯して、是非やらしてくださいって言っちゃった。マスター喜んでくれて、途中ママさんも代わってくれて「よろしくね」って言ってくださったの。
お店の方もあっさり退職OK。本当に大丈夫かしらって、思っちゃうけど走り出したら止まらない。
パタパタパターって日が過ぎちゃって、喫茶ジョイのママさんになっちゃった。
家賃はさすがに無料とはいかない。とりあえず、5万円払うことになった。(安!)
白髪のママさんはすぐに来なくなっちゃったけど、マスターが何日か来てくれて、コーヒーの淹れ方伝授してくれた。
趣味が高じてお店始めただけのことはあって、なるほどっていうほど淹れ方には凝ってた。
サイフォンは気圧の変化によってお湯を上下させてコーヒーを抽出させるの。
ドリップ式より味の誤差が少ない分一定の味が出しやすいんだって。
フラスコには必ず沸騰したお湯を入れる。フラスコのお湯をアルコールランプでさらに過熱する。
フラスコのおしりはちゃんとふいとかないと割れることがあるんだって。
沸騰してきたら濾過機をつけたロートっていうガラスの容器をかぶせるの。ロートの先っぽって破損しやすいんですって。気ぃつけなくっちゃ。
少し細かく挽いた豆をロートに入れる。お湯入れたら40秒ぐらい。この時間のコントロールが味の決め手だって。
時間は砂時計ではかるの。続いて竹べらで混ぜる。ここも微妙なタッチ。やっぱ味に影響。アルコールランプを止めると、お湯が一気に濾過機をとおって下に落ちてくる。フラスコにコーヒーが溜まったらロートを引き抜く。うまくやんないと壊れちゃう。
フラスコのコーヒーを注いで出来上がり。ふーっ。器具は洗剤で洗うんでなくて、水洗い。濾過機に使うネルは、水に浸して置いておく。
マスターは僕にコーヒーの淹れ方を伝授したら満足したみたいで、お店にあんまり顔出さなくなった。
おかげで僕はお店の中は自由にいじれた。だんだんに飾り付けも変えてった。
ミドリとアッコがいっぱい味方になってくれた。ほんとありがたかった。ついでに100円ショップよありがとう。前から使ってたけど、この時ほどいろんなもの買い込んだことはないよ。ホント助かった。
客層も変わった。近所のおばちゃんたちも相変わらず来てくれたけど、やっぱ若い人が増えた。
中でも学生さん。早稲田や慶応クラスの有名どころの大学生、それに女子高生も。なんだか出会いの場って雰囲気になってきた。
ミドリやアッコもそれぞれパートで来てくれたんだけど、気が付いたの。二人のはいる曜日によって来る客も違う。
特に男性客。やっぱお客さんは、選んで来てるんだなってあらためて分かった。
朝は9時から夜9時までで、片付け終わってお店出るのは10時くらい。
労働時間は長くなったけど気分は上々。
メニューも、前はカレーとチャーハンぐらいのものだったけど、チャーハンをピラフに変えて(実際、どう違うの?と思ってたけど全然違った。チャーハンは一度炊いたご飯を炒めてシイタケやカニを入れてケチャップや醤油で味付け。ピラフは、バターでお米を直接炒めてエビやチキンを入れた塩味の味付け。まぁ、中華風と西洋風の違いってとこかしら)サンドイッチとスパゲティーにドリア。チーズケーキやパフェと、品ぞろえはあげあげでにぎやかにした。
陽児君はスタッフルームに小さいテレビをいれて、夜はそこで過ごしてもらった。
でも、けっこうお店に出てきてカウンターにちょこんと座ったりして、人気者になっていた。
たかし君もそこそこ店に顔を出す。女性客にもててて、喜んでる。しょうがないなー、もう。でも客寄せになればいいか。あはっ。
「あーっ」といってる間に、3か月が過ぎた。めまぐるしかったけど楽しい。
マスターの話だと、常連さんは100人ぐらいってとこ。それを倍にしなくっちゃ。たぶんできそう。たった3か月だけど以前よりお客さんも増えている。
みんな気のいいお客さんばかりで、お店の雰囲気は和やかでいい感じ。
スタートとしては、まずまずってとこかなぁ。
始めたころは梅の咲き始めだったけど、今はもう梅雨入り。
そんなワサワサしてるところに、啓治君っていとこから携帯あった。幼馴染だけど、ご無沙汰してたのでびっくり。
小学校のころまでご近所でよく遊んだ。
2つ上だけど優しいんだか、弱っちいんだか。僕がよく泣かしてた覚えがある。その啓治君が高校卒業して警察官になったって言うの。えーって感じ。
「お店開いたんだって」
「うん、誰に聞いたの?」
「おばさんから。久々にこっちに戻ってきたら、あいさつされちゃって」
僕のママは、確かにお店をはじめたこと喜んでいた。でも、自慢げに人に話してるとは思わなかった。まったく、もう。
「おれさぁー」と啓治君。なぜか少し言いよどみながらも言いたいことがあるみたい。
「なによ」って聞いてあげた。親切な僕。
「おれさぁー、刑事になったんだぜ」
えーっ、ケイジ?啓治君が刑事!あの弱虫の啓治君が刑事!
警官になっただけでも世も末なのに、なんで刑事になんのよ。と言ったら啓治君絶句していた。
「そ、そんなに驚くなよ」だって。驚いてんじゃねえよー、あきれてんだよーとはさすがに言わなかった。
「でもすごいねー、刑事って大変なんでしょ」
「うん、そ、そうだよ。すごいだろう。刑事になるのは夢だったんだよ」
「へぇー、で、なんで所沢にいるの」
「あっ、あー、いろいろあってね、明日まで所沢なんだ」
「そう、じゃぁー明日お店に来ない」
「あっ、あー、そうだね。夜になるけど・・・」
「いいわよ、9時にはお店閉めちゃうけどね」
「うん、わかった」
次の日はアッコが入ってくれる日。夕方までは僕と二人でお店に。
アッコはスリムで背が高く、学生たちに人気がある。大学生や入間の航空自衛隊の若い隊員たちが、よく顔を出してくれる。
アッコは子供もいないのでギャルファッションそのもの。ウィッグの重ね付で派手なギャル盛りにフェロモン香水でひきつけモード全開。
だからといって、言葉遣いは丁寧で、しぐさも女性らしい優しさがあるので見た目ほど下品にはならない。
そこが彼女のいいところ。ミドリが、おっとり系の天然のかわいらしさで受けているのとは対照的。
陽児君を園にお迎えに行って、お店に戻るとしばらくしてアッコは帰る。
夕方からは軽食がよく出る。独身の男性たちが手軽に夕食代わりに食べにくる。
そこから飲みに行く派と帰宅派にわかれる。
こんな住宅街でも飲み屋だけは山のように存在する。この店みたいな軽食喫茶はほんと少ない。(そうそう、僕がママになってからは、この店は純喫茶じゃなく軽食喫茶ってことになってるみたい)
その独身の夕飯組の一人に、ケンという慶応ボーイがいる。
背が高く、長めの髪がきれいなストレートヘアなのでなんとなく魅かれちゃう。
ほぼ毎日やってくる。カレーかスパゲッテイかピラフかといったメニューで、よく飽きないなと思っていたら、ミドリが教えてくれた。
「彼のお目当ては、マリコよ」
えーって、焦ったけどミドリやアッコ目当てもたくさんいるのだから、当たり前か。無我夢中でやってたので、そっち方面の意識が薄れてた。
夜8時をまわると、いわゆる常連さんはいなくなる。あとは、週に一度ぐらい顔を出す都内から帰宅途中のサラリーマンの方々が、ポツポツと寄ってくれる。
いつものように9時に店じまい。と思っていたら、誰かが閉めたばかりのガラス張りのドアをコツコツとたたく。
啓治君だ。なんで今頃と思ったけど、来るって聞いてたのでしかとできない。
ドアを開けて中に入れてあげた。とにかくお久しぶりなので、少しぐらいの時間オーバーは許すか。幸い陽児君はすでにオヤスミ状態なので、支障はなさそう。
「ごめんごめん」と言いながらお店に入った啓治君はカウンターに座った。
ひょろっとした感じは昔のまま。でも短く刈り込んだ七三の髪形は公務員風。
ふむ、少しは大人びてきたのか、昔よりはたくましくなってるような気はする。そりゃそうだ、なにせ刑事だもん。
「もうちょっと遅かったらサイフォンをおとしちゃうところだったよ。」
「ごめんなぁー。せっかく会うのに、ほかのお客さんがいたらゆっくり話せないと思って・・・」
なぬっ!じゃー、わざとこの時間に。刑事ともなるとそういうことまで計画的にやるのか。
「もうー迷惑だよ」といいながらも不思議と怒る気がしない。
やっぱ久しぶりの再会のなせるわざか。
「うーん、でもねマリコ評判なんだよ。ずいぶんきれいになったって。だから楽しみに会いに来たんだ」
「あらっ」って、僕も褒められるのに弱い。それにしても、そつなく僕を褒めるなんて啓治君ほんと昔のイメージと違う。
「でもよく刑事になれたねぇ」
「うん、運がよかった。普通はなれないよ」
「試験難しいんでしょ?」
「ああ、試験もだけど、そもそも制服組から刑事になるには署長の推薦がいるんだ」
「へぇー、じゃーぁ推薦されたんだー」
「運よくね」と啓治君。なんか得意げに、にやっと笑う。
「はーん?」
「自転車で、いつものようにパトロールしてたんだ・・・」
そしたら、目の前でちっちゃな女の子が自転車にはねられた。
あろうことかその自転車、後で高校生と分かったのだけど女の子をほっといて逃げ出した。
あわてて追いかける啓治君。しかしはねられた女の子がぴくりとも動かない。
とっさの判断で犯人追跡をあきらめて、無線で救急車を呼んだ。
この判断がよかったみたい。女の子は頭をコンクリートに打ち付けて意識を失っていた。すぐに駆け付けた救急車の応急処置の甲斐もあって、女の子は2,3日の入院で回復した。逃げた高校生もほかの目撃者の証言によって、後ほど補導されてその親に賠償責任が課せられた。その額は200万円ぐらいだとか。
「へぇー、自転車の事故で賠償金200万!」
「そうだよ。自転車事故は、全国で年間2万5千件ぐらい。死亡事故は4,5件ぐらいかな」
「ええっ、自転車で死亡事故?」
「うん、死亡事故では、この前女子高生が主婦を死亡させて2500万の賠償金が課せられたよ」だってびっくり。
「その女の子も、手当てがもう少し遅ければ植物人間になるとこらしかった」
「へぇー、じゃぁすごいお手柄じゃない」
「ふふ、これでもけっこうひったくり捕まえたりしてて、普段からお手柄たてるほうなんだ」
「それで刑事になれたってわけ?」
「そうじゃないけど、その女の子がたまさか署長さんの孫娘だったんだ」
「うわぁ、すごい!」
「そのお孫さんのこと、署長はけっこうかわいがってたみたい」
「ふーん」
「それで署長さん、自分のこと刑事選抜試験に推薦してくれたんだ」
「おー、ラッキー!それが推薦ってこと?」
「そう、普段から刑事になりたいってしゃべってたのが耳に入ってたみたい」
「で、試験に受かったって訳?」
「まぁね」
「で、刑事になれたってわけ」
「あはっ、それだけじゃなれないよ。けっこう柔道、剣道の段位とか、普段の犯罪検挙率とかないとだめなんだよ」
「えっ啓治君、柔道何段なの?」
「あー、まっ初段だけどね。剣道もね。あんまし得意じゃないけど・・・」
「バーンって撃つ奴は?」って、僕は鉄砲を撃つまねをした。
「ああ拳銃ね、ほんとは上級でないとだめなんだけど・・・」
「なんか頼りないなぁ」
結果として、僕はけっこういじわるく啓治君を問い詰めていたみたい。たまらず啓治君白状した。
「うーん、だからまだほんとに刑事になれたわけじゃないんだ・・・」
「はーん?」
「刑事講習って講習うけてる最中なんだ」
そうだと思った。まだ見習いじゃんか。もう啓治君ったら。
「おふくろには内緒にしといて。すっごく喜んでたんで、がっかりしちゃう・・・」と声を落としてる。
「ダメじゃん」って言ったけどなんかかわいそうになっちゃった。
「でもじきなれるんでしょ?」
「うん、来月卒業試験。それまで先輩刑事について現場に出張ってるんだ」
「おおー、現場。本格的ぃー!」
「そうでもないよ。使いっぱしりさ。雑用ばかり」
啓治君は、僕の淹れたコーヒーを飲みながら愚痴る。
陽児君は本格的に寝入ったみたいで、くーくーと寝息が聞こえる。僕はサイフォンの水洗いを終えた。
「昨日から自殺した人の、裏付けに動き回ってたのさ」
「自殺した人の?」
「うん、首つって死んじゃった人なんだけど、遺書がないもんだから、動機の確認さ」
「へぇー、そんなこともするんだ」
「そう、近況を知ってる人とか、最後にあった人とかに話を聞いて回るのさ」
「ふーん、それでうつ病か何かだったってわけ?」
「となると思って聞き込みしたんだけどね・・・」
「違うの?」
「うーん。聞いたかぎりじゃ、殺しても死なないっぽいんだよね」
「へぇー、そうなの・・・」
「性格も強い人で、仕事もパートだけど安定してる」
「ふーん、なんか悩み事抱えてたとかは?」
「職場の同僚の話だと、最近臨時収入もあって、温泉旅行にいったりしてたって」
「臨時収入?」
「そこんとこははっきりしないんだけどね、うわさだから」
「でも、景気いいって感じだったんだぁ」
「うん、自殺とも断定できず、もう少し身辺調査しようってわけなんだ」
「ふーん」
「でもこういうの、結局はっきりしたものって見つからないものなんだよ。ある程度調べたら、原因不明の自殺って結論付けられるのがおちなのさ」
「じゃぁ、かっこうだけの捜査?」
「一通り調べたら、報告書出して終わり」
「その一通りの捜査をしに来たわけなの」
「そう、その人の幼なじみとかが、所沢なんでわざわざ会いに来たんだ」
「その人、所沢の人なの?」
「10年前までこの近所に住んでた」
「へぇー、10年前。僕が中学生の頃かー」
「ああ、そうだね。僕が高校生になった頃までいたんだ」
「あっ」とふたり同じことを思い出した。たしか10年前、ご近所でなにやら「本当の殺人事件」があって、刑事ものの大好きな啓治君がやたら興奮したことがあった。
そんな啓治君につきあわされて、物証さがしとか言ってキープアウトの黄色いテープの張ってあるまわりを歩き回った。
一日だけのことだったけど、結構覚えてる出来事だった。
もっと話したかったけど、陽児君を家までおんぶしていかないといけない。
啓治君にアパートまで自転車引っ張ってきてもらった。
駅前の商店街の中にあるお店から自転車で10分程度。歩けば20分はかかる。空梅雨で曇ってはいても雨がない。
「僕ね、さっきの話、自殺じゃないような気がする」
「えっ」
「なんかその人殺されたような気がする。その人、女の人だよね」
「うん、40代の女性」
「やっぱり・・・。部屋の中で首つったの?」
「そう、ちゃんと戸締りしてあった」
「それで自殺だって」
「うーん、一応他殺の件も検討されたよ。でもこれって物証なかった」
「物取りじゃぁないみたいね」
「・・・」
「啓治君。どうせなら自殺の動機探すより、殺される理由でも探したら?」
「えーっ」
「だって今までもけっこうお手柄立ててたんでしょ。見方を変えると、今度もお手柄立てるチャンスかもよ」
「ええ、そうかなぁー」
啓治君ほんとびっくりって顔。
「あっ、そこが僕のアパート。自転車、そこに入れといて」
自転車置き場に自転車入れてもらった。
「寄ってく?」
「あー、いいよ。もう遅いから」
啓治君は、たかし君とは特に面識はない。だから遠慮してるのかなー。
僕の部屋は2階だから、階段の登り口でバイバイする。
「じゃぁー」と言って、啓治君はそのままUターンして暗がりの中を手を振りながら帰っていった。
「ねぇ、ママさん。ケンさん、今日来ませんでしたね」
高校生のユキちゃんが、カウンターの中で洗い物をしながら話しかけてくる。
いつも夕飯を食べにくる慶応生のケン君が今日は来なかったらしい。
「あ、そう。言われてみればそうねぇー」と僕。
夏休みになって、いつも学校帰りにお店に通ってくれていた、所沢第一商業高校のユキちゃんとエイコちゃんをバイトでいれた。
ミドリは無事男の子を出産して、現在産休中。アッコは週2回来てくれてる。でも僕一人の時は、お客が増えてきているのでフロアーと厨房はまかなえない。
うれしい悲鳴だけどパート増やすほど儲かってもいない。やってみて分かったんだけど、お客の数ほどには利益って出ない。
僕の給料だって、なかなか10万に届かない。4か月経ったところで見直したけど、メニューって品数ふやすと無駄も増える。
日によって出るメニューが違うので、仕入の量を読み間違えるとそれだけで赤字になる。難しいよー。
大家の前田さん、つまりは僕にママをやらせてくれたオーナーさん、がやってた時は、家賃も必要なかったろうし、時として赤字になってもきっと困らなかったのだろう。
でもこちとらはそういう訳にはいかない。たかし君の給料は不安定だし、保育園のお金もかかる。女子高生のバイト入れるのにも勇気がいった。
「エイコは昨日も来たって、言ってたんですけどねー」
「あらっ、そんなこと話してるの?」
ちょうどお客さんの波がひいたところで、お店は僕とユキちゃんのふたりだけ。
「うふふ」と、笑ってユキちゃんは下を向く。高校2年生でロングヘアー。色白でお嬢様タイプ。僕が高校生の時と比べて、断然まとも。髪も染めてないしお化粧もリップとアイシャドウぐらいでおとなしめ。
エイコちゃんの方は、前髪たらして、ピンク系のシュシュでサイドポニー。ユキちゃんもエイコちゃんも、スカート丈は膝上数センチでキュート。
彼女たち見てると、僕も年取ったなぁーって思っちゃう。
「なぁーに、ユキちゃん。ケン君タイプ?」
ユキちゃん返事しないで、下向いたまま洗い物続けてる。
「彼って、背高いよね」って、水向けてみた。
「そう、180あるんですって」
パッと表情が明るくなる。声もハイトーン。うむ、ユキちゃんって、けっこう判りやすい。
「大学2年生だとちょうど二十歳・・・」
「そうなんです。成人式は田舎でやったそうです」
おうー、結構情報とってるぅ。
「田舎って?」
「秩父ですって」
はーん、ここまでつかんでるとしたら相当お熱だな、こりゃー。
スタッフルームから陽児君が出てきた。アンパンマンのDVD終わったのかしら?
「ママぁー、おなかすいた」って、ごめんごめん。もう7時になってた。ユキちゃんが早速ピラフづくりにかかってくれた。
陽児君はユキちゃんのピラフは好物らしい。出来上がるとパクパクと食べ始めた。
たぶん食べ終わってしばらくすると、おねむになる。おうちに帰ってお風呂に入れるのが大変になるけどいつものこと。
「ケン君ってスポーツマン?」とまた水を向けてみた。
「ええ、テニスが得意みたいです」
ほんとなんでもよく知っている。言ってからユキちゃん自分でも気づいたのかポッと顔を赤らめた。うーん、かわゆい。
「ほんとユキちゃんケン君にぞっこんって感じ」
「そんなぁー、違いますよ」ってむきになる。
「ねぇー一度誘ってみたら」
「えーっダメですよ。ダメダメ」
もう一生懸命下向いて首ふるの。耳の付け根まで真っ赤か。純だなぁー。ホント僕とは正反対。たぶん僕だったら、イエーってピースサインでも出してるとこだよ。
「ねぇー、私が言ってあげようか」
僕って、なんかおばさん化しちゃったのかな。でも、まんざらじゃないみたい。ユキちゃん黙ってるけど、嫌がってない。
「今度ケン君とカラオケでも行こうか」
わぁーって顔してる。うふっ、面白い。陽児君がおひやを飲み終えて満足そう。
閉店までに二人ばかりサラリーマンの若い人が来てくれた。カレーやピラフを食べながら、僕やユキちゃんにいろんな話題をぶつけてくる。
ユキちゃんけっこうお相手してる。そうかぁ、ユキちゃん目当てのお客さんも増えてるんだな。
僕もカンバンママさんで評判悪くはないよ。でもどっちかっていうと同性の方に人気あるみたい。
ちゃんと男性客もお相手してるけど、あんまし話のあう人いないみたい。
あえて合わせることできても、ちょっと盛り上がりにかけるかも。そこらへんは僕も勉強しなくっちゃー。
そうね、商売って難しいけど楽しさもある。今のところなんとかなってるのかなー。ありがたいよ。
次の日は、アッコとエイコちゃんの当番。お店の様子はぐっと華やかになる。
この二人、どちらもにぎやかなキャラクター。化粧品販売で有名なAOLAの営業さんたちが午前中この店によく集まってくる。
僕はイケイケ軍団って呼んでいる。なかには若い人もいるけど、おばさんぽいほうが多い。話す内容がイケイケ。近くのスーパーの品ぞろえから、子供の学校の先生の噂話。はては駐車違反に厳しいおまわりさんの悪口。ひとしきり盛り上がる。
僕なんか話に合わせきれないで困ってしまうけど、アッコはのりのりで話題に入ったりしている。特に、男性の悪口になるとテンションあがるみたい。
エイコちゃんはエイコちゃんで、オジサン系のセクハラっぽいからかいに調子を合わせながら相手してる。大したもんだ。
たかし君が、ちょくちょく顔を出してくる。仕事柄、地方のお土産なんかをよく差し入れに持ってきてくれる。
アッコと韓国旅行のことで盛り上がったりしてる。
アッコはよく韓国に行く。ブランドのまがい物が好きで買い物が目的だ。
「だってうそみたいに安いんだよ」とアッコ。
「だってにせものだろう」とたかし君。
「いいじゃん!ぱっと見、わからないよ。焼肉もおいしいし、安くて半端ない量だよ」
「キムチも日本とは違う?」
「ぜんぜん、日本のキムチなんかそれこそにせものよ」
「そっか、やっぱ行きてぇー」
「美容整形も安いんですってね」とエイコちゃんも口を出す。
そんな会話にお客さんも加わってにぎやかしい。
僕はある日、ケン君をカラオケに誘った。もちろんユキちゃんも一緒だ。
あらかじめユキちゃんの母親には、僕が電話して夜遅くなることを了解してもらった。
ユキちゃんのお母さんは、上品な言葉遣いでいかにもユキちゃんの母親って感じだった。
踏切の近くにあるカラオケ屋さん。その日はあいにくの雨。しとしととふる中で、傘さして4人で連れ立って歩いた。
僕とユキちゃんと、ケン君ともう一人の常連さんのシロウ君。シロウ君は都立大学の学生さん。ケン君をカラオケに誘ったとき、たまさかお店にいた。話の流れで、彼も一緒に来ることになった。
ユキちゃんは白のミニワンピースにピンクのタンクトップ。花柄のプリントのはいったピンクのスニーカー。
僕はお団子頭。タンクトップのモスグリーンのワンピースでゴールドのサンダル履き。黒縁で、大きめのだてメガネが今日のポイント。
ケン君は、ボディフィットした黒のTシャツにお尻のラインがくっきりのメンズ用スキニーデニム。白いスニーカーが決まってる。
背が高くてスマートだからよく似合っている。ユキちゃんが夢中になるの、判る気がする。シロウ君は、ぼさぼさと髪伸ばして猫背だからパッとしない。白っぽいTシャツとジーパンでごく普通って感じ。うむ、差が出るなぁー。
陽児君はミドリのところにお泊り。仲良しのケイコちゃんと、0歳児のユウキ君と一緒にいる。
カラオケ屋ではいきものがかりや西野カナで盛り上がったところに、アッコとたかし君も合流してきた。
アッコは豹柄のピチピチのボディコンで、思いっきり短いスカートの悩殺スタイルだ。
結局、朝の5時ごろまでカラオケ屋で騒いでた。
さすがにユキちゃんは12時前に帰した。ケン君と僕でユキちゃんの家の近くまで送って行った。
雨あがりの歩道に3人連なって歩いた。
ユキちゃん、なかなかケン君との会話が弾まない。お客さんたちとのおしゃべりは平気なのに、彼には緊張するみたい。
で、さすが慶応ボーイのケン君。テニスのスライスサーブとかトップスピンストロークだとかをいろいろ解説しながら、ユキちゃんをエスコートしてる。
背の高いケン君とほっそりとしたユキちゃん。並んで歩くシルエットは、けっこう絵になってるよ。
ユキちゃんを送った後、僕とケン君はカラオケ屋にUターン。時間はちょうど真夜中の12時になっていた。
「ママさん、陽児君はホントかわいいですね」とケン君。
小柄な僕は思いっきり見上げても、やっとケン君のあごのラインが見えるって状態。僕のスピードにあわせて、ゆっくり歩いてくれてる。
「でも、最近我を張るようになった。食べ物も好き嫌い言うようになったの」
なんか僕も女らしい言い回しになる。
「片言の言葉もいいですね。ちゅきってのが、かわいいなぁ」
「そうママのことちゅきっていうのよね」
「そうそう」
「いま言葉覚えるの面白いみたい。いっぱいおしゃべりするの」
「いいですねぇ、うふふ、僕もママのこと・・・」
ケン君ちょっと立ち止まった。僕のこと見下ろすように見つめた。
「えっ」って僕。
「ちゅき」ってつぶやいた。どきんとした。だけでなく、なんかうれしい。でもいけない、ユキちゃんのことが・・・。
彼が僕の肩を抱き寄せる。雨に濡れた歩道が、街灯の明かりを反射して光ってる。
小柄な僕を、彼の大きな影が包みこむ。僕、思わずしだれかかった。顔が彼の胸のあたりにうずめられる。
彼の大きな手が僕のあごをしゃくる。彼の顔が近づいてくる。
「あれっ」
どうしようと思ってる間に顔をケンくんに覆われたって感じ。
二人、ながいながい口づけをした。僕思わず爪先立っちゃった。
誰もいない真夜中の街角。なんかいつまでもこうしていたい気分。自分でも驚きの展開になっちゃてる。いいのかなぁー。
「僕、ずーっとママのこと・・・」
そう言えば、ミドリがそんなこと言っていた。そしてうすうす僕も感じてた。
ああ、でもユキちゃんのこと考えると悩んでしまう。ありゃ、なんでたかし君のこと思わないのかな。
またケン君に抱き寄せられた。今度は僕の方からも抱きついた。思いっきり背伸びしてかかともあげて。あ〜あ、こんなことしていけないんだぁー。
カラオケ屋にもどったら、アッコとたかし君が「このまま二人で」をのりのりでデュエットしてた。シロウ君もタンバリンなんか打って調子合わせてた。




