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プロローグ エピソードの始まり

僕、真理子。只今痴漢に追われてます。

西武線に乗って池袋に出勤途中なんだけど、電車はとっても混んでます。僕の後ろに青白い顔をしたサラリーマン風のひょろっとした男の人。

なぜか体を後ろからくっつけてくる。昨日もそうだった。なんだかきもい。

7時59分の急行に乗ったんだけど、この時間が9時5分前にお店に入るどんぴしゃな時刻。だからいつもこの電車に乗ってるの。

さっきは思い切って車両を乗り換えた。ひばりが丘で一回、石神井公園で一回。なのにー、この人ついてくる。

石神井公園では1車両飛ばして乗ったのにやっぱ、後ろに立っている。もう信じられない。どうして。

女性専用車両に届かない。最初ホームに降りてすぐの車両に乗ってたんだけど、あと2車両は移動しないとダメ。

直接体触ってきたら大声出してやるのに、ただもう体を寄せてくるだけ。

うざい!結局池袋駅までこの状態。駅に着いたら急いで地下道を通って、サンシャインビルまで早足。ビクビクしながら後ろを振り向かないで必死に歩いたの。とても怖くてとにかく前を向いて早足で歩いたの。でもどうやらあの男は追って来てないみたい。

ふーよかったけど、なんだかまたついて来そうでおっかない。時間がぎりだから急いでんだけど、それだけじゃない。胸のドキドキがおさまらないの。とにかく不快で不安、怖いよー、早くお店に逃げ込まなくちゃー。気持ちは焦るけど、足元がファー付きのショートブーツなんだけど、ヒールが高いやつなのでちょっと走りにくいの。

サンシャインビルの2階のショッピングフロア。カナディアンバウアーってお店。

1か月まえからお勤めしたんだけど、店長さんがシャッター開けてレジを開いて展示品を並び替えている。

「おはようございます」

元気よく挨拶したけど、胸はまだドキドキしたまま。

10っこぐらい?年上の店長さん。別に返事をくれるでもなく、カールさせた髪を後ろ手に上手に束ねて、ポニーテルっぽくまとめた髪をひらひらさせながら自分よりのっぽなマネキンをお店の前の通路に並べてる。

あんま愛想はよくないんだけど、これがまぁー、お客さんが来ると見違えるように愛想良くなるからびっくり。大した演技派(・・・・)よ。

でも、悪い人ではないんだよね。お勤め初日にこまごま教えてくれたけど、教え方上手だと思った。

一回しか言わないけど、つっけんどんだからこっちは必死に覚えるので、わりに早く段取りのこと理解できた気がする。

「ああ、悪気はないんだなぁ」と思えたから、あとはスムーズに溶け込めた。

もともとカナディアンバウアーはお気に入りのブランドだったから、履歴書送ったんだけど、商品名は知ってるのも多いし、苦も無く覚えられた。

お店の方も、僕みたいなギャルママを探していたみたいなのでどんぴしゃ雇ってもらえたような気がする。

もう一人の店員アキコちゃんが、僕より少し遅れて駆け込んできた。

「おはようございます」と、まぁ普通に入ってきたけど店長さんはやっぱ、返事なし。

僕とアキコちゃんは目と目でこくりとうなずきあって、僕はショウウィンドウのからぶきを大急ぎ。アキコちゃんも値札の確認をしながら吊るしの品をチェック。

僕はもう23歳だけど、アキコちゃんはまだ二十歳。やっぱ若いってかわいい!

僕は、おとなしめのラズベリーカラーのニットソーチュニックと黒のぺチワンピース、7分丈の黒のレギンス。これでも大人っぽく決めてきたのに、あの痴漢のやつったら・・・。

アキコちゃんはもう髪は真っ赤。でも今日は白のフリルマキシワンピに橙色のパンプス。なんかシック。店長さんは相変わらずのパンツルック。たしかミユキって名前だっけ。

とにかく僕がお勤めするようになったのは、たかし君が一重(ひとえ)にか弱すぎだから。

ふつう長距離トラックの運転手って男らしくって粗野なイメージなんだけど、たかし君は違うの。

運転うまいんだけど、なよってしてるの。そこが好きなんだけど、頼りないことこの上ないんだなぁーこれが。

2年前原宿のミルクカフェでモッフルバーガー食べてたら、隣の席でか細い感じで二人連れの男の子がフワフワオムライスを食べてたの。その様子がとってもかわいかった。

こっちも二人連れだったから僕の方から声かけたの。

それが始まり。

地方から原宿(じゅく)に遊びに来た子かと思ったら、こちとらとおなじ埼玉。

えっ、ダサいたまなのって意気投合した。でもトラック転がしてるお兄様とは見えなかった。しかも年上。といっても一個違いだけど・・・。

そうそう、初めてたかし君が僕んちにお泊りした頃は、僕はマックで週3回のバイトで、後は親の仕送りで生活してたの。

だから欲しいものほとんど我慢してるって、おしゃべりしたら次の日3万円も持ってきて渋谷の09に連れてってくれたので、すっごく感激したの。

結局、彼が僕のアパートに居ついて子供までできちゃって。でもたかし君はえらい。逃げないで男らしく責任もって頑張ってくれたの。

期待してなかったんだけど、僕のことちゃんと籍入れてくれた。僕うれしくって、ほんとにほんとに、たかし君のこと好きになっちゃった。

だからってたかし君仕事はあんましって感じで、手取りで月15万いかないことの方が多い。

けっこう親から仕送ってもらってつないでたけど、やっぱ限界って感じ。

息子の陽児君が2歳になって、なんとか保育園に預かってもらえたのでパートに出ることにしたんだけど、それにしてもなんだよ!あの痴漢男。

僕は、髪は金髪のショート。化粧はおとなしめで、ギャル語は卒業。もう大人なんだから、あんな変な男につきまとわれることないんだけど、と思ってる。

お客様は、ぽつぽつで適当に忙しく過ごした。そしていつも通り夕方5時にはお店を出て急いで陽児君の待ってる保育園に向かったけど、やっぱ一日憂鬱だった。

また明日もあの痴漢がいるのかと思うと嫌になっちゃう。店長にもアキコちゃんにも相談したけど、女性専用の車両に乗るのが一番ってことになった。

結構専用車両は混んでるし、ギリで駆け込むといつもの車両になるような気がする。

まぁ、10分早く出ればいいんだけど保育園までの距離があるので自転車で飛ばしても、なんだかんだと時間はいっぱいになる。もうーって感じ。

なんとか6時には保育園に着いた。陽児君がこの上もなくかわいい笑顔で飛び込んで来てくれた。すべての憂さが吹き飛ばされてゆく。お父さん似なのか男の子にしては素直でおとなしい。陽児君。大好きだよう!。生まれつきやわらかい髪の毛で、少しだけウエーブがかっている。赤みを帯びてる髪の色が素敵、なんだなぁー陽児君。

今日はパパは、関西方面までの運送なので帰ってこない。こんな日は陽児君といつも行きつけのお店に行く。

狭山ヶ丘にはめづらしい、純喫茶のジョイというお店。陽児君お気に入りのミルクセーキがある。お店のドアはガラス張りで、ガラスのところに喫茶ジョイって書いてあるの。

狭山ヶ(がおか)は簡単な話、東京のベッドタウン。急行で45分で池袋に行けるので便利。

僕は所沢っ子だけど、小さいころはこんなに家はたくさんなかった。喫茶店なんて見かけなかったと思う。でもそれは僕が小さくて気がつかなかっただけみたい。だって10年前からあった店だもの。

この店は、マスターもママさんも年輩の方。コーヒは確かに美味しい。引き立ての豆の香りはほっとさせられる。

陽児君も、この店ではじめてミルクセーキなるものを初体験。

陽児君のその時の表情はいまでも忘れられない。一口飲んだ後、なんともうれしそうな顔でにこっとしたの。んもー、カワイイ!

店の手前側は椅子席で、奥にカウンターがある。僕と陽児君の席は決まってる。

カウンターの、マスターがコーヒーを挽くサイフォンが並んでる斜め前の席。引き立ての豆の香りがなんとなく漂ってる席。

キリマンとミルクセーキと言わなくても、ママさんがにこにこおひやを出してくれながら「はいはい、いつものね」って言ってくれた。この雰囲気がいいのよねぇ。

陽児君もにっこにこ。一生懸命、園のこと話してくれる。

サッコ先生から砂場で砂の盛り方を教えてもらったこと、少しばかり水を砂にかけるといいんだって。

かおりちゃんと一緒に積み木をしたこと、金魚に餌をあげるのにゆりちゃんと二人でしたこと。

あれっ、なんか女の子ばっか。あんまし男の子が出てこない。この年にして陽児君、女好き?あらら、でもまっ、いいか。

いつものおしゃべり仲間のミドリとアッコがまだ来てない。僕と同い年だけど、ミドリはもう二人目ができて出産まぢか。アッコは一つ下だけどまだ子供がいない。

二人ともこの店で知り合った。なぜか、ネイルのことで盛り上がった。ネイルチップはジェルってことで一致。スカルプはもういろいろ。そんな話で、すぐに1時間は経っちゃう。

そんな時陽児君は、ミドリの愛娘ケイコちゃんとお絵かきしたりしてる。ふむ、どうも陽児君の周りには女の子ばかり。大きくなったらどうなんの?

でも今日はめづらしく他に客がいない。まわりにお茶できるお店がないせいか、なんやかんやと人が入ってるのが普通なんだけど。

陽児君が、ミルクセーキに夢中になってようやく静かになった。ふとマスターが僕の隣に来てた。マスターは(よわい)70過ぎらしいけど、ちょっとダンディ。少し禿げてるけど、見ようによってはおでこが広く知的な感じ。

「マリコさんいつもひいきにしてくれてありがとう」

そう言いながら、空いてる横の椅子の背に手をかけたまま会釈した。笑顔だけど結構真顔なので驚いた。

「いえっ、こっちこそいつもおいしいコーヒーありがとうございます」

いつになく大人びた返答ができた。

「いつもマリコさんのこと噂していたんですよ」とこんどは反対側の方からママさんが言ってきた。

いつのまにかマスターとママさんが両横に立っていた。陽児君も顔をあげた。ママは小柄だけど上品な顔立ちで白髪がお似合い。にこにこしてる。

「えーっ私のことを?」って僕。

「そう、いつも元気で明るいし。あいさつもちゃんとしてて、礼儀もしっかりしてる、てね。」

「わぁ、やだぁーほんとですか」

「陽児君もおとなしくて、かわいいし」とママさん。

ふたりしてほめてくれてびっくり!驚いているとさらにマスター。

「お仲間のミドリさんや、アツコさんたちとの話もいつも面白い」

「ええっそうですかぁ、お化粧の話ばかりでくだらないですよう」

「うふふ、プリンセスネイルってすごいよね」

「わぁーそれって、この前言ってたやつ」

しっかり聞かれてたんだ。けっこう(あせ)らされる。

「ホント、マリコさんはゴールド好きなのね」

「あー、やだぁ、そうなんですけど」

全部聞かれてるって感じ。

「それにモイスチャーのパウダー。リキッドでそばかす防止のスキンケアっていいわぁ」

「あーそうそう。でもアッコはパウダーファンデーション派。パウダー大好きみたい」

「そう言ってたね。マリコさんは人の話をよく聞いて、ちゃんと盛り上げてる」

「そ、そうですかー」

また褒められた。だんだんいい気持ち。

「この前もママと話してたんだけどね、マリコさんみたいなお嫁さんだったらいいねって」

「えへへ、そんなことないっしょぅ」

ほんと照れちゃう。どうすりゃよかんべ。

陽児君がミルクセーキを飲み干した。そうだお絵かき。ショルダーからお絵かき帳と、12色の色鉛筆。

サクラのクーピースタンダードの12色。所沢西武のワルツで買った高いやつ、を出して陽児君に渡す。陽児君は心得ていて、大人の長話が始まったらお絵かきでおとなしくしているのが決まり。

「いやぁー、私らも元は練馬の百姓でね」

「オリンピックでずいぶん土地を取られちゃってね」

(はぁー、そんな大昔のこと・・・)

「でも、おかげでいっぺんにお金が入ってきてね・・・」とママさん顔が少し曇ってきた。

「まったくなぁー、結局贅沢覚えちゃって百姓やめちゃった」

(へぇー、そういうもの・・・なのかー・・・)

「そうなのよ、マリコさん」とママは言う。

マスターはカウンターの中に戻った。僕はコーヒーを飲み終えていた。

「それでね、マリコさん」と言いながら、ママがマスターがいなくなった方の席に座ってきた。

マスターが陽児君にプリンを出してくれた。前にもサービスで、プリンを陽児君に食べさせてくれたことがある。

「去年喜寿を越したので、生前贈与ってのをやったのよね」

(セイゼンゾウヨ?)

「でもね相続税はまぬかれても、贈与税が結局なぁー」とマスター。声を落とす。

ママが前かがみに僕の顔を覗く。

「マリコさん。財産なんて無い方がいいかもよ」

「子供たちもいろいろあってね。なんだか仲が悪くなっちゃった」

はーん、そんなものなんだ。どうも相当の土地持ちで子供の数も多かったせいか相続のことで大分もめたみたい。

そんなことには縁のない僕にはピンとこない。

「残ったのは練馬の自宅だけね」とママさんがマスターの方を見る。マスターも下を向きながらうなずく。

「公平にやらんとまたけんかになるから。結局すべての土地を譲った。自宅も土地の方は長男夫婦の名義だよ」

「私も来年喜寿なのよ」とママが言う。

キジュ?って相当年ってことだろうけど、肌の色つやからみればまだまだ若いよ、と僕は思う。

「ママとも言ってるんだけど、もうそろそろ隠居かねぇって。このお店も、まぁー税金対策で始めたようなもんだから・・・」

えっ、じゃぁーお店やめるってこと・・・。困るぅー。だってこのへんじゃぁ、気の利いた喫茶店なんてないんだもの。僕の驚き顔を見てママも相槌を打つ。

「そうなんだけど。来てくれるお客さんがみんないい人なんで、どうしょうかねって」

「そんな深刻なんですか?」

「けっこう真面目に考えてるの。毎日練馬から通うのもしんどくなってきてるのよね」

「うわぁー、もったいない」

「それでね、マリコさんに相談なんだけど」とママがまた僕の顔を覗きこむ。

「マリコさんこのお店やってくれない」

陽児君が犬と鳥と花の絵をかきあげた。他人が見ても何の絵だかわからないけど、僕にはわかる。

赤いところがお花。ながぼそくって黄色い固まりがワンちゃん。上の方が青いのはお空。そこにいっぱい茶色の線が書いてあるのが小鳥。陽児君は絶妙のバランスで、グンバツの絵をかくの。なんで大人はわからんのか。

ということより、今の話はなぁに?意味わかんなくて、僕きょとん。

「けっこう常連さんもいるので、黒字は黒字よ。」とママさんが続ける。

「大儲けはないけど、なんだったらお家賃なんかいらないよ」ってマスターが言うの。本気(まじ)すか?

「えーっ、でも私にできるかしら」

引きながらも食いつく僕。

「大丈夫。しばらく一緒にやるから、ゆっくり覚えればいいよ」とマスター。

うれしいんだけど、どうしよう。とりあえずいまの職場の方に相談しなければ。あっ、いけね。たかしくんにも。

陽児君が眠そうにしてる。マスターとママさんにお礼を言って、なんだか逃げるようにアパートに帰った。

だって降ってわいたようないい話なんだもの。舞い上がっちゃうよね。

味噌スープとコロッケで、僕も陽児君も満腹。お風呂に一緒に入って、歌うたってテレビ見てオヤスミ。

お風呂に入る前にさっきのことたかし君にメールしたけど、ご返事がない。もうー、かんじんなときにーっ。

そのたかしくんからメールの返事が来たのは10時過ぎ。もう寝てた。

でもそのメールでは、無条件に喜んでるの。いいのかなぁー、たかし君。そんなに簡単に決めちゃって。


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