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神さまに逆らうな!  作者: つなかん
四章 臓心ノ黒
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8 とうと落

 えっと、昔のことを話したらいいんですか? あ、はい。でもどうして……。え、いや別に構わないんですけど、ここちょっと怖いし、なんか薄暗いし、病院ですか? 僕何かしました? まさか万引きしたのバレました? ていうか僕の名前は“高校生”じゃないよ。名前じゃなくて、苗字で呼んでくれると嬉しいんですけど。

 あぁ、すいません。昔の話ですよね。いつ頃から話したら良いんでしょう? ……そうですね、覚えているのは、遊園地に行ったときですかね。多分小学校に上がる前です。お父さんとお母さんと万里ちゃんと行きました。朝早く起きて車で行きました。万里ちゃんは途中酔ってしまって、大変だったんです。でも楽しかった。あの遊園地は中学の卒業旅行でも行ったんですけど、やっぱりあのときが楽しかったなぁ。閉園までいなかったし、人気のジェットコースターなんかは乗らなかったのに凄く楽しかった。また行きたい、ってずっと思って、でもまぁ多分無理でしょうね。僕はお母さんに嫌われていますから。

 そうだな、いつから僕はお母さんに嫌われていたんだろう? ランドセルを選ぶときは凄く優しかったから、多分それよりは後だと思います。本当にいつからなんだろう、思い出せないけど、原因に心当たりはあります。身体不全性欠乏症、ってあるでしょう? そうそう、魔法使えなくなるやつです。知名度のわりにお金にならないんですよ。どうせなら金になる病気になれって言われたことがあります。本当に、明らかな障碍者だったらよかったのに、と思います。携帯電話ってヤツも買えたかもだし、保険もおりるし、お金があればお父さんも喜ぶでしょう? 「貧乏は敵だ」って、よく言っていたから。あぁでも、当時はそんなこと言われなかったですよ。当時僕は松戸に住んでいて、今よりずっとお金持ちの生活をしていましたから。家にはテレビが二台あったし、アップライトだけどピアノもありました。お父さんはたまにケーキとかプリンとかを買ってきてくれたし、ええ、凄く美味しかった。今でも甘いものは好きです。

 まぁたしかに、先天性のものではあるんですけど、別にお母さんの所為、とは考えなかったです。当時はよく分かっていなかったし……ただ、お父さんとお母さんがよく喧嘩するようにはなりました。なんとなく僕の所為なんだろうなぁとは思いましたけど、でも止めたら余計酷いことになるし、だから放っておきました。小学校にも上がったし、友達もそれなりにいましたから。外で遊んで、疲れてすぐ眠る、みたいな感じでやり過ごしてました。

 お父さんは僕の病気のことを……いや、病気というのか微妙ですけど。とにかくそれをお母さんの所為だと考えていたようでした。喧嘩をするときはいつも怒鳴って、怒って、たまに殴ったりしてたんじゃないかな? 何度も言い争いを聞いたし、普通学級に入れていいのかとかそういう話もしていました。そうやって二人で喧嘩してる分には良かったんですけど、いや良かったってことはないんですが、まぁ僕には被害はなかったわけです。でも次第に、僕も殴られるというか、まぁそういうようなことはたまに……、いえ別にそういうわけではないんです。僕が悪かったということもあるし、万里ちゃんもいたからそんなに酷くはありませんでした。ただ何度かそういうことがあるうちにエスカレートしたというか、まぁ……。お父さんが僕を責めてたとき、万里ちゃんが止めたことがあって、僕を助けてくれて……なのに僕は何もできなくなってしまって……。万里ちゃんが殴られても、僕、何もしなくて。ええ僕が悪いんです、全部。妹見捨てるようなクソ兄貴です。仕方のない結果ですよ。

 そうですね、万里ちゃんに手を上げてからお父さんはあまり帰らなくなりました。ケーキのお土産もなくなりました。たしかそれは、小学校の一年か二年のときです。お母さんともあまり喧嘩をしなくなったし、家は静かになって……あぁでも、僕が全てを悪くしたんです。お父さんの責任ではないですよ。

 そういうふうになってから、お母さんは仕事を始めて、夜にもよく万里ちゃんを連れて出掛けて行くようになりました。そう、だいたい夜ですね。え? 僕は留守番ですよ。当たり前じゃないですか。一度、お母さんのお金勝手に使ってしまったことがあって。だってあんまり暇だったんで、構って欲しかったっていうのもあったかもしれないですね。凄く怒られて、それからはベランダにいるように言われて……馬鹿でしたよね。だいたいその頃から「あれ」とか「これ」とか、そういう指示語を使って僕を呼ぶようになって、今でもそうじゃないかな? もともと名前は嫌いだったから別に良いけど。あ、そうだ。名前はの由来を宿題か何かで聞いたことがありました。女の子が欲しかったらしいです。ていうか女の子だと思ってたらしいです。他に考えるのが面倒くさかったそうです。

 あ、ええ、ベランダに居るようになってからですよね。凄く寒かったのを覚えています。隣の家の室外機がすぐ側にあって、冷たい風が来るんですよね。暇だったから、色々考えました。昔に戻って欲しいって何度も思いました。またケーキを食べたり、遊園地に行きたかったです。その頃は、またいつかそういう風に戻れるってどこかで思ってて、多分今もまだ……いや、なんでもありません。

 ……離婚したのは、万里ちゃんが小学校に上がる年だから僕が三年生のときですね。その年からサンタさんが来なくなりました。お母さんと万里ちゃんは東京に引っ越したと聞いています。お父さんと二人になってからは、ベランダに出されることもなくなったし、まぁそれは良かったかな。

 それからのことはよく覚えてないんです。なんだか急に時間が早く進むようになったというか……ホラ、歳を取ると時間の流れを早く感じるようになるっていうじゃないですか。多分そういうアレなんだと思いますけど、父と二人になってからは色々ありましたし、良くないことが沢山起こったから。父も大変だったんだと思います。殴るっていうか、そういうふうに怒られたときは大体「はい」って言って、「ごめんなさい」って言って、あとは静かにしておけば大丈夫ですから。騒ぐのはよくないし、一番良くないことです。だから……ええ、特に何をされたっていうのは、えーと、いやあの、大したことは……。ああもうッ、大きい声ださないでくださいよ! 分かんないです。よく覚えてないって言ってるじゃないですか! 子供というのは搾取されがちなものなんです。お金とか、そういう、理不尽とか……仕方ないじゃないですか! 僕は平気だもの、そうそれに、僕に責任がある場合もあったし、だからお父さんが悪いってことはないし、優しいこともあったし……はい、すいません。あ、お茶ですか、ありがとうございます。

 あの、大体そういう感じです。でも、お父さんが仕事をクビになってからはちょっと悪化したかもしれません。お金に困るようになって、一度中学二年のときに引っ越しました。あぁそうです、今住んでるところです。……あの、借金取りの人とかが来るようになってから色々、大変になってきて。……お父さんは煙草が好きだったから万引きしてきてあげたこともあります。学校ですか? そのときはあんまり……もともと転校してきたばかりで友人もいなかったし、たいして頭も良くなかったし、背も低かったし、名前も変だったからか分かりませんけど、色々されるようになって……。机に落書きされるだけならまだ良いんですけど、文字を彫刻刀で彫って、木工用ボンド流し込んで消せなくしたり、靴に画鋲仕込んだりってあるじゃないですか、あれも尋常じゃない量――一ケース分くらいかなぁ? 入ってたり。あ、でも、机を投げるのは禁止されてたんです。窓から投げるの、流行ってたらしいんですけどね。ホラ、当時そういうドラマがやってたらしいんで……僕は見ていませんけど、引っ越した家にテレビなかったんで。ラジオはあるんですけどね。だから、投げられない机は焼却炉に置いてありました。

 え? いや別に、学校に行かない、っていうのは考えなかったですね。そういう嫌がらせは煩わしかったことは確かだけど、家にいると借金取りが来るし、学校に行けばとりあえずご飯は食べられたので。あぁでもご飯は一回床にぶちまかれたことがあったかなぁ、食べたけど。だってお腹すいてたし、そんなに汚れてませんでしたよ。毎日教室掃除してますしね。あ、あと友達もできたんです。友一君とか、岡本君とか。特に、城崎さんはよく家に来てくれました。まぁだから、そこそこやっていけました。それに、三年生のクラス替えがあるとそういうこともなくなりましたしね。でも、落書きで“障害者”と書かれたのは嫌でした。授業とかでバレるものだから仕方なかったけど、少しでもマシにしようと思って手術を受けることにしたんです。お金はお母さんに頼みました。お母さんなら出してくれると思ったんです。打算的な意味で……つまり、病気が少しでもマシになるなら、って説得しました。高一の途中までリハビリした割にはあんまり良くなりませんでしたけどね。

 中三は、中島君っていう新聞部の人と仲良くなったりして、まぁそこそこ楽しかったですよ。僕は別に暗い性格というわけではないので、普通に友達はできました。そのころ、友一君からお姉さんのことで困っているっていう相談をされていました。詳しくは知らないけど、よく話は聞いていました。僕がもう少しちゃんとしていれば友一君はああならないで済んだのかもしれません。……あれは、僕の所為かもしれないんです。

 そう、中三のときは色々ありました。お父さんがパチンコだかパチスロだかを始めて、そこそこお金があった時期でもあります。乱数周期? って何のことか分かります? 乱数周期を見つけるとお金が手に入るって言ってましたけど、専門用語ですかね? あ、それと、たまに女の人が来て、お金をくれることがありました。僕のこと睨んだりするから怖かったです。でも、「お母さん」って呼ぶと、千円くれるんです。まぁとにかく、受験もあったのでそこそこ忙しかったです。予備校なんかは行けないし、私立はお金がないから駄目だし、頭も悪かったので半分諦めていたところもあったんです。でもホラ、中三ってなんか、恋愛とかそういう雰囲気が流行るじゃないですか。それで、城崎さん……恵美さんに告白されまして。びっくりしましたよ。よく家には来てくれていたけど、まさかそういうふうなことがあるとは思いませんでしたから。僕は頭も良くないし、格好良くもないし、背も低いですから。だから最初は罰ゲームなんだと思って大変ですねぇって返事をしちゃって……だって恵美さんは綺麗だし、頭も良かったから人気もあって、僕なんて全然、なんていうか、眼中にないって思ってたので。まぁでも罰ゲームじゃなかったんですよね。びっくりですよね。僕としても、あんな可愛い人に告白されたら断る理由もないじゃないですか。女の子ってなんか良い匂いするし……あれって何の匂いなんですか? シャンプー? ……あ、ええ、とにかく嬉しかったです。誕生日も恵美さんは覚えていてくれるし、ケーキを買ってくれる。そういう人ずっと長いこといなかったから、またびっくりして……。さっき、子供は搾取されがちだって言いましたけど、恵美さんは僕に優しかったです。色々してくれました。凄く、献身的というか……勉強も教えてくれたし、数学なんて偏差値五は上がったんじゃないかな? もともと酷かったっていうのもありますけど。でもとにかく恵美さんのおかげで成績が上がりました。内申点はたいして良くなかったし、予備校にも行っていなかったのに、高校に合格できたんです。担任の先生は「奇跡だ」って言ってました。恵美さんは頭の良い女子高に受かって、高校生になっても遊びに行くねって言って。はぁ、あのときは楽しかったです。本当に、卒業旅行にも行けたし……。あぁ、友一君は本当は私立に受かってたんですけど、お金が掛かるとかで、結局僕と同じ学校に行くことになりました。お姉さんと同じだから嫌だった言ってましたけどね。

 高校は友一君と同じクラスになりました。アルバイトも始めたし、忙しかったです。え? 接客はやってないです。レジやるの嫌なので、配達とかそういうのやってました。忙しかったんですけど、やっぱり友一君が心配でしたから、彼のお姉さん――志摩先輩が部長をやっていた演劇部に入部したんです。でもあの部はたしか、僕が二年生のときに廃部になりました。文化祭も辞退したし、だから何の活動もしていません。

 志摩先輩とは中学の頃から面識がありました。病院で何度か会ったことがあるし、友一君の家に遊びに行ったこともあったので。たしかに先輩は性格が悪かったです。でも当時僕は仕方がないかなぁ、とも思っていて、それというのも先輩は病弱らしく、小さい頃から苦労があったそうです。容姿は凄く良かったから、女の子に嫌われてたみたいですし。だから僕は、先輩のことは別に嫌いじゃなかったんです。まさか友一があんなに思い詰めていたとは思わなかったし、先輩も同じように亡くなったんですよね。なんだか、やりきれないですよ。

 えーと、昔の話はこんなところですね。他に何か、あります? そろそろ僕、家に帰りたいんですが……。あ、お茶は頂きます。これ、美味しいですね。


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