7 日休の人マーロ
ゆっくりと瞬きをした。瞬きというには遅すぎて、一度目を瞑り、しばらくしてから開いたといったほうが正しいのかもしれない。机についていた肘が、突然の衝撃でバランスを崩した。
「お兄さん、どうしたの? ……怒ってる?」
机を尋常でない強さで叩く刑事を見上げ、高橋は目を丸くする。肘をつくのを止め、膝の上に両手を置いた。
「何でいきなり否認するんだ! 覚えてないって言っても、調書は残ってるんだぞ!」
服の襟首を掴まれる。高橋の混乱は深まるばかりだ。
チョウショって何だろう? 長所? いやでもこのお兄さん誉めてる感じしないしなぁ。
きょとんとした表情で、刑事を見つめるが、しばらくしてやって来た、首周りの圧迫感に恐怖を抱き、途端にそれを曇らせる。
「あのう……」
見上げた相手に睨み返され、ますます畏縮する。強く瞼を閉じ、震える声を絞りだした。
「な、殴りたければ……殴ったら、いいよ」
無意識に震える身体を必死で抑える。視線を机に落とし、膝の上で痛いほど拳を握った。
「で、でも、こういうことしても、む、無駄だよ。ぼく、興奮するだけだから。ヘンタイ、らしいし……」
嫌な記憶が蘇り、吐き気と目眩が彼を襲う。温かい涙が机に零れ、いくつもの水滴を残していった。
さすがの刑事もただならぬ高橋の様子に、襟から手を離した。椅子に座り、一定の距離を開ける。
「有本孝平とは、以前から面識があったのか?」
柔らかくなった口調で尋ねられ、先ほどまでのはりつめた空気は変わった。穏やかとは言い難いが、緊張の糸が少しだけ緩んだような静けさがあった。
「……ありもと、こうへい」
誰だっけ? どうしよう早く思い出さないと怒られる。どこかで聞いたような気がするけど、どこだっけ?
「名前、格好良いね」
全身を襲う震えは収まったものの、強く握りこんだ拳の小刻みな運動は止まらない。袖口で乱暴に涙を拭うと、視界が開け、なんとか落ち着いて思考ができるようになった。
「あ、孝平ってあの、もしかして、媚びた感じの? ぼくアイツ嫌い。多数に好かれる雰囲気っていうか。あれが嫌い」
たしか、手首を切り損なったんだ。邪魔が入らなければうまくいったのに……。
当時のことが如実に思い出され、怒りや悔しさの感情がじわりとやって来る。
「嫌いだから、ああいうことをした?」
刑事の、なかば責めるような強い口調に身体が震える。
とにかくちゃんと答えて、殴られないようにしないと……。
「いや、別に誰でも――。ただ、自分より強そうな大人なら、抵抗されたとき絶対勝てないから、勝てそうな人にした」
空気が再び、少しずつ緊張を含む。高橋は唇を動かすことに専念し、頭を必死に働かせ、言葉を捻りだす。
「べ、別にいいでしょ。ぼくだって、お兄さんだって、代わりはいくらでもいるんだし……。ぼくはいつだって誰かの代わり――」
緊張が頂点に達し、不意に眠気が押し寄せる。一度開けた視界が再びぼやけ、意識がどんどん混濁してゆく。
よかった、よかった。これでもう、大丈夫。
この恐ろしい状態から脱するために、高橋はそっと、身を委ねた。




