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神さまに逆らうな!  作者: つなかん
四章 臓心ノ黒
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2 対相対絶

 左耳の奥から高い金属音が聞こえた。鈍い痛みに目を開けると、薄暗い見慣れた部屋が見える。そっと首を捻ると、左側から温かい液体が伝うくすぐったい感覚がして、顔をしかめた。

 寒い。きっと冬だ。ぼんやりした頭では、それしか分からない。

 ひどい頭痛の所為で、考えを巡らせる暇もなく視界が反転した。上下左右が分からないほどの混乱と、背中や手足の刺すような痛み。

「おとう……さん」

 一瞬だけ視界に入った人影に声を掛ける。想像していたよりも小さく掠れた声が出た。呼吸をするのも億劫だ。あちこちが痛む。吐き気がして、視界が霞んだ。

 腹部の衝撃で気持ちが悪い。咳き込むと、胃液がだらしなく開いた口から零れた。ヒリヒリと喉が痛む。

 首筋にひんやりとした何かが当たる。痛みはないが、それが小刻みに振動する感触に、言い知れぬ恐怖を感じた。

 ぼくは死ぬの? 殺されてしまうのかしら? こわい。こわいけど、おとうさんに殺されるならきっと幸せだから大丈夫。

 大きな声を出さないように唇を強く噛む。通報されるなんてたまったもんじゃない。

「出てけ」

 固く瞼を閉じたとき、政男の思いがけない言葉が聞こえた。首筋に当たっていた冷たいものも、いつの間にか取り払われている。

「……え?」

「早くしろ!」

 困惑し、高橋は政男の表情を伺おうと首を捻るが、鋭い頭痛で断念した。少しでも動くと、必ず身体のどこかが痛む。

 いつまで経っても動かない高橋に痺れを切らした政男は、苛々と彼の肩を掴み、起き上がらせた。

「いたい! やだ、やめてってば! ――おとうさん!」

 抵抗すればするほど、服と傷口が擦過して、痛みが増すことは知っていたが、しかし冬に外へ出されるのはそれ以上の恐怖があった。意思とは反対に、玄関へ引きずられてゆく。

「やだ! お願い、寒いの嫌なの! 何でもするから!」

 「何でもする」と言えば、政男が大概機嫌を直すことを高橋は知っていた。薄ぼんやりとした甘い時間が続くだけで、痛みや寒さはなくなってしまうのだ。

「……何でも」

「そう! 何でもするの、ぼく、だから……!」

 たとえ一緒でも政男の態度の変化を見逃さない。必死になって懇願したが、それが逆に気に障ったらしく、一層乱暴に身体を引っ張られた。

「冗談じゃない! いいから出てけ。お前、気持ち悪いんだよ!」

 玄関の扉が開き、外に放り出されると、冷たい風が傷口に沁みた。辺りを見渡し、自分が地上数メートルの場所に居ることが分かると、胃が逆流するような感覚に陥る。堪えようと深呼吸を繰り返す度に、意図しない涙が溢れては地面を濡らした。

「ごめんなさい」

 地面に向かって呟いた。

 ――きもちわるくて、ごめんなさい。

「……さむい」

 コートを着ずに追い出されたので、ただでさえ冷たい風が一層寒さを感じさせた。

 高い場所から逃れるために、そろそろと階段を降りる。固く目を瞑り、手すりをしっかりと握る。震える足のことをあまり考えないようにして降りていく。

「いたい」

 やっとのことで地面に辿り着くと、雪が降ってきていて、怪我をした耳を刺激した。痛みと寒さをやり過ごそすために、口内に広がる鉄の味に神経を集中させると、まるで砂を食べたあとのようにざらついた。指先で確認すると、奥歯が欠けている。不快感をアスファルトに吐き出すと、コールタールに鮮やかな赤色が吸い込まれていった。何度か瞬きをして、行き先を公園に決めた。口がゆすげるし、時間も潰せる。

 ブレザーが紺色で良かった。もっと淡い色だったら通報されかねない。

 公園につく頃には辺りはすっかり日が落ちて、人っ子一人いない。設置されている大時計に目をやると、七時十五分を指していた。蛇口に近づいて、口内をゆすぐ。三回ほど繰り返すと、吐き出した水に赤色が混じらなくなったが、生臭い鉄の味は依然残っている。

 ひどい疲労感に襲われて、蛇口から離れ、ふらふらとベンチへ異動する。雨で濡れているので、ごみ箱から新聞紙を取り出して敷いた。今日はここで寝て、明日になったら家に帰ろう。

 寒さの所為か、まだ九時を回っていないというのに、眠くなってくる。うとうととまどろみ、身体を横たえようとしていたときだった。

「あれ? 高橋君じゃん。どうしたの? 補習?」

 このひとは誰だろう? ぼくの知り合いかなぁ。全然思い出せない。

「あの、ぼく……」

 高橋は戸惑い、視線を左右に揺らす。

「あぁ、僕のこと、覚えてない? 三年の安藤だよ、オカルト研究部の。ほら、君、志摩先輩を紹介してくれたじゃないか」

「えーと、あの」

「もう八時半だけど、帰らないの?」

「あの、ぼく、家は……」

 挙動不審の高橋に、安藤は首を傾げる。公園の柵を越え、ベンチに座る高橋に近づいた。

「耳、血が出てる」

 指摘され、慌てて押さえる。傷口は乾いていて、放っておいても問題はないように思われた。

「僕、今から学校行くけど、行く?」

「今から?」

「部活はもう引退したんだけど、今日はマヤ暦の予言で宇宙人がUFOでやって来るんだよ! 観察しない手はないだろ!」

 力説する安藤に、高橋は戸惑った。彼の話していることの半分は聞こえず、四分の一も頭に入らない。降っている雪の量が増えて、寒さに震えた。立ち話より、早く雨風の凌げる場所に行きたい。

「それで、宇宙人はスパイを既に送りこんでいて、テレビのリモコンなんかを――」

「行きます!」

 話を途中で遮られた安藤は、一瞬不満そうに黙り込んだが、すぐに返事を返した。

「あ、そう。じゃあ行こうか」

 歩き出す安藤に付いていく。時計にチラリと目をやると、九時を回っていた。

「てかさ、寒くないの?」

 歩きながら問う安藤は、傘もさしていれば、コートも来ていた。安っぽいが、マフラーさえしている。周囲に人影は見当たらないが、きっと普通の通行人も、似たような防寒対策はしているはずだ。なにせ十二月で、おまけに雪まで降っているのだから。

 あらためて自分の格好を眺める。コートも傘も、鞄もない。きっと全て家に置いてきてしまったのだろう。

「大丈夫です」

 顔を背けてそっけなく答える。

「そう、マフラーする? 安物だからチクチクするけど」

「大丈夫です」

 愛想のない高橋に、安藤は困惑したように眉をひそめた。

「あー、でもあれだ。雪だから傘ささないってのは分かるよ」

 安藤は、微妙に流れる不穏な空気に耐えかねたのか、先ほどよりも明るい口調で言った。傘を畳み、空を仰いでいる。

「そうですよ。雪の日に傘さしたら、なんか勿体ないじゃないですか」

 傘を忘れたとは言わない。自分の、忘れっぽいという弱点を他人に晒すのは抵抗があったので、すかさず同意した。

 安藤は、それまでそっけない態度だった高橋がまともな返事をしたので、安心したように大きく息をはいた。

「よかった、僕、嫌われてるのかと思ってた」

「『嫌われてる』?」

 ぼくがこの人を嫌うってこと? なんでそうなるんだろう? 意味が分からない。

「だって……ホラ、志摩先輩がああなっちゃったから」

 ああなったってどうなったんだ? 言っていることがよく分からないので彼を見上げると、すぐに視線を逸らされてしまった。

「友一君の、お姉さん、ですか?」

 たしか二人はそんな名字だった記憶がある。同級生の友一君のほうは既に亡くなっていることも知っている。

「うん。忘れたの? この前集会で校長が言ってたじゃん」

 記憶にないのだから忘れたことになるのだろう。中学生の頃から知っている先輩の文芸作品は好きだった。去年の文化祭で演じる予定だった台本も気に入っていたのに、どういうわけか屋上に置き去りにされ、いつのまにか演劇部は廃部になっていた。

「先輩も言ってたけど、本当に忘れっぽいんだな。大丈夫?」

 頭の心配されてるのが分かって、彼を睨む。

「覚えてます! 校舎が爆発した事故でしょう」

 最近、校舎が半分近く破壊された事故があった。西校舎のほうに教室が移動されたから分かったことだ。しかし、心がその事故とどう関係しているというのかは皆目検討がつかない。

「背中から飛び降りたってさ。僕、同じクラスだから葬式に行ったんだ。綺麗だった」

 “飛び降り”“葬式”の単語に驚愕した。まるで友一君のときと同じではないか!

 安藤のほうに視線をやると、彼はうっとりと陶酔したように凝ッと前方を向いていた。髪が雪で湿っている。

 ぼく髪も似たように、ベッタリと張り付いているのかなぁ。

 安藤の視線を追って前を向くと、校舎の一部が少しだけ見えた。不気味な夜の校舎のはずなのに、なぜか恐怖心は湧かなかった。


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