3 真っ赤な嘘ででっち上げ
「病院って、どっか悪いのか?」
木曜日はどういう訳か気分が優れる。朝は調子よく起きることができるし、授業もすんなりと頭に入る。木曜日の朝、田島は珍しく自分から高橋に話しかけた。朝だというのに教室の喧騒は普段と変わらない。いつも遅刻ギリギリに登校する田島には驚くべき発見だった。
昨日の掃除係の理不尽な仕打ちはなかったことにするとしても、病院の件は無視できなかった。隠すことではないと高橋も言っていたし、本人に直接聞くのが一番自然だろう。
「あぁ、手術したからリハビリしてるだけだよ。別に行かなくても大丈夫なんだけどナースのお姉さんに会えるから」
高橋は、本当に何も隠していない様子で語った。今まで話さなかったのも、意図的なものでなかったことが伺える。普段通り、へらへらとした、だらしのない表情を崩さない。
記憶喪失という話は本当なのだろうか? でも、万が一本当に記憶喪失だからといって先輩が高橋を疑う理由が分からない。俺の見た限り、志摩君は誰にも虐められてはいなかったし、特別高橋と仲が良かったという雰囲気でもなかった。もっとも、高橋は誰とでも話を合わせることが出来るから俺よりは志摩君と親しかったとは思うけど……。
「手術って、どっか悪かったのか?」
田島には「記憶喪失」という単語も衝撃的だったが、「手術」という言葉はそれ以上に深刻で、非現実的なものに思えた。手術をするほど悪い病気を持っていたという事実は、風邪すら滅多にひかない健康体の彼にとって驚くべき事柄だったのだ。
「……いや、ちょっと。手が動かし辛くて……。ほら、俺両利きじゃん。中学んとき手術して右手使えなくなった時期があったけど問題なかったし、先輩とも知り合えたし、良いことづくめじゃね?」
高橋はそう言いながら右手を振ってみせた。普通の人と変わらないように見える。普段の生活でも手の使い方が変わっていると感じたことはない。本当に手術が必要なほど悪かったのだろうか? いずれにせよ、問題がないのなら気にすることもないだろう。
「先輩と知り合った、って志摩先輩と?」
田島は驚いた声をあげた。心はたしかに小柄でひょろりと痩せていたが、とても病弱には見えなかったからだ。
「そうそう、先輩ああ見えて病弱だからさぁ。俺みたいにどこが悪いってことはないんだけど……腺病質っていうのかな。病院の常連みたいだよ」
――センビョウシツって何だ?
田島は、自分の語彙力のなさにがっくりと肩を落とすほかなかった。昨日辞書で調べた結果、「不遜」と「溜飲が下がる」の意味は理解できたが、次から次へと小難しい単語を連発する彼らに辟易しつつあった。
でも仕方ないじゃないか! 考えてみれば、俺は小五から最近まで外国に居た訳だし、日常会話で「溜飲が下がる」なんて言う人なんて極稀にしか存在しないはずだ。
「……な、なぁ」
田島は自分を正当化しつつ、大きく深呼吸をした。いくら最近まで外国に居たからといって、自分の無知を他人に晒け出すような真似はやはり気分の良いものではない。
「何だよ? 別に手術したことと、半袖着てこないことは関係ないぞ。……いや全く関係ないってわけじゃあないけども……」
高橋は、何を思ったのか自分の袖口を引っ張った。口では「関係ない」と否定しつつ、やはりどこかで気にかけているのだろう。
「いや、その。『センビョウシツ』って何だ?」
田島の言葉に、高橋は袖口に落としていた視線をゆっくりとあげた。僅かに首を傾け、田島の顔面を凝視する。
「腺病質は、病弱とか身体が弱いとかじゃなかったかなぁ。間違ってたらごめん。俺はそういう意味で使ってた」
高橋は自分の言葉の遣い方を指摘されたと思ったのだろう。突然自信のなさそうな声を出し、謝罪する。
「あぁ、そうなんだ。俺が知らなかっただけだから、深い意味はないんだ」
何だか逆に気を遣わせちゃったなぁ。悪いことをしたかもしれない。今度から電子辞書を持ち歩くことにしよう。
「そうか。田島は帰国子女だからな。志摩先輩と会話すると大変だろ?」
高橋の言葉から心は、普段からおよそ日常会話で使うことのない小難しい単語を並べるのが好きであろうことが伺えた。昨日の捨て台詞もきっと意識してひねり出したものだろう。
「あぁ、昨日は不遜、とか溜飲が下がる、とか言ってたなぁ」
田島の言葉に高橋は小さく笑みを見せた。小柄で、どちからというと可愛らしい容姿をしている高橋の笑顔は、同学年より先輩達のほうがウケが良い。
「そっか。先輩って国語の成績良さそうだよな。美人だし」
「そうだよな。美人だよな」
田島はすかさず返事をした。“美人”という単語は、心を表すのにぴったりの表現に思えたのだ。
そんな田島の様子を察したのだろう。高橋は盛大に溜め息をつくと、左手で頬杖をついた。
「先輩恋人いるから諦めたほうがいいぞ。いくらお前が格好良くても無理だ。諦めろ」
いや、俺は別に先輩の恋人になりたいとか、そんなんではないのだが……。高橋は何か勘違いしている。しかし恋人の存在は初めて聞いた。
「恋人って、この学校の人? いや、そもそも俺は別にそんなんじゃ……」
恋人の存在は確かに気になる、が、しかしこんなにも直接に訊ねてしまって本当によかったのだろうか? いいや、良いはずがない。これでは自分が心に気があるように思われてしまうではないか。まぁそれもあながち間違っている訳でもないのだが……。
すかさず否定の言葉を口にした田島だが、それでも咄嗟に発してしまった質問内容に、もっと注意深く発言ができなかったものかと自分を呵責せずにはいられなかった。
相変わらず頬杖をついたままの高橋は、同様する田島の心中など気にも留めていない様子で、ニヤニヤと口角を吊り上げた。
「あんまり大きな声では言えないんだけどな……ちょっと」
おもむろにそう言うと、頬杖をついていない右手で、近寄るように指示をする。その様子がまた、何かを楽しんでいるふうで、きっと人の個人的情報を勝手に話すことが不遜なら、高橋はきっと思い上がっているのだろう。
ジェスチャーに従い、少し顔を近づけると、高橋は普段よりも少し声を落としていった。
「弟さんが居ただろ。このクラスに。志摩友一。最近見ないけど……そいつと」
「はぁ?」
思わず、おかしな声を出してしまった。気の抜けた、馬鹿みたいな声。しかし、当の田島はそれどころではない。様々な憶測がぐるぐると頭の中を巡っては戻り、戻ってはまた巡りを繰り返していたのだ。
――弟? とは、どういうことだろう?
田島は一瞬、高橋の言わんとすることを、理解することができなかった。しかしすぐに、交錯する思考回路が落ち着き、先ほどまで浮かべていた高橋のニヤけた笑みの理由を悟る。
なるほど、するとこういうことか。最近自殺した先輩の弟である志摩君は、先輩と恋人関係にあった、と。そういうことが言いたいのか?
「そ、それ本当に?」
高橋はふざけてそんな発言をしているのではないだろうか? そんな疑惑も浮かんだが、しかし今まで高橋はそんなふざけた嘘をついたことなんて一度もなかった。クラスメイトに人気があるのも、そういった理由があってのことだということを、田島は十分に理解していた。
「……多分。だって俺、中学のとき一緒だったから、友一と」
――ゆういち?
志摩君のことをそんなふうに呼んでいただろうか? それほどまでに仲の良い間柄だったのだろうか?
田島は、高橋の発言に再び驚かされた。「友一」なんて下の名前で呼んでいただろうか? ほんの数ヶ月前の記憶だというのに、笑ってしまいたくなるほど、思い出せない。いったい、人間の脳みそはどういう造りをしているのだろう?
「そういえば、最近見ないよなぁ友一、どうしたんだろう? 同じクラス、だったよな、確か」
声を落としての会話だったため、幸いクラスメイトは高橋の発言に気付かなかったようだった。苦手なはずの教室の喧騒に、田島は始めて感謝した。
先輩の言っていることは本当だったのだ。高橋は本当に記憶がない――少なくともこの数ヶ月の記憶はないといって差し支えないだろう。
「あぁ、そうだ。先輩に今度の文化祭の台本、田島に渡せって言われてたんだった」
昨日電話で。と言って屈託なく笑う高橋は、ごそごそと鞄の中を漁る。
どうやら最近の記憶はしっかりしているようだ。
渡された台本は、ワープロで作成されたものらしく、心の、特徴ある字体はそこには一つも記されていない。きっと、自分でも読みづらい字だということに気付いているのだろう。厚みはなく、すぐに読み終わりそうな代物だ。
「まぁ、短いからすぐ読めると思うよ。タイトルはたしか……『真っ赤な嘘ででっち上げ』」
高橋の言葉を聞き、教室前方の時計に目をやる。まだホームルームまで、時間がありそうだ。
『最近、私の親しいひとが亡くなりました。初めは信じられなくて、まさか彼が居ないだなんて受け入れることができないで、涙もでない日々でした。
もしかしたら、彼は今でも遠くのどこかで元気に暮らしているのではないか? と心のどこかで思っていたのだと思います。けれどもそれは違うのです。やっぱり彼は死んでいて、私の前には決して姿を見せないで、アノ声も、アノ匂いも、もう現実で感じることは不可能になったのです。
それに気付いたのは、慌ただしい葬儀が済んだあとのことで、なんだか突然悲しくって仕方がなくなったのでした。葬儀の最中は、親戚が流す涙を、夢の中の産物だと感じていたのですが、そのころになると、もういくらでも涙が出てくるような気がして、泣いては眠り、眠っては泣き、そんなときでもお腹は空いて、空腹を感じる自分自身に嫌悪しながらもご飯を食べて、泣き、排泄し、泣き、眠りました。
そんな生活(と言えるのかは知りませぬが)をひとしきり終えた私は、頭が冴えて、以前の私に戻りました。
以前の生活に戻るのは、想像以上に容易なことで、私自身ひどく驚いたのを覚えています。しかし、それには大きな代償があったのでした。日々を重ねる度に、彼を思い出すことが困難になってきたのです。あれほどまでに、彼を想って泣いたのが嘘のように、今日の晩御飯のことや、テレビ番組なんかのことを考えるのです。
それらは全て、白痴の私が悪いのですが、やはり、やっぱり哀しく思ってしまうのでした。
しかし、ひょんなことからそんな私に転機が訪れます。お前との出会い、です。白痴の所為か、弁の立つ私は、お前と出会ってすぐに仲を深めることに成功したのでした。愚かなお前は私を哀れみ、「忘れることは良いことだ」などという、あられもない幻想を提示しましたが、私は決して騙されません。
私は彼を生き返させる道を選びました。
生き返させるには、人間の右手が必要で、他にも要るものは様々あったのですが、やはりこれが一番、手に入れるのが難しいようでした。儀式には手順があり、始める時刻や方角にも、細かい決まりがあって、今日のような場を用意するのは、とても労力の要するものでした。
しかし、努力の甲斐あってか、やっとここまで来ることが出来ました。手首を提供してくれたお前には、感謝してもしきれません。ほんとうに、ありがとう。私はお前が大嫌いです。これから彼を取り戻します』




