6 マニエリスム
目の前には段ボールがうず高く積まれていた。崩れないようバランスを取っているのは私の両手と、それから全ての身体だった。全神経を集中させていないと、いつ崩壊するか分からない。おまけに、その段ボールで視界が遮られているのだから救いようがない。今現在、こうして立っていることすら難しいのだ。ぐらぐら揺れる荷物に合わせ、私の身体も不安定に調整をする。これを科学室まで届けるなんてとんだ重労働だ。何回かに分けたほうが良かったのかもしれない。
……くそう。してやられた。
私はこの仕事を押し付けた先輩を呪いたい気分になった。呪いなんて高度な魔術、まだ使えるはずはないのだけれど、そのうちいつかきっとアイツをハメてやるのだ。
「ほう、これは朝からよく働きますね」
「あんたが押し付けた仕事だろ」
ホフマンの声に苛立ちながらも、律儀に返事をする。自分が、あの食中毒事件のことで彼に疑われているのは分かっているので、どうにか回避する道を探っていた。 わざと大きな音をたてて、机に段ボールの山を置く。もともと埃っぽかった部屋に、さらに塵が舞い、視界が悪くなる。
「ポケット」
「はい? なんすか?」
彼の慇懃無礼な態度に辟易する。
「ポケットを裏返せ」
「うるさいなぁ、分かりましたよ」
有無を言わせない雰囲気があった。莉沙は仕方なく、ヤレヤレと首を振りながらブレザーのポケットを探る。
――ハンカチやティッシュペーパーなど、校則違反のものは見られない。
どうだ、ざまあみろ。これでヤツの面目も丸つぶれ。次からはセクハラ野郎とでも呼んでやる。
「内ポケットもな」
「セクハラで訴えますよ」
相変わらずの冷静さに腹がたつ。しかし無言の圧力は凄まじい。ここで拒否したらどうなるか分からない。最悪なのは教師への報告だが、既にそれは免れることは難しいだろう。
莉沙は大きくため息をついて、内ポケットを探る。冷たいガラスの感覚に、さらに大きく息を吐いた。
机の上にそれを置く。固く、無機質な音が響き、莉沙は身を強張らせた。
「これは……香水です」
「没収だな」
「その瓶、母の形見なんです」
“没収”の二文字に怯え、咄嗟に取り繕う。実の母親は外国にいるだけで、死んでなどいないのだが、ここは仕方ない。そういう設定でいかせてもらおう。
「言い訳としては、及第点だが――」
「そりゃどうも。じゃあもう失礼します」
ホフマンの言葉を遮って、机上の小瓶に手を伸ばす。
しかし、その瓶は莉沙の目論見に外れ、ふわりと浮き上がり、そのままホフマンの手の中に収まった。
「まぁ待て、そう急ぐなよ。中身は香水だっけか」
「開けちゃだめです!」
「いいじゃないか?」
「開けたら死にますよ」
蓋にかけられた指を凝視して、莉沙の顔は青冷める。不審気に表情を曇らせるホフマンの気をなんとか逸らそうと、思案した。
反対の内ポケットから時計が落下する。わざとたてた大きな音は、莉沙自身も驚いたほどだ。
ホフマンの視線が移るのが分かる。
「これは鰯の頭です」
「……鰯」
一瞬怪訝な表情を浮かべるが、すぐに閃いた様子で頷く。
「あぁ、リピッシュか。またお前ら、可笑しな遊びをしてるのか」
リピッシュと莉沙が親しい関係というのは取り立てて有名な話ではなかったが、ホフマンはリピッシュと同学年なので、知っていたのだろう。
「違います、アンタには分かりませんよ」
何に対してなのか分からないが、とにかく腹が立った。八つ当たりになるのは分かっていても、止めることができない。
「大多数ではないという理由だけで迫害されるから、ずっと怖い。気違いみたいに成績に拘るのだって、自分を武装するためだし、アンタみたいなのには分かんないです」
分からないのだ。きっと私にしか、これは分からない。
「そういうことは言うなよ」
「だってそういうあだ名じゃないですか。知ってます」
泣きたくなったが、必死で堪える。彼から瓶を引ったくり、何も考えずに廊下へ飛び出した。