A ジンゴイズム
「うっせーよ! インターフォンは一回で充分だっつーの!」
何度も繰り返されるチャイムの音に、莉沙は新聞から顔をあげた。おおかた募金か宗教の勧誘だろうから無視を決め込んでいたのだが、あまりにも執拗なそれにうんざりし、玄関へと歩き出した。
夏休み。しかも日曜日の朝だというのに、単身赴任中の父親は帰って来ない。義理の母や、腹違いの妹弟は日曜礼拝とかいう忌々しい儀式のために外出中だ。
あぁウザい。さっさと追い払って宿題の続きでもしよう。
緩慢な動作で玄関のドアを開けると、見覚えのある容姿が視界に入った。
「あ、やっと出た。留守だったらどうしようかと思ってたところ――」
莉沙は無言で扉を閉めた。見知った人影を意図的に視界から消し、鍵に手を伸ばす。
なんかすっごく親しげに話し掛けてきたんだけど。何アイツ? てか何でアイツがここに居るわけ? あー、それにしても久々に日本語聞いたわ。
「おい! なんで無視するんだよ。折角お土産も持ってきたのに」
ドアを閉めたにも関わらず、突然の訪問者――、もとい莉沙の兄である昭一は言葉を続けた。
「莉沙の好きな生八つ橋買って来たのになぁ、開けて欲しいなぁ、ついでにしばらく停めて欲しいなぁ」
「生八つ橋」という単語に、理彩の動きが止まった。鍵を締めようとしていた手が浮游する。しばらくの逡巡の末、ゆっくりとノブに手を掛け、扉を開いた。
「とりあえず、上がったら」
ぶっきらぼうに言うと、昭一はへらへらした笑みのまま、家に上がり込んだ。
今度こそ本当に施錠をし、ため息をつきながらリビングへ戻る。
「てかなんでいるの?」
理紗の言葉に昭一は不満気な顔をした。
「久々に自分の家に帰ってきてそんなこと言われるとはな」
「旅行だとしてもこんなところに泊まるのは頭おかしいとしか思えない。だいたい兄貴の家じゃないだろ」
片田舎の自宅は、地元で幽霊屋敷として有名なところだった。父親の家は有名だが没落した貴族で、古い家はなんとか相続したものらしい。成金の再婚相手のおかげで家の中は昔に比べ、随分住みやすくなった。
以前の母親の連れ子である昭一はこの家に住む人間と血縁関係はない。旅費が浮くからといってわざわざ泊まりに来ることは、理紗に理解し難いものだった。
「飛行機代どれだけかかったと思ってんだ! もうホテルに泊まる金なんてねーよ!」
昭一はテーブルの上に置かれたクッキーを手に取った。丁寧に包み紙を外し、咀嚼する。
「それは、そうかも、だけどさ。ここは、あんまりいい場所じゃないよ」
「なになに? 可愛い弟に虐められてるとか?」
理紗の弱気な発言に、昭一は楽しそうな含み笑いをした。まだ幼い弟に、義理の母がかかりきりなのは容易に想像できる。
「ありえない。あんな餓鬼、私は相手にしていないから。いいから八つ橋寄越せ」
昭一の手から紙袋を奪おうとするが、軽快な動作で避けられる。
「そんなイライラするなってば。牛乳飲め、牛乳。きっとカルシウムが足りてないんだ!」
「ザッっけんな脳筋! カルシウム摂ると、逆にイライラするんだよ。特に牛乳に含まれるカルシウムは――」
「あー、分かった分かった。あんまり蘊蓄垂れるなよ。嫌われるぞ」
昔から理紗は雑学のようなどうでもいいことをよく知っていた。難しい言葉を遣いたがることも多い。得意な化学の知識をひけらかすことで友達は少なかったのを思い出し、昭一は眉を顰める。
「ところでお母さんは? 弟と妹もいないみたいだけど。あーと名前なんだっけ?」
「礼拝じゃない?」
「あぁ」
義理の母がカトリックの信者なのは知っていた。理紗の通っている学校から判断すると、母の反応は悪そうに思える。
「お前やっぱ虐められてるだろ。友達とかいる?」
「余計なお世話」
紙袋から八ツ橋を取り出しながら、理紗は昭一を睨み付けた。