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実を言うとこの時点でストーリーはできているものの、撮影計画はかなりいい加減だった。青木が原の樹海で「ひたすら森の中を歩いているシーン」と「洞窟に入って釣りをするシーン」を撮って、あとは「テント前の焚火」などいくつかのシーンを自宅近くの公園で撮って繋げばなんとかなる、と考えていた。それというのも今回は全編、ナレーションをかぶせる予定だったので、映画やドラマのように状況やセリフで自然にストーリーを表現する、というものではなく、映像はナレーションの背景にしてしまおうと思っていたのである。
映像の中に解説のフリップやアニメーションを入れたり、テロップを入れたり、というような情報番組的な演出のものも作ってみたい、と思っていた。
通常、自主映画を撮るときには、絵コンテとかなりきっちりとした撮影予定表を用意する。絵コンテというのは、漫画のコマのように、画面に映る映像を簡単に描いて、その横にセリフやト書きも書き加えた、いわば映像の設計図だ。
ちなみに「ト書き」というのは、台本のうち、セリフ以外の部分である。「と、花子は言った」「と、つぶやいてうつむいた」などというように「と」から始まる文章が多いのでそう名付けられた、と物の本には書いてあった。実はわが家の本棚には十数冊のその手の本(シナリオや小説の書き方)が並んでいる。読み終えたら触発されて作品を書けばいいものを、本自体が面白くてまた別のものを買ってしまうのだ。
ところで商業作品ではない自主映画の撮影といえども、大の大人であるスタッフとキャストを拘束するのだから、予定期間内にすべての撮影予定をこなす必要がある。多くの場合はギャラは無しだから、基本的に約束した以上のスケジュールで撮影を続けることはできない。自分以外にそうそう暇な人はいないものだ。せっかくの休日を費やして撮影に参加し、労力と満足感が釣り合わなければ次からは協力してもらえない。むしろプロの現場の方が金で釣り合いをとれる分、楽なくらいだ。
自分は客観的に見て、クオリティーはともかく、撮影はかなり早い方だ。これはあえて意識して早くしている。学生時代とは違い、自分も含め参加者の余暇の時間は貴重だ。撮影ペースが倍なら、一日に撮れるショット数も倍になり、半年かかる撮影も三カ月で終わる、ということだ。そして早い撮影を実現させるためには効率のいい撮影計画を立てることが必要で、計画の元になる設計図(絵コンテ)を事前にしっかりと準備するのが大前提なのだ。
いつもはそういう考えだ。
しかし、そうするとほとんど余裕というか遊びがない撮影会になって、仕事以上に機械的に撮影をこなすという状況になってしまう。とても休日に楽しみながら撮影をする、という状況にはならない。これは反省すべきことだが、おもしろおかしく遊び半分で撮影しても、恐らく完成までこぎつけられないという確信もあり、難しい問題だ。正直、映像作品の撮影の段階では、自分自身がプロデューサー兼監督(それに多くの場合は出演者も)の立場なので現場で全く余裕を持てない。参加者を慰労するためには、その日の撮影後の食事会や飲み会など、幹事を別に立てて準備したりするのが現実的なところかもしれない。
しかし、今回は、そんないつもの窮屈な自主映画制作とちょっと趣向を変えて撮影できないか、という構想はあった。
そこであえてこの探検シリーズではラフな計画と、映像的にはある程度行き当たりばったりの要素を強くして、遊びとしての映像撮影を目標にした。そのため、撮影用の資料も絵コンテを用意せず、メモ帳に「二人歩くロングショット」「歩く足のアップ」などという簡単な箇条書きだけ用意した。それさえあれば、とりあえず飽きずに見ていられる(?)最低限のショット数と映像の種類を想定したつもりだ。