愛のカタチ
殴りたい、という感情がなかったわけではない。
理由がなかったわけでもない。
……だけど、言いたくない。
「どうしてケンタロウ君を殴ったの」
「……」
先生は、黙り込んだわたしを睨み付けている。そんな先生に、違うよ、向こうが悪いんだよ、って言ってやりたかった。
だけど、わたしは黙り込んだまま、あいつを殴った所為で、少しだけ痛む右手をさすった。頭の中はいろんな感情でつぶれそうなのに、表情はいたって冷静なままだった。
「黙っていても、わからないでしょ!」
「……ケンタロウ君、が」
「彼が、どうしたの?」
痺れを切らして大きな声をだした先生にびっくりして、何度も頭の中に浮かんだ、あいつを悪者にしてしまう文章の切れ端が、声となって出てきてしまった。
はっとなって、これ以上は言わない、と、唇をかみ締めると、代わりに涙があふれてきた。
「健太郎君が悪いの?」
先生がわたしの涙を見て、困ったような、焦ったような声で言った。わたしは、頼りなく首を横に振る。
先生が何度も言い方を変えて聞いてきた。でも、わたしは首を振るだけだった。
本当は、あいつが悪いと、言ってしまいたかった。
今日、いつものようにわたしをからかってきたケンタロウ君は、「バカ」等と罵った後に、いつもの笑顔で言った。
「お前なんか、誰も好きにならねーよ!」
その言葉だけ、いつも通りにあしらうことが出来なかった。頭がぐちゃぐちゃになって、目の前が真っ白になって、初めて「こいつを殴りたい」と思った。
そうして、気がつけば、わたしの小さな拳は、ケンタロウ君の左頬を殴っていた。
「健太郎君と何があったの」
「……わたしが、悪いの、先生」
彼がわたしの所為で、先生に怒られて、二度とわたしに声をかけてきてくれなくなってしまうくらいなら、わたしだけが怒られるほうがマシだと思った。
それが、本当に彼のためになるのかなんて小学生のわたしにわかるはずなどない、ただ、目の前にある選択肢の中で、彼を失わないのはどれかが今のわたしには重要だった。
「そう……でも、どうして?」
「わからない」
「理由もなく叩いたの!?」
「……」
「とにかく、健太郎君のところへ行って、きちんと謝りなさい!」
「はい」
「バカ」「ブス」なんて言葉を聞き飽きるくらい何度も聞かされたし、背後を取られれば二つに結んだ私の髪を引っ張られた。隣の席にの時はいつだって消しゴムのカスを飛ばしてきた。
そんな乱暴でいじわるな彼を、わたしは憎んだっておかしくないはずだ。
それなのにどうして、彼をかばったのか、今なら、はっきりとわかる。
わかったところで、きっとかなわない恋だということも。
頭の中で彼の言葉がもう一度響いて、私は右手を力いっぱい握りしめた。
おわり
読んでくださってありがとうございました。