婚約締結! いき遅れた私にお母様が素敵な旦那様を連れてきてくれました。
「今回もまたなの......」
三十歳の誕生日。
私は、鏡の前で陰りを見せ始めた自分の肌を眺めため息をついた。
私は、ララミア・ローゼンタール。
貴族の末端である男爵コーオン・ローゼンタールの娘である。
ただし、前世の記憶が僅かばかりあった。
前世では、親からは勉強しろとばかり言われて育ち、なんとか大学まで卒業して、会社に入ったもののあまりよくなく夜遅く帰る毎日。恋愛も碌にできないまま、35歳をすぎていわゆるお局様になって、そのまま生涯さみしく独身のままあの世行きになりました。
そのまま成仏するのかと思いきや、なんと異世界に転生することができました。
身分は貴族。
これで私も素敵な王子様と恋愛がと思いきや、貴族社会は厳しく前世で学んだパソコン技術は、電気も碌にない世の中ではなんの役にも立たなくて、容姿も前世から引き継いで、パッとせず、煌びやかな美貌の伯爵令嬢や侯爵令嬢の政治的な会話には一切ついていけずに、王子からは『こいつ使えないな』と蔑むような視線を向けられる毎日。
「よかったのは、呪詛を垂れ流してしまうSNSのようなものがなかったことかしら......」
窓から庭を眺めると、昔少しだけ言い寄って来てくれた騎士のアレスが私より10歳は若い侍女と楽しそうに話しています。
「私も、会話に......」
入ろうかと思って、やめました。
アレスは会話してくれるでしょうが、もし嫌そうな視線を送られた日には、心が耐えられそうにありません。
――私は、誰かの隣に立てる日が来るのでしょうか。
胸に沈むのは、不安と諦め。
瞳から零れ落ちる涙は、誰から見られることもなく頬を伝い、床に吸収されていきました。
「ララミア、ちょっといいかしら」
扉の外から、聞きなれた声が聞こえてきました。
「はい。お母様」
私は、涙を拭きながら、扉を開けました。
姿を見せたのは、メアルお母様です。
結婚できない私をみて、一番心を痛めてくれていた人です。
結婚できない私に嫌味を言う前世の母親と違いメアルお母様はいつも「大丈夫よ、あなたには良いところがたくさんあるわ」と励ましてくれました。
そんなお母様ですが、今日はなぜか少し興奮気味でした。
「来てララミア、良縁があったのよ! きっとあなたを理解してくれる方よ」
そういう母親に連れられて、居間に行くと、同い年ぐらいの男性がいました。
黒髪で、顔立ちは平凡。
身なりは整っているが、中の下といったところ。
相手もそう思ったのでしょう。
多分、自分が浮かべている表情と同じような表情をしているような気がしました。
「ララミア、彼はテオ・アドリアーノ男爵令息です」
母親の説明では、ローゼンタール家と同じ時期に貴族入りを果たした家系で、隣にいるテオの母親と意気投合して仲良くなったところ、今回のお見合いをしようという話になったとのことでした。
「あとは、若い二人に任せましょうか」
そう言って母たちは退席し、居間には私とテオだけが残された。
私は、しかたなくテオの前の席に座ります。
「……」
居心地の悪さといったら、筆舌につくしがたい。
沈黙を破ったのは、彼でした。
「まあ、そうですね。気は進みませんが、少しおしゃべりでもしましょうか」
「そうしますか」
気のないやりとりのあと、私は勇気を振り絞って尋ねた。
「えーと、普段は何をされているのですか?」
無理やり、そんなことを聞いてみました。
「私の父が商売で成果をあげたのですが、実際うちは農家の家系でして、土いじりの方が好きでして」
「どういったものを育てているのですか」
「今の時期なら、一番美味しいものはトマトですね。瑞々しくて、栄養に富み、人々の健康を守ってくれる。太陽をたっぷり浴びて育った証の赤は、まるで命そのものの色ですよ」
彼は、生き生きと、トマトについて語ります。
本当に作物が好きなことが伝わってきます。
「まあ……食べてみたいわ」
「うん? 貴族のお嬢さんには、退屈な話でしょう」
「そんなことはありませんよ。私も、野菜ではありませんが、部屋でサボテンを育てています」
「サボテン?」
南国に商売に行った父が、お土産に持ってきてくれた植物です。
「えーと」
彼のように、うまくサボテンを口頭で説明することができません。
「今、持ってきますね」
私は、部屋から植木鉢を持ってきて見せた。
彼は、サボテンが見たことないのか、じっくりと穏やかに眺めて、ちょんと棘に触ると笑みを浮かべて、ゆっくりと私に言いました。
「へぇ。可愛いですね」
「可愛い……」
可愛いといってもらったのは、もちろんサボテンです。
それでも、自分がいってもらえたかのように、心が弾むのを感じました。
「可愛い植物を見せてくれたお礼に、今度は、僕が野菜を持ってきますね」
最初の印象と違いとても優しく、穏やかに笑う彼がとても素敵に思えたのでした。
◇ ◇ ◇
それから何度か会ううちに、私の中で彼への印象は少しずつ変わっていった。
ある日、彼は唐突に言った。
「僕と結婚してくださいませんか?」
彼が唐突にそう言いました。
「私ですか……」
一瞬ためらう私に、彼は真っすぐな眼差しで続ける。
「正直初めて会った時は、パッとしない方だなと思いました。ですが、今ではあなたほど真心のある方はいないと思います。私は、あなたとこれからの人生を共に歩みたい」
「よろしいのですか?」
震える声で尋ねると、彼は微笑んで答えた。
「ええ。僕にとっては、誰よりも大切な人です」
その言葉に、胸の奥で固く凍りついていたものが溶けていくようです。
私は深く息を吸い、彼の目を見て静かに告げました。
「……はい。私もあなたと共に歩んでいきたいと思います」
涙がにじむ視界の中で、彼の笑顔が鮮やかに広がった。
その瞳の奥に映る未来は、豪奢な宴や煌びやかな玉座の隣ではなく、土の香りと太陽に照らされた小さな庭かもしれない。けれど――それで十分だと思えました。
赤く熟したトマトのように、太陽を浴びて輝く日々が、私たちを待っているのだから。