2.彼は始業式の最中にハイドインシャドウ
新学期の始業式。
羽歌菜は高校二年生としての初日を迎えるべく、気持ちの良い朝の陽光を浴びながら真蔵谷高校の正門をゆっくりとくぐっていった。
そして校舎の正面玄関で、見知った顔と幾つも出会った。
一年生だった昨年、羽歌菜は男女問わず多くの友人を作ることが出来たし、この日も顔を合わせた誰もが羽歌菜に笑顔で挨拶を贈ってくれた。無論羽歌菜も、そんな友人達に明るい表情で挨拶を返した。
が、正直なところをいえば、気分の方は少々微妙だった。
こうして元気に新学期、新たな学年を迎えることが出来たのは嬉しい限りなのだが、あの日、羽歌菜の大切な宝物を救ってくれた謎の青年の正体は、遂に分からず仕舞いだったのだ。
「ワカちゃん、おっはよー。クラス分け、もう見た?」
上履きに履き替えたところで、初美が元気に手を上げながら歩を寄せてきた。
「うん……結構、知らない名前が多かったね」
「まぁ、イイじゃん。アチキはまたワカちゃんと一緒になれたから、他はもう全然どーでもイイよ」
身も蓋も無い表現で朗らかに笑う初美。こういうはっきりした性格は相変わらずだった。
「んでワカちゃんさ、あの時のカレ、まだ見つかってないんだ?」
「うん、そうなんだよね……全然手がかりも無くって、マジで困ってんだぁ……」
はぁぁと大きな溜息を漏らしながら、羽歌菜は初美と肩を並べて新しいクラス、二年B組の教室へと足を運んでいった。
黒板には、仮の座席表が貼り出されている。
まずは新年度初日だということで、窓側の先頭から姓名の五十音順で座ることになっていた。
(読み方が分かんないひとが結構居るかな……始業式の後のホームルームで自己紹介とかあるだろうし、ちゃんと聞いておかなきゃ)
それでも一応、やや難解な名前は字面だけでも眺めておこうと仮座席表をじぃっと眺める羽歌菜。
するとそこへ、何人かの男子生徒が嬉しげな様子で声をかけてきた。
「わぁー、やったぜー。今年は夢咲ちゃんと同じクラスだー。イイ一年になりそーだわー」
「宜しくなー、羽歌菜ちゃん。今日ガッコの帰りに皆でカラオケ行くんだけどさー、一緒に行かねー?」
「やったやったぁ、夢咲さんと同じクラスだー。めっちゃツイてるー」
彼らは一様に、羽歌菜と同じクラスになれたことを心の底から喜んでいる様子だった。
そんな男子らに羽歌菜はいちいち丁寧に笑顔を返していたが、そこへ初美が急ぎ足で近づいてきて、男子連中をしっしっと追い払ってゆく。
「ほーらほらー、野郎共いきなりちょっかいかけてんじゃねーよー。ワカちゃんと仲良くなりてーんなら、まずはアチキをオトさなきゃなんねーぜー?」
ふんすと鼻息を荒くする初美の勢いに、クラスメイト男子らは笑いながら退散していった。
すると今度は、入れ替わる様にして新しいクラスメイトの女子らが数名、宜しくねと声をかけてくる。
「夢咲さんって確か、読モやってんだよね? いーなー、アタシももっと可愛くなりたいなー」
「今度さ、皆ではじめまして女子会やらない? 絶対たのしーよー」
羽歌菜は男子だけではなく、女子らからも好意に満ちた声を四方八方から浴びまくった。これはこれで嬉しい限りなのだが、下手に優先順位を付ける訳にもいかない為、誰とどう友達付き合いをしていくのかが結構悩ましい部分でもあった。
と、ここでチャイムが鳴った。
始業式の為に講堂へと移動せねばならない。
「ワカちゃん、行こっか」
「うわっとっと、まだ鞄置いてなかった」
初美に促されたところで、通学鞄をまだ抱えたままだったことを思い出した羽歌菜。
慌てて仮自席へと放り出し、廊下で待っていてくれている初美や他の新しいクラスメイトらと共に、講堂に繋がる渡り廊下へと足を急がせてゆく。
この時、一瞬だけ教室内に振り向いた。
まだ何人かの生徒が残っていたが、彼ら彼女らは友達らしい友達や知人も居ないらしく、それぞれが個別に移動の準備に入っている様子だった。
(あのひと達は、多分知らない顔ばっかりかな……始業式に遅れなきゃイイけど)
ふとそんなことを心配しながら、羽歌菜は初美に背中を押されつつ講堂へと移動していった。
◆ ◇ ◆
始業式を終えて、生徒達は一斉に自分の教室へと引き返し始める。
中には式の最中に居眠りしていた者も居るらしく、友人や新しいクラスメイトに揺り起こされる姿がちらほら見られた。
そんな光景に内心で苦笑を浮かべていた羽歌菜だったが、ふと何気なく斜め前方に視線を流した時、喉の奥であっと声が漏れた。
「ん? ワカちゃん、どしたの?」
横合いから初美が不思議そうな面持ちで覗き込んできた。
しかし羽歌菜は、そんな初美の問いかけにも反応出来ないぐらい、その美貌を驚愕の色に染めていた。
「い、居た……!」
「ん? 誰が?」
意味がよく分からないといった様子で、尚も怪訝な顔つきで覗き込んでくる初美。
羽歌菜はそんな初美に鬼気迫る表情でその美貌を返した。
「い、居たんだって、あの彼が! あたしの、大事な宝物を守ってくれた、彼が!」
「え……嘘、マジ?」
初美も驚いた様子で声を裏返している。
すると周囲に居た他のクラスメイトらが、一体何事かと興味津々の様子で揃って視線を向けてきた。
「えー? 誰か知り合い? 気になるひとでも居んの?」
同じクラスの男子生徒が、驚きの中に若干のジェラシーを滲ませながら問いかけてきた。
他の男子らも似た様な感情を漂わせつつ、羽歌菜の美貌に視線を集めてくる。
しかし羽歌菜はもう彼らの嫉妬などには気が廻らなくなっており、ただ兎に角、必死の形相で傍らの初美に口早に語り掛けていた。
「ねぇハツみん、あそこに居た集団って、どこのクラスかな? 二年生?」
「えーっと、あの辺って確か、D組とかその辺じゃない?」
初美は自信無さげに首を傾げた。
既に退場が始まった後だから、正確な位置を絞り込むのは難しいだろう。
(あたし、行かないと……あの時の御礼、いいに行かないと……!)
その為にはまず、彼がどのクラスに居るのかを突き止めなければならない。
放課後にカラオケへと誘われていた羽歌菜だったが、今の彼女はもうそれどころではなかった。