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1.形見を救ってくれたのはアクロバティックなひとだった

 桜が舞い散る河川敷。

 多くの花見客で賑わう堤防沿いの通りを、夢咲羽歌菜(ゆめさきわかな)は親友の頓宮初美(とんぐうはつみ)と共にのんびりと散策していた。


「ここの桜って、こんなに綺麗だったんだー。去年は見損ねたから全然気づかなかったなー」


 つい先程屋台で買った大盛のフライドポテトを頬張りながら、初美は左右から迫る薄いピンク色の天井に瞳を輝かせていた。

 ソメイヨシノが満開を迎えているこの河川敷はふたりが通う私立真蔵谷(まぐらだに)高等学校に程近く、在校生ならば大体一度は桜の時期に訪れたことがあるといわれている有名な花見スポットだった。


「去年は入学の準備とかで色々忙しかったから、見逃しちゃったもんね」


 羽歌菜も感嘆の溜息を漏らしながら、華やかに咲き乱れる美しい光景にすっかり心を奪われていた。

 時折、春の暖かな風が頬を撫でる様に吹き抜けてゆく。その都度、ややウェーブのかかったキャラメルブラウンの艶やかなロングヘアーが静かに揺れた。

 傍らの初見も黒いショートボブの前髪を掻き上げながら、気持ち良さそうに目を細めている。


「あ、ほら、あそこの橋。あそこで写真撮ったらバエるんじゃない?」

「あー、イイねー。やろうやろう」


 初美の提案で、川の両岸を結ぶ小さな橋梁へと足を運ぶ。

 そこでふたりは顔を寄せ合いながら、桜に挟まれる川をバックに記念の自撮りに挑戦。

 羽歌菜のスマートフォンに向けて小さなギャルピースを作ったところで、シャッターを切った。


「おー、さっすがワカちゃん。ばっちり綺麗に撮れてる」

「ラインで送るねー」


 自分でも完璧に撮れたと自信たっぷりの一枚を、その場で初美のラインチャットに転送した。

 と、その時だった。


「ねー君達、カワイイねー。もしかしてヒマ?」

「オレらさー、一緒に遊んでくれる子探してたんだよねー。この後、どっか行かない?」


 見知らぬ若い男ふたりがいきなり、にやにやと嫌らしそうな笑みを浮かべて近づいてきた。高校生か大学生かは分からないが、正直いって相手にしたくないタイプのチャラ男共だった。


「あー、えっとー、御免ねー。アチキら、そういうの間に合ってんだよねー」


 初美がきっぱり断った。が、チャラ男ふたりは尚も食い下がる。


「んなこといわねーでさー、ちょっとぐらいイイじゃん。オレらと一緒に遊んだらぜってぇー楽しいって」


 中々にしつこい。

 初美が幾分むっとした表情で何かをいいかけたが、それよりも早くチャラ男のひとりが羽歌菜のトートバッグにぶら下がっているハンドメイドのアクセサリーに手を伸ばしてきた。


「へー、こんなの好きなんだー。イイ店紹介してやっからさー、一緒に来なよ」

「あ……ちょっと、やめて下さい。触らないで……」


 そのアクセサリーは、亡き祖母が羽歌菜の為に作ってくれたオリジナルの逸品だった。誰とも知れぬ輩に、おいそれと触れさせて良いものではなかった。

 ところがそのチャラ男は羽歌菜の制止も聞かず、勝手に掌の中に取って持ち上げてしまった。


「あ、ちょっと、何してんのさ! それワカちゃんの大事なやつなんだから、勝手に触んなって!」

「えー、何だよ。別にイイじゃん、ちょっとぐらい……」


 初美が猛然と食って掛かったその時、チャラ男が強引にそのアクセサリーを引っ張った為、ストラップがちぎれてしまった。

 しかも初美の手を逃れようと躱した為、チャラ男の手から弾ける様な勢いで飛び出してしまった。


「あ……駄目ぇ!」


 羽歌菜の美貌に絶望の色が広がった。

 祖母の形見のアクセサリーが、橋の欄干を飛び越えて川面へと落下しつつある。

 駄目だ、絶対駄目だ――大好きだったお祖母ちゃんが羽歌菜の為にと、丹精込めて作ってくれた、この世にただひとつの大切なアクセサリー。

 それが今、彼女の前から永久に失われようとしている。


(ヤだ……ヤだ! いかないで!)


 羽歌菜は咄嗟に手を伸ばしたが、形見のアクセサリーは既に欄干の向こう側に在り、とても間に合わない。このままでは川底に消えて、二度と戻ってこなくなる。

 それだけは、絶対に嫌だった。お祖母ちゃんが羽歌菜の幸せを願って贈ってくれた一番の宝物が、こんな形で失われるなんて我慢ならなかった。

 どうして、どうしてこんなことに――羽歌菜の視界が涙に滲んだ。

 その時、一陣の風が吹いた。

 絶望にまみれた羽歌菜の目の前で、黒い影が欄干から川面上へと飛び出し、そのまま形見のアクセサリーを素早く右の掌の中へと収めた。

 更にその影は欄干の一部を左手で掴み、自身の体躯をスイングさせる様にくるりと橋梁上へと引き戻して、恐ろしく軽快なアクロバティック且つ正確な動作で一回転しながら欄干上に着地した。

 一体、何が起きたのか分からなかった。

 ただひとつ確実なのは、今にも失われそうになっていた大事な形見のアクセサリーが、羽歌菜のもとへと無事に帰ってこようとしているという、その一事だけであった。


「うわー、見たかよ、あれ……一瞬で橋の外から戻ってきたぜ」

「すっげぇな、さっきの。あれって確か、パルクールってんだよな?」

「カッコ良かったー。もう一回、見せてくんないかなー」


 そこかしこで、感嘆と称賛の声が湧き起こっている。

 しかし羽歌菜は、それどころではなかった。大事な、何よりも大事なアクセサリーが、失われずに済んだのである。もう他のことはどうでも良かった。


「あ、ありがとう! ありがとうございます!」


 羽歌菜が半泣きになりながら駆け寄ると、その人物――同じ年頃の、余り背の高くない青年が能面の様な無表情を羽歌菜に返しつつ、右掌を差し出してきた。

 そこには間違い無く、祖母の形見のアクセサリーが在った。

 羽歌菜は大事そうに両手で受け取りつつ、涙目のまま何度も何度も頭を下げた。


「本当に……本当に、ありがとうございました! これ、あたしの大切な宝物だったんです! もしあのまま川の中に落ちてたら、一生後悔するぐらいの、本当に大事な……!」

「あぁ、まぁ、良かったッスね。んじゃ、僕は急ぐんで、これで……」


 黒いパーカー、黒いジーンズ、そして黒いキャップと何から何まで黒ずくめのその青年は、微妙にどぎまぎした様子を伺わせながら、軽い会釈を返してそそくさと去っていってしまった。


「あ、あの……で、出来たら、お名前だけでも……」


 羽歌菜が追い縋ろうとしたが、その青年は急ぎ足でひと混みの中へと紛れていってしまった。

 一方、ふたりのチャラ男共はいつの間にか姿を消していた。流石にあの流れの中で、そのままナンパを続けようというのは幾ら何でもKY過ぎると悟ったのだろう。


「ワカちゃん、大丈夫?」

「うん……あたしは、平気。お祖母ちゃんの形見もちゃんと、戻ってきてくれた……」


 しかし、大切な宝物を窮地から救ってくれたあの若者は、名乗りもせずにどこかへ消えてしまった。

 彼は一体、何者なのだろう。

 その焦がれる様な想いだけが、羽歌菜の胸の中で激しく燃え上がっていた。

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