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アフィー

「……カイー!」

それはカイの鈴の音のような声とは対照的な、高くはないがよく響く、遠吠えのような声だった。

「カイー!」

小高い丘の向こうから、鳥の群れが滑空してこちらに向かってくる。

よく見るとそれは鳥ではなく、さまざまな大きさの平織物、オーガンジーの連なりだった。

カイは目を丸くする。

(空飛ぶじゅうたん!?)

オーガンジーは透けて見えるほどに薄い。しかしその上には収穫した作物や、すでに肉と皮だけになった獲物を山ほど乗せている。少しもたわむことなく、すさまじい勢いで飛んでいる。

獲物を見つけた猛禽のように、カイに向かって、まっすぐと。

「カイ!」

オーガンジーの先頭を走る女性が、三度、カイの名を呼ぶ。

女性は馬を駆っていた。ひとまとめに結った長髪をたなびかせ、オーガンジーを先導しながら、草地の上を駆けてくる。

階段までたどり着くと、女性は馬を飛び降り、数段飛ばしで階段を駆けあがった。

後続のオーガンジーはそのままの階段にぶつかり、乗せていた荷をその場に撒き散らす。

女性はせっかくの作物や獲物が台無しになっているのに振り向きもせず、一目散にカイのもとに飛びこんでくる。

「……っち」

シェルティは舌打ちをし、建物に戻ろうと後ずさるが、駆け寄ってきた女性に腕をつかまれる。

「……」

女性はカイの顔をじっと見つめる。

(またわけわからん美人がわけわからん登場を……)

カイは瞳に涙を溜めたまま縮こまる。

(っていうかシェル、さっき舌打ちしたよね?急になに?こわ。おれなんかした?)

(っていうかこの美人もなんでずっと無表情なの?)

(怖い)

(おれ美人に対する免疫ないから無表情だと恐怖しかないんだけど……)

雪のように白い肌。長いまつげに縁どられた切れ長の目。薄い唇はまっすぐ閉ざされている。

シェルティと遜色ない、絶世の美人だった。

しかしシェルティと異なり、女性の顔にはおよそ愛嬌というものがなかった。

冷やかなすまし顔からは、どのような感情も読み取ることができない。

暗い藍色の瞳で、女性はただじっと、カイを見つめるばかりだった。

「……手を離してくれないか」

刺のある口調で、シェルティは言った。

先ほどカイにかけていたものとはまるで別人のような低い声だった。

「そっちが離せ」

女性はシェルティよりもさらに低く冷たい声で言い放つと、階段に張りついたままになっていたオーガンジーに視線を向けた。

オーガンジーは糸で引かれたように飛び上がり、束になって、シェルティに襲い掛かった。

「な……っ!」

シェルティは階段を飛び降りてそれをよけようとしたが、着地点を見極めようとしたほんの一瞬の隙をつかれ、女性にカイを奪われる。

「お前!」

シェルティは怒鳴り、カイを奪い返そうと手を伸ばすが、襲い来るオーガンジーにそれを阻まれる。

シェルティに変わってカイを抱きかかえた女性は静かな声で言った。

「もうだいじょうぶ」

(なにが!?)

シェルティはオーガンジーに押され、みるみる階段を下っていく。

懐から取り出した短剣でそれを払おうとするが、ただの透かし平織物であるはずのオーガンジーは、短剣に切り裂かれてもすぐにまた元通りの形に戻ってしまう。

シェルティは数百段に及ぶ長い階段の、中腹に位置ある踊り場まで降ろされる。

オーガンジーはシェルティの周囲を旋回し、壁となって、その場に足止めする。

女性は無表情のままカイに言う。

「これでもう、安心」

(だから、なにが?!)

女性はカイを抱きかかえたままその場に腰を下ろし、膝に乗せたカイと正面から向かいあう。

二人の顔は鼻先が今にも触れそうなくらい近い。

(……!?)

カイは緊張と混乱で目を回すことしかできない。

女性はそんなカイを強く抱きしめ、震える声で言った。

「カイ……?」

「は、はい……?」

「カイ……」

「えっと……?」

「やっと会えた。……ずっと待ってた。……もう離さない。今度こそ、わたしが、あなたを、守る。あなたを救う。……幸せにする」

忠誠を誓っているようで、しかし声は懇願しているかのようにか細く、震えていた。

女性は眉間に皺を寄せて、苦しげなものではあるが、はじめて表情らしい表情を見せた。

(うわあああ)

しかしカイは女性の声などまるで耳に入っていなかった。

女性はかろうじて尻を隠している程度の上衣しか身につけていない。剥き出しの太ももに乗せられたカイは、自分の柔らかい足と、女性の引き締まった太ももがこすれる感触に気が気でなかった。

加えて女性はカイを自身の胸に押し付けるようにして抱きしめていた。カイは女性の豊満な胸に埋もれたまま、酸欠と興奮で顔を真っ赤にしながら思った。

(胸が!太ももが!)

(もうじゅうぶん救っていただきました!)

(ぼくはいまとても幸せです!)

(美人のおっぱいに埋められる日が来るなんて……我が人生に一片の悔いなし!)

(どうもありがとうございました……)

(……)

(ありがたいけど、あのちょっと……いてて……きつすぎませんか)

(いたた、あの、ちょ、痛い!)

女性はカイを抱く腕に力をこめていく。

「もう二度とあなたに涙なんて流させない」

女性は力強く宣言する。

カイは全身の骨が軋む音を聞きながら心中で叫ぶ。

(いやよくわかんないけど!あなたのせいでおれ今にも泣きそうなんですけど!?)

(美人に抱きしめられているという状況は天国、締め上げられている感覚は地獄!)

(これぞまさに天国と地獄!)

(どっちにしろ死ぬことに変わりはないけどな!)

「い、いたい……」

カイがどうにか声を絞り出すと、女性は力を緩め、また無表情に戻った顔で言った。

「身体、つらい?」

カイは引き攣った笑顔でそれに答える。

「おかげさまで……」

(同性とイチャつくってTSものあるあるのはずなのに、なんか全然、思ってたのと違う……)

(たしかに胸は……太ももは……おれの身体も柔らかいからなおのこと……よかったですけど……)

(背中いたすぎてそれどころじゃなくなっちゃったよ……)

(怪力美女に抱きしめられて悶える、みたいなギャグって鉄板だけど、実際やられるとまじできついんだな……)

(折れてない?)

(ひびくらいはいったよね?)

(その身体のどこにそんな力があるわけ?!)

カイは上目遣いで非難するように女性を見つめる。女性はカイを見つめ返すと、おもむろに、自分の額とカイの額を触れあわせた。

「顔が赤い。熱がある?」

カイは息を飲む。

(近い!だから近い!)

(あのイケメンもだけど、この世界のやつら距離感バグってない!?それともこれがふつうなの?!欧米だってここまでスキンシップ過剰じゃないよね!?)

「あの、熱はないと思うんで、ちょっと離れてもらっても……」

「黙って」

女性は目を閉じ、真剣な面持ちでカイの体温を自分のものと比べている。

カイもたまらず目を閉じる。

(だめだ!美人過ぎる!目が潰れる!)

(このひともめちゃくちゃいい香りするし……)

(ああまたどきどきしてきた……)

(……)

(……はっ!?)

(おれはまたなにを!?)

(今は女の身体だっていうのに!)

(……ん?)

(いやいいのか?むしろ合ってるのか?イケメン相手だと概念BLになってしまうけど、このひとは女性だしなんの問題もないか)

(おれは美人に迫られた男として当然の反応をしたまで……)

(……男として?)


女性は目蓋をゆっくりと持ち上げ、どこか名残惜しそうに額を離した。

「熱はない」

「あ、そ、そうですか、よかったです……」

カイはおそるおそる尋ねた。

「あの……あなたは……」

「覚えてない?」

「……はい」

女性の表情に変化はないが、瞳がかすかに、揺れる。

それを見てカイは思わず謝る。

「す、すみません……」

「……ううん。いい。……そうあるべきだから」

女性はカイの頭をそっと撫でる。

「なくしたものは、取り戻せばいい。わたしたちはきっと、前よりずっと、いい関係を築ける」

女性は頭と同じようにカイの頬を撫で、鼻を軽くつまんだ。それからカイの両手の指と自分の指を絡ませた。

女性は皮の手袋をつけていたが、掌の温度はカイに十分伝わった。

「あなたは……」

「アフィー」

「え?」

「わたしの名前」

「アフィーさん……あの、自分たちって、どういう関係だったんですか?」

「アフィーでいい。……どんな関係?」

「友だちとか……」

アフィーはほんのかすかに目蓋を震わせ、答える。

「大切なひと」

「……?えーっと、つまり?」

カイは背中に冷や汗が流れるのを感じる。

(まずい、とても嫌な予感がする)

「わたしたちは、将来の、約束をした仲」

「えっ」

カイは声を裏返らせる。

「で、でもあの、おれ、女……」

「関係ない」

アフィーはカイの手を自分の口元に運び、そっと口をつける。

「わたしは、カイが、好き。カイが変わっても、全部を忘れても、今までずっと。これからも……ずっと」

アフィーの瞳は潤んでいた。

美女からの突然の愛の告白に、カイは頬を染めることもなく、笑顔のまま硬直する。


(もしかしておれ、やっちゃいました?)

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